2008/12/31

年賀状とLife Report

今年も年賀状を書いた。
この1年に撮った写真の中から主に子供の成長ぶりと宛先には県外の方も多いので沖縄を感じさせる写真をピックアップしてレイアウトしている。
もらう方は親バカぶりが目について迷惑だろうが、その迷惑顧みずこの1年を振り返り、記録として残すいいきっかけとして年賀状を利用している。いわばLife Reportだ。

画像は、小さな庭に勝手に生えてきたパパイヤの木。今回の年賀状のメインである。
生えてきた当初は引き抜こうと考えていたのだが、なすがままにしていると大豊作。親戚、近所へお裾分けしてもまだ実を処理できずにいるほどだ。
パパイヤは栽培方法が確立していないらしく、実がつかないものもあるとのこと。このパパイヤは大量に実をつけたので近所の方から感心された。いえいえ、私たちは何もしていないのですが。
パパイヤのせいか知らないが、同じ庭のゴーヤーは大不作だった。犬猿の仲かも知れない。

"Life Report"と言う言葉は安藤昌教さんのサイトから借用した。安藤さんはディリーポータルZ執筆者の一人だ。奇抜なアイディアを無理矢理実践して、体験レポートとして記事にしている。以前沖縄に住んでいたことがあって、カフェを宜野湾に構えていたこともある。店の横を車で通りすぎるたびに、ガンバッテルナー、と思ったものだ。

2008/12/25

クリスマスと子供達

1号(♂8才)は小三ではあるがまだサンタクロースを信じている。2号(♀4才)は言わずもがな、3号(♀0才)はまだ訳わかんない。
1号なんて寝る間際になってサンタへのお礼のお菓子を置くのを忘れたと言って、私の素敵な奥様(つまり母親)に玄関先にキャンディーを置くようにお願いをしていた。

小一の頃にすでに両親の魂胆を見破った私としては1号の素直さが信じられないが、子供達全員がサンタの存在を疑っていないなんて今年が最後かも知れないと思うと感慨深い。

私の小一時代に話を脱線すると、少し冷えたクリスマスの朝、家の玄関に兄弟それぞれへのプレゼント(お菓子が入ったブーツ)が置かれていたので、(この家は寝る前にはちゃんと施錠するのが慣わしだったので)煙突の無い家にサンタが入れるはずがない、とすると両親の作戦だな、とうっすらと感づいたのでした。もちろん大変うれしいプレゼントだったし、感づいていたにもかかわらずサンタがいたらいいなとは思っていた。
ただ、翌年以降おもちゃ屋さんへ一緒にプレゼントを買いに行くことになったのは、両親の慧眼かもしれない。

しかし、今日(あ、もう昨日だ)の夜も仕事だった。
イブの夜は夕食時に帰ってきて、2号(♀4才)と私の素敵な奥様が一緒に作ったケーキを一緒に食べ、子供達を寝かしつけた後、ケーキの半分を持って再度出社。反省会を開きつつそのケーキを同僚達と分け合って解散。3時帰り。明日(あ、もう今日だ)は午後出社なので、まぁいいけど。
先ほど帰ってきて、煙突のない我が家なのでサンタからのプレゼントをベランダにこっそり置いて、サンタの役目を果たす。
イブの夜に家を出て、クリスマスの朝に帰ってくるなんて、父親がサンタクロースだと本気で信じてしまうかも知れない。悪くない気がする。

そういえば、夕食前に家に帰って来たとき、遅い昼寝から目覚めた2号が寝ぼけ眼で「…パパ、待ってたよ…」と言ってくれたのは、もう涙が出そう。嘘の含まれる余地のないシンプルなそして不意打ちのような言葉は胸を突いて、うれしくて困る。
私にとっての一番のプレゼントだ。

画像はWikimedia Commonsから、The Gift table

2008/12/22

怒濤の1週間

怒濤の1週間だった。
12/19(金)までに結果を出さないと行けないタスクが発生して、12/15(月)から晩御飯抜きで仕事終了は午前2時~3時。それから同僚達と食事をして、帰って、寝て、起きたらまた出社。という日々が4日間。結局12/19(金)は社の忘年会に出られずじまい。
さすがに疲れたが、仕事中は時間の過ぎるのが早く感じるもので、なんとか切り抜けた。振り返ってみると同僚と共同でプレッシャーを克服するのは楽しかったが、毎週はやってられませんね。

こうも忙しかったりするとと家族や知人友人のありがたさが身に滲みる(2週間前から口内炎で滲みていたのは痛みを伴っていたのだがこれは別)。
忙しいという字は心を亡くすとよくいうが、何度も復活できるのでゲームよりは耐性が強い。簡単にはゲームオーバーにならない。
とはいえ、元に戻らない人は鬱になるんだろうか。
鬱は心の風邪、というほど簡単には直らないようなので例えは不適。では、と心の結核と言う人もいて、誰でもかかる可能性があり、長期間の治療が必要とは言い得て妙。でもストレプトマイシンなどのような有効な抗生物質が無いのが難。
誤解を与えない例えは難しい。

画像はWikimedia Commonsからアリ星雲(The Ant planetary nebula)

2008/12/14

ライフハック - 遠くを見よう

最近仕事が立て込んでいる。昨日も土曜だというのにトラブル勃発で16時から緊急出社、帰宅27時。
こんな時こそのライフハック第5弾。
遠くを見よう
過去のことも未来のことも。
今やっていることは遠い未来きっと役に立つことを過去が教えてくれる。
下を向いていたら小銭は拾えるかもしれないが、木にぶつかるし崖から落ちるし分かれ道に気がつかない。
卑近な事例を紹介すると、小学生の頃、本を読みながら家路を辿っていたら、薬屋の看板に頭をぶつけた。ぶつけたときにとっさに誰かにみられていないか周りを確認するのはどういうことだ。

それに遠くを見るのは目にもいい(意味が違うが、遠くを見るのは心にいい、でどうか)。

画像はWikimedia Commonsから、世界遺産、今帰仁城趾

2008/12/08

頭を使いなさい

1号(♂8才)が1才の頃、ブロック遊びか何かで苦戦しているときに、親から
頭を使いなさい
と言われて、アドバイス通りに、ゴン!と頭をぶつけた。

その言った「親」が自分だったのか私の素敵な奥様だったのか、判然としない。当時の場面も思い出せない。
脳内のどこかにその記憶は格納されているはずだが、ニューロンが錆びついているらしい。
記憶力が低下する一方、言い続けることで、エッセンスだけはこうして残る。
今でも笑いのネタにされているので、元は取った(何のだ)。

そういえば、米軍関係の仕事をしていた母親に、
Use your head!
って言われていたことを思い出した。”See.”を最初につけられることもあったな(ほらね、って感じか)。
こちらは配線がつながったみたいだ。
Wikimedia Commonsから、画像はニューロンのダイアグラム

2008/11/29

ライフハック - 自分の向上に目を向けよう

画像はWikimedia Commonsから、Toni Frissellの"Weeki Wachee spring, Florida"。ものすごい透明度。

ライフハック第4弾。
自分の向上に目を向けよう
他人は自分の立ち位置を確認するためである。
優劣をつけてもいいが、それで感情を揺さぶられてはいけない。
嫉妬、妬み、愚痴の元。

2008/11/28

アンサイクロペディアへ寄付

これらの記事
が秀逸だったので、Wikipedia(Wikimedia財団)へ寄付に引き続き、アンサイクロペディア(Uncyclopedia)にも寄付してみた。

だって、ほら
※今すぐ寄付しないと、あなたの身内に不幸が降り掛かります※
と脅してくるじゃない。ガチャピンの取り立ても怖いし。

アンサイクロペディアへの寄付は簡単。カード番号から暗証番号から、利用者名から実名から、果ては寄付金額まですべて自動で入力されるので、簡単であったWikipediaへの寄付よりも更に簡単簡単。ダマされたと思って寄付してみるもんだし、寄付するべきだ。

画像はUncyclomedia Commonsから。説明は不要としたい。

# おお、今気づいたが、日本語版はURLがアンサイクロペディアのローマ字読みだ。芸が細かい…。

2008/11/27

不味いそば屋の楽しみ方

「ちゃーやが?」(どうだ?)

10年くらい前に先輩から聞いた話。
先輩の仲間内で流行った遊びで、いかに不味いそば屋(沖縄そば)を発見するか競い合ったらしい。
沖縄本島の方だが、石垣島で不味いそば屋を発見して仲間を誘った。二人で遠く石垣島までわざわざ行って、テーブルに向かい合い、出されたそばを自分は食べずに相手が一口すするのを見て、発した一言が冒頭の言葉。

「ちゃーやが?」(勝ち誇ったように)
「たしかに…」

先輩曰く、美味しいそば屋は繁盛するし、つぶれることはない、いつでも行ける。しかし、不味いそば屋はすぐつぶれるし、なかなか見つけるのは難しいので大変な遊びだと。

ここ数年沖縄のそば業界は店の数も増え、味のバラエティも店構えも多種多様であり、個人的にはうれしい。
味もまぁまぁの店がたくさんある一方、不味いそば屋を見つけるのは確かに至難の業である。

画像はWikimedia Commonsから「高江洲そば」の沖縄そば(ゆし豆腐そば:ここのそばはおいしい)。

2008/11/25

3号は進化の途中

3号(♀0才)のお風呂上がりにタオルで体を拭く係を受け持っている。
体を拭き、おむつを着けてあげようとすると、何か他に面白いことでも見つけたのか、体をよじって逃れようとする。
そこで顔にタオルを掛けてみた。
「野生動物かっ!」
と思うほどぴたっと動きが止まった。
最近では、徐々に進化しているようでタオルをはねのける技を覚えつつある。
残念である。

火を見ると怯えるかどうか試すべきかも知れない。

2008/11/19

Wikipedia(Wikimedia財団)へ寄付

blogの画像引用でお世話になっているので、昨年に引き続きWikipedia(Wikimedia財団)へ寄付してみた。ほんの少額、札1枚。日本円で金額を指定したので、円高ドル安の今ならほんのちょっとだけ多く寄付されることになる。

ちなみにPayPal経由であるが、KidPixの購入時にPayPalのアカウントを作成していたので簡単簡単。

寄付の手続きが完了すると最終画面で、「ウィキペディアへのご支援をありがとうございます。」のメッセージとともに、寄付依頼ボタンのコードが公開されるので貼り付けてみる。3種類あるうちの大きいボタンを採用。

Wikipedia Affiliate Button

寄付に関しては「isologue - by 磯崎哲也事務所」さんの記事、Wikimedia財団への寄付の税務について考えてみたがおもしろい。

試しに、Wikimedia財団の寄付者のページを見ると、Sustaining donors ($1000 to $4999)の欄に磯崎さんと思わしきお名前
"Tetsuya Isozaki (November 2008)"
を発見。さすがに$1000以上は少ないようで、目立つ目立つ。
あと日本人と思われる方は
"Koyama Ryusuke (November 2008)"
"Joichi Ito (November 2008)"
"Motohisa Oono (November 2008)"
でしょうか。

2008/11/17

トイレにおける選択基準の観察

画像はWikimedia Commonsから。

職場のトイレにおける同僚連中(社長含む)の行動を観察しているとなかなかおもしろい。
1. 空いている三つある小便器のうちどれを選ぶか:
  • 入り口に近い方 (近いから。後で他の人が来たらどうするとかどうでもいい)
  • 真ん中 (中央にいるべきはオレだ。すべてを支配したい。次の人が隣に来ることも厭わない。そこまで考えない)
  • 入り口から遠い方 (他人との接近をあらかじめ回避。トイレ内の奥まで行くことでパトロール気分)
( )内に推測を書いてみた。
真ん中に立つ人はあまりいない。
続いて、小便器に立ったときどのような姿勢を取るかについての観察結果から。
2. ズボンの扱い:
  • チャックだけをおろす (技術偏重派。パンツの前面開口部での処理スキルを保有)
  • ベルトを外し、ズボンもやや下げる (オープンエア派あるいは幼児期からの脱皮中)
  • 小便器では絶対やらない (個室派。何故?)
3. 足幅の問題:
  • 足を肩幅より大きく広げる (取れる陣地は最大限確保)
  • 足は肩幅で自然体 (オレの背後に立つ奴は…)
  • 足を肩幅より小さく広げる (自意識過剰または自己評価過小)
4. 小便器との距離:
  • 小便器に密着する (見るなよ。または「もう一歩前へお進みください」お願いシール推進派)
  • 小便器とつかず離れず (液体放出の角度から計算するとはね返りの被害を最小限に留めるには…)
  • 小便器と距離を置く (見られても減る物でもないし、もうどうでもええ、好きにしろ)
各人にアンケートを取るべきだろうか。

そのほかには
  • 大用の個室でトイレットペーパーを交換しなければならなくなったとき、古い芯と新しい包装紙の扱い方
  • 所用が住んだ後の手の洗い方(あるいは洗わずに済ませる方法)
についても考察はあるのだが、ちょうどトイレへ行く時間がきたようだ。

2008/11/16

去る人々 (余談)

画像はWikimedia Commonsから、スロヴェキアの屋根付き橋。

去る人々 (1/2)の余談。

友人Sのことを書いていると、ものは試しにとその女の子の名前を検索に掛けてみた。
おお、名前が出るではないか。
素直にインターネットってすばらしいと思った。
絵本の著作が何冊かあるようだ。もう沖縄を離れているらしいが、沖縄の影響をすごく受けているようだ。
Sの死を知っているのだろうか。

2008/11/15

去る人々 (2/2)

画像はWikipedia Commonsから明石海峡大橋頂上。

去る人々 (1/2)からの続き。

2007年10月。
そして、伯母のM(父の姉)。

伯母さんはいつも風のように実家に現れて、アメリカのお菓子などのおみやげを置いていくとちょっとおしゃべりして数分で帰って行く。私の両親に初孫(つまり姪っ子)ができたときに実家に上がり30分くらい滞在したのが記録ではないか。詳しいことはよく分からない人だった。
私と弟がまだ子どもの頃に入学などの記念の時には時計や万年筆など贈ってくれた。私と弟の成長を言葉だけでなくちょっと気の利いたプレゼントで表現してくれた数少ない人だった。
病気になるまで知らなかったが、商売をやっていたはずで(見たことはない)、世間とのつながりがどういうものであったか分からない。

一緒に生活していた男性(内縁の夫?)の看病がたたり、2007年4月から自分も入院。煙草が原因と思われる呼吸器系の病気を患った。入院からは私の父母だけではなく、私の家族、弟家族を巻き込みながら、退院先の手配、生活費支給の問題に右往左往の日々が続く。
伯母が入院してまもなくの5月にその男性は亡くなり、本人に父母のどちらかが正直に告げると納得はしていたようだ。その代わり、住んでいた家はその男性のものなので、男性の兄弟から追い出されることになる。
体力が徐々に回復し病院側から退院を迫られるも、生きるための新たな条件となった酸素ボンベ携行が災いして、住むべき部屋も見つからない。
しばらくすると、今まで住んでいたところからもほど近い所に老人養護施設が開設するとの情報が舞い込んでくる。それまで退院を引き延ばしてもらった。7月1日に退院しその足で施設へ入所する。その施設はある程度自力で生活ができる人を前提としてあり、第1号入居者として1階の一番奥の個室で海が一望できる一番いい部屋を割り当てられた。
その後は子どもたちを連れて時々訪問には行ったが、会うといつもうれしそうであった。子どもたちはいつも何かしらもらって帰って行った。ただ酸素ボンベを持ち歩かないとどこにも行けないのが大変だとは言っていた。

10月末の土曜日の早朝、弟から亡くなったとの知らせ。前兆は何もなかった。
その日の約束をすべてキャンセルし、病院の霊安室に駆けつける。安らかに眠ったような伯母さんがいた。悲しい気持ちに嘘はないのだが不思議と涙は出ない。親戚として完璧ではないけれどやれることはやった気がしたからだと思う(全身全霊にはほど遠いが)。優しい顔であったのが何よりも救いだ。
病院ではなく施設で亡くなったので、事件性の有無を調べるため、施設の方と私と弟は待合室で簡単な事情聴取。イヤな感じは せず大変な仕事だと私服の警察官を眺める。施設の方は担当の若い女性とそのリーダー役と思わしき男性。女性は涙で目が赤かった。泣いてくれる人がいると思った。
警察によると、一旦警察署へ運び死体の検案をするとのこと。搬送は葬儀会社が行った。この時点で葬儀会社は決定していないが、結局そこを使うことになった。
一旦家に帰り、喪服一式を用意し、実家へ向かう。その後父と施設へ伺い、荷物の整理を行う準備をする。写真を使うことになるので写真はすべて持ち帰ることにした。ちなみに「検案」という言葉をこの時初めて知った。
そのうち警察から電話があり、検案の時刻を教えてもらう。また、慣習として医師に2万円を謝礼として渡していることも教えてもらう。
その日の午後の指定された警察署、指定された時刻に父親と行く。医師の検案の結果、心不全。直接的な原因が不明の場合によく使われるらしい。事件性はないとのことで解剖は行われなかった。そのまま死体検案書を作成してもらう。施設へも事件性はない旨を連絡する。

離れて暮らしていた伯母さんの二人の娘が(と言ってもちょっとかなり年上)駆けつけ、一緒に葬儀の手配を行う。極力お金はかけず、新聞への公告も行わないことになった。
ちなみに沖縄では死亡するとでかでかと新聞に公告することが一般的だ。亡くなった方の家族親戚友人等の関係があからさまになる反面、子どもや子育て真っ盛りの親御さんの死も知ることになり、現在自分の置かれている状況が奇跡に近いことを実感することもある。
伯母さんの体は、一旦葬儀場で安置することになった。
伯母さんは二人の娘に大変な苦労をかけてきたので、二人の娘の普段の伯母さんに対する対応はドライだったはずだ。
二人を連れて葬儀場の安置所へ向かい、伯母さんの顔を見ることになった。伯母さんの顔を見ても取り乱すことはなかったが心中穏やかでない様子が伺われた。ただ、安らかな顔を覗き込んでほっとしたようだった。
帰り際、安置された部屋に虫(蛾だったかな)が迷い込んできて、これは伯母さんが様子を見に来たかもしれないねと話し合った。

翌日の告別式には公告を行ってないにも関わらず、施設の方、伯母さんの元で働いていた女性が数名訪れた。伯母さんの娘二人の家族や父母、弟一家、私の家族もいっしょだ。施設の女性はやはり泣いていた。伯母さんは施設の第1号入居者にして第1号の退所者となった。伯母さんの仕事仲間は「ママさんにとても世話になった」と言って泣きはらしていた。娘達に苦労をかけた分、彼女たちに優しく接していたのかもしれない。
火葬を行い、骨片と灰になった伯母さんを安置するお墓もないので、娘のうちの一人の家近くのお寺でしばらく預かることになった。

伯母さんはちょっとみんなをかき回した後あっという間に逝ってしまった。不謹慎かもしれないが、なかなか潔い引き際だな、と思った。
死ぬ間際になって、関わった私達みんなにちょうど乗り越えられるような試練を与えてくれたような気がする。

2008/11/14

去る人々 (1/2)

画像はWikipedia Commonsからスイスのラヴェルテッツォ(Lavertezzo)にある渓流にかかる石橋「ポンテ・デイ・サルティ」(Ponte dei Salti)。

わすれられないおくりもの - "Badger's Parting Gifts"にも書いた隣人のおじさん以外に昨年は身近の人が少なからず亡くなった。数えてみると隣人のおじさんを含めて4人。すべて1周忌が終わった。
年をとるにつれ死による別れは増えていくのが当たり前ではあるが、後々年月まで覚えてられる自信がないので記憶に留めるため記録することにする。
個人的には少し重い話となる。

2007年5月。
小学4年の時転校してきて、そのとたん入院してしまい、クラスの有志でお見舞いに行ったS。結局、小中高と一緒だった。
実は初恋の人も一緒だったと思う。小4の時だ。初恋というか初めてその存在が気になるようになった異性というか。Sの主導で一緒に自転車に乗ってその子の家を探索に行ったりした。
自死。
私よりもっと近くにいた友人達はいろいろ仕事の世話をしたり、彼の人生に関わってきたし、かなりの無念さが伝わってきた。私としては彼の行為を肯定も否定も出来ない。そう決意し実行するまでは相当苦しかったのだろう。重くのしかかる考えは堂々巡り、出口のない迷路のようでいて、また、同じ場所に戻ってしまう。一番自分が苦しいと感じていたはずだ。
ただ、残されたご両親の悲しみを考えると子を持つ親としてはやりきれない。遺書も無かったと聞く。ご両親は理由を知りたがっていた。永遠に答えが見つからない疑問を抱えてご両親はそれでも生きていかなければならない。母の日の直前で机には彼の母親用にか母の日のイベントの招待券が並べてあったということだ。
告別式の帰り、友人達とちょっとした飲み屋に集まった。ワイン好きの友人がいたので赤ワインを頼み、ワイングラスを人数分に一つ加えて、彼への弔いにした。涙を流す者はいない。黙っているとむなしさと無念さが広がっていくの感じる。それを押しとどめるため、現実世界の話題を交わし続けた。他のみんなも同じ気持ちだったのではないか。表面とは裏腹に心の中では夜が更けるのを静かに待っていた。
Sの話には余談がある。

2007年5月。
いとこの実父Y。そのいとこにも長いこと会っていないし、いとこの実母(私の母親の妹、つまり叔母さん)はとうに離婚しその後再婚してそっちのつきあいは長く今もちょくちょく会う。
上の同級Sの死を知った私の母親がしばらくしてそっと教えてくれたのだが、設計士の事業がうまくいかなくて自殺したようだ。
小学生の時は親戚間のつきあいがとてもよく、そのいとこ同士で10人くらいは親に連れられて毎週のように会って遊んでいた。そのせいか、Yには長いこと会っていなかったにもかかわらず不思議と今でも顔を思い出せる。
ただ、建築業界も厳しいという認識が刻み込まれたし残念だという気持ちはあるが不思議と悲しくはない。たぶん、既に思い出の中の人だからだ、と思う。

2007年8月。
隣人のおじさん。先のポストに書いた。

2007年10月。
そして、伯母のM(父の姉)。
書いていたら長くなったので別ポストとする。

2008/11/13

奇妙な縦線問題

3,4日前から記事の左右に縦線が入るようになった。特に右側は太くて記事に重畳。オリジナルのテンプレート幅(485px)の位置が基準になっているようだ。
境界の線のように見えるが…。
なんじゃらほい?

追記(ポストから15分後)
自己解決。
テンプレートの編集画面でメインの角を丸くしているgifファイルにつながる左右の縁取りgifファイルをコメントアウトした。
#main {
background:url("http://www.blogblog.com/rounders3/rails_main.gif") repeat-y $startSide;
/* background: $startSide; */

#main {
/* background:url("http://www.blogblog.com/rounders3/rails_main.gif") repeat-y $startSide; */
background: $startSide;
いつ間違ったのか?
ちなみにテンプレートは"Rounders 3"に少々手を加えてる。

2008/11/06

エコな話題

画像はWikimedia Commonsから、過剰包装の一例。

お買い物にはマイバッグを持参するようになって久しいが、精算前に商品をマイバッグに詰め込むのはいかがなものかと思う。この行為を通常は万引きという。

小中学生が自転車を改造してチョッパーハンドル、背もたれをつけて暴走族仕立てにしているのを見かけた。よく考えてみると、騒音はないし、空気は汚れないし、肉体も鍛えられ、自転車整備の技能向上にもつながり、あまつさえ彼らの心の鬱憤も晴らすことができる。これ以上彼らに何を求める必要があるというのか。

CO2削減が求められている。いっそのことCO2をこの世から抹殺すると、アルファベットは24文字になり、一般算術は九進法の世界へ移行する。小指のない方を多く要する業界へのまなざしが恐怖から尊敬へと変わるのも時間の問題である。

魂のリサイクルのことを輪廻転生(Samsara + Reincarnation)という。リサイクル前に分別処理が行われているかどうかは不明である。また、地球誕生から数えるとある時点における魂の総数は増え続けていると考えるのが自然である。よって、どこか人間の知らないところで魂の生産工場または農場があると容易に推測できる。

水は有限であり、かつ、人間の生命維持活動にとって必須であることから貴重で最も重要な資源のうちの一つである。水が地球内で循環している限りは問題ないが、宇宙へ流出すると取り返しのつかないことになる。そのため、宇宙飛行士の尿は地球に持ち帰ることが宇宙法により義務づけられている、という噂を流布してはならない。

2008/11/02

解決 faviconが表示されない

暫定的に解決。
取り急ぎこちらを参照のこと。
BlogU: Fix for Broken Favicons

方法は別途追記する予定。

関連:
2008/10/24 faviconが表示されない
2008/10/30 続 faviconが表示されない


追記(2008/11/05)
その方法は次の通り。

1. 「レイアウト」~「HTMLの編集」へ移動する
2. faviconを表示させるためのHTML文をコピーする
<link href='http://d.hatena.ne.jp/images/diary/u/uyabin/favicon.ico' rel='shortcut icon'/>
<link href='http://d.hatena.ne.jp/images/diary/u/uyabin/favicon.ico' rel='icon'/>
3. 次の行を見つける(かなり下の方)
]]></b:skin>

</head>
4. 2.でコピーしたHTML文をペーストする
]]></b:skin>

<link href='http://d.hatena.ne.jp/images/diary/u/uyabin/favicon.ico' rel='shortcut icon'/>
<link href='http://d.hatena.ne.jp/images/diary/u/uyabin/favicon.ico' rel='icon'/>

</head>
5. 「テンプレートを保存」ボタンを押下する

2008/10/30

続 faviconが表示されない

2008/10/24 faviconが表示されない問題、進展あり。同士を発見。
デザインの現場から徒然日記
bloggerの仕様変更っぽい。なんだかなぁ。

ライフハック - 怒る前にちょっと待とう

画像はWikimedia Commonsから。

ライフハック第3弾。
怒る前にちょっと待とう
怒ったら何がどうなるか考えよう。
何かをぶちまけた後片付けをするのは自分だ。物理的にも精神的にも。
怒りたくなったら、10数えるとか、それでもだめな場合は100数えるとか。100数えるのを通り越して例えば1万まで数えようとすると、その間に苛ついてまた怒りたくなるので注意、注意。
と言いつつ、私の場合、数なんか数えていない。怒りたくなると(怒っている最中でも)別の自分が怒ったらどうなるか考えるよう促してくれる。過去の経験から怒ってもいいことはないことを学んでいるのと、怒りは自己中心的だと自己制御が働くためか。

でも、怒るときもあるけどね(仕事とか子どもとか)。

2008/10/26

ライフハック -  怒るな叱ろう

画像はWikimedia Commonsから。

ライフハック第2弾。
怒るな叱ろう
その叱責が自分の感情の爆発ではないか自問しよう。
感情の爆発は自己中心的であり、対話の道を閉ざしてしまう。
教育のためにであるなら目的は、怒る、ではなく、叱る、であることをわすれないように。
言うのは簡単なんだが…
子育ては子どもの成長のためというより自分の成長のためと思う今日この頃。
(ほっといても子は育つが親は意識しないと育たない)
また、叱る心構えであれば他人の子どもにも容易に注意できる。

2008/10/24

faviconが表示されない

おや? 今朝から自作のfaviconが表示されないようだ。
違う環境でもチェックしてみることにする。

追記(2008/10/24深夜)
違う環境(ISP、OS、ブラウザ)でもNG。

追記(2008/10/26深夜)
他のBloggerでは表示できているようなので、
どうも私のところだけのようだ。
ちなみにこのblogのfaviconは2008/3には設置、順調に表示されていたのだが…。

2008/10/23

ライフハック - 作業にかかる時間もないのか自問しよう

画像はWikimedia Commonsから。

日々の生活を快適に過ごすための自分で気づいているハック集(これからときどき書こうと思う)。
ただし、ここに書くのは後天的に会得したもののうち未だに意識しているもの。
体の中に完全に同化したものは「無くて七癖」(誤用)で、すでに自分では気づかないと思う。

今回が記念すべき第1弾(特に記念すべきでもないが)。
作業にかかる時間もないのか自問しよう
清掃や整理整頓にどのくらいの時間が必要か見当をつけよう。
目の前に清掃、整理整頓すべきものを発見したとき、0分~15分程度の時間もないほど忙しいのか、私は?と問いかけてみよう。
きっと、その程度の時間ならなんとかなる。
何かをしないための言い訳は時間だけの問題ではないことに気がつくことが肝要。
5分~15分以上もかかると判断した場合は、それでもできる範囲でとっかかってみよう。

2008/10/22

1号、2号、3号へ変更

画像はWikimedeia Commonsから。

これまで子供らのことを第1子(♂8才)、第2子(♀4才)、第3子(♀0才)と書いてきたが、これからは、1号(♂8才)、2号(♀4才)、3号(♀0才)と書くことにした。
堅い感じがしていたのと字数の節約になるし、何となくロケットのようで勢いがあってよい感じがしたので。
船のようにナントカ丸でも面白いかも知れない。
( )内は属性として継続して併記する。

もうイクラ何でもタラコでも4号は無いと思うので、桁上がりを心配する必要もない。
ちなみに、1号さん、というように「さん」付けにすると、2号は意味が違ってくる。

2008/9/30のポストから鮭のように遡って変更した。

2008/10/20

ヤンバルの、エコなカフェと。

画像はWikimedia Commonsからヤンバルの森。元の写真は沖縄発!役に立たない写真集にある。沖縄を面白い視点から描写していてとてもユニークだ。

先週、1号(♂8才)の秋休みに合わせ、遅い夏休みをとって家族旅行でヤンバルに1泊した。その帰り道、わざわざ遠回りして東京時代の友人が居着いているというヤンバルの更に森の奥に構えたカフェに行ってきた。
そのカフェは、ヤンバルの山中、ホントに山奥で、車で行ったからいいものの、徒歩では一般道から推測20分、その道すがら人家はない。
カフェに到着すると、まず、2号(♀4才)の訴えを聞き入れて、離れにあるトイレに連れて行く。トイレットペーパーは水に流さないで備え付けの大きな籠に入れてください、と書いてある。浄化槽の問題かな。
トイレの用を済ませ、店内と思わしき建物に入る。私のすてきな奥様は3号(♀0才)がベビーシートで眠っているので車で留守番。先客は幼子を連れた3人家族一組だけ。後からカップル2組と男性1名が来る。平日だというのに結構多い。
季節的にも暑くもなく寒くもなくオープンテラスで佇むもよし、店内で手作りのインテリアを眺めるもよし。エアコンはない。
子供らの主張に沿って店内に席を陣取る。
席に着くと人数分のお冷やを頂くが早速第2子がこぼしてしまう。ああ、もったいない、と頭はエコモード。
カフェと言うだけあって、メニューが用意されていて、でもコーヒーは頼まずに、昼食にと無添加オリジナルのパンとピザを頼む。
しばらくしてサーブされたパンもピザも石窯で焼いたと思われるもので大変美味しい。ピザなんか熱さが違う。アツアツ。
水も柔らかく那覇よりも確かにうまい。
10年以上ぶりに友人にも会えたし、良いことずくめ。

子供らと取り合いをしつつパンとピザをほおばりながら、しかし、店の売りは周囲の自然とエコなスタイルだよね、でもカフェだよね、と思った。
商売である。
来るか来ないか分からない客の事を考えると、保存のための冷蔵庫、冷凍庫も必須でありそのためには安定した電気が必要だ。実際そこだけはちゃんとした業務用のものが設置してあった。衛生管理上、水道も必要になる。
元々森の少々切り開かれた空き地に店を構えたようだが。客が来れば車の重みで道は踏み固められ、植物は生えなくなる。

ヤンバルの自然も経済活動の中で消費されるカフェの商品の一部に過ぎない、という見方も出来る。
自然保護とエコの最大の敵は人間であり、人間の経済活動であると考えているので、何か矛盾を感じる。
生きている自然には何もしないのが一番で、破壊された自然に手を差し出すのは二番目だ。

そういう矛盾を感じつつも、だからといってその矛盾を声高に叫んだりはせずに、子供らとパンとピザを味わったり川のせせらぎや森に響く鳥の声に耳を澄ませたりと俗世間の楽しみで満足して、きっと鳥の数なんかより人が多く住む那覇へ戻ってきた。

はてさて、矛盾を感じている私に一体何が出来るのだろう、と考え続ける。
どうすべきかの答えは実は見つけているのだが、これでいいのだろうか。

2008/10/10

ちょっと変わった子守歌の深謀遠慮

画像はWikimedia Commonsから。

3号(♀0才)を時々抱っこであやして上げることがあるのだが、そのとき口から出てくる歌のうちの一つが、自分でも意外な歌でびっくり。いわゆる子守歌ではない。でも歌っているとしっくりくる。
「熊本節」または「出征出船の唄」とも言う。
入隊しなければならない夫とそれを見送る妻との夫婦別れの唄。題名からは戦争賛美のように思えるが、決してそうではなく、逆に、戦争によって引き裂かれる夫婦の哀しさを表している。
「ちらし」という「セット」で歌われることが多い「軍人節」も同様。軍人節、熊本節は共に普久原朝喜の作。出征出船の唄と呼ばれるいきさつは「アイ加奈思い」さんのサイトが詳しい。ちょっと引用してみる。
この唄の初出時(昭和8年吹込)の経緯について、上原直彦さんの文章を転載させていただきます。
「「軍人節」を創作した普久原氏が検閲を受けたとき、担当係官は「琉球の民謡フゼイに大日本帝国軍人の尊称を節名とするとは何ごとか!」と、内容を知ろうともせず一蹴してしまった。つまり、日本国民でありながら、「ニッポン人の資格」を得られなかった沖縄人には、表現の自由、いや、歌うことの自由さえなかったのである。
 しかし、普久原氏は歌うことをやめなかった。
「軍人」という言葉がタイトルとして認められないのなら、どうせ中身は、相手には判らない。日本帝国軍人係官が好みそうな節名をつけてやろうと考え、問題の「軍人節」を「出征兵士を送る歌」と改題、連作の「熊本節」を合せて「入営出船の港」として申請したところ、「よしよし、オキナワもんもようやくニッポ ン人になったか、御国のために尽力するように」と激励さえ受けて許可されたのである。」[「島うたの周辺 ふるさとばんざい」P85]
蛇足ですが、沖縄から出征した人たちは3年間、熊本の第六師団に配属されたそうです。それで熊本節。
ここでは二つの曲を合わせて「入営出船の港」となっている。
熊本節の歌詞と意味は、たるー(せきひろし)さんのサイトが詳しい。
たるー(せきひろし)さんは気軽には歌えないらしいが、それは人前で歌うことが前提になっていて、かつ、本人が沖縄出身者でないことを意識(遠慮)してるからではないだろうか。
とはいえ、たるー(せきひろし)さんのサイトは沖縄の唄を知りたい者にとって、とてもとても役に立つ。

熊本節以外には「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」を歌う。これは今の住まいが首里なのでかなり意識して歌っている。首里赤田町では「弥勒迎け(みるくうんけー)」が行われ、毎年旧暦の7月15日の近くの日曜日に行われていて、毎年子ども達と一緒に追いかけている(赤田町に住んでいるわけではないのだが)。

子守歌としての熊本節は、0才のこの子に歌詞なんか分かるはずもなく、大きくなってからだってメロディーさえ覚えていないかもしれない。ただ仮にこの子が成人した後、熊本節がこの子の耳をかすめたとき、そのメロディが奥に眠っている記憶をつついて蘇り、その歌に興味を持ち、探し出して歌詞を知り、そして、この歌の背景を想像することができたなら、歌を自由に歌える時代に生きていることを理解できたなら、親としては本望だ。

だから私はその子を抱いているときに熊本節を子守歌として易々と口ずさむのである。

2008/10/06

家路を辿りながら、こう考えた。

画像はWikimedia Commonsから。

家路を辿りながら、こう考えた。
上を見ればきりがない。下を見れば底深い。顔を上げれば競い合い。振り返れば独りよがり。とかくに人の世は難しい。
難しさが高じると、易い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても難しいと悟った時、詩が生れて、blogが出来る。

夏目漱石「草枕」の冒頭の文を真似てみた。
青空文庫に収録されている「草枕」の冒頭文:
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

2008/10/02

わすれられないおくりもの - "Badger's Parting Gifts"

小学校3年生の国語の教科書にスーザン・バーレイの「わすれられないおくりもの」("Badger's Parting Gifts", Susan Varley)が載っている。授業の課題か何かで1号(♂8才)が「ぼくのわすれられないおくりもの」と題して作文をしたためた。
ぼくのわすれられないおくりものは、二つあります。一つは先生です。なぜならいつもいろんなことをおしえてくれるからです。
二つめは、たわだのおじさんです。
きょ年、亡くなってしまったけど亡くなる前は、はたけにつれてくれてヤゴとかオタマジャクシをとらせてもらいました。だから、今でも心にのこっています。
原文まま、「亡」が「死」と書いていたのは訂正した。

親や教師の指導は入っていないはず。漢字で書けとか、先生はおくりものとは違うだろうとか、おじさんの名前が間違っているとか、いろいろ突っ込みどころ満載なのだが、「わすれられないおくりもの」のこの世を去るアナグマ(a badger)とアナグマが友人隣人たちに残していった大切な何かを考えさせる物語と作文のおじさんの話は関連性があって、しかも最後の一文は泣かせる(馬鹿親...)。
元小学校教師の荒木茂さんのサイトには教科書の題材としての「わすれられないおくりもの」の詳しい解説がある。

「おじさん」は隣人で私達家族が3年前に現在の地に引っ越してきてた頃にはすでに仕事はリタイアしていたが、リタイア後に始めた畑仕事や家の手直し、草刈り機を使ったパワフルな雑草対策など精力的に働いていた。私達家族にもにもいろいろよくしてくれて、子どもたちにはそれこそ自分の孫のように接してくれた。1号が隣のおじさんのことを「ともだち」と呼んだのが大層うれしかったらしく近所の人にもよく話をしていた。
昨年の8月に数ヶ月の闘病生活の末逝ってしまい、やりきれない悲しみは私達家族にも残されたが、代わりにこのアナグマのようにをたくさんの思い出を残してくれた。
今でも隣のおじさんの「まだまだ君なんかには負けないよ」と言った声が笑顔とともに思い出される。
私のすてきな奥様は作文のコピーをとって、亡くなった隣のおじさんの奥さん:隣のおばさんにあげると言っていた。

この作文は今も隣のおじさんが思い出に生き続けていることの証である。

2008/09/30

タイトルに画像を追加

本部(もとぶ)町の高台から東シナ海を望む。
水平線と一体化したような水納島。
雲の合間から降り注ぐ太陽の光。
その光と雲の影が織りなすコントラストを受け止める海はまるでスポットライトが当たる舞台のようだ。

学生時代の友人が沖縄へ来たおり、「ピザ喫茶 花人逢(かじんほう)」での昼食の際に撮影。
1号(♂当時4才)も同行、その後はお約束の美ら海水族館へ。

薄曇り。
2004年12月末のこと。

2008/09/29

地球温暖化への心構えに対する矛盾

出張先の会議室に張ってあったポスターの標語:
みんなで止めよう地球温暖化
地球を守る あなたの暖かい思いやり
何か矛盾を感じたのは私だけ?
クールに行きましょうよ。

2008/09/22

機械への命令とエレベータの意志

画像はWikimedia Commonsからスタンフォード大学にあるOTIS製エレベータの奇妙なボタン。

通常、人間が命令したコマンド通りに機械は動く。
現代のようにソフトウェアの進歩とその搭載が進む中においては、条件によって異なる処理を行うのは当たり前であるが、まだまだ一コマンドは一動作にのみ対応している場合も多い。
たとえば、車を人間の意志に沿って前へ進めようとすると、次のステップを踏むことになる。
(エンジンはすでにかかり、サイドブレーキもリリースされているものとする)
  1. ギアをドライブにする (前に進める状態にする)
  2. ブレーキを離す (強制停止を解除する)
  3. アクセルを踏む (前に進む)
更に、続けて逆進、後に進みたい場合は次のようになる。
  1. ブレーキを踏む (強制停止する)
  2. ギアをバックにする (後に進める状態にする)
  3. アクセルを踏む (後に進む)
いずれも一つ一つのステップを人間側で踏んでやる必要がある。
1.を省略していきなり2.のギアを入れると下手すると車が壊れるか事故を起こしてしまう。
車が人間の意志を読み取って、勝手にブレーキを踏んで、ギアをバックに入れたりはしないのである。
一つのコマンドは一つの動作にしか対応していないから人間が機械に合わせてやる必要がある。

そこで、エレベータについて考えてみる。
エレベータに乗る前に上向きのボタン(▲)か下向きのボタン(▼)を押す。これは、エレベータに
  • 上に行きたい。
または、
  • 下に行きたい
と機械への命令(コマンド)ではなく、人間側の意志を伝えている。
とたとえば上に行きたい場合は、上のボタンを押すことで次の命令を出すことになる。
  • 私は上に行きたい。 (細かい命令はしない。どうしたらいいかは自分で考えること。)
つまり、もう少し細かく条件分けすると、エレベータ側は命令を次のように解釈することになる。
  • その階にいるならば、扉を開けなさい
  • もし、下にいるなら上に来なさい。そして扉を開けなさい
  • そうではなく、もし、上にいるなら下に来なさい。そして扉を開けなさい
エレベータの位置を人間が判断して、状況に応じて命令するのではない。
人間はエレベータがどこにどんな状態であるのかを把握する必要はない。

複数のエレベータがあるところでは、エレベータ間で具合のいいように調整しながら運行管理する。これをエレベータの群管理と言う。
ところが、エレベータを待っている人間の「早く来い」などの要求や「こんなにエレベータがあるのに何で1台だけしか動かないの?」などの疑問にははあまり応えきれていないように感じる。
設置するビルによって状況(設置台数、階数、頻度、使用者数、時間、速度、運行コストなどなど)が変わるので最適解はケースバイケース、学習機能が搭載されたエレベータもあるようだが究極の解は出ていないようだ。

立場をエレベータの身に置き換えてみる。
すると、これまで自分に属するボタンが押されない限りは動く必要がなかった。自分の受け持ちボタンを見ていれば良かった。単純労働だが人間の直接の意志を理解できれば良かった。エレベータはローカルの世界で生きていた。
しかし今は違う。
群管理されたエレベータは、人間からの直接の命令(コマンド)だけでなく、他のエレベータに属するボタンが自分の動作に影響する。
自分と違う世界の出来事により上がったり下がったりさせられている、と感じているのではないか。
エレベータのグローバル化。

エレベータに意志があれば、自分の運命は何か見えざるものに勝手気ままに操られていると感じるのではないだろうか。

2008/09/20

English version by Google Translate を追加

Bloggerは日本語以外の他言語ユーザからのアクセスも上の「次のブログ」経由でそれなりにあったり、なかったりする。
たまたま2chの【Google】Blogger.com part3を見つけて、その中でGoogle翻訳で英語、仏語に翻訳したリンク先を載せている人の投稿があった。ものは試しにと、Google翻訳で当blogを翻訳してみると、結構面白い訳にしてくれる。100点ではないが、75点はあげられるし、自分が訳するよりはよっぽどそれらしくて大変よろしい。
よって、真似してみる。

具体的には、
  • Google翻訳サイトの「ウェブページを翻訳」欄で当blogを指定
  • 日本語から英語への翻訳とする
  • 翻訳ボタン押下すると遷移する画面のURLを確認
  • そのURLをコピーする
  • Bloggerでは「カスタマイズ」~「レイアウト」~「ページ要素」~「ガジェットを追加」~「リンクリスト」にコピーしたURLをペースト
  • 晴れてサイドバーに掲載!
となる。

Google翻訳の翻訳レベルの高さに感心する一方で、2chはマイナーな題材についての意見交換には結構適している、と思った次第。

# 残り25点の意味は「実用にはまだほど遠い」であるが。

2008/09/16

9/11と台風

台風13号(200813号:SINLAKU)が当初の予想では沖縄本島に直撃コースと見せかけて、遠くに行ったかと思えば、近くに寄ったり沖縄本島在住の人々を翻弄しているので、唐突に2001年9月11日を思い出してみる。すでに周回遅れ。

画像はデジタル台風より、2001年9月11日、その日、沖縄を襲った台風16号(200116号:NARI)。上に九州、下に台湾が見えるが沖縄本島がすっぽり雲の中に入ってしまって確認できないのがわかるだろうか。

沖縄に15年ぶりに帰って初めての直撃した台風だった。
台風で何もできず、家人が寝静まった後、テレビをつけるとNHKでは緊急ニュースといった感じで世界貿易センタービルから煙が出ている画像を流していた。アナウンサーは何かしら衝突したようだとの文言を繰り返し、そのうちにアナウンサーの背景で中継していた画像に、もう一機の飛行機が衝突するのが確認できた。素人目にも飛行機だとはっきりわかったが、アナウンサーは正式な確認が取れないためか断言を避けていた。
ものすごいことが起こっていることはわかったが、隣人が襲われたわけではなく、所詮は遠くの出来事、しかし、続報を遅くまで追いかけていた。

アパートにしては広大なベランダに自作した日よけが台風の来襲で破壊されたのはほぼ1年後、またもや16号、2002年9月4日の台風16号(200216:SINLAKU)であった。農作物用ビニールハウスの鉄パイプを骨格として利用し、直射日光を低減するテントを張り巡らせた日よけであったが、この台風は、またしても家人が寝静まった後に徐々に勢いを増していき、テントは吹き荒れた暴風を受け、まるで巨人が大きく呼吸を繰り返すのに連動するかのように上下に激しくはらみ、その勢いは、他人の不幸には鈍感な私でさえ、このままでは手すりに強固に固定したつもりの鉄パイプごと飛ばされ近所の窓を割ってしまうのではないかという危惧を抱かせるのに十分なほどであった。
意を決して、カッターナイフを片手に持ち、大粒の雨と横殴りの風の中へ気持ちだけは飛び込み、実際は風に煽られないようしっかり歩いて、巨人の呼吸の影響を弱めんがために必死の思いでテントを切り裂きながらも、カッターナイフの刃はいつでも切れるようにしておかなきゃ、苦労して張ったテントが水の泡、風の藻くずだ、などと一方では考えていた。

デジタル台風によると、そのときの台風は今回の台風と同じ名前。 SINLAKU(シンラコウ)とはミクロネシアの言葉で伝説上の神らしい。アジア各国が14カ国で10個ずつの名前を順繰りに名付けるため、140個で一巡するという。200813号のSINLAKUは日よけを破壊した台風から140個目の台風である。

2008/09/12

サイドバーに「最近の記事」を追加

画像はWikimedia Commonsから、香港のポスト(まだエリザベス二世の紋章がある)。

サイドバーに「最近の記事」を追加した。その備忘録。

過去記事xx件という一覧表示がなぜか欲しい。
というので、Bloggerのアーカイブは週や月単位だったりして、一覧表示が標準では用意されていないことが分かった。

いろいろ調べたあげく、各自工夫されているなか、まず、自分自身のRSSフィードを引っ張ってくる方法を試してみた。
そのときの設定方法は次の通り:
  1. bloggerの上のメニューから
  2. カスタマイズをクリック
  3. レイアウトをクリック
  4. ページ要素をクリック
  5. (適当なセクションで)「ガジェットを追加」をクリック
  6. 基本~「フィード」ガジェットを追加
  7. フィードURLに"http://uyabin.blogspot.com/feeds/posts/default?orderby=published"を追加
  8. 次画面に移るので適当に設定
しかし、bloggerの制限により5件までだったので、この方法はあきらめて、jackbook.comの記事を参考に件数を拡大した(このサイトはFirefoxではレイアウトが崩れているようだ)。

具体的には次の通り:
  1. bloggerの上のメニューから
  2. カスタマイズをクリック
  3. レイアウトをクリック
  4. ページ要素をクリック
  5. (適当なセクションで)「ガジェットを追加」をクリック
  6. 基本~「HTML/JavaScript」ガジェットを追加
  7. 「コンテンツ」欄に以下のJavaScriptを追加
<script src="http://files.lifewg.googlepages.com/blogger-widget.js"></script>
<script>
var numposts = 15;
var showpostdate = false;
var showpostsummary = false;
var numchars = 100;
</script>
<h2>最近の記事</h2>
<script src="http://uyabin.blogspot.com/feeds/posts/default?orderby=published&alt=json-in-script&callback=rp"></script>
中身はと言うと:
  • var numposts = 15; 記事数を指定する。今回は15件にしてみた
  • var showpostdate = false; 投稿日の表示 (する:true / しない:false)
  • var showpostsummary = false; 記事の要約 (する:true / しない:false)
  • var numchars = 100; 記事要約の文字数
  • <h2>最近の記事</h2> 表示タイトル
  • <script src="http://uyabin.blogspot.com/feeds/posts/default?orderby=published&alt=json-in-script&callback=rp"></script> 表示させたいblogのフィードURL
この方法は"http://files.lifewg.googlepages.com/blogger-widget.js"が生きている限りは大丈夫だ。

(追記)
と思ったら、上のファイルへのアクセスすると、以下のメッセージが出て、つまり、アクセスが過多で表示されなくなる場合があるようだ。
The bandwidth or page view limit for this site has been exceeded and the page cannot be viewed at this time. Once the site is below the limit, it will once again begin serving as normal.
がーん。
解決策として表示タイトルを
最近の記事 (表示されたりされなかったり)
に変更した。

2008/09/11

車をぶつけないで運転するコツ

耳がよく聞こえているならば、ぶつかった時は、バン、って音が聞こえるはずだから、つまり、車をぶつけないで運転するコツは
バン、って音がする前に止まるか曲がろう
でも運動神経に頼って直前に判断するよりも、予測と推測で事前に対応できるほうがいい。
まずは、アクティブ・セイフティです。

ふざけているんですか、まじめなんですか、って? 両方!

2008/09/09

OKINAPA wine festival on Fri, Sep. 5, 2008

OKINAWAではなくOKINAPAである。カリフォルニアのワインの産地Napa valleyに対し駄洒落で対抗したようだ、と上司に教えてもらった。
OKINAPAはアメリカ海兵隊コミュニティ・サービス(MCCS)の提供するワインパーティ。
チケットには

MCCS PRESENTS
OKINAPAWine Festival
OKINAWA'S ORIGINAL SINCE 1997Friday, September 5, 5-11P.M.
Butler Officers' Club, Cp. Foster

と書いてある。。
翌日の土曜は昼の開催で、年2回やっているらしい。
正直、ワインのことはよく知らないが、つてがあって参加してみた(いけなくなった人の代理)。これも冒険の一種というのかな。
正規にチケットを買うとUS$25。普通に沖縄で生活していれば手に入る、というものではないし、というか、今回初めて存在を知ったくらいだ。

ご招待してくれた(あくまでこちらは代理ですが)ちょっと知り合いの社長のご友人達と待ち合わせて、会社の上司と同僚も含め計6名でジャンボタクシーに乗り合い、キャンプフォスターに向かう。
タクシーの運転手に基地内では交通ルールがうるさい(徹底している)ので全員のシートベルト着用を促される。キャンプフォスターのゲートでは、全員チケット持参していることを警備の方(日本人)に確認されて、基地内を数分走り、目的の会場へ到着。

入り口で毎回ロゴの色が変わるというテイスティング用のワイングラスを確保し、ゴルフのスコア記入用の鉛筆が添えられたアンケート用紙のような出品銘柄一覧表を持って、いざ会場へ入場。
ここで他のみんなとは時間になったら携帯で連絡を取り合うことにし、一体全体どんな仕組みなのかを観察後、一旦離散する。
会場は大部屋に2百〜3百名(もっとかも?)のアメリカ人と思わしき外国人たち(白人が大多数、その他人種はワインに対する文化が違うと思われた)、日本人もちらほら。
服装は、一応パーティなので、女性は膝丈くらいの肩を出したワンピースがトレンドっぽく7割くらいがそういう服装(数値はあくまで印象で冷静に考えると3割くらいかもしれない)で、男性陣はとりあえず襟付きのシャツ。当方はかりゆしウェアで米人も何人かいた。年代は30-40代と思わしき人々が多く。若造はあまりいない(ケッ、とか思ってんだろうか)。

とりあえず、食事はビュッフェ形式(アメリカ英語だとバッフェか)で取り放題であることを確認。それぞれの皿にシェフもついていて、パスタ類や寿司、牡蠣、ペーストタイプのなにがしか、ちょっとしたスナック等、飲むのに忙しくて味見はできなかったが肉料理は屋外でちゃんと火を使って調理していた。味は案外良好。
各人が皿を乗せるトレイは角にワイングラスの足が入るくらいの穴が開いていて持ちやすいように工夫されている。
見よう見まねで空いていそうなワインコーナへ行き、お手すきの係の方へボトルを指差し、グラスについでもらうようお願いする。一応"Can I have..."とか言ってみるのだが、雑踏の雑音のせいでどうせ聞こえないはずだと思い、恥ずかしさなどは横に置くことにして、味見をする。何かしらの味があるのは分かるが(他と区別はつく)、英語でなんと言っていいか分からない。
よく見ると、ワインをテイスティングした後、ワイングラスを濯ぐ水と水受けも用意されているので適当に濯ぎつつ会場をうろちょろする。

ここで、ちょっと考えて、まずは食事を先に済ませて、トレイを置いて身軽になってから飲むべし、と食事を適当にすませたところで、高校の同級生Yに出会う。もう何年も前からリゾートホテルのレストランの支配人だ。
どうもワインに詳しいらしい。俺についてこいといった感じで、金魚の糞のごとくついて行く。途中で、これまた同級生の女子Kさんも一緒になる。Yのところでワインの勉強をしているらしい。Yは英語が弱いので英語の勉強、Kさんは基地内のレストランで働いているらしく、ワインの知識が必要なのでgive-and-takeの関係で、招待したらしい。Yは以前から参加しているとのことで、ロゴの色違いのワイングラスを10脚くらい持っているらしい。
このパーティのチケットはなかなか取れないらしく、二人からどうやってチケットを入手したのか聞かれた。そんなに難しいのか。

用意されたワインは144種(さっき数えてみた)。大まかにワインの取扱業者毎に5つのセクションに分かれていて、大部屋の各コーナーに陣取っていた。テーブルの中にはワインをついでくる人たちが3−5名いて、ワインに関するうんちくを教えながら、お勧めのワインを注いでくれたりしているのだな、と想像しながらやりとりを見ていた。しゃべっている英語がよく分からなかったので。
テーブルは業者毎に、
  1. MF International - ドイツとフランスのワイン チリとポルトガルもちょこっと。
  2. E&J Gallo Wines - カリフォルニアがメイン。イタリアとスペインもちょこっと。
  3. Constellation Wines - カリフォルニアがメイン。ニュージーランドにカナダ、ワシントンも。
  4. P&A Worldwide - ドイツがメイン。南アフリカ、アルゼンチンも。
  5. Vinottimo LLC - イタリアがメイン。カリフォルニア、ドイツ、オーストラリアも。
となっていた。

ボトルの値段は$4.15から$64.55の間で、$10~$20位が中心価格帯。

単独でティスティングに挑んだ4種類とYのご推薦を含め、結果的に全部で16銘柄をテイストした。
テーブル毎に美味しかったワインを記録してみる。
My recommendation:
1.
  • ORENTS - Gewurztraminer D’Alsace Reserve (France-Alsace), white, $13.25
  • PIRRE ANDRE - Chablis Legrandpre (France), white, $18.75
  • PIRRE ANDRE - Chateauneuf Du Pape (France), white, $23.50
  • B & G - Thomas Barton Margaux (France), red, $25.45
4.
  • HENKELL - Trocken Sekt Magnum (Germany), sparkling, $11.65
5.
  • BATASIOLO - Barolo DOCG (Italy), red, $25.25
2.と3.はあまり印象に残ったものがなかった。

まったく、Yのうんちくが無ければ何が何だか分からなかったかもしれない。
あてずっぽうでチャレンジしてもいい印象は残らなかったかもしれない。
Yには、アロマとブーケの違い(アロマは果実のそのものが発生する香りで、ブーケは樽等に貯蔵している間についたり生まれたりする香り)とか、まずはシャブリ(1.の2番目)を味わって基準にしろ、とかいろいろ語ってもらった。
同行した同僚が、あそこに皆さんいますからね、と何度か声をかけてくれたのだが、Yの話とテイストする味の違いがおもしろくて、構わずYについて行く。
屋外では日本人のピアノトリオがJAZZを演奏中、いや、これがうまくてこれだけでもOKな感じ。肉も多種多様に調理されている(結局食せなかった)。
そうこうしているうちに同僚が、楽しんでますね?でも皆さん帰りますよ、と声をかけてきたので、YとKさんにお礼を言って別れる。

ジャンボタクシーに乗りながら、ワインというのはバリエーションの豊富さと味、色、香りなどの複雑性がうんちくを語るに持ってこいだな、とするとある程度の知識があれば会話のネタしてはおもしろいな、泡盛で香りを楽しませるのは古酒でないとな、とか、でもビールと泡盛が今のところ自分にはマッチしているな、とかなどを考える。

ワインに関する英語はtottocobkhinata(日向清人さん)のサイトが参考になると思う。行く前に単語だけでも知っとくと、もっと有意義な時間が過ごせたのではないかと思ったり思わなかったり。役に立ちそうな単語を書き写してみる。
  • 辛い dry
  • 甘い sweet
  • 濃厚 full-body
  • 軽い light (light-body)
  • 喉越しがよい smooth
  • 舌にピリピリこない穏やか opend up
  • まだ時期に達していない closed up
  • 酸味 acidity
  • 渋い tannic
では、もう一度、行くか?と聞かれれば、はい、行くでしょう、と答える。これもYのうんちくのおかげ。ワインをちょっとでも知っていれば、英単語をちょこっと知っていれば英語なんて怖いものではないし(このパーティ限定)、音楽とおいしい食事もある。そこに何かを一緒に語れる人(私の素敵な奥様とか)がいれば最高。そのうえ、これがビールと泡盛のテイスティングだったら、もう、鬼に金棒、山にうり坊、逃げたのは泥棒で、どこへ逃げた、内へ逃げた、アウトだな、いや、だから、それ はイン だって(声に出して読んでみましょう)。

2008/09/08

多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない

画像はWikimedia Commonsからユリウス・カエサルの横顔をかたどった紀元前44年頃、ローマ時代の銀貨。

先日読んだ、塩野七生の「ルネッサンスとは何であったのか」にあるマキアベッリが紹介したというユリウス・カエサルの言葉:
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない
そうなんだろうな、と思うことしばしば。
塩野七生はその著書で二つの解釈を与えていて、大まかに述べると、一つは(p.76)、
  • 多くの人は見たいと思うものだけしか見えていない
もう一つは(p.176)、
  • 多くの人は見たいと欲すれば見えるようになる
である。
見えるようになるために「見たいと欲する」ことができるか。

2008/09/03

タイトルを小変更

説明文の「思いつきとやっつけ」を昇格。
併せて本文の幅を広げてみた(485px -> 585px)。おかげで、タイトルと本文と角の丸みGIFファイルがあわなくなった。

(2008/9/10追記)
本文の幅をもう少し広げてみた(485px -> 585px -> 613px)。

2008/09/02

北海道の家には庇(ひさし)がなかった (そして本題)

画像はWikimedeia Commonsから新千歳空港に着陸直前の絵。

無難な1日目に。

行きの快速エアポートで、新千歳空港駅で昼食用にと買い込んだカツサンドを我慢しつつ外を眺めていると北海道らしいと勝手に感じている広がる畑と植林されていない森林が交互に繰り返す。畑の中にに取り残されたような木々は列車の進行方向になびいているので南風が強いのだろうか。その畑と森林の混じって新興住宅地が時々広がり、その家々がなぜだかすっきりしている。
すっきりしてるなぁ、何が違うんだっけ、などと思いつつ、いい加減お腹もすいたので意を決して一人カツサンドを食し、再び車窓から外を眺めていると、新興住宅地の家々がやはり、こじんまりとまとまり、すっきりとかわいらしい。
何でかな?とよーく見て考えてみると、ほとんどの家にの窓には庇(ひさし)が無いことに気づいた。また、窓自体も小さく、大開口となる掃き出し窓が確認できなかった(ほんとに? ちょっと自信ない)。時々ストーブ用なのか屋根から突き出た煙突も見える。アパートのような集合住宅には1階を車庫、2階3階を住宅としているのも散見される。家々の形状は四角四面のキューブ体の組み合わせか、勾配のきつい三角屋根。ベランダもごく僅かしか見受けられない。

庇は高温多湿の気候のもとでは、突然の雨の侵入を防ぎ、雨が入りにくいことを利用して雨の場合でも窓を開けることで風通しをよくし、夏は直射日光を遮る役目を果たすので必須なのだが、北海道は亜寒帯湿潤気候に属するようなのでそれらに対する配慮は不要ということのようであり、逆に積雪や断熱、冬期における日光の取り込みを考えてのことなのかと考えた。

住宅は地域気候などのマクロ環境な視点と建設される土地の特性といったミクロ環境な視点と並行して考慮しないとイケナイノデアルことを再確認する、などいうことを綱渡りの2日目で考えた、とは書いたものの、実は少し思った程度。

北海道と庇に関する記述はググってもあまり無いのだが、ariariさんのサイトを見るとイメージできるかも。

ここまで来てやっとタイトルの「北海道の家には庇(ひさし)がなかった」の話になった。
書いている自分でもよくわからないまま、ここまで書き続けてきたが、一体全体この本題より前回前々回の出張日記の方が長いのはどうしたことか。何か個人的な理由やトラウマ、隠された意図、伏線があるのか。
答えは次の一文にある。
なにせ北海道は 久し ぶりだったから。
…お後がよろしいようで(立つ鳥跡を濁しまくり、飛ぶ鳥から落とされる勢い)。

北海道の家には庇(ひさし)がなかった (綱渡りの2日目)

画像はWikimedia Commonsから。空は飛べないと思う。

1日目からの続き。

2日目(8/29金)。
仕事はゆっくりと10時集合なのだが、7時過ぎには目が覚める。8時に無料の朝食(おにぎり)を食す。無料といっても宿泊代金に含まれているものだものな、とか、ホテルの客を観察しつつ夏の札幌も結構東方系アジア人観光客が多いなとか、冷たいおにぎりなんて食べるんだろうかとか思いながら、冷たいおにぎりをほおばる。
仕事では用意した資料の日付が8/29(木)-8/30(金)と本来とは1日遅れた日付て印刷しており、自分でもどうやって昨日ちゃんと札幌に着いたかわからないなどと言い訳しながら説明などをする。
あらかじめ断っておいた15:45に出張先を辞退する。

17:30の飛行機に乗るためにはぎりぎりの目算。17:50の飛行機に乗る九州からの方も同行する。
二人で焦って歩いて16時頃に札幌駅に到着。「快速エアポート」のUシートは購入できず、自由席となる(ちょっと混んでいそうなイヤな予感)。
16:10の快速エアポートを5番ホームで同行者と待つも、到着が遅れている。その間にもホームは結構な待ち行列ができはじめる。こちらは列の中間やや後方。
結局快速エアポートは3分遅れで到着。自由席車両に乗り込むもシートはすでに占有され、立つことを同行者とともに余儀なくされる。立ったまま待っていると7番ホームの室蘭行きの車両の後に出発とのアナウンス。結局さらに7分遅れて、計10分遅れの16:21発で札幌駅を出発する。このため、新千歳空港に予定の16:56着が17:06着となる。
睡眠不足のせいか、吊革につかまりながらうとうとする。途中、新千歳空港の3駅手前の恵庭駅で目の前の1名座席に座っていたご婦人が降りたので、同行者と譲り合いの結果席に座らせてもらう。それから2駅過ぎたところで、同行者に交代を申し出るが遠慮されてしまう。九州男児の意地か。ありがとうございますと言いつつも居心地の悪さも感じる。どこかで挽回しなければ?

さて、webチェックインでは出発時刻17:30の20分前つまり17:10にはセキュリティを通過することが求められている(15分前の間違いだった)。17:06着だと、空港内の移動も含めてぎりぎりだ(よって、実は余裕が少しあった)。同行の九州男児とはチェックインカウンターの前で挽回するまもなく礼を言ってあっという間に別れ、セキュリティを17:10に通過する。
職場と家族へのおみやげは仕方なくセキュリティ内の販売店で購入。ついでに、羽田に着く頃にはお腹もすくだろうけど、せっかくなので50分も間がある羽田での乗り換えの時間を楽しいものにすべく、販売店お勧めの(2箇所で聞いた)新千歳の空弁「かにめし弁当」(1,020円)を購入。機内に持ち込み羽田まで我慢することとした。
待合室のシートに空きもないので同じ立つならと思い、アナウンスに促される前に搭乗カウンター前に10分前に並びゲートオープンを待つ。
この時点でやや汗だく、疲労困憊気味。

「2歳児以下の小さいなお子様をお連れのお客様やお手伝いを必要とされるお客様を優先的に搭乗…」とのアナウンスを聞くたびに、かつての先輩かつ上司であったYさんを思い出す。「Yさん、お手伝いが必要ですよね、行きましょう!」「そうか、そうするか…」
機種はボーイング777-200。ファーストクラス付き。席はクラスJの通路側。行きと違いクラスJのシートは今までのものと一緒だ。
隣席は中高年のおじさま。再び「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。メディチ家がルネッサンスに及ぼした影響が大きなものであることを初めて知る。いい本だ。
飛行機のドアが閉まると、17:30発のはずが、大雨の影響で東京上空が混雑し、そのせいで出発が30分遅れて18:00発になるとのアナウンス。機内で30分待機。18:05頃出発し、無事、飛び立つと、今度は仙台上空で15分の待機を指示されたとの機長アナウンス。結局仙台上空では20分待機となり計55分の遅れ。
到着の体制に入りシートベルト着用のサインも点灯してしばらく過ぎた頃、頭上の荷物入れ(オーバー・ヘッド・コンパートメント)が突然ガバッと空き、さて、シートベルトを外して直そうかとすると、「大変申し訳ございません」と言いつつアテンダントが閉めに来た。映画ならそれが何かの前兆だが現実は何も起こらない(それとも鈍感なだけ?)。
19:00着予定が19:55着となり、到着後のゲート間の移動も考えると明らかに乗り継ぎの出発時刻19:55に間に合わない。

19:55に羽田に到着する。
到着の際のアテンダントのアナウンスが飛行機を降りたら地上係員に声をかけてくださいというので、最初に見かけた係員に声をかけたら、この人は香港行き乗り 継ぎの方を担当で、あちらでお願いします、と言うので、もう少し先に行くと6,7人があわただしく連絡をとったり資料をチェックしたり忙しそうだ。ホワイトボードを見ると10カ所くらいの乗り継ぎがありそうだ。という ので行き先は分かっているし空港内も把握しているので昨日の誤った経験則を生かし一人で行くことにした。
今度は12番ゲート着の乗り継ぎ先が8番ゲートで、またしても遠い遠い。
途中、必死な形相の地上係員とすれ違うが、先方も「なんかこの人かも」とか思っているような気がしつつそのまますれ違う。
8番ゲートに近づくと4名ほどの地上係員があわただしく連絡を取り合っており、こちらに気づいた一人が「お客様、沖縄行きですか?」「はい、すいません」「こちらこそすいません」とお互い謝りながら搭乗口を通過すると一人の係員(女性)が猛ダッシュで飛行機へ駆けていく。つられてこちらもやや早歩き。またも「すいません」と言いつつ飛行機に乗り込むも、先ほどの係員は飛行機のドア付近でこちらに一瞥もせずにアテンダントと整備関係の人と何やら調整中。

ちょっと落ち着いて考えてみると、地上係員は乗り継ぎ客が本当に存在して乗り継ぎ先のゲートへ本当に向かったかどうかを確認する必要があり、分秒単位の差し迫ったスケジュールを到着ゲートと出発ゲートのそれぞれでお互い連絡を取り合いながら調整しないといけないはずで、知っているからと言って単独行動せずに乗り継ぎの際は地上係員に申請しましょう、いやそれは先刻ご承知、知っているのだが、疲れているからといって無視してはいけない、というのが、私の教訓となる(覚えている間限定)。

飛行機に乗り込むと私が最後の搭乗客だったようで、すでに着席済みとおぼしき低いところからの目線がいくつか合うが、まず着席してシートベルトを締めないとイケナイノダと考えることにして気にしないことにする。
機種はボーイング747-400D。
結局19:55発のこの最終便は20:05発と遅れ、滑走路でも5機待ちとのアナウンス。
旅程最後のクラスJの隣席は快速エアポートの同じく20代太めの女性、すでにサンダルを脱ぎ、ブランケットも確保していていかにも旅慣れている様子。
オーバー・ヘッド・コンパートメントに押し込んだ「かにめし」を出すのも億劫なので「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。ルネッサンスが「なぜ」の問いかけとそれに対する回答の表現であることを初めて知る。いい本だ。
途中でサーブされるアップルジュースと茶菓子で空腹を紛らわす。
そうこうしているうちに隣の女性が空弁(と思われる)と缶ビール(!)を取り出し食事にいそしんでいる姿を横目の端っこで感じながら、ひたすら継読。
2日目の帰りの旅程は快速エアポートの遅れに始まり新千歳空港と仙台上空での待機に乗り継ぎの勝手な行動で綱渡りだったなぁ、と疲労感に包まれつつ感慨にふけりながら、本当に綱渡りだったらほとんどの人が落ちているはずから不適切な用例だよなぁ、でも言いたいことはよく分かるなぁ、と安心しているとまだ何かあるかもなぁ、とか考えているうちに22:30頃に那覇空港に到着。

仕事終了後そのまま沖縄に向かったと思われる手をつないだ男女二組をそれぞれ追い越しつつ手荷物なしで到着口を通過。よいバカンスを。
那覇空港発22:36のゆいレールに乗車。「ルネッサンスとは何だったのか」を継読しようと思ったがすでに機内で読了していた。カバー裏を見て7月7日生まれだから七生であることを知る。とにかくいい本だ。どうも疲れている。

首里駅に23:03に到着、歩いてやっと23:15分頃自宅に到着。
出迎えた猫に挨拶をしつつ、家族が寝静まっているのを察知しつつ、窓を開けて風を通しつつ、荷物の片付けを適当に行い、一区切りつける。
沖縄~東京間は日帰りも珍しくない昨今、沖縄~札幌間も仕事の時間さえ合えば日帰りも可能(いやだよな)と報告しようと考えながら(ポイントはそこ?)、ゆっくり「かにめし」を広げ、冷蔵庫に取っておいた缶ビールをお茶代わりにする。

綱渡りは無事に綱を渡り終えたようだ。

庇(ひさし)の話はまた次回(えっ?)。

北海道の家には庇(ひさし)がなかった (無難な1日目)

画像はWikimedia Commonsから札幌の気温と雨量。

出張で8月も後半に1泊2日の北海道は札幌へ出張に行ってきた。

1泊2日で日本縦断したことになるし、せっかくなので下手な行動記録型日記風に綴ってみることにする。

1日目(8/28木)。
朝6時半頃に家を出発、首里駅6:43発のモノレールに乗る。7:10には那覇空港駅に到着。始発の出発までにはまだ時間がある。飛行機の旅はいつ何時何があるかわからないので早めの行動を心がけている。今回はwebチェックインなので20分前にICカードをかざしてセキュリティを通過すればよいとのこと(あとで調べたら15分前でよかったようだ)。空港内の本屋でいろいろ物色したあげく塩野七生の「ルネッサンスとは何であったのか」を購入。セキュリティを無事通過。朝ご飯のおにぎりをほおばる。

地上係員のアナウンスに促されて那覇発東京羽田行きJALの8:00の便に乗り込む。機種はボーイング747-400D(744)。機種はこのポストのために初めて調べた。
今回は予約時点からクラスJだ。
隣席はかりゆしウェア姿の東京出張者の風体。こちらは札幌が暑いとも思えずスーツにネクタイ姿、ジャケットは手持ち。
クールビズが認知されたおかげで東京出張でかりゆしウェアは珍しいものでもなくなった。逆に東京からの出張者はノーネクタイに白系のボタンダウンのシャツにジャケットが多いというかそのワンパターン。沖縄出張の経験がある人はかりゆしウェアを出張元から着てくることもある。そういう人から話を聞くと沖縄出張当日の空港に向かう途中、会社によると遊びに行くのかと思われて顰蹙を買うようだ。週末に出張をスケジュールする人も多いのであながち間違ってもいない。

10:20頃には羽田8番ゲートに到着。時間に余裕もあり、地上係員ものんびりとは行かなくても鬼気迫るほどでもないので、係員には声をかけることもなく乗り継ぎの15番ゲートへ移動。これは後で誤った経験則となり2日目に後悔する。しかし、8番から15番は端から端へと遠い。
食事は新千歳に着いてから弁当でも買って電車の中で食べると決意(…決意ですか)。10年以上前に友人とスキーと雪祭りのために初めて札幌を訪れたとき、快速エアポートの中で食べたイクラ丼の一口含んで二人で顔を見合わせたほどのおいしさが忘れられず(それまではしょっぱいイクラしか知らなかった)、追体験を画策。

11:00発の札幌行きへ乗り込む。
新千歳行きのこの便もクラスJ。といっても廉価版ぽく一般席の肘掛けが両側についた程度。席のフォーメーションは沖縄-東京間747-400Dの2:2:2(窓:中:窓)と違い2:4:2。明らかにデグレード。機種はボーイング777-200(777)。
席を1列間違えて若干恥ずかしい思いをする(85D->84D)。男の人が先に座ったこちらと搭乗券を交互に見てアテンダントに声をかける。一旦席に着くと列番号がわからないし、なぜか間違っている予感がしたので、そそくさと私が間違っているようですと申請する。すいませんとアテンダントとお客にそれぞれ謝るが、お客の方はこちらの顔も見ない。ただ、このお客、降りる際には別席の他人の荷物を自ら進んで取って上げていたので親切な人であった。
隣席は中高年サラリーマン2名の挟撃体制。「ルネッサンスとは何であったのか」を読んで過ごす。ルネッサンスが中世キリスト教世界からの脱却を意図したものであることを初めて知る。いい本だ。

12:40には新千歳空港に到着ゲートを通過。
12:49発の快速エアポートのUシートという指定席チケットを買い、改札のキオスクで弁当を物色するも人の多さからのんびり食べる余裕はないと判断、イクラ丼をあきらめ結局カツサンドと北海道の水を使ったというお茶にする(茶葉は静岡産)。
改札を抜け、ホームに向かう頃には乗降客でごった返し、出発1分前に席に到着。
指定席に向かうと、隣席は20代のラフな感じの太めの女性。チケットを席前のチケット入れのようなものに入れているので軽く周囲を見回し真似をする。検札のときに便利なようにしているらしい。実際車掌も確認しに来ていた。
3駅ほど過ぎたところで我慢していたカツサンドを食す。車両内で食事は私だけだった。

13:25には札幌駅に到着。
仕事は14時集合、駅から歩いて10分のところなので、途中のLoftで時間をつぶす。
14時5分前に出張先に到着。全国から集まっている中、私が最後であった。
仕事は17時過ぎに無事終了。ホテルへ向かいチェックインした後、18時からの懇親会、そのあと2次会3次会へ流れて2時半解散、3時前就寝。

そして綱渡りの2日目に続く。

2008/08/25

Kid Pix Deluxe 3X (on Mac OS 10.4 Tiger) の個人輸入

画像はMacKievから。

こちらの方の記事が参考になると思う。
http://blog.alc.co.jp/blog/career/100136
http://blog.alc.co.jp/blog/career/102148

Kid Pixは子ども用のお絵かきソフトだが(お絵かきというには表現の幅が大きい)、大人も、その作り手達の発想を想像するだけでも楽しめる良質ソフト。
iMacに標準でついていたKid Pix(1.oJ, 日本語1.5J)がiBook時代もしぶとくクラッシク環境を利用してなんとか使っていたが、中古MacBookに買い換えたおかげでOSのバージョン(10.4.11)がクラッシク環境をサポートせず使えなくなっていた。
そこで、いろいろ調べてみると、アクトツーで販売していることを知るが、既に売り切れ、次回販売も予定が立たない。この種のソフトは言葉が分からなくても操作できなければ成り立たないのでその方面での心配はしないことにして、本家発売元で購入。
http://www.mackiev.com/kid_pix.html#

PayPalを経由した支払いとなる。金額は以下。
  • 本体 $39.95
  • 送料 $19.95
  • 合計 $59.90
合計約6,500円。USPSを使った送料がちょっと高いな。
MacKievの納品書には住所が正確に書かれていたにもかかわらず、USPSの送付状には住所の番地が間違っていたので(4->2)、たぶん手打ちで入力したと邪推。
アクトツーで5,800円で買えるならそちらがお勧め。
ちなみに、Appleの米国本国サイトにはクリエイティブ・ソフトウェアコーナーにKid Pix Deluxe 3X v1.1がリストアップされているが、米国外へは販売していないようだ。

購入したのは Kid Pix Deluxe 3X - Universal Version 1.2.3 ← 最新の模様。
QuickTimeのバージョンによっては不具合が生じるらしいのでその場合はUpdaterをインストールした方が良さそうだ。うちのQuickTimeは7.5で問題なく動作している。
サイトではMac OS X 10.5 Leopardしか対応していないような記述があるが、CD-ROMには10.4 Tiger対応と書いてあるし、実際うちのTigerで動作確認しているのでサイトの誤記述っぽい。以下はCD-ROMでの記述。
  • System
    • Mac OS X 10.5 or later, including 10.4 "Tiger"
  • Processor
    • G3-266 MHz or faster, including Intel-based Macs
  • Memory
    • 192MB RAM (256MB recommended)
  • Hard Disk
    • 170 MB hard disk space (フルインストールは300MB必要)
  • Display
    • 800 x 600 resolution, thousands of colors (1024 x 768 resolution and millions of colors are recommended)
  • Microphone (for Sound Art Tools and Recording only)
ユニバーサル版なのでテキストは日本語での入力が可能。

8/12に発注して、8/23に到着。

で、使い心地。
見た目は初期のシンプルさから打って変わってごちゃごちゃ感というかゴージャス感があるので、もしかして初代から悪い方に変わっているかも、という危惧もあったがあのスタンプ類は健在。スタンプ類の種類も増えたようだ。
動作はきびきび、さくさく動きクリックやボタン押下時のサウンドも適切で楽しい。OS Xがさくさく動くマシンではKid Pixもさくさく動くものと想像する。
ちょっと残念なのは画面クリアにあった爆弾やカウントダウン、隠し絵などが簡略化されていること。作った作品(?)を盛大に消す楽しみもあったのだが、教育上(政治的?)の配慮から変更されたようだ。
シンプルな方が分かりやすそうではあるけど、あちこちカラフル、かつ、曲線を多用した画面構成はアメリカ人の考える子ども向けテイストを感じさせる。
全体は、Backgrounds, Stickers, Animations, Soundsの4ステージに分かれ、以前よりスライドショーが作りやすくなっているようだ。
この辺に特徴が。
TidBITS 日本語版の「子供を職場に連れて行く日、Macworld Expo スタイル」には
Kid Pix - 今や universal binary である - は、マンガ本の様な、子供向けの MacDraw としてのルーツをはるかに通り越して成長したし、付箋符の様に働く "スタンプ" とか画に水をかけるホースのツールとか、そしてピクセルを混ぜ合わせてしまうエッグビーターツールなどの大声で笑ってしまう様な標準の機能も Tristan を喜ばせてくれたが、私はその他に、彼が Mac ユーザーとして彼の理解度では十分に理解出来そうにない機能の幾つかについて注意を払った - オンラインアルバムに色々な絵を保存するにはどうすればいいのか、アルバムはどうやってスライドショーになるのか、そしてどうしたらそのスライドショーを iPod で見るため或いは iMovie 上で更なる仕上げをするためエクスポートできるのか。Kid Pix はまた GarageBand, iTunes, そして iPhoto からインポートもできる。
の記述もある。また、Macアプリとの連携も十分なようだ。

とりあえず第2子(♀3才)も最初の名前登録だけ手伝って上げて(登録しなくてもいけそうだが)、ほとんど何も教えなくても遊んでいるようだし、未だにお勧めのソフトである。第1子(♂8才)も前バージョンからのファンであるが、PCの使用制限が課せられているにもかかわらず、妹を手伝う振りして今回も引き続き遊んでいるようだ。
小学生高学年まで問題なく対応するものと思う。というか大人も楽しいですよ。

ちなみにWindowsだと、バージョンは4になっていて、しかも安い。操作感はどうだろうか。
http://www.learningcompany.com/jump.jsp?&icmpid=TKPHR1_KidPix4&itemID=588&mainPID=588&itemType=PRODUCT
 

2008/08/20

RFPの作成と評価(実績版メモ)

画像はWikimedeia Commonsからネットワーク・トポロジー。

RFP(Request For Proposal: 提案要請書)を作成、評価する機会があったのでメモ。

RFPに関するHow-toはネットに豊富に転がっているので、ここでは、どうやったかの実績を書く。
備忘録代わり、かつ、お仕事関連なので言葉足らず、実名、金額を含む数値は仮となっている。
個人的には2度目なので今回は評価方法を少し工夫してみた。
このRFPの評価方法のポイントは
  • 提案内容とコストが1:1の得点配分であること
  • コストは保守5年分を含めた総額方式となっていること
  • コスト評価が0円で満点、総定額と同額で0点となっていること
  • 想定額を超過した場合は失格とせずマイナス点となっており、予算に柔軟性がある場合はよりよい提案を受け入れる可能性があること
  • 提案内容に大きな差が出ない場合を想定して、コストが減点対象となっていること
  • なので、コストが大きすぎるとマイナス評価で合格の可能性が低くなること
である。

0. 前提
  • 目的 :システムの更改(更新)
  • 内容 :新システムの構築および既存システムの切替作業
  • 予算 :構築費(初期費)50百万円 / 保守費=構築費の10%=5百万円/年
  • 納期 :発注から4ヶ月
  • その他:RFPの評価合格者に発注
1. 情報収集
  • どのくらいの予算が必要か、何を依頼し、何を自前で準備するかを振り分ける
  • 納期までが短いので情報収集先=提案依頼先を絞っておく
  • つまり、依頼先はある程度業界知識のあるところ
  • 情報収集をちゃんとやろうと思うとRFI(Request For Information: 情報提供依頼書)の形態を取るが今回は時間がない
  • なので、提案依頼先にある程度情報を開示した上で、個別に提案を依頼
  • 各提案依頼予定先のよりラフな提案を受領
  • システムの概要、概算費用を把握
  • 総定額を設定する(今回は初期費50百万円、保守費5百万円/年とした)
2. 準備
  • RFP本文の準備
  • 既存のシステムはどうか、どういうシステムを構築したいか、納期はいつか
  • RFP通知文 (RFP実施、窓口、日程、作業フロー図等、守秘義務を明記)
  • NDA(Non-Disclosure Agreement: 秘密保持契約)は時間の関係で締結せず、RFP通知文に記載(「お互い漏らさないこと」)
  • 依頼先によりNDAが必要であれば締結の意志を示す
3. RFP内容 (提案して欲しいこと)
  • システムの提案(概要、構成図、ラック実装図、SWバージョン一覧、機器仕様)
  • 見積。内訳は以下
    • ハードウェア
    • ソフトウェア
    • 工事などの経費
    • 切替作業費
    • 訓練・研修
    • 保守
  • 性能
  • スケジュール
  • 保守・サポート(体制、サポート、保証)
  • 要求機能(稼働条件、xx機能、yy機能、...、)
  • システム諸元(前提諸元、拡張方法、ログ関連)
  • システム切替作業
  • 訓練・研修(2時間x4回など)
4. RFPの通知
  • 依頼先に同日、時間を違えて個別に説明
  • RFP通知文と本文を紙で手渡し
  • 依頼先の連絡先メイルを確認した後メイルで電子ファイルを送付
  • 要求事項に対応する回答一覧表(Excel)も送付
  • 回答一覧表は後で集計・評価しやすく、また提案書に記述のない事項もここに書いてあることが多いので必須
  • 窓口は説明当日から提案〆切日の2営業日前17時まで開設(回答期間を考慮)
  • 提案〆切は持参で17時まで厳守(実は交通事情を理由にすると1時間程度はOKだったり)
5. 質問の受付
  • メイルでのみ受付(記録に残すためとクールに恩情をかけないため)
  • 全質問、全回答は公開する
  • 質問回答リストを作成、質問受付日、質問内容、回答日、回答内容を明記する
  • 質問回答リストを送付
  • 質問者を匿名にする
  • 回答は質問回答リストを全依頼先へ公開・送付(Bcc送信または依頼先個別送信)により実施
6. 提案の〆切
  • 提案書を受け取る(紙ベースを基本とし、別途電子ファイルの送信を依頼する)
  • 提案書、見積をチェック
  • 不明な点はその場で問い合わせ
7. 評価方法(提案内容)
  • 評価は複数人(3人以上)が望ましい(不正防止のため)
  • 各評価者の平均得点を各提案者の得点とする
  • 得点の評価者バラツキを測るため評価者の標準偏差も計算する
  • 得点の提案者バラツキを測るため提案者毎の標準偏差も計算する
  • 提案内容は100項目
  • 項目により重み付けをする(1~3、たとえば1:120項目、2:60項目、3:20項目 合計300)
  • 各項目は5点満点(0,1,2,~,5の6段階)
  • 点数の配点基準は次の通り
    • 0: 要求を全く満足しない
    • 1: 要求を一部満足しない
    • 2: 要求を一部満足しないが、別提案があり運用で代替可能である
    • 3: 要求を満足する
    • 4: 要求は機能を満足し、スペックが要求以上である
    • 5: 要求を満足し、さらなる提案がある
  • 提案内容の期待点は[3: 要求を満足する] * 100項目 * 重み付け(300) = 900点
  • 提案内容の満点は[5: 要求を満足し、さらなる提案がある] * 100項目 * 重み付け(300) = 1500点
  • たとえば次の通りの得点となった
提案内容
A社
B社
C社
得点
900
850
950
順位
2
3
1
  • 要求事項に対し、回答が「可能です」「できます」の羅列であると本当にできるかどうか確認する必要がある
8. 評価方法(コスト)
  • 提案内容とコストで得点を1:1の同配分とした
  • コスト総額は初期費+保守費*5年で合計した
  • コスト総額が総定額と等しい75百万円(=50百万円+5百万円*5)であれば0点とした
  • コスト総額が0円であれば満点の1500点(提案内容の満点と同じ)とした
  • コスト総額が想定額を超過した場合はマイナス点とした(予算に柔軟性が無ければその時点で失格とする)
  • コスト総額は総定額との差分を取り、その比率(対総定額)により配点した
  • つまり、コスト総額80百万円の提案の場合、総定額との差分=-5百万円 →(比率) -5/50 = -0.1 →(得点) -0.1 * 1500 = -150(点)となる
  • たとえば次の通りの得点となった
コスト (単位:百万円)
A社
B社
C社
備考
コスト(初期費)
45.0
40.0
51.0

コスト(保守費)
4.5
4.0
2.0
年額
コスト(保守費5年)
22.5
20.0
10.0
= コスト(保守費) * 5
総コスト(5年)
67.5
60.0
61.0
= コスト(初期費) + コスト(保守費5年)
総定額との差額
7.5
15.0
14.0
= 75 - 総コスト(5年)
比率
10.0%
20.0%
18.7%
= 総定額との差額 / 総定額
得点
150.0
300.0
280.0
= 比率 * 1500(満点)
順位
3
1
2


9. 評価方法(総合)
  • 提案内容とコストとの合計得点で合格者を決定する
  • たとえば次の通りの得点となった
総合得点
A社
B社
C社
備考
提案内容得点
900
890
950
期待点は900点、満点は1500点
コスト得点
150.0
300.0
280.0
期待点は0点、満点1500点(0円入札)、総定額超過はマイナス点
総合得点
1,050.0
1,190.0
1,230.0
期待点は900点、満点は3000点
順位
3
2
1

  • 上記の例
  • A社は、提案内容は期待点に達し、初期コストは想定額内、保守コストも想定額内だが他社にくらべ高く、総コストは一番高い
  • B社は、提案内容は期待点に届かず、初期コストは最安、保守コストも想定額内だがやや高いが、総コストは最安
  • C社は、提案内容は期待点を超える点があり、初期コストは一番高いが、保守コストは最安で、総コストは安め
  • 結果、C社が提案内容によりコスト最安(最高得点)のB社を抑えて総合得点が最高の1位となった
10. 評価合格者決定
  • 評価内容について評価者で妥当性を検討する
  • 問題なければ順位に基づいて1位を評価合格者とする
  • 評価合格者に通知する
  • 評価不合格者に通知し、評価内容の概要を伝える(敗因を社内に伝えるはずなのでネタを提供してあげる。次の提案依頼にそっぽ向かないように)
本音を言うと点数付けは周りの説得材料に過ぎず、個人で判断を迫られれば、依頼先の技術力や実績、経営の安定性などなど別の指標を用いることになると思う。RFPの評価で本当にその評価が正しいかどうかはよくわからない。点数化するものは何でもそういう側面があると思うが、そもそもの問題設定=要求事項の記述が間違っている可能性もあるし。
正しいかどうかわかる頃にはきっと次のRFPを書いている羽目になっている。

(2010/1/25追記 その2も書いた)

2008/08/18

放送と通信、有線と無線、光通信が高速な訳

画像はWikimedia Commonsから、AM(Amplitude Modulation: 振幅変調)とFM(Frequency Modulation: 周波数変調 )の違い。通信ではなく放送だけれど、おもしろいので。
ちなみにちょっと乱暴に言うと放送は不特定多数に対する一方向の送信で、通信は電気通信に限って言うとより広義に「有線、無線その他の電磁的方式により、符号、音響又は影像を送り、伝え、又は受けること」となる。ついでに言うと「のろし」もRFC1149における鳥類キャリア(いわゆる伝書鳩)を使った情報伝達も通信であるが「電気通信」ではない。現実世界では電気通信事業法や電波法と放送法で法律が異なることになっている。

放送から離れて、LANにおける有線LANと無線LANの違いでスループットに焦点を当てて比較すると、有線LANでは
  • 通常、全二重通信である
  • オーバーヘッドが少ない
  • エラーが少ない
逆に無線LANでは
  • 通常、半二重通信である
  • オーバーヘッドが多い
  • エラーが多い
となる。
有線の特徴はスループット向上に寄与し、無線のそれはスループットが上がらない理由となる。

無線通信の場合、IEEE802.11のCSMA/CA方式を想定すると、半二重通信は信号や交通整理員がいない片側通行の道路に例えることができる。行くか行かないか(送信するかしないか)は運転手(送信側)が発車(送信)の前によく確かめて車がない(パケットが飛んでいない)と判断すると発車(送信)する。これはスループットの低下を招く。
双方がたまたま今行くぞ!と車を動かすと(データ積載したパケットをほぼ同時に送信すると)、衝突が起きる可能性がある。現実社会では車はブレーキかけたりバックしたり衝突を回避するし、万が一衝突するとその後処理が終わるまで大渋滞が起きるが、パケットの世界ではブレーキもバックもないので衝突するがままである。そのため、送信がうまくいったかどうかを確認する必要があり、うまくいったら受信者は合図(Ack)を返す。Ackが一定時間内に帰ってこなかったら送信失敗となり、再送機能により一定時間後に再送される。そうするとスループットが低下する原因になる。

無線でも全二重通信はできないことはないが、送信用と受信用に周波数を2ch分を使用したり、時間を分割して交互に送受を行う必要があり、前者は空間を他の無線通信とも共有する無線の世界では周波数の高価な使用方法であり、後者は速度の低下を招く。
最新のWiMAXなどは全二重通信が標準となっている。

また、エラーは、ノイズや、無線信号の強さ(大きさ)が減衰すること、波形が崩れて元の信号に戻せないことなどから生じる。有線の世界では比較的優位で、光ファイバーになるとメタル(銅線)よりノイズに強いのでさらに有利となる。

もう一つ言うと、光ファイバを媒体とした通信が高速なのは、光がこの世の中で最速(真空中で約30万km/h)というわけではなく(メタルの電気の速度も光と同等なので)、デジタル信号を伝えるのに必要なOn/Off(1とか0とか)の切り替えが、つまり光で言うと明暗、メタルで言うと電圧の上げ下げが、光の方が早くできるからである。というのはどうもガセネタで、実は高速=広帯域になればなるほど信号はノイズに弱くなるので、ノイズに強い光が有利。
 

2008/08/12

新しい早口言葉

新しい早口言葉を作ってみた
  • 歯磨き 目磨き 耳磨き
  • ドクロのろくろ黒ろくろ 黒ドクロのろくろ六ろくろ
  • 科挙か許可か 客か曲か
1番目を歯磨きしながら思いついたので、ついでに2番目、3番目も考えてみた。
簡単かな?

2008/08/08

感謝の意を強調

日頃の感謝の意を強調するために
いつも大きなお世話になっております。
というのはやっぱり誤解されるのだろうか。
 

2008/08/06

しまだあや・新垣優子ジョイントライブ@桜坂劇場

正式には「しまだあや・新垣優子 それぞれのCD発売記念ジョイントライブ」@桜坂劇場

友人のご招待で久々のライブに仕事仲間のO氏と行ってきた。ありがとう、Tパパ。

最初は「しまだあや」。子どもOKだったが、2,3名いたかどうかで、客層の平均年齢はうーん、30〜40才くらいか。客数は立ち見も出て100名くらいか。
しまだあやの声質は鬼束ちひろに似ていて(O氏同意見)、でも鬼束ちひろより優しく柔らかい感じがするのは歌詞とメロディー、編曲のせいか。母親が石垣・白保の出身とのこと。
キーボードその他楽器は和田弥一郎という方で和田誠とマヒナスターズの和田誠の息子さん(といっても既にキャリア抜群の年齢のようだ)、クラシックギターは大野元毅のトリオ編成。
和田さんはキーボード以外にいろんな楽器(というか鳴り物、8種類ぐらいだったか)を駆使して、曲のイメージに合うよう工夫していた。あまりにいろんな楽器を使うのでO氏と話題にもなった。
ゲストは自身が働いていたことがあったという玉城の浜辺の茶屋つながりで三線の稲福剛治。八重山の歌。トゥバラーマでは、客席から返しがあったり、MCがうまくないのでと言い訳しつつ1週間ほど前の彼女との別れ話を話題にして自ら「身を削って」がんばっていた。大島保克に歌い方が似ている。
しまだあやの最後はギターだけをバックに、マイクなしで裸足で会場を歩きながら歌っていた。十分にうまい。
音響的興味ではマイク通すと声がデフォルメされるのがよく分かった。生とは全然違うがCD等にパッケージ化された音と同じ。

もう一人の「新垣優子」は、三線弾き。
始まった瞬間は、今までポップスだったのに、え、民謡?という感じ。まったく情報がなかった(今の今まで新垣結子と思っていたくらいだ)のでちょっと不安だったのだが、アカペラのわらべ唄のメドレーから始まって2,3秒でこの人はうまいと確信した。音がしっかりしているのだ。安心して身を任せられる。
国頭は辺戸の出身。CDは辺戸の共同売店でも売っているらしい。
沖縄の民謡。順番は正確でないが、赤田首里殿内、花ぬカジマヤー、永良部百合の花、かりゆしトゥックイ小、あやぐ節、国頭ジントヨー、だんじゅかりゆし など。
特別ゲストは佐渡山豊。

癒し系ポップスと沖縄民謡、音楽的な接点は少ない気がしたが、歌だけでなく、曲間の語りからも伝わってくる優しさや他人への思いやりの空気感が醸し出すものが共通テーマのように感じ、ライブ終了後にはこの組み合わせにまったく違和感は無くなっていた。
最後は和田さんを除いて全員で「てぃんさぐぬ花」。そうそう、この和田さん、ライブが始まる直前には席を見つけられないお客さんに空いている席を探してあげていた。

ライブは久しぶりなのでちょっと考えてしまったのだが、体を張って何かを表現するのは正直うらやましいと思った。そしてそれが形に残せる手段があることも。保障されない生活、理解されない活動、生身を削る行為、自らが自身の才能を信じなければ始まらないことなどを踏まえても。

O氏も癒されたーと言って満足したようだった。
お二人のCDを買ってサインをしてもらって(こっちがびっくりするほどお二人ともとても喜んでいた)、来られなかった家族へのおみやげとした。

# サインをもらうときに「お名前は?」と聞くので「名を名乗るほどのものではありません」と答えたら…
# 「名を名乗るほどのものではありません さんへ」
# などとは書かれずに、まじめに日付とサインだけ書いてもらった。
 

2008/08/05

夏休みの朝はラジオ体操で始まる

画像はwikimedia commonsから朝日を浴びるマングースのペア。

子供たちが夏休みに入ってから、毎朝近くの公民館まで子どもたちを連れてラジオ体操に出かける。
正確には第1子(♂8才)は着替えると同時に飛び出して、第2子(♀3才)はゆっくり歩いて要求に応じて時々抱っこしながら。
昨年より15分早くなって6:30頃から開始、ラジオではなくテープで行う。ラジオ体操第1と第2。土日雨天は休み。
呼び込みの音楽としてBEGINの「島人の宝」が6:25頃から流れる。
こども会の方の言うところによると昨年あたりは公民館の屋外放送を使ってしまって近隣から苦情もあったとか(110番通報でパトカー出動、少し静かにしてくださいね、と言われたらしがい。こんなんで出動させられるお巡りさんも大変だ)。
学年毎に列を作り、早い順に並んでいく。早い順の整列は後で意味を持つ。

うちの子どもたちは出席カードにスタンプをもらうのが楽しいのか、初日のご褒美(チュウチュウ)がうれしかったのか、子どもが大勢集まるのが楽しいのか(小学生で100名前後、多いね。ちなみに保護者はその1/10)、何がインセンティブとして働いているのかわからないが、朝6:15に起こすときに「ラジオ体操だよ!」と言うと第1子も第2子もガバッと起き出してくる。今まで起きなかったくせに(ということは今までも起こされている実感はあったのかな)。
寝る前に「明日もラジオ体操に行く?」と聞くと二人とも「行く!」と答えるのが効いているのかと思ったら(就寝直前の刷り込み)、この間言い忘れた翌日もガバッと起き出したので関係ないみたいだ。
夏休み後も言ってみようかな「ラジオ体操」、それとも明日にでも「テレビ体操」とか「ラジオ海草」って囁みると起きてくるだろうか。

早く起きてくれるおかげで早く寝てくれるのでその点は大変助かる。
体操は手段であり生活習慣の維持が目的。
ラジオ体操が生まれた背景には国威発揚とかあったらしいが、誰もそんなことは気にとめていない様子。実際私も気にしていないが、気になる人は気になるだろうし、木にならない人は木にならないだろう、この木、何の木、木になる人はいない(いたら進化上の大発見だ)。

ラジオ体操第2の振り付けは正直ついて行けない(重量挙げのような振りとか両手を上下にぶらんぶらんとか)。
いっそ新しい体操はできないものか(とは言うものの老若男女みんなが覚えてくれるとは思えない)。

ラジオ体操第2の最後の運動が終わるか終わらないかのうちに出席カードのスタンプを押してもらう順番取りがさーっと始まる。早い順で並んだ意味はここに現れる。
早いからといって特典はすぐにスタンプを押してもらえるかどうかだけで(その意味が大きいのか)、5分も違わないのだが大人と違って子ども時間では大きいのだろうか。とりあえずけんかも口論も今のところ起きていず、自発的ルールが守られている印象。

先週、父兄の方が英語版のCDを持ってきていたがあれはどうなったのだろう?マンネリ打破にはいいかと思ったがみんなは毎回同じがいいのかな。

そういえば私の夏休みはどこに落ちているのだろう。

2008/07/30

冗長(じょうちょう)

画像はwikimedia commonsから。

冗長(じょうちょう)とは一般には長ったらしく余分なもの。
「冗」には無駄なものの意がある。

通信の世界で冗長は非常に重要な言葉で設備や回線(伝送路)の予備を常時持ってすぐ使える状態にあり、現用機/現用回線がダウンしてもサービスにほとんど影響を与えない構成にすることを冗長化(redundancy)と言ったりする。
二重化とも言うが、三重化の時困るので冗長化で一般化している。
英語だとredundantが形容詞、redundancyが名詞。

なぜ冗長化が重要かというと通信設備の信頼度を格段にあげることができきるから。
同等の信頼性を持つ設備を並列に接続する構成だと、信頼性は二乗で効いてくる。
90%の信頼性を持つ設備を冗長化すると99%の信頼性に(一桁上がった)。99%の設備を冗長化すると99.99%になる(二桁上がった)。
具体的には  冗長化の信頼性 = 1 - (1 - 信頼性)(1 - 信頼性)  となる。
冗長化により通信の信頼性を確保している。

一口に冗長と言っても考え方や文化の違いで冗長構成を次のように言うこともよくある。
  • 現用系/予備系
  • 現用系/待機系
  • プライマリー/セカンダリー
  • ワーク/プロテクション
  • 0系/1系
  • 1系/2系
  • 1系/2系/3系/...
  • アクティブ/スタンバイ
  • ホットスタンバイ
  • コールドスタンバイ
  • 1+1構成
  • N+1構成
最後のN+1構成は現用N個に対し予備が1個だけの場合で経済性に優れる。RAID1に対するRAID5みたいな。

重要な回線なので信頼性を確保したい、といった場合には回線の二重化を前提として
  • ケーブルルート(route)の異ルート化
  • 建物への引き込み口(管路)の二重化
  • 電線の架空(電柱経由)ルートと地中ルートの分離
  • 異なる回線収容装置への収容
  • 異なる局舎への収容
がある。要は物理的に分けられるものは分けてしまえという考え。
これをさらに推し進めてそもそもの通信事業者(キャリア)さえも分けてしまう場合がある。
これをキャリア・ダイバーシティ(carrier diversity)と言う。
diversityは多様性の意。

ところで同じ冗の字を使うものに冗談がある。
冗談:http://gogen-allguide.com/si/jyoudan.html
冗談の語源は、二通りの説がある。
ひとつは、ありふれた話という意味の「常談(じょうだん)」が転じて、無駄話の意味となり、無駄であるという意味の漢字「冗」が当てられ「冗談」になったとする説。
もうひとつは、笑いながら楽しそうに話すという意味の「笑談(しょうだん)」が転じて、「冗談」なったとする説で、正確な語源は未詳である。
また、江戸中期の浮世草子「世間手代気質」では、「冗談」を「串戯(じゃうだん)」と書き、無駄話をしてサボる意味として使われた例があり、昔はやや広い意味や用法で、「冗談」という語が使われていたと考えられる。
冗談が無駄なものと認識されるのは真面目ですがユーモアがない。
日本人にユーモアが足りないのは漢字のせいか。
いや冗談。

ついでに冗長も。
冗長:http://www.kab-studio.biz/Programing/JavaA2Z/Word/00000630.html
ながったらしい。
必要のない記述を加えること。
本当は簡潔に書けるのに、それに余分な記述を付け加えた場合、それを「冗長」と言う。
通常は、その余分な記述はあってもなくても構わず、機能の差は存在しない。
多くの場合、「冗長」とは「無駄に長い」という意味を持ち、不必要なものが付けられているという否定的な意味を持つ。
ただし、場合によっては「失敗に備えた予備」という意味で使われることもある。
「冗長」な箇所が、記述した時点では無駄であっても、将来的にその「無駄な箇所」が「必要な箇所」となる場合もある。
それを見越している場合、「冗長」という言葉は肯定的な意味を持つ。

冗長化も行き過ぎるとやたら高コストになったり、複雑になり過ぎてかえって信頼性を損ねたりすることがある。
通信屋さんもその道の人は道具や車や服や携帯電話や果ては家や子供はまだしも、奥さんまで冗長化したりして人生を損ねたりするのである。

2008/07/28

歯医者でやってはいけないだろうなぁ

いずれも治療の真っ最中に;
  • 歯科医や歯科助手の目を見る
  • くしゃみをしそうな仕草をする
  • 体をかきむしる
  • 荒い鼻息をする


画像はwikimedia commonsから。

2008/07/21

Mac OS X Tiger (10.4.11)でdmgファイルがマウント出来ない:解決

最初の2枚の画像はwikimedia commonsから。

PCをiBook G4(12インチ/Power PC G4 800MHz/640MB)から中古のMacBook(13.3インチ/Intel Core Duo 2GHz/2GB)へ乗り換えた。ちょっと小金が入ったのと、職場のPCも更新され(ThinkPad A30-> R61e)、速さに驚くと同時にその速さにもすぐに慣れてしまい、さすがに自宅のiBookでは、遅すぎると感じるようになったのと、何より、PCショップの目の前に格安のMacBookが鎮座していたから。
いやいや、iBookからのデータ移行はMacBook立ち上げ時にFireWireで接続するよう促されるまま、従うままなので、簡単簡単。

さて、移行も済み、FireFoxを3に上げようかとインストールを行うと、dmgファイルがマウント(デスクトップ上にアイコンの表示)まではされるが、そのアイコンをクリックすると、一瞬画面が書き換えられるが、何も起こらない。
ATOK2007のアップデータはdmgファイルのマウントもOKで、中も展開され、インストールも問題なし。
いろいろ調べて、ディスクユーティリティ.appでアクセス権の修復を試みてみたり、dmgファイルの破損を疑って何度もダウンロードしたり、ダウンロードしたdmgファイルをiBookにコピーしてそこで展開するのも問題なし、展開して結果をMacBookに戻してみるとこれも正常。MacBook上でdmgを展開、マウントするときがおかしいようだ。DiskImageMounter.appが壊れているのか、調べてみたりするも、どうもわからない。
そうこうしているうちにターミナル.appを立ち上げるつもりが間違えて
アプリケーション 〜 ユーティリティ 〜 コンソール.app
を立ち上げてしまい、とは言えついでなので中身を確認すると、何やら、
Jul 21 14:13:04 MacBook crashdump[500]: Finder crashed
Jul 21 14:13:04 MacBook crashdump[500]: crash report written to: /Users/xxxxx/Library/Logs/CrashReporter/Finder.crash.log
で何かクラッシュしている模様が書き込まれているとのご託宣("xxxxx"は固有のユーザ名であるところを書き換えた)。Finder.crash.logを確認してみる。
**********

Host Name: MacBook
Date/Time: 2008-07-21 14:13:04.865 +0900
OS Version: 10.4.11 (Build 8S2167)
Report Version: 4

Command: Finder
Path: /System/Library/CoreServices/Finder.app/Contents/MacOS/Finder
Parent: WindowServer [314]

Version: 10.4.7 (10.4.7)
Build Version: 8
Project Name: Finder_FE
Source Version: 5292900

PID: 499
Thread: Unknown

Link (dyld) error:

Symbol not found: _WarholFSResolveAlias
Referenced from: /System/Library/QuickTime/QuickTimeComponents.component/Contents/MacOS/QuickTimeComponents
Expected in: /System/Library/Frameworks/QuickTime.framework/Versions/A/QuickTime

で、どうも、QuickTimeが悪さしているっぽい。
1アプリだし、いつもバージョンアップの容量が大きいのが気にくわないし、関係ないやと思って、ソフトウェア・アップデートで更新対象のチェックを外していたのが裏目に出たか。
QuickTimeをデフォルトの7.0.4から7.5へバージョンアップし、再起動すると…。
直った。
QuickTimeは実にOSの一部でもありました。

なぜATOK2007のアップデータでうまくいったかというと、ATOKのほうはフォルダの展開そのまま、FireFox3はフォルダそのものに画像イメージを埋め込んであって、どうもそこでQuickTimeが使われていたようなのだ。QuickTimeがOSの一部と言うよりも、そういうインストーラの作成をOSが認めているということか。

2008/07/17

HP Photosmart 3210 All-in-one プリンタの解体

3年ほど前に購入したHP製Photosmart 3210 All-in-one プリンタがスキャンができない、カラーコピーで色が異常(赤系が出ない)などの症状が出てきた。思い当たるのは子供らが紙を詰まらせてしまったのを、私が前面から無理矢理引き出して以降か。
前面からの除去はいけないことになっていた。あたた。
英語だとこういうところがあるのねFixya
日常のプリント生活に支障が出たため、思い切って中を分解、清掃を試みた。
一応参考にしたのは、ここ。英語だが。

ネジは特殊でトルクスT-10のみでほとんど分解できることがわかった(トルクスは、このために初めてドライバを買ったがこれはいい規格。ドライバのサイズが合わないと回せないし、回すと遊びが感じられず、ネジ山をなめる心配がない)。
T-10で分解できないのは一部の基盤のみ。
案の定、ブルーとシアンのインクが飛び散っており、拭けるところは拭き取って、再度組み立てを行う。
しかーし、症状は変わらず(なんとかスキャンはできるようになった:でもPCからの指示ではダメで3210からPCを指定しなければ機能しなくなった)。

修理に出すにしても、その費用で新品が購入できる昨今、「メンテは文化だ」のスローガンに反し結局新品を買うことにした。
プリンタというか複合機に対する要求は
  • 前面給紙であること(設置場所の関係)
  • 有線LAN対応であること
  • そこそこ安いこと
  • 画質もそこそこで構わないこと
で検討した結果、条件を全て満たし、そしてコストでものすごい訴求力のあったブラザーのMyMio DCP-750CNとなった。
3210より、高さ、奥行きともに小さく、軽く、画質も私にとっては十分であり、有線LAN内蔵で、しかもLANポート(USBポートも)は内部にインターフェース部分があるので、背面はぴったりつけることができ、amazonで税込み僅か11,111円であった(2008/6/9時点)。
満足である。

HP製のプリンタを使い始めて早16年。
初めて購入したMac(Performa 575)であったので、当然、最初に購入したプリンタはStyleWriter II。
そのStyleWriter II(え、これはキヤノンだっけ?)にはじまり、DeskJet815C(カラー化)、Photosmart 3210(スキャン機能等の複合化)と続いたHPとのプリンタ生活ともお別れだ。
そのまま捨てるのも手だが、せっかくなので、第1子(♂8才)もこういうことには興味があるだろうとの考えて、出来るところまで分解してみることにした。
家人が寝静まった頃を見計らってどんどん分解する。2回目なので早い。トルクスT-10だけでいける。
土曜日のちょっとした時間には子どもに手伝ってもらう。とりあえずネジを外せばいいと分かっているようなので、思い切りがいい。この子はこちらが分解はしたいが破壊はしたくないポリシーの元、躊躇して思案中の箇所で突破口を開いてくれた。おお、やればできるね。いや何も考えていないのか。
いやはやこれだけの構造と部品点数で当時税込み25,830円で買えるものなのか。インク代でコストを回収するHPの戦略(プリンタメーカはどこもそうだよね)もさもありなんと思った次第。
そして次の写真がその結果、3210の分解写真。

私のすてきな奥様曰く、子どもは喜んだようで、友達を家に連れ込み写真の状況を見せて自慢したようだ。
あとは、プラステック類と鉄類に分類して処分するだけだ。
続く写真は小さい基盤にまでHPマーク、多種類(材質、長さ、色とヘッドの形)のトルクスT-10ネジたち。

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