2008/10/02

わすれられないおくりもの - "Badger's Parting Gifts"

小学校3年生の国語の教科書にスーザン・バーレイの「わすれられないおくりもの」("Badger's Parting Gifts", Susan Varley)が載っている。授業の課題か何かで1号(♂8才)が「ぼくのわすれられないおくりもの」と題して作文をしたためた。
ぼくのわすれられないおくりものは、二つあります。一つは先生です。なぜならいつもいろんなことをおしえてくれるからです。
二つめは、たわだのおじさんです。
きょ年、亡くなってしまったけど亡くなる前は、はたけにつれてくれてヤゴとかオタマジャクシをとらせてもらいました。だから、今でも心にのこっています。
原文まま、「亡」が「死」と書いていたのは訂正した。

親や教師の指導は入っていないはず。漢字で書けとか、先生はおくりものとは違うだろうとか、おじさんの名前が間違っているとか、いろいろ突っ込みどころ満載なのだが、「わすれられないおくりもの」のこの世を去るアナグマ(a badger)とアナグマが友人隣人たちに残していった大切な何かを考えさせる物語と作文のおじさんの話は関連性があって、しかも最後の一文は泣かせる(馬鹿親...)。
元小学校教師の荒木茂さんのサイトには教科書の題材としての「わすれられないおくりもの」の詳しい解説がある。

「おじさん」は隣人で私達家族が3年前に現在の地に引っ越してきてた頃にはすでに仕事はリタイアしていたが、リタイア後に始めた畑仕事や家の手直し、草刈り機を使ったパワフルな雑草対策など精力的に働いていた。私達家族にもにもいろいろよくしてくれて、子どもたちにはそれこそ自分の孫のように接してくれた。1号が隣のおじさんのことを「ともだち」と呼んだのが大層うれしかったらしく近所の人にもよく話をしていた。
昨年の8月に数ヶ月の闘病生活の末逝ってしまい、やりきれない悲しみは私達家族にも残されたが、代わりにこのアナグマのようにをたくさんの思い出を残してくれた。
今でも隣のおじさんの「まだまだ君なんかには負けないよ」と言った声が笑顔とともに思い出される。
私のすてきな奥様は作文のコピーをとって、亡くなった隣のおじさんの奥さん:隣のおばさんにあげると言っていた。

この作文は今も隣のおじさんが思い出に生き続けていることの証である。

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