2014/03/31

今月の修理(ボルネードとヤマギワのフロアスタンド)

電源コードが断線したボルネードと首カックンとなったヤマギワのフロアスタンドを修理した。

電源コードは未使用時にぐるぐる巻にすると根元で断線しやすいものだが、実際このボルネードもそうなった。切断部分を迂回するように2箇所切断して、コードの被覆をむいて、ハンダでつないで、熱収縮チューブをかぶせて、おしまい。(ハンダ付けの時はもう一本手が欲しいと思った)
ヤマギワのスタンドはスエーデン製で、1号(♂14才)がまだ私の素敵な奥様のお腹にいた頃、独り秋葉原を散策しているときに値段とともに一目惚れしたもの。12,800円だった。ヤマギワは、値付けを間違えたと思ったのか、その後すぐに値上げした。
画像は、その1号が、自身の骨折の経験を活かし、添え木とテープで応急処置したもの(この対処療法は1週間と持たなかった)。
頭部を分解してみると、結局は、首部と頭部をつないでいるネジが緩んで外れているだけだった。スパナで締め直して、おしまい。(元に戻す時にもう一本手が欲しいと思った)
3枚目の画像は、フロアスタンドに照らされる1号。2008年の撮影。

2014/03/22

未来から前借り、など

まぁ、何かこう「楽しいこと」は、それに引き換えるものが必要な場合がありますね。
3つのパターンがあるかなと考えました。
  1. 未来から前借りパターン
  2. 貯蓄取り崩しパターン
  3. 未来への投資パターン
1. 未来から前借りパターン
いずれ落とし前をつけなければならない。または、ツケを払わなければならいことを指します。
例えば、お酒→二日酔い、ドラッグ→廃人、睡眠不足→週末の寝溜め、基礎の不勉強→少年老い易く学成り難し、などを想像するとわかりやすいのではないでしょうか。
学業は、学ぶのに適切な年代というのがあって、そこを通り過ぎると、特に記憶の面では、効率的ではなくなりますね。

2. 貯蓄取り崩しパターン
過去の頑張った結果、今を楽しんでいるが、頑張りの結果は有限で使えば使うほどどんどん減ってゆくので、いずれ枯渇するようなことを指します。
これも学業で言うと、受験勉強をやって大学に入ったはいいが、大学時代は遊び呆けて、高度な勉強を修める機会を失ったようなことです。

3. 未来への投資パターン
面白いことを見つけて、やり始めてみて、その上達過程にあるような、今やっていることが何かの成果につながるか皆目わからないような、将来ものになるか、時間の無駄だったかは、未来にならないとわからないようなことを指します。投資なので回収できるかどうかは未知数です。
身近な例で言うと、同僚の一人に、専攻が経営学のくせに、プログラミングやルーターのような通信機器を制御するのが好きで、好きが高じて、IT業界に鞍替えして、エンジニアとして成功してしまった人がいます。彼などは、当初、経営学を専攻した時点では、自分の将来についてきっと違う絵を描いていたのでしょうが、いろいろやっているうちにIT業界という投資先に鞍替えしたほうがよいと判断したのでしょう。

「何か楽しいこと」にかぎらず、日常の些細な事にも応用できそうです。例えば、「歯みがき」はどうでしょう。
食事の後のツケと考えると未来から前借りという考え方もありますが、多くの人にとっては、ここで手間を掛けることで虫歯や口臭を防ぐ、という未来への投資なのでしょう。逆に、歯を磨かない、という行為はどうでしょう。後で痛い目にあうのであれば、未来から前借りでしょうし、これまで丈夫な歯であったという信頼という言葉を貯蓄に置き換えると、貯蓄取り崩しと考えてもいいかもしれません。
このような日常の些細なことは、ほんのちょっとした手間の割には成果が大きいので、つまり、ローリスク・ハイリターンである場合が多いのではないか、と感じています。

未来から前借りも、貯蓄取り崩しも、未来への投資も、考えのベースを損得でまとめており、言わば、こう考えてしまうのは、最近の私の考え方に、ライアーズ・ポーカーのようなゼロサムゲームの要素が入っているからかもしれません。
もっとも、読書は未来への投資だと信じているんですけどね。

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画像は、朝陽を受けて窓下を眺める猫。
何か考えているように見えて、実は何も考えていないかもしれないし、実は、猫は猫としての思慮の深淵に沈んでいるのかもしれません。
猫から見える世界は猫のみぞ知る。
2010年12月の撮影。

2014/03/18

「能率」と「効率」の違い

「能率」と「効率」って似てるけど違いますね。
例えば、「朝に仕事をすると能率が良くて捗るんですよ」とか「この手順だと効率が悪くて…」とか。

能率は、単位時間あたりの成果に対して使われるようで、しかも、予め手順が決まっているような作業においての比較に使わるような気がします。
一方、効率は、手順上の無駄を省いたり、アルゴリズムを工夫することによって、かけるコストに対する成果を比較するために使われる気がします。

この両者の違いは、ググってみればいろいろと出てきますが、私の仕事に絡んで考えてみると、こういうことではないでしょうか。
  • 能率 … スループット(Throughput)。時間あたりの転送量や処理能力のこと。
  • 効率 … コスト最小成果最大=ムダを省く能力=圧縮伸張技術。
いかがでしょうか。

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画像は、家の手すりに空いた直径約20cmほどの穴にハマった猫。2010年12月の撮影。
本人がこのblogを読む可能性は低いと思われるので、思い切って偏見を述べてみますが、なんというか、こういう頭と尻を同じこちら側に向けて穴にすっぽりハマるアクロバットな体勢は、もう今では無理ではないかな、脂肪的に。

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今回は実験的に、です・ます調で書いてみました。
普段のメールもこの調子なので、自然といえば自然です。

2014/03/16

教会に慣れる (もしくは建物としての教会の中に入ることに慣れる)

私も、私の素敵な奥様も、我が家の3人の子どもたちも今も昔もクリスチャンではなく、親戚に教会関係者がいるわけでもないのだが、子どもたちがモンテッソーリ教育法を取り入れているカトリック系の幼稚園に通っていた関係で、いろいろな幼稚園の行事、例えば、聖劇、卒園式、遠足の前のお祈りなどが教会内で行われたことから、自然とその教会へは何度も足を運んだことになる。
かれこれ都合10年だ。

初めて教会の中に入ったときに感じたことを思い出してみると、警戒心が渦巻き、神父が説教や祈りを捧げるのを聞いている時、どういう所作を取ればいいのか分からない、というアウェー感は半端ではなく、緊張感を伴っていた。きっと、他の見知らぬ宗教施設を訪れる人が感じるものと同じものではないだろうか。こう、オレは取り込まれないぞ、みたいな。
ところが、何度か訪れる度に、また、神父や関係者の顔を覚えるごとに、食べられたり、噛み付かれたりすることがないことがわかるごとに、構えていたガードはどんどん下がり、最初に感じていた緊張感は今ではゼロ、オールフリー、我が家の庭のような他人の建物と言った風情で、当たり前のように存在している。
これは実は凄いことで、最初に違和感あっても、時間積分で一定の量を超えて慣れ親しんだものは、ストックホルム症候群ではないけれど、愛着が湧くようなところがある。

 さて、聖劇というのは、Google日本語入力でも変換されないほどなので、知らない人も多いと思われるが、天使ガブリエルがマリアへ懐妊のお告げをするところからキリスト誕生までの物語を、年長の子どもたちが役を分担した寸劇といったところで、 幼稚園の一大イベントである。年中の頃に見た憧れ年長さんの役をゲットすることを1年も前から楽しみにしている子もいるようである。例えば、2枚目の画像はベールを被った、憧れの天使ガブリエルの役の2号(♀9才)。(2010年12月)
3枚目は、1号(♂14才)が聖劇の兵士役を行った際の画像である(この画像だけ IXY60 で撮影、2005年12月)。
かなりピンぼけだが、前日緊張で熱と嘔吐で一時はどうなるかと思わせて、当日遅刻しながら何とか間に合い、本番でセリフを言い終わった後、あくびを頻発させる瞬間を捉えたという、一部方面には歴史的価値がある画像なので、ご了解いただきたい。

ところで、1号と2号の聖劇の画像を掲載して、3号(♀6才)がないのは、公平性に欠けると思うのだが、何の事はない、3号の聖劇当日、カメラを持ってくるのを忘れてしまったわけで、ここで「人は忘れやすい動物である」ことを言い訳にするのは、使う場面が間違ってるし、そもそも親としてどうかと思う、と自分自身でも思う。
(一応、iPhoneで撮りましたけど、遠すぎて遠すぎて…)

その3号が先日無事卒園したので、足掛け10年に渡った教会という建物の中に入る機会も減りそうである。

2014/03/06

「ライアーズ・ポーカー」マイケル・ルイス著(東江一紀訳)

本書を読んで、お金の稼ぎ方というものを考えた。具体的には、お金の稼ぎ方を分類するとどうなるか、である。
  • 安く仕入れて、そのまま高く売り、その差益を得る (小売り、問屋)
  • 材料を安く仕入れて、加工し付加価値をつけて高く売り、その差益を得る (製造、加工)
  • 知識を提供する見返りとして報酬を受け取る (知的労働の対価)
  • 時間を提供する見返りとして報酬を受け取る (時間拘束)
  • 労働を提供する見返りとして報酬を受け取る (肉体、頭脳、感情)
  • 技術を提供する見返りとして報酬を受け取る (職人)
  • 空間を提供する見返りとして報酬を受け取る (不動産収入)
  • お金を預託する見返りとして報酬を受け取る (利息)
  • 取引の仲介をすることで手数料を受け取る (仲介業)
こんなところかな。( )内はイメージしやすいように例をあげてみたが、他にもあったり、間違ったりしてるかもしれないし、実世界では、これらのいくつかの組み合わせになると思う。

さて、何かの見返りとして報酬を得るタイプだと、時間や空間などのリソースに自ずと限りがあるので、そのリソースで上限が決まるが、金融の世界のリソースはお金そのものであるが、売買にはほんの一瞬の契約行為が絡むだけで済むので、上にほとんど限りがない。本書の金融ブローカーの扱うお金の量が半端でなく、まさに桁が違うので唖然とする。

このように、本書に出てくる金額を見て唖然とするような金融リテラシーの低い私が、本書で学んだことを的確に表している部分を引用してみる。
この過程では、売る側と買う側の両方が財宝の値打ちを知らないとしたら、仲介者は大助かりだ。トレーディング・フロアの男たちは、たとえ大学を出ていなくとも、他人の無知につけ込むことにかけては、博士号を持っている。どんな市場にも、ポーカーゲームと同様、だまされ役がいるものだ。鋭敏な投資家ウォーレン・バフェットの好んだ言い回しを借りると、市場のだまされ役の存在に気づかないプレーヤーこそ、その市場のだまされ役だということになる。
(略)
ソロモンの債権トレーダーたちは、それを仕事にしているだけあって、だまされ役を知っていた。市場を知るということは、他の人間の弱みを知るということだ。債権を本来の価値より安く売ったり高く買ったりする人間を、彼らはだまされ役と呼ぶ。
(p. 51)
無知はだまされ役。

マイケル・ルイスの本は「マネー・ボール」につづいて2冊めだが、本書もマネー・ボール同様にとても面白くて、他の面白いと思った本と同じように三度ほど読み返した。訳もいい。
ついでに彼の「世紀の空売り」も注文していて、これから期待を持って読むのである。

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