2009/08/31

刈草はオジーの牛小屋のにおい

3号(♀1才)を連れて、近所に散歩に出かけるとお隣さんが敷地の草を刈っていた。積み上げられた刈草のにおいは、そうだ、オジーの牛小屋のにおいと同じだ、牛小屋のにおいは刈草のにおいだったのか、と分かった。

オジーは15年ほど前に亡くなったのだが、元気な頃の親戚関係の中心にはオジーがいた。
孫達が小学生以下だったこともあってかオジーの子どもたち、つまり、親同士も仲が良く、父親達も海で潜るのが面白いのか、夏になると毎週のように父親達は海へ魚を捕りに潜り、子どもたちは岩場で魚を追いかけ、母親達は父親達が採ってくる魚の処理に少々うんざりしながらも貝を採ったりおしゃべりに興じたり、それなりに楽しんでいた。その親戚同士で「模合」(もあい)をやっていて、毎月一度はオジーの家に集まっていた。オジーが何かを命令するとかそういうのはなく、なんとなく親たちの心の拠り所だったような気がする。
  • いつも仏壇のある二番座の仏壇に向かって右側一番座を背にして座っていた
  • 孫を叱ったことはない(オバーもそうだった)。いつも叱るのは親たちだった(オジーに促された?)
  • 地域の民謡大会で賞がもらえなかったことに憤慨して、親たちにおもしろおかしく慰められていた
  • 初めて見た女子プロレスはかなり面白かったらしく、熱心に面白さを説明し、親たちはこんな喜んでいるオジーを見るのは珍しいのか、笑ってばかりだった
  • 登川誠仁という今では民謡界の名手がいるのだが、その誠仁がまだ弾き始めてまもなく、「ナークニー」をオジーに教えを請いに来たが教えて上げなかったことを、親たちは「教えていれば、誠仁に「ナークニー」を教えたのはオレだと言えたのに…」と嘆息していた
  • 自戒を込めた「学がないとダメだ」が口癖
  • 「男は、唄でも空手でも何でもいいから人前でできるものが無いといけない」と言っていた
  • 「革は柔らかくないといけない、これは上等である」(私が買った財布が高かったので母親達が文句を言った所オジーが財布を手に取り諭してくれた)
  • 馬を飼っていたこともあって、戦後(もしくは戦争中捕虜後)すぐに市長の移動用馬車として徴用された
オジーは闘牛用の牛を飼っていた。闘牛大会へ出して勝ちたいのである。娯楽用である。毎日大量の草を刈って牛のエサにしていた。牛の運動のために近所の道を散歩させていた。
オバーは豚を飼っていた。子豚を育てて売るのである。生活の糧である。豚たちにはいいからと毎日シンメーナービ(大きな鍋)煮込んだエサを豚に与えていた。散歩はないが1回だけ大人の豚が逃げ出して大騒ぎしたことがあった。
オバーの偉さに引け目も感じずオジーはたいてい2頭の牛を飼っていた。孫達は怖くて小屋の中までは怖くて入れないのだが、小屋の入り口から牛を見ると、入り口左手に牛の口の高さまでかさ上げしたエサ置き場、エサ置き場と牛との間には2本の柱が立っていてるは外からでも分かる。角がなければエサ置き場の柱の間から牛の頭は入るが、角があるとまっすぐには入らず頭をひねって角度をつけないと入らない。
奥で休んでいる時はよく見えず大きな体の輪郭と眼だけが光っているようで子供心に怖いと思った。エサ置き場に頭をひねりひねり入れてエサを食べている牛を見ると、鼻の両方の穴から通された鼻輪に痛くはないのかと思い、闘牛の時には激しく戦うとは思えない優しい眼をしていることに気づく。怖い怖いと思いつつ牛は人間が裏切らなければ信頼できると思った。
記憶と結びついた「におい」というのは不思議なもので、躊躇無くすーっと過去に遡り、牛小屋の前に立つ自分がいる。
ずっと牛小屋のにおいだと覚えていたのはオジーの刈った草のにおいだった。

オバーも数年前から老人ホームへ行き、仲の良かった親戚は子供の成長と共に疎遠となり、そのうちことごとく離婚でばらばらとなり、いとこ同士で会うこともなく、地域で一番最初にコンクリート造にしたというオジーの家は今は人気も無く寂れている。オジーが亡くなった後には山羊小屋にされ今は何もいない元の牛小屋や、それでも変わらない仏壇を中心とした家の間取りを見ると一族や家族といったものの栄華盛衰を思わざるを得ない。

もうすぐ旧盆(9/1~9/3)である。最終日「ウークイ」(お送り)にはオジーの家に出かけ、一番座の欄間に飾られたオジーとオジーの牛の写真を見つつ、仏壇に手を合わせよう。

2009/08/26

1号(♂9才)の1学期後半開始、でもマスク着用

1号(♂9才)の1学期後半が始まった。2学期制なので夏休み明けでもまだ1学期である。1号は登校準備を昨晩「終わった」と宣言したのに私の素敵な奥様の軽いチェックで不備満載で、怒られながらの登校となった。

1号のこの夏のラジオ体操の出席率は、夏休み後半に惰眠をむさぼり50%程度、おりこうの2号(♀4才)は2度だけ欠席で準皆出席。
3号(♀1才)は1度だけの参加であったが、この夏、才気爆発。1号と2号を足して2で割らないほどの大物ぶりを発揮。模倣が早い。
2号がかゆみ止めを塗ると「あ、あ(オレもオレも…女の子なんだが)」とかゆくもないはずの足を指して「あー(ここに塗れ)」と指示したりり、目に見えない空想食べ物で「あーん」したり、やぬいぐるみにタオルを掛けてねんねの真似をさせたり、YES/NOも首の縦振り/横振りではっきり示す。ちょっと早すぎないかね、3号君。

さて、新型インフルエンザ流行最先端のここ沖縄だが、周囲にもその影が忍び寄っている。
昨晩1号の担任の先生から、登校時には新型インフルエンザ対策のため、マスク着用、用意できなかった場合はハンカチで、とのお達し。
仕事先では、同僚の子供が感染確定、本人も微熱があったので出社自粛(その後の検査では陰性)、アルコール消毒液は職場随所に配備。それ以外は普通に仕事しているが。

沖縄県の情報によれば、2009/8/25現在で、集団発生箇所は累計で356に上る。

国立感染症研究所 感染症情報センターによると現在の状況は次の通り。

新型インフルエンザA(H1N1)の流行状況-更新12 2009年8月20日
第32週1週間におけるインフルエンザの報告数は、4,630例で、これは統計学的な推計によると、この1週間に全国で約60,000例(95%信頼区間 40,000-80,000)の患者が発生していると推定される。また、定点あたり報告数(1週間の1医療機関当たりへの受診患者数)に直すと、0.99 であり、通常の冬季の季節性インフルエンザの全国的な流行の指標とされている1.0に近くなっている。ただ、まだまだ地域的には流行状況に大きな差異があり、都道府県別の定点あたり報告数では沖縄県(20.36)、奈良県(1.85)、大阪府(1.80)、東京都(1.68)、長崎県(1.50)、長野県(1.44)、三重県(0.99)、茨城県(0.91)、兵庫県(0.91)の順となっている。報告されている流行ウイルスは、ほとんどが新型インフルエンザウイルスAH1pdmである。
沖縄ではこの1週間で1000人前後の報告があるとみてよく、しかも報告数の10倍は患者がいるとみて間違いなさそうだ。となるとこの1週間で1万人、沖縄の人口は140万人弱だから、結構な割合かもしれない。

画像上は国立感染症研究所感染症情報センターのちょっと古い2009年7月28日 15時30分現在の日本の流行地図。

画像下は買い捲りンく研究所経由で知ったFluTrackerの世界地図。ズームしていけば沖縄までたどり着ける。データの更新がやや古いかも(少なくとも日本に限って言えば)。

お隣の台湾も感染者が多いが、沖縄では中部地域の感染者が多いので、米軍基地経由での感染かも案外多いかもしれない。

2009/08/24

電波時計@沖縄 (謎混迷編)

前回と今回のポストの間に「失敗百選」を入れたのは訳がある。
前回確かこう書いた(といってもコピペ)。
その時計を分解して、銅箔などのシールドがあれば、推測は間違っている可能性が高く、なければ、銅箔ないしはアルミホイルでシールドを作ってやって、電波の受信状況を観察、結果を考察する。
対象はGENTOSブランドのMODEL: ET-7301。
バーアンテナが、背面の支えになる一石二鳥の設計。
この時計にシールドはなかった。が、バーアンテナは基盤から距離を取っている。

そこで、ものは試しにとアルミホイルをビニールテープが在庫を切らしていたので導通しないことをテスタで確認した上でセロハンテープでくるんでシールドもどきを作ってみた。
結果、 惨敗、ざ・ん・ぱ・い。
うまくいかなかった。
へなへなへな…。
受信回路の差かも知れないが、電波受信回路の型番らしき"705Z2"を検索しても引っかからない。
今のところもう私にはお手上げ。

昨日寄った、DIYセンターに並んでいる目覚まし電波時計の強制受信ボタンを押しては待つを繰り返してみたが、すべて受信できなかった。
一芸エリート電波時計"SQ666S"が動作不能になった暁にはどうすればいいのだろう。

# 少々の時間のずれなんか気にするな、というのは確かにそうなのだが。

2009/08/21

「失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する」中尾政之著

2009/8/19(水)に那覇市のガーブ川で橋を調査中の作業員5人が流され、1人が救助、4人が遺体で発見された。悲しい事故だ。ガーブ川の行き着く先の川の下流に職場があり、当時、ここにも警察と消防が捜索をしていたのをちらっと眺めていた。
2度とこのよう不幸な事故を起こさないような対策を講じることがせめてもの弔いである。
素人が考えただけでも以下の対策を列挙できる。
  • 鉄砲水の発生履歴の確認 (危険性の把握)
  • 気象の予測と作業中止の判断の明確化 (迷ったら安全サイドへ)
  • ゴム胴衣(胴付長靴)の着用の禁止 (危険性の排除)
  • 雨水の大地への浸透推進  (危険性の排除)
  • 川に頼る雨水処理の改善  (危険性の排除)
  • 川水のコンクリート護岸への浸透改善  (危険性の排除)
  • 河川内作業における1名1安全ロープの接続義務 (受動的安全の確保)
  • 暗渠上流側入口の人間吸い込み防止柵 (受動的安全の確保)

さて、「失敗学」のリーダの一人、機械工学の中尾政之の失敗学の本。
機械工学の失敗例を集めてみると、約200の事例から41個に分類できることがわかったという。
機械工学の人だけあってその方面の事例が多く、専門用語も頻出する。

もともと、国が構築した失敗事例ライブラリである「JST失敗知識データベース」失敗百選という「国内外で発生した典型的な失敗事例を100例程度取り上げ、読みやすく記述」されたものがあり、個々の事例を詳細に眺めて行くにはそちらのほうが文字数の制約もなく、例えば航空機事故などは事故調査報告書なども掲載されており、本書よりも有効だ。本書はその点は物足りない。
ちなみにJSTは科学技術振興機構の略称。

しかし、この本は「まえがき」「第1部「失敗百選」とは何か」での指摘が重要だ。
日本で分析すべき失敗は、企画・開発の失敗である。(p.xiv)

使命感が醸成されないと、失敗を防ぐ気にもなれない。(p.xv)

「自分で失敗を経験したり、他人の失敗を伝聞したりして得た知識を、まず、収集してそこから共通点を抽出する。次にそれを現在の自分の状況に当てはめて、将来の失敗を予測し、致命的な損失を回避する」ことである。つまり「失敗を集めて選んで使う」(p.3)

失敗は技術的と組織的の原因を併有する(p.28)

重大事故は主要機能以外の些細な要因から発生する(p.29)

失敗は思考水平面の周辺部から発生する(p.47)

管理強化してもおっちょこちょいの人間の性格は変えられない(p.50)
仕事で、失敗データベースに刺激を受けて、類似した障害事例のデータベースを構築、啓蒙を行っているが、運営してみてよくわかったのが、障害事例を選定、詳細を記述、分析していくうちに障害の全体像と原因がだんだんはっきりと見えてくることである。「終わりよければすべてよし」ではいけない。
読むよりも作る方がはるかに経験値を上げるのは、どの世界でも同じであり、事例構築活動はメンバーが一人一人やるべきだと思った次第。

以下は手元にある関連する本の紹介。

「決定版 失敗学の法則」畑村洋太郎著

ビジネスマン向けの失敗学の啓蒙書。
「摩擦、軋轢があるのが健全な組織」という一文に唸る。
ひとつの組織の寿命曲線のなかで萌芽期、発展期の途上にある組織は、各人にやる気と夢があって組織全体に活気があります。各人が情熱に燃えていて「おれが、おれが」といろいろなことをやりたがるので当然、衝突が起こります。だからこそ、新たな創造が生まれるのです。(p.164)
しかし、成熟した組織では役割分担がはっきりしており、それが、組織間に「隙間」を作ることになる。そこに失敗が起こる。
失敗の温床ともいえる隙間を作らないようにするには、軋轢や摩擦が起こるような状態が健全なのだと認識して、組織運営することです。(p.165)


「NHK知るを楽しむ この人この世界 2006年8・9月 だから失敗は起こる」語り手:畑村洋太郎

ふとTVを見ると失敗学をやっているではないか。さっそく次の日に書店へ出かけて最後の1冊を手にした次第。
責任追求でなく原因究明を
六本木ヒルズ回転ドア死亡事故が、当事者のみならず業界を超え、法律家、医師、建築家など第三者的な視点からも原因の究明、回転ドアのみならず、ドア全般に対する「本質安全」「制御安全」への取り組みに当たったことが「失敗学」の集大成とも言えるものとしている。
ドアは軽くてゆっくり動かなければ危ない
のである。
ベビーカーの車輪が電車のドアに挟まれないように大きくなっているのをご存じか?


「パイロットが空から学んだ危機管理術」坂井優基著

失敗学ではないが、パイロットから見たリスク管理の要点を読みやすくまとめた本。
標語として並べて張り出しておくと何かの時のヒントにはなりそうだ。
  • 判断に感情を持ち込んではいけない
  • 2つ以上いいことは同居しない
  • 都合のよい解釈をしてはいけない
など。


ガーブ川の事故は確かに急激な気象の変化とそれに伴う河川の増水が主要因かもしれない。
しかし、決して、一つの要因から起こった事故でないことは明らかだ、と上記の本を読んだ今はそう考えることができる。
責任追及ではなく原因究明を。

2009/08/17

電波時計@沖縄 (分解修理挑戦編)

さて、前回の、沖縄では電波時計がほとんど役に立たないが珍しく動作するウチの1台の液晶表示が不調になった、の続き。

液晶表示を復活させるためにエリート電波時計"SQ666S"を分解してみる。
装置の調子が悪くなったら、まず内部の埃を疑え、だ。
ネジは裏面から見える4カ所と、これらを外しても外れないので、エイヤと見当を付けて頂上部の長いバーを外したところ(両端がツメで止められていた)、2カ所にボタンが隠れていた。これも外したのが上の画像。
案外汚れていない。
…。
考えてみれば、この種の時計はそんなに熱を持つものでもなく、開口部もスピーカと温度センサくらいでほとんど無いので、埃のたまりようがない。
それでも若干はあると言えばあるので、製図用ブラシで掃く(製図はしたことがないが)。ホントはエアブロワーがいいんだが、子どもたちにすぐ使われてしまい、いつも使える状態にないのが難点。ついでに、配線に外れゆるみがないか確かめてみる。特に異常はない。

ここで、上画像の左中央上部分にアンテナコイルを発見。覆い被さるようにしている基板が電波受信モジュールと推定。外してみると、"T4225B"とある。ググってみると、T4225Bは"Low-Cost Time-Code Receiver"であり、いくつかのメーカで製造している規格化されたモジュールのようだ。

よく見ると、その対面には、銅箔でシールドされている部分がある。時刻設定スイッチと直結されているので、ここは、時計の心臓部のようだ。

受信しにくい電波を受信するには
  1. 送信電波の出力をあげる
  2. アンテナの性能を上げる
  3. 外部ノイズを下げて見かけ上のアンテナ性能を上げる
があると思うが、手っ取り早いのは2か3だ。1は個人レベルでは無理だ。国民の不満の声を反映しないといけないので10年以上かかるだろう。

このSQ666Sは、電波受信モジュールが汎用品であり、他の電波時計と差別化されているとすれば、銅箔部分であり、銅箔が電磁シールドとしての役割を果たしているのではないかと推測。
つまり、3.の見かけ上のアンテナ性能を上げるの該当するのでは。

さて、どうするか。
もう1台の後からやってきた受信できない電波時計を分解してみることにした。
その時計を分解して、銅箔などのシールドがあれば、推測は間違っている可能性が高く、なければ、銅箔ないしはアルミホイルでシールドを作ってやって、電波の受信状況を観察、結果を考察する。

とりあえず、SQ666Sを元に戻してみる。が、時刻修正の手動スライドスイッチを動かしても動作モードが変わらない。時刻は電波で修正してくれるが、目覚まし時刻の修正ができない。
ちょっとヤバイが、スイッチの復旧は後回しにして、次回はもう1台の電波時計の分解を行うことになるだろう。

液晶表示の不調の話はどこかに行ってしまった…。

2009/08/12

電波時計@沖縄 (ほとんど受信できないよ編)

2000年10月より独立行政法人 情報通信研究機構(NICT)が運営管理する佐賀県の羽金(はがね)山標準電波送信所が、日本標準時を長波に乗せて西日本一帯に送り続けている。
ちなみに、同年、会社の先輩が東京で購入した電波時計対応の腕時計が実は東日本仕様で、東京出張のたび時刻が合うんだよ、と言っていたことは興味深い事例ではあるものの、なぜ東日本仕様を買ったのかは聞いてはいけないとされている。

この羽金山からの電波により、ここ沖縄もカバーエリアとされ、電波時計は日本標準時に正確に同期してくれることになっている。
しかーし、個人的な経験上、ほとんどの電波時計は動作しない。
電波時計は、ここ沖縄では水晶にお伺いを立てる前時代的な月差±20秒のただのクォーツ時計に成り下がっているのである。
他にもそう思う人がいるようなので間違いない。
沖縄時間(ウチナータイム)に思う 01
このように私の回りにはいつのまにか電波時計が増えてしまった。ただし私は電波時計が好きなのではなくて、時間を厳守するための正確な時間を求めているのである。ところが沖縄で生活するようになり私の平穏な時間間隔を狂わせる大変な出来事が発生している。なんと沖縄では車のナビ以外の電波時計が全て電波をキャッチしていないのである。おそらく教授室、および官舎の立地条件、壁の厚さなどにより電波が届いていないのだと考えられる。これは私にとっては大ショックであった。
沖縄時間(ウチナータイム)に思う 02
ちなみにその後も電波時計は増えている。
(略)
医局のカンファレンスルームに掛っているが、やはり電波はキャッチしていないようである。
立地条件(那覇市の高台にある首里でもNG)でも鉄筋コンクリ壁(ビルの屋上でもNG)のせいでないことは確認済みである。むろん電波時計にウチナータイムはない(そういう時計は内部に水晶ではなくユタがいるはずである)。

しかーし、今のところただ1機種だけ動作を確認した電波時計が我が家にはある。
2001年に健保組合から何かの記念に頂いたセイコーの"SQ666S"である。この時計、プラスティックなのにゴールド色というデザイン、目覚ましのセットがスライドスイッチでスヌーズ状態になり易い操作性、どちらも最悪であり、そのうえ型番"666"も映画オーメンを連想させ不吉であるが、電波時計としての性能はワンアンドオンリーだ。
これ無しには毎日の起床もおぼつかない(もっとも最近は目覚まし前に起きてしまう。つまり早起きは朝飯前だ。当たり前か)。

最近、この時計の液晶表示がおかしくなってきた。目覚ましは毎朝6時に正確に鳴る。時刻は正確なのに、人間には何時だかよく分からないという、何のための時計なのか、存在意義を問われる事態に発展してきた。
そこで、意を決して、外見や扱いにくさには目をつぶるが本質的に違う所を見せつける唯一のエリート電波時計SQ666Sの内部を分解することにした。
これで、秘密が分かるかどうかは現時点は不明。

次回は分解編となるであろう。

上の画像はNICTから。

2009/08/10

省エネナビでエアコン稼働状態はどう見える?

1週間程前の8/2だが、この夏初めて寝室のエアコンを稼働した。
南風が吹いている限りは、エアコンを入れる必要性は感じず、実際昨年はほとんど稼働しなかったのだが、今年はなぜか風向きが悪く、南風が吹いてこなかった(7月後半〜8月初旬)。
子ども達を昼寝させるために私の素敵な奥様がとうとうリモコンの運転ボタンをONにした(効果抜群でよく寝たそうである。本人も含めて)。

そして、画像が次の日に省エネナビで確認した電力消費量の推移。一つのバーが30分を表している。
これを省エネナビで見てみたかった。15時頃にエアコンを稼働すると同時にピークが来て、徐々に下がっているのが見て取れる。夕方には停止しているが、照明等により昼間よりは多い。
エアコンは初動時に室温が設定温度に近づけようと猛然とスパートをかけるので大きく電力を消費し、あとは惰性でチョコチョコっと設定温度をキープするためだけなので、電力の消費量は少なくなる、ということよくがわかる(それでも多いけど)。

このエアコンは日立製作所製、インバーターエアコン、RAS-2509LX、2000年製造、2001年購入、6畳間で使用。

省エネナビに関する過去のポストの一覧はこちら

ちなみに日立のサイトでは、過去の製品の情報が取れない。メーカによっては、例えば東芝、ソニーなど好き嫌いは別にして、マニュアルまでダウンロードできるというのになぁ。

2009/08/04

夏休みの朝はラジオ体操で始まる 2009

今年(2009年)の夏休みの朝は昨年の夏休みの朝はラジオ体操で始まると以下同文。今読み返してみるとほんと一緒。既視感、デジャブ。
違いは
  • 児童、保護者が共に増えた
  • エサ(ご褒美)が公民館長手作りのサーターアンダギーだった
  • 3号(♀1才)が参加した (今のところまだ1度だけだが、早起きしてしまい、連れてけ、カードよこせと体を張って主張)
ことか。

画像はScott A. DomminさんのA Hurricane Hunter's Photo Albumから1983年の Super Typhoon Forrest=台風10号(Wikipedia/デジタル台風)の台風の中から見た「眼」(青空)と、珍しい雲のスタジアム。衛星写真ではこの形態は分からないそうだ。
台風8号"MORAKOT"(モーラコット、タイ語でエメラルド)の沖縄本島への接近(近日中)記念。

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