2015/04/27

続10) Arduino始めてみた - ちょっと停滞

ちょっとどころじゃないけど。
年末から、母親の成年後見人申立やら、父親の入退院やら、1号(♂15才)の高校受験やらで、自分のことは、一旦放置していた。
でもそれは実のところ建前というもので、ホントのところは、満足に動かすにはまず、トルクの太い(ギア比の高い)モーターに買い換えないといけなさそうだということに気づいているからだ。
子どもたちに違うやり方を見せてあげたくて選択したメカナムホイールは想定外に重く、スピード重視のギア比を持つモーターでは、電池の容量が減るとホイールが回転さえしないことから分かるように上手く制御できていない。
考慮が足りなかったといえばそれまでで、お金の問題ではなく、餅つきにはモチベーションが必要なのよ。
まぁ、なんとかしよう。

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画像は、陸に上がった船と、清明祭の時期に咲き誇るグラジオラス。
この花を見ると、20年以上も前、オバーの実家の大きなお墓に向かう途中、イネ科の雑草が生い茂る原っぱの中からピーンと突き出ていたこの花の凛とした姿を思い出す。

2015/04/19

エディックス ミシュラン・エナジーセイバープラスのその後 (好印象)

車のタイヤをミシュラン・エナジーセイバープラスに変えて、数百キロ経ったある日、運転してみると、車のフットワークが軽いことに気づく。
ひょいひょいっと車の方向を思い通りに変えられるような感じで、これはいいなぁ、と思った。
これが、一皮むける、というやつか。

一方の燃費も、変える前は 500km/満タン くらいで、変えた当初から前タイヤ比1割増しでこれでも変えてよかったと思っていたのが、昨日は2割増しまでアップで最高記録を更新。
計算上の燃費は 11.5km/L  ( = (RANGE 646km + 走行済み25km) / 燃料タンク容量58L) となった。
もっとも、最高記録は、高速道路の使用がメインの場合で、街乗りだとすぐに悪化するのはこの車の時代遅れなところ。
燃費は満タンにして、しばらく走って距離計のRANGEモードでの表示で計測した。
RANGEモードとは、残燃料と走行パターンから自動で走行可能距離を表示するもので、正確性には欠けるが、目安にはなる。

フットワークが軽くなって、燃費も良くなるこのタイヤには良い印象を持った。
もっとも、助手席や後部座席では特に前のタイヤから変わったような印象はない。運転手のみが知る良さ。
ともかく、合理的な値段で買えるなら、このタイヤはエディックス(たぶん他の車にも)にはお勧めです。



2015/04/17

Blog のタイトルを変更した

旧題は ”uyabin's workbench: 思いつきとやっつけ” であった。

workbench は作業台の意味で、何かを書く練習のために blog を書く、がこの  blog をスタートしたときの心境だったので、 この blog が私の文章の作業台だった。
それで上手い文が書けるようになったのかい?と聞かれれば、否、と即答できるが、書くための心理的障壁はなくなったのは事実。
「思いつき」と「やっつけ」で書いているのは変わりないので、これはそのまま残すことにした。

とりあえず今後共新しいタイトルとともに良しなにお願いします。

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画像は DURALEX のコップに炭酸水を注いだ時、元気な泡が見えたので、思わず iPhone6 で撮影。
グラスの底に宇宙を見る、なーんてね。

Twitter に投稿したものを再掲した。

2015/04/08

電気スタンドの電源コード修理、失敗経験付き

前の記事の「Made by Hand」を通勤がてら読んで、先週土曜日の夜、寝る前に最後の一章を読み終えたので、早速、家族がまだ寝静まっている日曜日の朝、前からやり残していた Arduino マシンの電源スイッチの交換のためのハンダ付け作業を30分ほど行った。
その勢いのまま、お昼を挟んで、スタンドライトの電源コードの接触不良の修理にとりかかった。
読み終えたばかりのこの本に触発されたのである。
単純である。
ちなみに、電気スタンドは以前に軽く紹介してある(こちら)。

(修理開始)
スタンドの底部を動かすと、突いたり消えたりするので、底部の電源コードのこの辺りが怪しいとは1年ほど前から気づいていた。
今回の修理手順は、電源コードを切断して、不良箇所を切り離し、切断したコードの被覆を剥いてはんだ付けをすることにした。
裸線をカバーする熱収縮チューブも忘れずに、だ。
所要時間推定30分でチョチョイのチョイで終わる算段である。
しかし、実際やってみると、はんだ付けがうまくいかない。底部から見える範囲なので、被覆を向く長さは短くしたいし、短いとはんだ付けがやりにくい。
手元に先がO型になっている圧着端子があったので、O型の部分をペンチで切断除去の加工をして、これでつないでみた。
これはOKだ。
手持ちの熱収縮チューブでは大きさがぴったし過ぎてはまらないので、圧着端子部分がむき出しである。
そこは、とりあえず、1枚のビニールテープを2つの芯のうち一方に2回ほど巻いて、残りを全体を覆うようにグルグルっと巻いて、本日の作業を強制終了とした。

(修理完了、しかし…)
底にコードをネジ止めして、2号(♀、10才)に手伝ってもらって点灯式。
これもOKだ。
点けたまま、しばらく、放置していると、バチバチバチッとものすごい音と黒い煙が出てきたので、「うゎうゎ、ショートした!」と、慌てて電源プラグを抜いてもらう。
1枚目の画像のとおり、床が黒焦げである。
底部を見てみると、電源コードの曲がりと押さえのテンションに、ビニールテープが耐え切れずに外れて、芯同士が接触し、ショートしたらしい。

(再修理)
実は以前から、頭の中では、コードの切断と接続は、やりにくいなぁ、確実なのはコードの全交換だよな、と思っていたのであるが、面倒さが先に来て中々とりかからなかった。
やるべきことは、わかっていたのである。
ここまで来たら、コード全交換をやるしか無い。
DIYセンターへ車を走らせて、太さと長さと電気的特性が合うコードと、プラグを購入する。1号(♂15才)にも手伝ってもらって、接続もばっちり、最後には中性洗剤で拭いてあげて長年の汚れをとって、終了。
最初の取っ掛かりから最終的には4時間かかった。もっとも、途中にお昼ごはんや、ベランダのデッキ下に3号(♀7才)が潜り込みたいというのでそれのお手伝いなどはあったけど。
ともかく、1日仕事であった。

(所感)
コード修理で失敗するくらいなので、技術力の精度が疑われるというもの。
この調子では、修理を職業として、お金をいただくことは出来ないな。
しかし、分解作業自体は、どうしてこのような設計にしたのか、おお、これは感心、などと設計者と製作者と対話しているようで面白い。
一方で、ショートした際の音と煙の演出による弾け方は、結構派手で、しかも、子どもたち全員の目の前でパフォーマンスを繰り広げたのは意味があった。
学校教育ではやりたくても出来ないし、電気的実験としての教育的効果は十分にあったと思う。
電気を甘く見ると危険だよ。
負け惜しみですけどね。

ここで一句。
「目の前の 手抜き作業は 将来の 仕事を増やす 火種かな」

2015/04/06

「Made by Hand」マーク・フラウエンフェルダー著 (金井哲夫訳)

家の中を片付けていたら、読んでないことに気づいて、ちょうど読みたい本も切れていたので、読んでみたら、もっと早くに読んどけばよかったと気づいた次第。
10年前から「とりあえず動かなくったり調子が悪くなっても買い換えずにメンテナンス、できれば自分自身でメンテナンス!」に目覚た自分にピッタリの本。

DIYをやるには、「失敗したらどうしよう?」「間違うのは恥ずかしい」「一から習うのは面倒臭い」などといった心理的障壁や、騒音、埃、モノや工具類の置き場所の確保など、家屋の制限からくる物理的障壁が立ちはだかるというと思うけれど、この本は心理的な面から背中を真っ直ぐに押してくれる。
心理的な障壁を解消できれば、物理的障壁はそれこそ「DIYで解決できる」ので、心の壁をいかに取り除けるかが優先されるのである。

著者は雑誌「Make:」の編集長であるが、DIYの好きが高じて「Make:」を作ったのではなく、取材する中でDIYの世界に引きずり込まれたようだ。
次の一文は本書のなかで引用された文の引用だけれど、
「何度も何度も失敗すること」で初めて、優れたDIY愛好家は心の工具箱を揃えることができるのだと。
「心の工具箱」っていうのはいいな。

考えてみれば、子どもへの教育的効果も狙って、雑誌「Make:」を思い出したら買う、思い出したら買うを繰り返して、数年間かけてやっとこさ出版済みの12巻を揃えたので、この本を買うのは必然だったのかもしれない。
いやいや、自分では全巻を揃えていたつもりが、1号(♂15才)がこの間「5巻が無いよ」と指摘してきて、「お、ちゃんと読んでるんだ」と嬉しく思い、自分の思い違いを素直に謝ってアマゾンさんにお世話になった次第。

本書も「Make:」の5巻も、忘れていたものがどこかからひょいっと飛び出してくるのは、感情と記憶に何かしらの跡を残していく。
そういう出会いって、案外面白いかもしれない(忘れてたことへの言い訳)。


2015/04/02

「データの見えざる手」矢野和夫著

きっとタイトルが英訳されたら "An invisible hand of data" になるのだろう。
副題は「ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」である。

2つのウェアラブルセンサ - 腕の動き検知するウェアラブルセンサとネームカード型で対面者と面会した事実を検知するウェアラブルセンサ - のデータを長時間のログ(記録)を取ることによって見えてきたものがある、それは…、というのが著者の主張。
長時間ログはすなわち大量のデータの発生、ビッグデータとなり、その中から意味のある仮定と検証結果を出してきたのが功績。
腕の活動の状態がU分布と呼ばれる指数分布の一種に則っているというのは面白い。
集中して作業して一段落ついたら、ふー、と溜息をつきながらぼーっとすることはよくあるし、長時間同じように集中するのが難しいのも実感としてある。
この本を読んでから、そういう実感を意識するようになった。1日に出来る仕事の量には限界がある。

著者のここ数年の研究活動、社会的活動を要約した本という趣で、1章ごとにそれぞれ独立した本が書けそうだと思った。

総じて面白かったのだが、あえて、「?」と思ったところを備忘録的に書いてみる。
  • 「腕の動き」がイメージしにくかった。
  • 「運」の定義に違いがあった。
・「腕の動き」がイメージしにくかった。
リストバンド型のウェアラブルセンサと書いてあるので、手首にセンサを取り付けるのだと考えたが、このセンサで「腕の動き」を計測するという。
私の「腕」のイメージは、肩から肘までの部分であり、これが手首につけたセンサで検知した動きと等価と考えていいのかな、と思ったところ。
この疑問は解消できなかったが、1次情報に当たれば分かるでしょう。

・「運」の定義に違いがあった。
縦30x横30の900個のマス目に72,000個の玉をランダムに置き、ある玉をある玉のところへランダムに移動させることを繰り返していくと、実はU分布になると書いている(p.33)。
このU分布が偏りを表しているという画像を見た時、 イメージしたのは、ビッグバン初期の物質の密度のわずかな「ゆらぎ」によって、物質が固まり合い、やがて星になってゆく様子に見えて、これはまさしく「運」だな、人生と同じじゃないかと思った。「運」は自分の力ではどうしようもない偶然という定義である。
しかし、本書では、「運」は「人生や社会で確率的に起こる好ましい出来事」と定義しているので(p.135)、必然的に人間ネットワークの広がりの大きさと距離の短さが影響してくる。
人間ネットワークは、性格、努力、行動の結果によるところがあるので、私の定義と相容れない。
で、まぁ、「運」をWikipediaで見てみると、人によって定義が違うのが分かり、これはこれで収穫であった。

2015/04/01

本日は3月32日です。

年度末進行が昨日までにどうしても終わらなかった方のための魔法の言葉です。
この一言で救われるといいですね。
企業によっては3月は40日までと決められている、と聞いたことがあります(実例はこちら)。

逆に3月の日数を増やす代わりに、減らされた場合を思考実験をしてみましょう。
例えば、3月と2月を入れ替えてみます。
つまり、2月は31日まで、3月は28日まで。
3月はあっという間に終わってしまい、とても、年度末進行が終わりそうにありません。

見方を変えれば、3月は2月と比較して、3日も余裕があります。
つまり1割増。
「先月はあっという間に終わったのに今月はまだ余裕がある。よし、がんばるぞ!」
この、増幅感を伴った高揚感は年度末進行真っ最中の中の人にはたまりません。
一種の麻薬です。
天は年度末進行を緩和させるために2月から3日を差っ引いたのです。

# 投稿日付はごまかせなかった。

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