2013/12/31

Q2-Lite + マイクスタンドの水平化

Q2-Liteが水平にならない(三脚用取り付けネジ穴使用の場合)と書いたが、LEDプロジェクターをマイクスタンドで という記事で導入したマイクスタンドには傾きを調整する機構がない(普通はないので当然)。ちょっと思案して、ハクバ製のBH-1という安価な自由雲台を入手して対策をした。

ということで、現在の構成は上から順に以下のようになっている。
  • LEDプロジェクタ : VIVITEK製、QUMI Q2-Lite
  • 自由雲台 : ハクバ製、BH-1
  • 変換ネジ : TOMOCA製、AKG-CAMERA、3/8スタンド-1/4カメラホルダー
  • マイクスタンド : K&M製、26045
BH-1はこの程度の重量物であれば特に支障はなさそうである。
ようやく安心してプロジェクタを使うことが出来そうだ。

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今年の更新はこれで終了。1ヶ月6本年間72本の投稿を目標に設定していて、今年は79本となった。TwitterやFacebookに時間を取られがちだったことに加え、思いつきとやっつけで書いている割には数としてはよく出来たもんだ。中身は薄いけど。
では、皆さん、良いお年を。

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画像はiPhone5で撮影。

2013/12/30

Union Station (Train Station at Christmas), Norman Rockwell

浦添市牧港のブルーシール牧港店に家族でアイスクリームを食べに行った。
トイレ(男子用)に寄ると、壁にノーマンロックウェルのポスターが飾ってあって、そのタイトルに目を引かれた。
こんな感じ。
Union Train Station, Chicago, Christmas, 1944, Norman Rockwell.
For the December 23rd issue of The Saturday Evening Post.
1944年のシカゴはユニオン駅のクリスマスの喧騒を描いたもの。
1944年は第2次世界対戦真っ最中。
その当時の様子を描いたものかどうかは分からないが、POST誌の表紙を飾ったことは事実である。
物資不足と飢餓に苦しむ日本との彼我の差の大きいかったことよ。

ところで、ノーマンロックウェルに関しては絵は特徴的でよく見るものだったので特に興味もなかったが、ノーマンロックウェル美術館サイトを見て驚いた。
彼は、モデルを一人ひとり写真に撮り、 それを描いていたのだった。
例えば、絵の右下の男性が2枚目の画像。
構図と登場人物が頭にあって、モデルを雇って、イメージ通りに写真を撮って、絵を描く。
物凄い。

2013/12/25

富士通テン ECLIPSE TD510ZMK2 デビュー (I-am-there)

スピーカを入れ替えた。

今までのスピーカの不満といえば、小口径ウーファー2発で、十分早い低域のはずだけど、たしかに他のスピーカに比べれば早いけど、私の感覚ではまだ遅いことであった。
それに加え、我が家で鳴らしていると、やや響きが強すぎて、大きな音を出せないし、長時間聴くのもイマイチ乗らない、というのも同じくらいの大きさで不満があった。
そんなこともあって、改善しようといろいろ画策してチャレンジしてきたが、もう私の腕がないのか、家の音響との相性なのか、その両方かとあきらめ気味でややオーディオから離れつつあった。

しかし、そんなある日、職場で(!)、TDシリーズの下位クラスを聴く機会があり、仕事そっちのけで、音に注目、音離れの良さ、フルレンジのまとまりの良さ、アナウンサーの声の立体感を再認識してしまった。
つまりは、これまで私が制作または購入で所有してきたスピーカは7つほどで、いずれもフルレンジか多くても2ウェイであり、振動板も静電型(マーティンローガン)を使ったこともあるくらいなので、結局、反応の早いまとまりのある音が好きなのである(もっとも、マーティンローガンの低音は遅れてたけどまとめ方が上手かった)。
この経験が記憶の片隅に植え付けられた。

ネットをうろちょろと徘徊していると、中古市場でまさかの我が家にぴったりな白いTD510ZMK2を発見してしまった。当然、いろいろ逡巡し、販売店に状態を質問などしたりして、時間をかけても熱は冷めなかったので、資金を調達できる目処を立ててしまったことだし、これも何かのご縁と思い(こんで)、思い切って買ってみた。

重大決心の割にはあっさりとネットでポチッとオーダーした数日後、彼らは、純正のでっかい段ボール箱4箱に分割されて送られてきた。
スピーカ本体は、予想外に重く、バッフルはコツコツとして響かない。
スタンドは、送られてきた箱も重量もスピーカ本体より大きく重く、まさにこのスピーカのためにあることがよく分かり、スタンド込みで購入して正解だと思った。あとからこのレベルに何とかするのはたいそう難儀なことであるのは容易に想像できる。
意匠デザインも近代的であり、総じて工業製品として理想(至高の音)と現実(コスト)の妥協点としてはよくできているなぁ、というのが第1印象であった。
私の素敵な奥様も
「モダンなデザインだから、スピーカの間にある古いミシンが合わないわ、どうしましょ」
(音声を変えてお届けしております)
とのたまわっていた。

で、肝心の音の方はというと、まだセッティング途上であり、深く聴きこんでいるわけではないから後日訂正するかもしれないと前置きして述べてみる。
まず、解像度が高いことにびっくり。フルレンジなので、全然期待していなかったから、ここまでとは思わなかった。 スピーカユニットがバッフルから浮いていること、卵状のエンクロージャーで通常のボックス型スピーカにおけるバッフル部分やエッジ部分での音の反射がないことなどが理由かな、と想像する。
次に、うるさくない。情報量が少ないわけではなく、逆に十分あるのに音が鳴っている時でも会話ができる。壁がコンクリート製で響きやすい我が家ではこれは大いなるメリットである。夕食の最中のBGMとして使える(今まではできなかった)。
そして、低音は早く軽い。ドラムやベースの低音群が遅れずにいっせいに迫ってくるので、一体感がとてもいい。量感はソース次第かな、といいつつ楽しく音楽を聞いている限りは私には十分である。
 いずれも、ユニットの反応を早く、余計なものを響かせない、 というタイムドメインの思想に裏付けされているのだなぁと感心する。

ただし、デメリットもあって、フルレンジの宿命か、隣の人と会話ができないくらいの大音量では音が破綻する感じがある。とは言いつつ、セッテイングの責任であることも否定出来ないので、これは保留にする。もっとも、試しに大きな音を出してみただけであって、私の好みの音量を超えているので、我が家に限って言えばこの点は実は問題にならない。

ところで、前面のネットは、家が狭いのと子どもがいるので普段はつけることにしているが、音のヌケにはかなり影響があるので、シビアに聞きたい場合は外すべきである。

さて、音、というか スピーカの音を表す言葉で、
  • They-are-here (彼らがここにいる)
  • I-am-there (私がそこにいる)
という分類ができるらしい。前者は「演奏家が部屋にいる」という、まるで目の前に現れた感じを表しているが、このスピーカは紛れも無く後者で、スタジオかライブ会場に「私がいる」感じがするのである。

音なんて、好みや環境に左右されるのでどなたにでもおすすめすることは出来ないが、いまのところ、私の耳とこの家にはこれ以上のものはいらないな、というのが偽らざる本心であり、個人的には大満足である。

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デジカメの設定をいじられたのに気づかず撮影したので、画質が悪い…。いつか画像を入れ替える。

(追記)
お披露目の模様はこちら

2013/12/24

Q2-Liteが水平にならない(三脚用取り付けネジ穴使用の場合)

「プロジェクタ(Q2-Lite)導入」で導入したQUMI製Q2-Liteだが、どうも三脚用取り付けネジ穴を使うと水平にならない。
右下がりのおさるのジョージって感じだ。
LEDプロジェクターをマイクスタンドで」で導入したマイクスタンドだと、高さ方向しか調整が効かないので、スタンドの足の部分に何かをかませて、傾きを是正することにより、水平を維持していた。
いちいち使う度に調整するのはやってられないので、またカメラ用三脚に戻した。
うーむ。

(2013/12/31追記)
自由雲台で対策しました。

2013/12/22

TED 2作 (少年たちのアイディアと実行力)

投稿に間が空いたので、TED Talksでも。
共通するのは、アフリカ、少年、廃品利用、好奇心、実行力、家族、役に立つモノ、教育、人生の転換。

飢饉をきっかけに家族と地域に電気と灌漑施設を作った少年。
「ウィリアム・カムクァンバ: 私がやって見せた風力発電」(5:59)


LED点滅発光でライオンを家畜に寄せ付けない工夫をした少年。
「リチャード・トゥレレ: ライオンとの平和を生んだ僕の発明」(7:20)

2013/12/10

クリスマスにはポインセチア(ただし、3m級)

12月に入り、師走というか、年の瀬というか、クリスマスである。
クリスマスと言えば、赤い葉が花びらのように見えるポインセチアが定番の観葉植物。
沖縄では、ポインセチアを地植えにすると、にょきにょきと天高く伸びて行き、画像にあるように近所にあるのは3mほどになっている。
もう1軒、近所にあるのも3m級である。
 一応有毒なので食べてはいけない。

見上げるポインセチアも悪くないものである。

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iPhone5で撮影。

2013/12/03

「代替医療解剖」サイモン・シン、エツァート・エルンスト著 (青木薫訳)

文庫本を購入。

「代替医療」とは、筆者の言葉を借りれば、次のようになる。
興味深いのは、安全で有効であることが証明できる代替医療はなんであれ、実は代替医療ではなく、通常医療になるということだ。つまり、代替医療とは、検証を受けていないか、効果が証明されていないか、効果のないことが証明されているか、安全でないか、プラセボ効果だけに頼っているか、微々たる効果しかない治療法だということになりそうなのである。 (p. 479)
別の言葉で言うと、EBM (Evidence-based Medicine: 科学的根拠に基づく医療) のカウンターパートとして存在する「医療」のことである。
自分の身の回りや世間を見回してみると、民間療法から本書にも出てくるような商売として成り立っている、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティク、ハーブ療法を始め「痩せるXX」「これを飲んでがんが消えた」「XXに効くお茶」 などなど驚くほどたくさんあることに気づかせられる。
「いたいのいたいのとんでけー」だって実は代替医療である。

本書は共著になっている。
一方の著者サイモン・シンは、これまで、数学、宇宙、暗号といった、人間の英知の結晶とも言える「科学」に対する厚い信頼をベースに人間の知性の素晴らしさを訴えてきたが、本書では、人間の科学的でない態度、科学に対峙し、あるいは科学に目を向けない一面に、本気で怒りをぶつけているように思えた。
特に、代替医療を推進するチャールズ皇太子に対しては、「捧ぐ」と献辞までつけている(皮肉であり訴えでもある)。 その代償なのか、これまでの著書にあったワクワク感はない。
他方、エツァート・エルンストは医師であり、代替医療研究の専門家でもあり、本書が代替医療の驚くほどの多様性を網羅し、科学的検証を拾い上げている点に貢献しているようだ。

原題は "Trick or Treatment?" で、ハロウィンの "Trick or Treat" をもじったものであるが、'trick' の意味が「イタズラ」「たくらみ」「ごまかし」「奇術」「幻覚」であり、'treatment' が「治療」であるから、なかなかのダブルミーニングになっている。
日本語版単行本の時のタイトルは「代替医療のトリック」であった。しかし、文庫本化にあたっては「代替医療解剖」に変更されているのだが、「トリック」では表現が直截過ぎたのだろうか。
ちなみに、その文庫本では「文庫版訳者あとがき」が追加されている。
つまりは、サイモン・シンが代替医療業界が訴えられたこと、 一連の訴訟騒ぎを受けてイギリスの法律が変更になったこと、プラセボ効果(プラシーボ効果)に科学のメスが入ったこと、などが付け加えられ、本文の一章をなす程の重要性があるのは特筆に値する。

本書を読み終わると同時に、代替医療業界の行く末を案じたのは言うまでもない。
もっとも、プラセボ効果もバカにできないので「いたいのいたいのとんでけー」が無くなることもないと思う。

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