2008/09/02

北海道の家には庇(ひさし)がなかった (綱渡りの2日目)

画像はWikimedia Commonsから。空は飛べないと思う。

1日目からの続き。

2日目(8/29金)。
仕事はゆっくりと10時集合なのだが、7時過ぎには目が覚める。8時に無料の朝食(おにぎり)を食す。無料といっても宿泊代金に含まれているものだものな、とか、ホテルの客を観察しつつ夏の札幌も結構東方系アジア人観光客が多いなとか、冷たいおにぎりなんて食べるんだろうかとか思いながら、冷たいおにぎりをほおばる。
仕事では用意した資料の日付が8/29(木)-8/30(金)と本来とは1日遅れた日付て印刷しており、自分でもどうやって昨日ちゃんと札幌に着いたかわからないなどと言い訳しながら説明などをする。
あらかじめ断っておいた15:45に出張先を辞退する。

17:30の飛行機に乗るためにはぎりぎりの目算。17:50の飛行機に乗る九州からの方も同行する。
二人で焦って歩いて16時頃に札幌駅に到着。「快速エアポート」のUシートは購入できず、自由席となる(ちょっと混んでいそうなイヤな予感)。
16:10の快速エアポートを5番ホームで同行者と待つも、到着が遅れている。その間にもホームは結構な待ち行列ができはじめる。こちらは列の中間やや後方。
結局快速エアポートは3分遅れで到着。自由席車両に乗り込むもシートはすでに占有され、立つことを同行者とともに余儀なくされる。立ったまま待っていると7番ホームの室蘭行きの車両の後に出発とのアナウンス。結局さらに7分遅れて、計10分遅れの16:21発で札幌駅を出発する。このため、新千歳空港に予定の16:56着が17:06着となる。
睡眠不足のせいか、吊革につかまりながらうとうとする。途中、新千歳空港の3駅手前の恵庭駅で目の前の1名座席に座っていたご婦人が降りたので、同行者と譲り合いの結果席に座らせてもらう。それから2駅過ぎたところで、同行者に交代を申し出るが遠慮されてしまう。九州男児の意地か。ありがとうございますと言いつつも居心地の悪さも感じる。どこかで挽回しなければ?

さて、webチェックインでは出発時刻17:30の20分前つまり17:10にはセキュリティを通過することが求められている(15分前の間違いだった)。17:06着だと、空港内の移動も含めてぎりぎりだ(よって、実は余裕が少しあった)。同行の九州男児とはチェックインカウンターの前で挽回するまもなく礼を言ってあっという間に別れ、セキュリティを17:10に通過する。
職場と家族へのおみやげは仕方なくセキュリティ内の販売店で購入。ついでに、羽田に着く頃にはお腹もすくだろうけど、せっかくなので50分も間がある羽田での乗り換えの時間を楽しいものにすべく、販売店お勧めの(2箇所で聞いた)新千歳の空弁「かにめし弁当」(1,020円)を購入。機内に持ち込み羽田まで我慢することとした。
待合室のシートに空きもないので同じ立つならと思い、アナウンスに促される前に搭乗カウンター前に10分前に並びゲートオープンを待つ。
この時点でやや汗だく、疲労困憊気味。

「2歳児以下の小さいなお子様をお連れのお客様やお手伝いを必要とされるお客様を優先的に搭乗…」とのアナウンスを聞くたびに、かつての先輩かつ上司であったYさんを思い出す。「Yさん、お手伝いが必要ですよね、行きましょう!」「そうか、そうするか…」
機種はボーイング777-200。ファーストクラス付き。席はクラスJの通路側。行きと違いクラスJのシートは今までのものと一緒だ。
隣席は中高年のおじさま。再び「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。メディチ家がルネッサンスに及ぼした影響が大きなものであることを初めて知る。いい本だ。
飛行機のドアが閉まると、17:30発のはずが、大雨の影響で東京上空が混雑し、そのせいで出発が30分遅れて18:00発になるとのアナウンス。機内で30分待機。18:05頃出発し、無事、飛び立つと、今度は仙台上空で15分の待機を指示されたとの機長アナウンス。結局仙台上空では20分待機となり計55分の遅れ。
到着の体制に入りシートベルト着用のサインも点灯してしばらく過ぎた頃、頭上の荷物入れ(オーバー・ヘッド・コンパートメント)が突然ガバッと空き、さて、シートベルトを外して直そうかとすると、「大変申し訳ございません」と言いつつアテンダントが閉めに来た。映画ならそれが何かの前兆だが現実は何も起こらない(それとも鈍感なだけ?)。
19:00着予定が19:55着となり、到着後のゲート間の移動も考えると明らかに乗り継ぎの出発時刻19:55に間に合わない。

19:55に羽田に到着する。
到着の際のアテンダントのアナウンスが飛行機を降りたら地上係員に声をかけてくださいというので、最初に見かけた係員に声をかけたら、この人は香港行き乗り 継ぎの方を担当で、あちらでお願いします、と言うので、もう少し先に行くと6,7人があわただしく連絡をとったり資料をチェックしたり忙しそうだ。ホワイトボードを見ると10カ所くらいの乗り継ぎがありそうだ。という ので行き先は分かっているし空港内も把握しているので昨日の誤った経験則を生かし一人で行くことにした。
今度は12番ゲート着の乗り継ぎ先が8番ゲートで、またしても遠い遠い。
途中、必死な形相の地上係員とすれ違うが、先方も「なんかこの人かも」とか思っているような気がしつつそのまますれ違う。
8番ゲートに近づくと4名ほどの地上係員があわただしく連絡を取り合っており、こちらに気づいた一人が「お客様、沖縄行きですか?」「はい、すいません」「こちらこそすいません」とお互い謝りながら搭乗口を通過すると一人の係員(女性)が猛ダッシュで飛行機へ駆けていく。つられてこちらもやや早歩き。またも「すいません」と言いつつ飛行機に乗り込むも、先ほどの係員は飛行機のドア付近でこちらに一瞥もせずにアテンダントと整備関係の人と何やら調整中。

ちょっと落ち着いて考えてみると、地上係員は乗り継ぎ客が本当に存在して乗り継ぎ先のゲートへ本当に向かったかどうかを確認する必要があり、分秒単位の差し迫ったスケジュールを到着ゲートと出発ゲートのそれぞれでお互い連絡を取り合いながら調整しないといけないはずで、知っているからと言って単独行動せずに乗り継ぎの際は地上係員に申請しましょう、いやそれは先刻ご承知、知っているのだが、疲れているからといって無視してはいけない、というのが、私の教訓となる(覚えている間限定)。

飛行機に乗り込むと私が最後の搭乗客だったようで、すでに着席済みとおぼしき低いところからの目線がいくつか合うが、まず着席してシートベルトを締めないとイケナイノダと考えることにして気にしないことにする。
機種はボーイング747-400D。
結局19:55発のこの最終便は20:05発と遅れ、滑走路でも5機待ちとのアナウンス。
旅程最後のクラスJの隣席は快速エアポートの同じく20代太めの女性、すでにサンダルを脱ぎ、ブランケットも確保していていかにも旅慣れている様子。
オーバー・ヘッド・コンパートメントに押し込んだ「かにめし」を出すのも億劫なので「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。ルネッサンスが「なぜ」の問いかけとそれに対する回答の表現であることを初めて知る。いい本だ。
途中でサーブされるアップルジュースと茶菓子で空腹を紛らわす。
そうこうしているうちに隣の女性が空弁(と思われる)と缶ビール(!)を取り出し食事にいそしんでいる姿を横目の端っこで感じながら、ひたすら継読。
2日目の帰りの旅程は快速エアポートの遅れに始まり新千歳空港と仙台上空での待機に乗り継ぎの勝手な行動で綱渡りだったなぁ、と疲労感に包まれつつ感慨にふけりながら、本当に綱渡りだったらほとんどの人が落ちているはずから不適切な用例だよなぁ、でも言いたいことはよく分かるなぁ、と安心しているとまだ何かあるかもなぁ、とか考えているうちに22:30頃に那覇空港に到着。

仕事終了後そのまま沖縄に向かったと思われる手をつないだ男女二組をそれぞれ追い越しつつ手荷物なしで到着口を通過。よいバカンスを。
那覇空港発22:36のゆいレールに乗車。「ルネッサンスとは何だったのか」を継読しようと思ったがすでに機内で読了していた。カバー裏を見て7月7日生まれだから七生であることを知る。とにかくいい本だ。どうも疲れている。

首里駅に23:03に到着、歩いてやっと23:15分頃自宅に到着。
出迎えた猫に挨拶をしつつ、家族が寝静まっているのを察知しつつ、窓を開けて風を通しつつ、荷物の片付けを適当に行い、一区切りつける。
沖縄~東京間は日帰りも珍しくない昨今、沖縄~札幌間も仕事の時間さえ合えば日帰りも可能(いやだよな)と報告しようと考えながら(ポイントはそこ?)、ゆっくり「かにめし」を広げ、冷蔵庫に取っておいた缶ビールをお茶代わりにする。

綱渡りは無事に綱を渡り終えたようだ。

庇(ひさし)の話はまた次回(えっ?)。

0 件のコメント:

コメントを投稿

zenback