2013/05/22

映画「アイ・アム・サム」

我が家ではレンタルしたDVDの映画を週末などにプロジェクタで壁に投影してひとときを過ごすのが、ここ2年ほどの楽しみとなっている。
最近見た「アイ・アム・サム」(I Am Sam)という2001年制作のアメリカ映画がよかった。
2号(♀8才)が映画の後半に差し掛かると涙を流しながらずっと集中してみていたほどだ。


知的障碍であり自閉傾向な父親と、父親とは対照的に知的な部分では父親を追い越し、相手を思いやる心を持った娘が、福祉局から引き離されそうになりながら、親子の強い愛情でそれに抗していくさまを描き物語は展開していく。ビートルズのカバー曲が彩りを添えるし、ルーシーという主役の子どもの名前の由来にもなっている。
この映画に対する鋭いコメントがいくつかネットに転がっているのでそちらも参照していただくとして、2013年の日本と2001年のアメリカとの彼我の違いを以下のように見た。
  • 女性の社会進出は当たり前 (一流弁護士リタや同僚の女性の弁護士、福祉局の女性、判事、裁判での証人として呼ばれた精神科医と医師)
  • 知的障碍者の社会的寛容もしくは確立した権利 (スタバやピザハットでの採用、お客の反応、コミュニティの存在、経済的自立)
  • 福祉局の強制力 (親子の関係への介入、子供の将来を最優先というスタイル)
  • 裁判で決着 (福祉局が介入しても裁判可能、どちらも子どもを引き取りたくないという夫婦の存在)
  • 里親も当たり前 (8才の子の里親になる)
最後の里親については、アメリカではよくあるみたいだ。
米軍基地内でも東南アジア系の子の里親になっている例を見たことがある。

面白かったし、涙もでたし、いい映画だと思う。 子を持つ親としては、子どもにはいつか自分を追い抜いてほしいと思っている。 この映画のように子どもの自立の前に追い抜かれると、親としての責務を果たせないのではないか、と福祉局のように普通は考えるのではないか。 しかし、強い愛情と周囲のサポートがあれば、子どもは勝手に育っていくのだろう、といろいろ考えさせられる映画だった。

さて、2号が映画に感情移入できるようになったんだなと思うと感慨深い。
主役の女の子とほぼ同い年の彼女は何を思って、何を感じて泣いていたのだろう?

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