2009/11/14

「悲しみ」は教え

感情を大きく分けると
喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖
または
喜、怒、哀、楽、愛 (いとしみ)、憎 (にくしみ)
になるという。例によってWikipediaから(Wikipediaを批判する人もいるが、では代替は?)。

人類が、いや、生物が生きていくために、生存競争で生き残るために、安全・危険を察知するために、肉体的な(あるいは精神的な)テリトリーを守るために感情が必要とされていると考えると理解しやすい。
「喜び」「楽しみ」「愛しみ」は生きるモチベーション、「嫌悪」「恐怖」「怒り」「憎しみ」はテリトリーから敵を排除するため、「諦め」は一事に執着することなく次へステップを進めるためと解釈してみた。
では、「悲しみ」「哀」は? 生きるためにはどちらかというと不要であり、敵も排除できない。
しばらく考えて、はたと気づいた。
これは「教え」である。「警告」かもしれない
人はいつかは死ぬ。だから、自分の命を長らえるよう深く心に刻んでおく必要がある。
(もっとも、乳幼児は悲しいかどうかは分からないが、泣くことで注目を集めることが生きる手段かもしれないが)

先日、オバーの教訓で書いたオバーのお通夜の帰りにそんなことを考えていた。

享年101。オバーは明治の人だ。母親によると出生時に1年遅れたので実際はもう1才上だろうとのことだった。老人ホームで過ごしていたが、職員の夜中の巡回時には既に息が無かったという。本人には睡眠と死は区別できないはずだから、本当に安らかに逝ったのだろう。
「四十九日も年内に終えられるよ、オバーはそこまで考えていたのかねー」「寂しいけど仕方ないさー」ともう老人の域に入っているオバーの子どもたちが語っていた。
6年前に家で転んで足を悪くしてしまい、それからしばらくして老人ホームへ行き、寝たきりであった。豚が飼えないのが寂しいと言っていたのは老人ホームに入る前のことだ。
告別式で幼い頃オバーの家でよく遊んだいとこ連中に20年ぶりに会えたのもオバーのおかげである。

老人ホームに入った後は自分の娘も認識できないくらいで、既に昔のオバーではなかった。
「教え」を発して、オバーはあのときのままこれから記憶の中に生き続けるのである。

画像はWikipedia Commonsから、オオゴマダラ。英語では"Paper Kite"、"Rice Paper Kite"と呼ぶらしい。優雅な飛び方が美しい。幼虫時代に毒性のある植物を主食とし毒を貯め込んでいるせいで外敵に襲われにくい。バラには刺、蝶には毒。

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