そのウークイ日、うちの両親と私の素敵な奥様、子ども達総出でオジーの仏壇に手を合わせてきた。と、その前に老人ホームにいるオバーに会いにみんなで寄ってきた。オバーの娘である母親によると戸籍上はオジーと同じ明治44年生まれなのだが、戦争直後の混乱期、戸籍の再登録時(?)に明治44年生まれと登録されたようで、実際は明治42年(1909年)生まれのなんと御年100才だそうだ。
いつも面会に行くと眠っているのが常なのだが。今回はたまたま起きている姿に会えた。こちらの声が小さいのか、目が見えないのか(少し濁っている)、ゆっくりした問いかけにも反応があったりなかったりで、きっと妖精の世界を生きているに違いないと思った。しかし、その声は自分が物心ついた頃から確かに聞き覚えのあるオバーの声であった。
同じ入居者の中でも表情がしっかりしている方がいて(足が悪そうであった)、その方がオバーの反応が悪いのを見かねたのか、オバーは唄をよく歌うよ、このホームに名人がいてその人が三線を弾くといつも歌っているよ、と教えてくれた。母親も、昔から唄が好きだったんですよ、と返す。
そういえば、思い出した。私が東京で学生卒業後も居残って就職し、独り身の暇つぶしに三線を始めて数ヶ月、数曲歌えるようになった頃、帰省の折にまだ元気だったオバーに三線持参で聞かせたことがある。1曲終わった後、
声はいいからもっと練習したら上手になるよというニュアンスの言葉を頂いた。
自分の三線の才能を客観的に評価してもらった初めての言葉である(ちょっと歌えるようになったので鼻高々であったのは確か。周囲のみんなは誰も言ってくれなかったが、要するに…下手ということなのね)。
オバーの教訓として理解している。
- どんな人にでも褒めるところはある(はずだ)
- でも真実は伝えなければならない(遠回しにでも)
ホームを辞去し、オジーの家に向かう。オジーの仏壇に向かって手を合わせる。
オジー! オバーは元気にしているからまだまだ独身貴族を満喫できるよ、と報告しとけばよかったと今思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿