2011/08/01

1年遅れの夏休み読書感想文

夏休みの宿題の定番といえば読書感想文。

書こうと思って、書いていない本がいくつもあり、その後もたまり続けているので、1年前以前分を一気に放出。
新たに読み返すこと無く記憶だけで書いているが、記憶に残っているということはそれだけインパクトがあったということ。
他にも色々読んでいるが心に引っかからない本はここにあげない。

「沖縄 シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間」ジェームス・H. ハラス著(猿渡青児訳)

あわせて読みたい「ペリリュー・沖縄戦記」ユージン・b・スレッジ著

シュガーローフの戦いに焦点を合わせ、作戦に参加した米軍人達へのインタビューからこのこの戦いを再構成してみた本。
著者の取材力にモノを言わせているが、膨大なインタビューを力づくでまとめた感あり。アメリカのジャーナリストが書く本にはこういうものが多い気がするのは気のせいか。
ユージンスレッジの著書の方が戦争の何たるかを浮かび上がらせていて、はるかに価値が高いように思うが、補完する意義は高い。そのユージンスレッジもインタビューされている。
いずれの著書もカテゴリー的には最大の死者を出した沖縄住民の姿は希薄である。艦砲射撃にやられたのが多かったのかな。
今、シュガーローフは巨大な水タンクが設置され(という形で保存された)、ハーフムーンヒルは道路構築で切削された。

「勝負師の妻、―囲碁棋士・藤沢秀行との五十年」藤沢モト著

無頼の囲碁棋士、やりたいことやった藤沢。その破天荒さに耐えたというか真っ向から立ち向かったの妻の回想記。
男尊女卑の名残り、昭和始めの時代の人、文化を思わせる。
人生、時間は限られている。何かを突出させたければ(藤沢の場合は囲碁)、 何かが犠牲になる(家族と自分の健康)。
藤沢の無頼ぶりは、その奥に潜む弱さを隠すためのカモフラージュだったのかもしれない。

「人間集団における人望の研究―二人以上の部下を持つ人のために」山本七平著

集団や組織の長は最終的に人望で選択される(ようになる)、という主張。
学歴や役職などと人格の間に相関はないはずなのだが、偉くなった、と勘違いする人が多い。
集団や組織で長として立つ人、「人望」がある人は相反することを両立できる人と説く。
言い換えれば状況判断に優れ、その対処法を持ち合わせ、他人に知らしめることが出来る人、ということか。
サブタイトルはビジネス書みたいでイマイチ、社会全般に対象範囲を広げている。

「那覇軍港に沈んだふるさと」上原成信著

反基地運動の人、と書くとちょっと嘘。巨大組織(某NTTと国とか)の理不尽な行動、対応に対して怒りを行動に変える事が出来る人の半生記である。
余り文筆は得意ではない、と思われたが、やはりこの方は信念と行動の人と感じた。
実は私の東京時代の知り合いであり、家も近かった。
面白かったのは、別の方の寄稿で、戦前の具志川のある地域の集まりでは全員完全一致が原則で、採決のたびに反対意見がでると双方とことん語り合い、また採決、話し合い、の繰り返しを結論が出るまで、果ては朝まで続ける仕組みがあったと紹介されていた。多数決で能率的に意思決定するのではなく、時間をかけてまでもマイノリティの意見を尊重し、同調圧力ではなく、意見を調整する精神があったことがオモシロイと思った。


「日本の弓術」オイゲン・ヘリゲル著

戦前、ドイツ人哲学者が日本へ引越し、ひょんなことから弓術を学び、「道」とスポーツの違いを肌身で感じたことを記述した本。「道」というのは人生というか生き方に近く、スポーツとは一線を画する。
ただ最近のいろんな「道」は、当初の一子相伝のセキュリティー上の問題が、いつの間にか、経済的な「家元」免許のファミリービジネスに堕落してしまっているかのようである。
ここ沖縄は近代空手発祥の地で、最近のスポーツ空手なんか、空手本来の意義からするとちょっとオカシイのではないかと思う今日この頃。
最終的には狙わずとも体が勝手に動き矢は的に当たるようになる境地にまで達する。
著者は死地にいたり、著作を全部燃やしてしまったそうだが、この世での悪あがきには意味が無いと悟ったのか?

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