2010/08/18

「日本はなぜ負けるのか―敗因21カ条」山本七平著

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「虜人日記」に記された先の太平洋戦争の敗因21カ条に触発された本。

タイトルを考えて欲しい。「日本軍は」でもなく、「日本人は」でもない。過去形の「敗れたのか」ではなく現在形の「敗れるのか」である。
日本はいかにある「力」に束縛されているのか、と説く。

引用したいところは山ほどあるが、組織のあり方に最近の興味があるので、その観点から少し長いが引用する。
すべての組織で、その細部とその中での日常生活を規制しているものは、結局、その組織を生み出したその社会の常識である。常識で判断を下していれば、たいていのことは大過ない。常識とは共通の感覚(コモン・センス)であり、感覚であるから、非合理的な面を当然に含む。しかしそれはその社会が持つ非合理性を組織が共有しているがゆえに、合理的でありうる。
しかし、輸入された組織は、そうはいかない。その社会の伝統がつちかった共通の感覚は、そこでは逆に通用しなくなる。従って日本軍は、当時の普通の日本人が持っていた常識を一掃することが、入営以後の、最初の重要なカりキュラムになっていた。
だがこの組織は、強打されて崩れ、各人が常識で動き出した瞬間に崩壊してしまうのである。米英軍は、組織が崩れても、その組織の基盤となっている伝統的な常識でこの崩壊をくいとめうる。この点で最も強靭なのはイギリス軍だといわれるが、考えて見れば当然であろう。だが、日本軍は、全くの逆現象を呈して、一挙にこれが崩壊し、各人は逆に開放感を抱き、合理的だったはずの組織のすべてが、すべて不合理に見えてしまう。ーーーそして確かに、常識を基盤にすれば、実際に不合理だったのである。(p.284 第十一章 不合理性と合理性)
一見合理的に見え、隙のない組織を構築しても、現実には人間のすることであるから不合理がある。不合理を受け入れる余地のない組織は社会から浮いてしまい、逆に不合理な存在となる。日本軍を例にしているが、今の日本の会社をはじめとする組織、社会が著者の言うとおりではないか。
ここで私は沖縄における組織のあり方を考え込んでしまうのである。沖縄の常識とは何か。沖縄の共通感覚とは何か。15年の東京暮らしで感じ続けた違和感。昔は日本にもあったものなのかもしれない。明治維新の急激な変化に逆らえず捨ててしまったものなのかもしれない。昔に思いを馳せても、違和感はぬぐい去ることはできない。そうであればその違和感を考え続けてみたい。

本書では、ジャーナリストとしての田原総一朗や本多勝一への批判も手厳しい。手厳しいが、特に後者に対してはそれを受け入れてしまう日本のマスコミへも同時に追求の手を緩めない。

1975年初出であるが、この本の指摘は現代でもなお通じる。そして、その「通じる」ということは著者の「日本」あるいは「日本文化」が、戦争から65年、出版から35年を経過しているにもかかわらず、なんら変化を見せていないということである。痛烈な皮肉である。

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