2011/01/08

睡眠の必要性または覚醒の必要性(ゲーム理論から)

睡眠がなぜ必要なのか、と考えたことはおありだろうか?
睡眠がなぜ必要なのか、という問いかけ自体が間違っているのではないか、というお話。

ここでいう睡眠とはWikipediaによると
幅広い脊椎動物にみられる、自発的に生じる静的状態である。

睡眠中は刺激に対する反応がほとんどなくなり、移動や外界の注視などの様々な活動も低下する。
とのことである。Wikipediaをもう少し見ると
短期的には睡眠は栄養の摂取よりも重要である。ラットを用いた実験では、完全に睡眠を遮断した場合、約10 - 20日で死亡するが、これは食物を与えなかった場合よりも短い。
である。睡眠を取らないと死ぬほどである。Wikipediaにもいろいろ理由が書いてあるが、
心身の休息、記憶の再構成、成長ホルモンの分泌、免疫力の向上やストレスの除去、脳細胞の傷害を修復
というだけでは、「完全に解明されていない部分も多い」もうなづける。なぜここで私はうなづくのか?

自然界が弱肉強食の適者生存であるならば、生きとし生きるものに等しく与えられた1日24時間を最大限有効に活用するには24時間起きて戦うことになる。「様々な活動も低下する」睡眠なんかしている場合ではない。その間に餌や交尾相手は逃げてしまい、自分が餌になるかもしれない。
しかし、先のポストに書いたゲーム理論風に言えば、脊椎動物は24時間戦う戦略よりもリスクを冒してでも睡眠を取る戦略を選択し、今のところ勝利し続けているのである。戦略として、24時間戦うことが有利である、はずなのに。しかし、現実はそうではない。なぜか?

視点を変えて、先のゲーム理論の本から引用するとこう言える。
「物理学も生命体も、つまるところ安定や均衡を求めている」(p.373)
安定や均衡とはエネルギーが最小となる地点のことで、生体のエネルギー消費量が最小となるのは、ずばり「睡眠」のときである(と仮定した)。エネルギー最小を維持したいのに、わざわざ覚醒してエネルギー消費量を増大させるのにはそれだけの理由があるはずである。
それは、
脊椎動物にとって睡眠がエネルギー最小の安定状態であるならば、覚醒しているのは(覚醒するだけの理由があってそれは)生命体の維持に必要な活動(エネルギー補給や不要分の排出、遺伝子の存続)をするためである
と言える。脊椎動物のデフォルトは睡眠状態であり、わざわざ起きるのは生きるために必要な何か(食事、排泄、交尾など)をするためである。言い方を変えれば
脊椎動物にとって睡眠が定常状態であり、生体を維持し遺伝子を残すために「覚醒する必要性」がある
とも言える。睡眠時でも代謝は行われるからその分をどこかで補給してあげなければならず、そのうえ遺伝子も残さなければならないから起きるのである。
24時間戦うのが最適な戦略ではなく、覚醒中にどれだけのことができるかが戦略なのである。
先に引用したWikipeiaの例が代表するように「(起きていることが定常で)睡眠が必要な理由は?」という問いかけは、そもそも前提が間違っているのである。
Wikipediaの理由(心身の休息とか)も、睡眠時に何もしないのはやっぱり無駄だから、覚醒しない程度に何かできるものをやっている、と考えることもできる。

であれば、机上理論学会の「睡眠暁を覚えず」に展開されている
一般には目が覚めている状態から疲れが溜まって来たりすると眠くなり、休息するために睡眠を取ると考えられている。しかし逆に考える事も出来るのではない だろうか。眠っている状態が通常で、なんらかの阻害要素によって覚醒し、その阻害要因を排除できたら再び眠りに戻ってくる。
眠っていても生物としての活動は休むことなく行われるため、眠り続ける事には限界がある。覚醒中の活動はすべて眠りのためのであると言うことだ。寝ていても腹は減るし喉も渇くし、トイレにも行きたくなってしまうかも知れない。食餌や排泄等の個体としての生体維持の他にも生殖活動ですら種としての睡眠を続けるための非睡眠時間中の活動と言えるわけだ。
という理論も、あながち間違っているとはいえないのではないだろうか。

というか、机上理論学会の記事とゲーム理論とを結びつけ、ウチの寝てばかり居る猫の活動の観察結果を加味してみました、というのが本ポストの趣旨です(ここだけ、ですます調)。

この理論展開は、
生きるために何か必要なことをやっていなければそれは無駄であり、それなら寝たほうがいい
という教訓にも変化できるのである。

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