2008/03/31

前を見る。例えば100年後

自営業を営む親友と会うたびに交わされる会話:

  私 「最近商売どう?」
  親友「大変でさ。明日にでも首をくくろうかと思っているよ」
  私 「なんだ、今日じゃないのか。まだ大丈夫だな」
  親友「…。そのときはよろしく」

最初の頃は心配したものだが何年も同じ会話を繰り返しているので、逆に商売がうまくいっていると聞くと心配になるだろう。

以下、親友には関係ない話。

明日をも知れぬ日々を送っている人は、1週間先のことまでは想像できない。たぶんこれは正しい。日々生きるか死ぬか。野生の状態。日雇い労働者、ホームレスなどの生活困窮者、余命宣告を受けた者などの肉体的困窮者、ほんとに首をくろうかと思いつめている精神的困窮者。

一日を生きるためにまるで自転車のようにペダルを回し続け無ければならず、ペダルをどんどん踏んでいかないと倒れてしまう。ペダルを回す速度が速いほど自転車の速度も速くなるので、ずっと先を見越して運転をしないといけないのに、まるでペダルを踏む足元ばかりを見て前を見なくなる。

前が見えないと正しい方向に進んでいるか確かめようがない。

何が正しいのか周囲を見回してフィードバックすることも思いつかない、思いついてもやり方が分からない、分からないやり方を聞いたり調べたりする方法を知らない、結果出来ない。

原発や米軍基地を受け入れる自治体や地元住民はきっと苦渋の選択であろう。

でも、それらはやはり目先の利益を優先し、100年先の未来は見えていないように見えてしまう。

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