2008/05/01

「一日一日は長い、でも年月は短い」

画像はwikimedia commonsから。

オリジナルは "The days are long, but the years are short."

Lifehacking.jpこちらの記事で紹介された1分間のショートムービー:The Years Are Shortより。
ググるとblog記事いくつか出てくる(やっぱり英語ですが)。

まったく同感というか、ここ数年無意識に実践していることを言葉で表現してくれたと思う。
子供が生まれ(私のすてきな奥様との衝突を経て)、自分のパーソナルな事項(オーディオのような趣味とかね)は現状に満足いかなくても、今は我慢、できるだけ後回し、子供達が独立してから、と考えるようになっている。
しかし一方で、(その趣味で家族を置いてけぼりにして)それでも貴重な経験になるであろう機会は逃したくないという思いもあり、このblogで言えば森博嗣氏の本を紹介したりするのはその現れではないかと(小さく激しく自己矛盾追求)。氏の場合は趣味で遊ぶためにお金を稼ぐ方法として別の仕事を始めたという生き方が参考になるというか。

どんな普通の人でもある日ある時間を境に、殺人者になったり、人生台無しとなる事件を起こしたり、事故にあったり、病気になったり、裏切られたり、捨てられたり、がらがらと何かが崩れていくような、ヒューッと何かを抜かれて空っぽになるような時が来るかも知れない。

日々感情を表に出して生きていられるのがものすごく幸運なことだったりする。
朝の空気を吸えるのは(生きている人は皆吸ってますがそれを意識できることは)幸運なことだったりする。
動物、植物に関心を払えるのは幸運なことだったりする。
一日に何度も食事できるのは幸運なことだったりする。
今日一日を終えて眠りにつけることは幸運なことだったりする。
普通の日々は幸運な日々であると言い換えることが出来るかも知れない。
(そんな歌もあった)
(ただし「普通」とか「常識」とかいう言葉には気をつけよう。人によって違うから)

今が普通であるならば、それはものすごい幸運なことなのに些細なことで他人と競争したり張り合ったりするのは極力やめようと思う。
代わりに自分の能力を生かそうと思う(見た目は変わらないかも知れない)。
幸運を感じているならばそれを他人に分けてあげようと思う。

そして、しばらくは休日や空いている時間をまだ小さい子供達のために空けておこうと思う。
(子供達のためと言いつつ結局は自分のためである)

このblogも日々の幸せの気づきを思い出すために記録をつけたのがきっかけだった(まだ記事はあまりない)。
最初の記事がそれ(おちゃらけ入ってますが)。

すてきなムービーを紹介してくれたLifehacking.jpには感謝。
(訳の最後に
「バスに乗って学校に行っていた頃を覚えている?」
私は時折聞いてみる。

"Do you remember when we used to ride the bus to school?" I asked her the other day.
とあるので
「よくバスに乗って学校に行っていたのを覚えている?」
と先日聞いてみた。
が適当かと思う、と恐れ多くも呟いてみる)

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