2008/06/26

マルチヒータの意外な活用

冬季に窓からくる冷気をシャットアウトするマルチヒータを本来の目的そのもののために購入したが、ここ最近は目的外に活用している。
転用場所は、クローゼットと靴箱の中。

購入していたマルチヒータはこれ: 写真左がクローゼット用(90cm)、右が靴箱用(45cm)

クローゼットの中の服が冬季に冷たくて湿気を帯びている気がして、何とかならないかなぁ、とぼんやり長いこと思っていた。
今の家に引っ越した次の年(2年前だ)にマルチヒータを購入、冬季の間、窓からの冷気をシャットアウトするために使用していた。確かに窓からの冷気は格段に少なくった。当然、季節が暖かくなればお役御免となり、納戸にしまわれることになる。

話は、昔、学生の頃アルバイトをしていた電気工事の一人親方の話に時間的空間的に跳躍する。
昔アメリカ人のパイロットさんの家の工事をしたことがあってな。
洋服ダンスに電球をつけてほしい、扉が閉まっている間は点いていて扉を開くと消えるような
だって。
何のためか、って聞いたら、日本は湿気が多いんでその湿気取り、だと。
面白いなって思ったね。
貧乏学生時代最後の2年間ほど窮地を救ってくれたこのアルバイトは、土曜日の朝8時に調布の親方の家へ自転車で行き、親方の車(日産グロリアのワゴンだ)で出発、18時まで電気工事の助手として働いて1日1万円のその日払い。練馬、世田谷、板橋方面の仕事が多かった。昼ご飯と晩ご飯は奢ってくれたし、親方の家でごちそうになることもあった。残業は18時以降1時間ごとに千円が加算されていくので時間当たりの単価は残業代の方が低いのはちょっとだけ腑に落ちなかったが、それ以外の恩恵のほうが大きかった。
親方の話の時代は1960年代のようだったので、いわゆる電球が主流、点灯すると照明に使われるのは電力のほんの一部であって大部分が熱となって逃げていく。それを洋服ダンス内の湿気取りとして応用したようだ。扉が開くと消灯にする理由は分からなかったが、大がかりなスイッチのつもりだったんだろうか。

話はブーメランのように現代に戻って、1年前の梅雨時期のある日、クローゼットの中のネクタイやらスーツにカビが生えているのを発見した。

親方の話してくれた記憶がクローゼットの前で佇む私の頭に突然よみがえり、そうか、温かくすれば湿気は飛ぶのか、すると服にカビもつかないのじゃないか、やってみる価値があるんじゃないか、と閃き(この程度でも閃きは閃き)、早速納戸からをマルチヒータ(写真左の90cm)を取り出して、クローゼットの中の床に置いて様子を見てみた。電源コードはクローゼットの扉の隙間からなんとか引き込むことができたのは幸い。
電気代も消費電力が20W(0.02kW)そこそこなので、
月当たりの電気代 = 0.02kW * 24時間 * 30日 * 20円/(月*kWh) = 288円/月
と、これならカビて捨てられ新たに買い直すよりよっぽどマシと考えた(サーモスタット付きならなおうれしいが)。
それから1年が経過した。
私の素敵な奥様の評判もいい。
窓の冷却シャットアウトは我慢ができなくなったら追加購入するつもりだったのが、別途パネルヒータを購入したせいもあってか我慢できてしまった。
調子に乗って先の冬の間もずっとクローゼットの中で活躍してもらった。
クローゼットの中でマルチヒータは、冬の外気温が低い間はやや効力が落ちたが(クローゼットの体積が大きいので120cmのほうがより適しているかも)、評価に値する十分なパフォーマンスを示してくれた。

今年の梅雨には靴箱の中の革製の靴にカビがついた。
これには素敵な奥様が自らのアイディアを言うが早いか速攻で写真右(45cm)のマルチヒータを靴箱の最下段にセットした。
靴箱の体積がそんなに大きくないこともあって、これは効果抜群。副次的な効果として靴箱の中にこもっていた臭いも消えた。

クローゼットや靴箱の戸を開けると、ほのかな暖かさがふんわりやってくる。
中の服や靴もマルチヒータからの距離にもよるがほんのり暖かい。

湿気が気になる人やカビ対策にお悩みの方にお勧めしたいマルチヒータの活用方法である。


# 写真のリンク先はamazonだが、実際の購入先はいずれもamazonではない。
# 親方の話は改めてまた書きたいと思う。

2008/06/21

目的と手段を履き違えているもの

目的と手段を履き違えているもの:
  • 政治家になりたい政治家 (目的は国県市町村単位の社会をよくすることであって政治はその手段)
  • 安定企業への就職者 (ほんとにその職業が好きなの?、生活の安定が目的か)
  • 有名になりたい芸術家 (有名になるのに芸術家である必要は?)
  • 会社に命まで捧げるサラリーマン (会社はあなたのことを助けてはくれない)
  • 子どもをペット化する親 (そう言うお前は大丈夫か…)
  • ハブ退治に導入されたマングース (マングースも普段はハブを食べません)
  • いわゆる趣味全般 (手段が目的になったものを趣味という、とは長岡鉄男氏の弁)
いろいろ。

画像はwikimedia commonsから。

2008/06/13

「魅せる会話」エドワード・デ・ボノ著の「美しい心」


魅せる会話 ― あなたのまわりに人が集まる話し方 (単行本)
エドワード・デ・ボノ(著)
住友 進(翻訳)
阪急コミュニケーションズ
2005/10/22(初版)
1,575円


極東ブログの紹介により購入。
人と会話していて、よく話が続かなくなるので(数ヶ月前社長と偶然モノレールで隣り合って実感)、続かせるような何かコツでもあれば、との淡い期待を抱いたのだが、そんな小手先のことじゃなかった。
原書タイトルは "HOW TO HAVE A BEAUTIFUL MIND" で、美しい心の持ち方になるのだろうが、それもちょっと違う気がする。
読み進めていて「美しい心」の表現にどこか引っかかりながら読み終わり、その「訳者あとがき」で翻訳者の住友氏は、本文で使われた「美しい心」の代わりに「心がきれいなひと」と書いているのに気づいた。本書の意図には鑑賞対象を感じさせる「美しい」より純粋とか真っ当さを感じさせる「きれい」が日本語としてより適切であるとことが言いたかったのではないか。
本書の要約はその「訳者あとがき」によくまとまっている(思わせぶり)。

筆者が一番重要視しているのは、以下に引用する記述群ではないか。
冒頭のp.11の記述:
話し合いや討論は、対立するエゴとエゴの戦いではなく、一つのテーマを純粋に探求する場にしなくてはならない。
筆者が開発したパラレル・シンキングを例にとったp.102の記述:
パラレル・シンキングは、議論のような「エゴを駆り立てる」「戦闘志向の」方法とはまったく違います。この方法に慣れた人は、議論という手段に戻ってしまうのは、かなり原始的なことであると自然に気づきます。
抗議行動やディベートに対するp.182の記述:
なぜわたしたちの観点は異なっているのか? 私たちの観点の本質的な違いとは何か? これらの観点の違いは、異なる価値、異なる経験、異なる情報のいずれに原因があるのか?

それは「戦い」と「探求」の違いです。
続くp.183の記述:
同じように、いつも同じ立場を繰り返すこともさほど楽しいことではありません。
新しいアイデアを出していく必要があるのです。あるテーマの疑問点についてもっと自由に語り、探求していく必要があります。会話の終わりに、話し始めたときより多くの知識をもって、双方が席を立つようにすべきです。
つまり、私の理解による本書の分かり易い目的は、
  • 他人のと会話、議論などいわゆる言葉を通じたコミュニケーションをとるときに、そのコミュニケーションを始める前より後の方がお互い高みに達しているべきであること
  • そのために知っておきたいこと、やるべきこと
のような気がする。
確かに、そうできれば「美しい心」「心がきれいな人」でいられるかもしれない。
最近も身近な例で、いい年した大人が人の失敗につけ込んでワーワー言っているのを見たりすると そんなことより解決策を提案をすべきでは なんて思ってげんなりするもんな(結局口は挟んだが)。

主張のぶつかり合いでどちらの言い分が通ったかなんて関係ない、よりよい結果を得る結論に達したか、または、その方向へ双方が主題を転換できたか、が重要だ(身近にそう感じるときがある、かもしれない)。

私の理解した明言されていない本書のもう一つの目的は
  • コミュニケーションの取り方は、心のあり方次第で変わってくるし、それはつまり生き方に等しい
  • とすると、よりよい生き方には「美しい心」が必要であり、それはコミュニケーションの取り方次第
  • そのコミュニケーションの取り方を学びましょう
か。
なので「魅せる会話」という邦題も違和感あり。

本書の内容はとてもためになるものであるとして、文章も平易であったが、ちょっと意図するところが読みにくかった。いや、大まかには分かるのだが、センテンス単位でそういうことを言いたいのか、そういう喩えか、と確信を得るのにちょっと苦労した。
また、各章は内容のレベルごとに大きな章に分けたくなるような、もう少し構造的であれば理解もし易くなるのでは。フラットすぎて、せっかくの内容を、うまく伝え切れていない気がする。まとめ直したい。

ところで、冒頭のコツは身についたのか。
自分の仕事についておもしろく話せるように、関心を持ってもらうようにしてみるつもりだ、ということであるが、仕事は通信の技術屋さんなので一般には想像し難いので話しにくいのだなぁ、通信の秘密とか守秘義務とか(社長! 何か間違っている気がするんですが)。

2008/06/04

統計学入門書2種

その数学が戦略を決める」に触発されて、統計学の本を2冊ばかし購入。



「完全独習 統計学入門」
小島 寛之
ダイヤモンド社
2006/09/29 (初版第5刷 2008/2/5)
1890円


正規分布の意味するところをちゃんと理解しようと思い、たまたま手に取った本書の著者名を見て、おお、そういえばblogを読んでいるではないか、と気づき、ついで、中身をめくって分かり易そうな工夫がしてあり、役に立ちそうな予感がしたので購入。

統計学に対する基本的な理解を得るに最適な一冊に思える。
標本と母集団の違いを理解することが最終ゴールである(と思った)。
基本的には統計を理解するために必要なツール(いろいろな平均、分散、標準偏差、いろいろな正規分布など)の説明。
おかげで標準偏差の意味(ばらつき具合ですが平均±2標準偏差内に95%含まれるとか)も理解できるし、おまけに偏差値(学力偏差値)の捉え方も誤解が生じないように配慮がなされている(平均±標準偏差はマイナス側にいようが、プラス側にいようが差はないですよ)。偏差値も母集団次第であることも理解できる(学力が高い母集団と低い母集団では、同じ成績を取ったとしても偏差値は変わる、つまり相対的)。
また、標本は標本であるが故に、例えば、標本の平均は母集団の平均とは言えないが推測することが可能、など(いや、考えてみれば当たり前だが)。
あと、株のボラリティリティ(リスク指標)、シャープレシオ、95%予言的中区間(筆者の造語)と95%信頼区間の違い、t分布、検定とか。
ここぞと言うところには「コラム」や「補足」で考え方、問題の捉え方を文字通り補足している。
「文献案内」では、参考にした/なる文献を理由を交えて紹介しているのも親切。もうちょっと勉強してみようかと思わせる。

実運用では「母集団が正規分布に従っている」かどうかを検証する必要があり、そこが難しいところではないか。

統計学へ招待するための試みがちりばめられ、著者と編集者の気合いが感じられる。
知っている人が見過ごしやすい知らない人の間違い易いポイントに気を配ったり、できるだけ飽きさせないような工夫が感じられる。
そして何より、装幀が面白い。使われている色が基本的に「青」一色だけ。フォントやグラフに青を使うにしても濃淡をつけたり、背景に青使用する場合でも目的によって濃淡をつけたり等の工夫で「青」一色とは思えないカラフル(!)な仕上げになっている。
内容については次のステップへ踏み出すと不要になるかも知れないが、この装幀(に対する工夫を想像してみる)だけで手元に置いておきたくなる。



「Statistics Hacks ―統計の基本と世界を測るテクニック
Bruce Frey
鴨澤 眞夫 (監修), 西沢 直木 (翻訳)
オライリー・ジャパン
初版 第一刷 2007/12/26
2520円


「完全独習 統計学入門」を手に取った後、HACKSのフレーズに惹かれて購入。
ハックするというと誤解があるかも。
統計的手法を実運用に適用するにあたっての入門書。サブタイトル通り。
こちらも手元に置いておくことになると思う。
こういうときにはこういう統計的手法を使うとか、間違いやすいポイント、統計学で常識とされているが書籍にはあまり載っていない事柄、アベレージにもいろいろあること(平均値:mean、中央値:median、最頻値:mode)とか。
平均収入や平均貯蓄高といったものが、平均値(正規分布に近い場合に有効)ではなく中央値(分布形がひずんでいる場合に有効)が適切であることが読み取れる。標準偏差が分かるともっとよい。
テストや質問の内容を適切に作るには(信頼性、妥当性の評価)とか、適切だったかどうかを回答から項目分析(難易度指数、識別指数、選択肢分析)を用いて判断するとか。
モンティホール問題にもふれていて(p.152)、よくまとまっていて分かりやすい。
その数学が戦略を決める」にあった乳ガン検診の確率に関する説明だとか(p.146-p.149)。
医学的検査において、検査の敏感度と特異度は二律背反の関係にある。より敏感度の高い検査を実施すると、擬陽性が増える傾向にある。ただ、生死が関係するような深刻なケースでは、こうした結果も許容範囲となる。
「HACK#47すごい偶然の神秘をあばく」では、リンカーン大統領とジョン・F・ケネディ大統領の一致を強調する例を挙げ(p.203)、それに対して「ほぼ無限に存在する」不一致の例をあげることで、
偶然の一致を目にするのは、それを探しているときなのだ
と喝破する(p.205)。
魅力的なタイトルの「HACK#49捏造データを指摘せよ」ではベンフォードの法則を紹介して「虚偽の税務申告を見抜くのに適用してきた」(p.218)などの実例も。

気づいた誤植:p.157の「表5-4」(2箇所)は「表4-4」の間違いだと思う。

原書の雰囲気は読んでないので分からないが、訳文のスタイルがいかにもハッカーが書いてます調で面白い。
本文中に時々出てくる「フランク伯父さん」に関する逸話も、もうご勘弁辟易感が醸し出されていて、本書をそこはかとなくハッカー本的雰囲気とするのに貢献している。訳していて楽しかったのではないだろうか。
しかし、監修(一部訳も)の鴨澤眞夫氏は、日本野人の会CEOって、ナニコレオモシロイ。在沖縄で翻訳か。この人のLife Hacksに興味が湧く。

2008/05/24

よい職業と平均への回帰

画像はwikimedia commonsから。

身長の高い親から生まれた子はほどほどに高いけど、同年代で見ると平均へ近づく傾向があるそうで、これを「平均への回帰」(regression toward the mean)というらしい。人間だけに当てはまるものではないけど、知能とかもそうらしい。
こちらはWikipediaの説明。

かつて長岡鉄男氏は自身のオーディオ評論家という職業が必ずしもよい職業ではないと感じていると書き、よい職業とはそれを生業とする人がその子に継がせたい職業なのではないか、例えば、政治家、歌舞伎役者など、と論じていた。

政治家はひとまず置いて、歌舞伎役者が代々続く場合を想定して、そこに平均への回帰を粗く当てはめてみる。
なお、歌舞伎についてはWikipediaにあるもの以上のものを知らないことをお断りする。
  • 当初は、多数の人間が歌舞伎(またはそれに類するもの)を演じていた。ここでは市場原理が働く(売れる人/売れない人の選別)。
  • 突出した才能溢れる人は成功し、子に伝える
  • 2代目は先代と同等までは行かないまでもそこそこの才能で演じる
  • 3代目は2代目と同等までは行かないまでもそこそこの才能で演じる
  • 代を重ねる毎にだんだん「平均への回帰」が行われる
であるならば、才能だけでは歌舞伎役者を演じる技量を持ち合わせることが出来なくなる=歌舞伎が衰退する。
ところが、
  • 代を重ねているとは言うものの、それなりに歌舞伎役者は演じているようだ(初代との演技レベルの差はわからない)
  • しかも400年もの時代を生き抜いてきた
という事実は、「平均への回帰」を信ずるならば、役者の才能に重きがあるのではなく、実は歌舞伎役者を育てる仕組み、環境作りに秘密があるのではないか。
「幼少の頃からの英才教育」「秘伝門外不出の掟」「門外漢/他者の排除」(そういうのがあるかどうかはわからない)による囲い込みではないだろうか。

ではこれをひとまず置いていた政治家に当てはめてみたらどうか。
初代政治家が魅力的かどうかは別として、2代目政治家達が賢いように見えないし魅力も感じられないことを前提にしてしまうが、後援会などに乗せられて立候補する人が多いように見える(思いこみ?)。
少なくとも立候補当初の2代目政治家の実力は未知数だ。
2代目政治家が幅をきかせると、政治は人間的魅力を失い、「まつりごと」としての政治は低レベルとなる。
政治と政治家に魅力がないと、政治家になりたい思う人は減り(一緒にされたくないよね)、2代目はライバルが減って選挙で有利になり、めでたく当選の暁となる。

え、もしかしてそういう「他者の排除」が意図的に行われているのか(それはいくらなんでもないでしょう)。


と思ったら、面白い記事が(歌舞伎役者やその周辺についても突っ込んでいる)。
世襲議員の温床


「よい職業」が子に継がせたい職業であるとしても、子やその子など代を重ねるにつれ、「平均への回帰」が働くとその職業に向いていない方向へ進むことになる。
とすれば、「幼少の頃からの英才教育」「秘伝門外不出の掟」を直系の子ではなく、広く遍く門戸を開いて血を混ぜた方がその職業に対する進化、発展につながることにならないか。
継がせること、つまり世襲は、子を生かすための一手段ではあるが、「よい職業」を将来だめにするかもしれない。


# 現在は14世を名乗るダライ・ラマは世襲ではない。観音菩薩の化身、転生。いいかどうかは別として古の知恵か。

# Wikipediaの競走馬の血統によれば、遺伝の影響は33%、その他66%は妊娠中の母体内での影響や生後の育成環境によるらしい。

# 家畜の品種改良への投影や優生学なども議論の余地はたくさんあるが、どうかなぁ。優生学は社会的にパレートの法則(80:20の法則)で棄却されないかな(現在と比して100%優秀な人で構成された社会でも20%はどうしよもないような人になるとか)。

# もう一つ組み合わせて書きたかったのは「才能は遍在する」であるが、これはまだまとまらないので、後日。

2008/05/16

イーサネットの教科書5種(ちと古い)

仕事柄イーサネットについて熟知している必要があり、教科書を揃えていたので復習ついでにメモ。
詳細までは書かない。
いずれの本もPoE(IEEE802.3af)や認証(IEEE802.1X)等はまだ無い時代のものなのでその辺は割り引く必要がある。
発行年月日順。

*はお勧めマーク(*** > ** > * > (null))。

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「ギガビットイーサネット徹底解説」 
(Data Communications Gigabit Ethernet Handbook)
Stephen Saunders編
井早優子訳 / 林田朋之、米沢寿員監訳
日経BP社
1999年10月25日 1版1刷 (原本は1998年発行)
4200円

[メモ]
章ごとに執筆者が異なるという構成。イーサネットも細かく見れば分野は広いのでその道の専門家に書かせる趣向。27章を27人と編集スタッフで分担している。複数の章を担当している人もいれば、一つの章を複数で担当している場合もあり、執筆者が競合メーカ同士だったりすので、中立性を保つために編集スタッフが記述しているところもある。職場でも同僚達と分担すればそれなりの本を作れそうだ。編者はおいしいというか(バランス取りに苦労したであろうか、章毎の違和感はあまり感じない)。
内容に目を移すと、タイトル通りギガビットイーサネットにフォーカスした本。
どちらかというと、ファーストイーサネット中心のネットワークを管理している人に対してギガビットイーサネットへの移行にあたって注意配慮すべき点が書かれており、また、ATMやCSMA/CD(半二重通信)に気を遣っているように、まさにギガイーサネット登場の過渡期に出版された本。
また、"10BaseT"とか正規でない書き方で統一されている(正式には"10BASE-T")
というところも含め、現在では購入する理由はあまりない。

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「詳説 イーサネット」 *
(Ethernet - The Definitive Guide -)
Charles E. Spurgeon著
柏木由美子訳/櫻井豊監訳
オライリージャパン
2000年12月20日 初版第1刷 (原本は2000年発行)
4200円

[メモ]
挿入されている図が適切で理解を助けるのに役立つ。
「5章自動ネゴシエーション」は詳しい。
「15章ツイストペアケーブルとコネクタ」は電話からの関連性の記述がいくつかあり、また、感電の危険性があることに対する注意喚起が行われているのはこの本だけ。
全体的にいわゆる教科書的でさらっと流れてしまうのはいわゆるオライリー本っぽい。
講義を聴いているようだ。

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「高速Ethernetの理論と実装」 **
(Switched, Fast, and Gigabit Ethernet, Third Edition)
Robert Breyer/Sean Riley著
イデア コラボレーションズ訳
アスキー
2001年4月1日 初版 (原本は1998年12月21日発行)
4200円

[メモ]
「第6章ケーブル配線と物理層の詳細」「第8章構成部品」が他にはないトピックがあるように物理層の説明が細かい。
「第1章Ethernetの歴史」も「1.1 Ethernetの起源:ALOHA無線システム(1968~1972」から始まり「1.2 Xerox PARCでの最初のEthernetの構築(1972~1977)」「1.3 DEC, Intel, およびXeroxによるEthernetの標準化(1979~1983)」「1.4 3ComによるEthernetの製品化(1980~1982)」と続き、「1.5 StarLAN:低速、しかし偉大なアイディア(1984~1987)」などもあって「1.11 Gigabit Ethernet(1995~1998)」まで締めるまで同様におもしろい。
この本にも「LANスイッチング徹底解説」同様、命名規則が載っている。
ただ、オートネゴシエーションについて、片端がオートネゴシエーションでもう片端が固定の場合、速度については優先順位に則って自動で調整されるが、通信モードが半二重となることはこの本からでは読み取れない(p.116/3.6 IEEEの自動ネゴシエーション標準規格)。(これで痛い目に遭ったことがある)
「第1章Ethernetの歴史」「第6章ケーブル配線と物理層の詳細」「第8章構成部品」に他の本にはない価値を認める人向け。

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「LANスイッチング徹底解説」 **
(The Switch Book - The Complete Guide to LAN Switching Technolgy -)
Rich Seifert著
間宮あきら訳
日経BP社
2001年8月6日 1版1刷 (原本は2000年発行)
4800円

[メモ]
全体にユーモアとエスプリが効いていて、内容も細かく、個人的には一番好き。イーサネットを理解した気になる(スイッチにフォーカスしたタイトルになっていますが)。
商売のツールとしてイーサネットを捉える人(私のような)には後述する「10ギガビットEthernet教科書」が実践的ではある。
「リンクの不変性」(フレームの重複の禁止/配送順序の維持)といった基本中の基本について明記(p.70/p.222)しているのはこの本だけ。
実装方法の命名法もちゃんと記述している(p.28/例:10BASE-Tは正解、10BaseTは間違い→BASEは大文字、読みにくい場合は"-"でつなぐ)。
想定されている前提条件に言及しているのも特記できる。例えば、STPは新しいトポロジーに収束するより早くネットワークが変更されないことを前提としている(p.200)。
ユーモアというのは「5.1.2 ループの回避」では、ループを解決するにはそもそもループとならないような構成にすべきということを暗喩した本文外のショートコメントで(p.190)
患者:「先生、こうすると痛いんですが」 先生:「じゃ、そうしないでください」
と出した後、ループ問題を解決する方法(STP)と詳細について述べた後「5.3.3 独自のループ解決アルゴリズム」で再度(p.217)
(省略)……いまでも通用する金言
と提示してたりする。これ、家でも子どもたちに使っている。
同様に
「全二重型イーサネット」
CSがなく、MAもなく、CDも行わないCSMA/CD
とか(p.289)。イーサネットを定義するIEEE802.3はCSMA/CDを使った通信方式のLANにおけるMACと物理層に関する標準を指すので全二重型通信は自己矛盾であることを面白く皮肉っている。制定当時は半二重しかなかったので互換性維持のためCSMA/CDは1ギガビットイーサネットまで生き続けている。でもその矛盾を取り込みつつ増殖しているのがイーサネットの強みでもあるが、とうとう10ギガビットイーサネットではCSMA/CDは非対応になった。
こういうメタが随所にちりばめられているので凡庸な教科書だとさらっと流してしまうところを記憶にとどめさせてくれる。
守備範囲はIEEE標準、IEEE802.3、IEEE802.3ad(リンクアグリゲーション)、IEEE802.1D(STP)、IEEE802.1Q(VLAN)、ループの解決、スイッチの動作、全二重型通信、CoSとQoSなど。

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「10ギガビットEthernet教科書」 ***
石田修、瀬戸康一郎監修
IDGジャパン
2002年4月20日 初版
4000円 (某社より仕事先へ献本)

[メモ]
「ギガビットイーサネット徹底解説」と同様に各章を複数の執筆者が担当する構成。異なるのは、監修者も多くの章を執筆していること。
とりあえずここに書いていることを把握していれば仕事は出来る。
「第10章MAN/WAN/SANへと拡大する最新ethernetの応用例」のWAN/MANの接続構成などが実践的。
広域EthernetサービスやFTTHに関する記述も見られるのも国産本かつ(この中では)最新本であるが故か。
冗長化技術も詳しい。
付録ではあるが各種符号化に関する説明も種類も多く一番詳しい。
特に10Gに特化しているわけではなく、Ethernet全般と周辺技術にまで手を広めている。
とりあえず1冊だけ選べと言われたらこの1冊になる。

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通信を生業としている人にとって仕事上で使えるとりあえずの知識としてのイーサネットを吸収したいなら「10ギガビットEthernet教科書」、イーサネットについてもっと知識を深めたいなら「LANスイッチング徹底解説」がお勧め。

こう復習してみると同じイーサネットを題材にしても扱う分野の広さ、専門的深さ、伝える工夫が教科書によって大分違う。

イーサネットの基本を勉強、習得するにはこういった「教科書による学習」の他に「IEEE標準の確認」「実機を用いた実習」「測定器による検証」などがあると思う。

私のPCの裏にささっているUTPケーブルは簡単に接続できてリンクアップを示すLEDが点灯するのを確認する程度でイーサネットに関しては意識もしないし、ほとんど何のノウハウもいらない。最近ではオートMDI/MDI-X機能によりクロスケーブルと知らずに接続してつながらないなどのトラブルを起こすこともなくなった。UTPケーブルも材料と工具があれば簡単に自作できる。
イーサネットは枯れた技術であると見ることも出来る。当面の間、OSI階層モデルでいうレイヤー2(データリンク層)における通信方式はイーサネットの独壇場であるに違いない。

ただ、仕事で用いるイーサネットは大量に/安全に/堅牢にする必要があり、その展開には基本を押さえた上で別の技術が必要であるのだけれど、今はまだ書けないなぁ。

2008/05/08

第32回「沖展」うるま市選抜展

画像はwikimedia commonsから。

こどもの日に第32回「沖展」うるま市選抜展@うるま市具志川総合体育館を見に行ってきた。
美術の粋212点/うるま市で沖展選抜展

沖展自体は60回を迎えたらしい。
これだけ長いと、もしかすると沖展自体はマンネリ化と閉鎖的状況に陥っているもかも知れないが、内情は知らないので知らないまま通すことにする。

音楽とパフォーマンス以外は何でもありという感じがして静かなお祭りにも思える。
選抜展は、無料だし(沖展は1000円)、
普段土足禁止の体育館にシートをそこら中に引きまくって靴のまま上がり込めるので近所の散歩がてらのように気軽に鑑賞できるし、作品も入賞作品が中心なので量で押しつぶされることが無く、また人も多くないので作品一つ一つに時間をかけて見ることが出来るので面白い。
沖展本展より選抜展がリラックスできてお勧めだと思う。

11ジャンルと多分野にまたがるが特に大作の絵画と書が普段目にしないので面白かった。
作品の善し悪しはわからないが、好き嫌いはいえるので自分の家の吹き抜けの壁に飾られている景色を想像して見て回った。
気に入った作品は賞をいただいていなかったが、それもまたよしとする。

沖縄で芸術に心を奪われ、また志している人がこれだけいるのか思うと、そしてその作品を生み出している課程では全身全霊を(言い過ぎ?)打ち込んでいるのかと思うと、なぜか勇気づけられる。
私の普段の生活にはとんと縁がない世界だけに、知らない作者の制作する様を夢想するだけで楽しい(ホントに想像できるのか?>自分)。
無論、自身のポリシーから沖展に出品しない人々もいるだろうから、作品を応募した以外の人がまだいるかと思うとさらに刺激になる。

選抜展は以前、会場を具志川(現うるま市)の復帰記念会館として開催していたと思う。
中学生の時、そこで開かれた選抜展に授業の一環で見学に行ったことがある。
中学の美術の先生が実は絵画の部で応募していて(自分でそう言っていたので注意して見ていた)、見事入賞した作品を見て、あの先生はこういう一面もあるのだなぁと思ったことを覚えている。
この美術の先生の授業ではやること=テーマは決まっていたのだが出来なかったからと言って怒られることもないし、聞けば答えてくれるが聞かなければそのまま放っておかれるような自由があって面白かった。この授業で彫刻(というか立体の把握)の才能が人並み以下であることを発見するが、イヤな思いはしなかった。
沖展の作品からすると絵画の人だったはずだが、覚えているのはその彫刻と立体凧の制作である。立体凧は実際に運動場でみんなでそれぞれ創意工夫を凝らした(今思うとそうでもないが)凧を揚げたのである。授業中にこんなことが出来るなんて思わなかった。
その選抜展見学の帰り道、一緒に行ったクラスの女の子のうちの一人が何かがおかしかったのか、笑いが止まらなくなった。お箸が転んでも笑うお年頃ではあるは仕方ないにしても、周りの同級生も笑いが収まりそうになる度にツボを刺激したのだろう、学校に戻るまで彼女は笑い通しであった。
きっと彼女の選抜展の思い出はあの豪快な笑いと腹筋の痛さと共にあるに違いない。

発表する側も鑑賞する側も有意義な展覧会だと思う。少なくとも無いよりはマシ。
うるま市には
選抜展を意地でも続けてほしい。


こちらのポストでもそうなのだが、沖縄に関しては「コップ半分の水」を見て「半分もある」と思う質のようである。「半分しかない」とは思えない。


ちなみに沖展は空港の「沖合展開事業」の略でもあるらしいので、空港関係者と話をする時は混同しないようにしないといけない(そんな人はいない)。

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