2016/06/23

「奴隷のしつけ方」(マルクス・シドニウス・ファル著、ジェリー・トナー解説、橘明美訳)

これもジュンク堂で見かけて購入。
奴隷は、単なる道具、あるいは資産の一部である。
働いたら負け、それは奴隷にやらせておけ。
富裕層と貧困層、経営者と労働者の関係など、ローマ人を引き合いにしつつ現代の格差社会を皮肉ったものかなと思ったら、ローマ時代に関する文献をベースとして奴隷のしつけ方を時空を超えて架空の著者に語らせた割と真面目な本だった。

さて、この本を読むにつれて、私はこう考えた。もし、私がローマ時代に生まれていたら、ローマ帝国に侵略された国の民で奴隷であったのではないか。単に出自という観点から見ても、沖縄は日本のマイノリティ、日本というのは世界のマイノリティである。主人側であるという立場が想像できないのね。
なので、奴隷アリの目線でこの本を読んだ。負け犬根性ならぬ奴隷アリ根性である。

奴隷アリというのは、サムライアリ(Wikipedia)に狩られるアリの仲間のことである。
サムライアリと奴隷アリの場合、主従の関係が入れ替わることはないが、人間の場合は違う。
本書にもあるが、ギリシア時代の「ギリシア人(=自由人)以外はほぼ奴隷」という考え方を持っていたらしく、時代が下がってローマ時代の主役であるローマ人はギリシア時代のローマ人も奴隷だったことは理解していたらしい。
サムライアリとは違い、人間社会における奴隷は相対的なものという当たり前のことを考えたわけである。

解説というかリアルな著者によると、ローマ時代の記録が残っているのは特別なことだから記録されたのであって、そこに書かれていないことこそがその当時の一般的なことである、という視点から当時の生活や奴隷への接し方考え方を推測している。
犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる。
なぜ、ニュースになるかというと、それが普通では無いから、逆に普通とは書かれていないこと。

この見方は、ニュースを読む際にも適用すると参考になりますね。

この時期にこの記事が出るのはなぜか、なぜ今なのか。
とは言え、裏読みし過ぎると却って本質を見誤ることがあるので可能性を捨てない程度に止めておいたほうがいいかもしれません。



総じて、この本のコンセプトが勝利したのは、文献の読み込みに裏打ちされた信頼性があるからこそだと思いました。

(今気づいたけど、社畜というのは奴隷以下家畜並みということだな。 )

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今月はこの記事を書くのに時間がかかった。
中身にあまり変更はないのでがしっくりこなかったので。

そういえば、今日は慰霊の日であった。
職場では12時から1分間黙祷することになった。

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