2014/05/07

かくれんぼの教訓

小学校の3年から6年の間は親戚同士で模合い(もあい、頼母子講、無尽講)をやっていたようで、今にして思えば最低でも1ヶ月に1度はオジーオバーの家に家族総出で遊びに行っていた。
オジーとオバーの家に集まる「いとこ達」も私と同じような年齢で、夕ごはん(たいていの場合は刺し身、シブイ(冬瓜)と豚肉のお汁にご飯)が済むと、子どもたちは模合いや大人の話には興味が無いから、かくれんぼなどをして遊ぶのである。
かくれんぼをしていると、あるいとこ「XXX」が雑談をしている大人達に「ここにいるって言わないでよ!」と周囲の同意を取らずに念だけを押して座卓の下に隠れてしまった。彼が声を潜めて隠れていると、探しに来たオニに向かってある大人が「XXXが『ここにいるって言わないでよ!』って言ってたよ」と告げ、オニは首尾よくXXXを発見するのであった。
あのXXXの念押しの言葉は大人にとっては約束じゃなかったんだ、事実を述べるのは常に強いのだな、とひどく感心したことをよく覚えている。

かくれんぼの隠れる側の番になったので、いつもとは違った場所に隠れようと、暗い廊下の片隅に隠れたことがある。
この身を隠してくれるものは暗闇だけなので「オニから見えるんじゃないか」と相当不安だったが、その暗闇に身をひそめていると、電灯で照らされた廊下の向こう側からは、なかなか見えないことがわかった。
結局その時は見つからずに隠し通せて、もう何度もやったかくれんぼで隠れる場所など無いはずなのに一体オマエはどこに隠れてたのか? と疑問に思われたのでウキウキと隠れ場所を教えてしまった。
学習したオニは次の番からは懐中電灯を持って探しまわるのである。
当然、暗いところを明るい光で照らせば見えるようになって、あえなく見つかってしまうのである。

そういう訳で、かくれんぼで得た教訓。
  • 相手の同意のない約束は約束にならない
  • 事実は常に強い
  • 明るいところから、暗いところは見えない
  • 暗いところも、光で照らせば見えるようになる
何か真理めいた大発見をしたんじゃないか、と小学生だった自分は思ったのであった。
これらの教訓を得て以来、日の当たらないマイナーな人々の声や物々の中に探しているものがあるかもよ、と時々思い出すようにしている。

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画像は隣家の屋上で反射する月明かり(2014/4/19撮影)。

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