2012/01/16

「宇宙創成(上)(下)」サイモン・シン著(青木薫訳)

昨年の初め頃購入。
面白かったので二度三度通勤のモノレールで読み返した。

星は何でも知っている」((c)平尾昌晃)のに、我々の多くは星のことをよく知らない。
さらにその星が存在すると言われる宇宙のこともよく分からない。
宇宙の果てはどうなっているのだろうか、宇宙の始まりと終わりはどうなっているのだろうか、そもそも始まりがあったのかどうか、 多くの人が素直に思っている疑問の秘孔をサイモン・シンはついてきた。

宇宙を巡る人類の想像力と知恵の軌跡を描いたもの。

単行本のときの邦題は原題の"Big Bang"の直訳にスパイスを加えて「ビッグバン宇宙論」であった。
文庫化にあたって訳者は再度手を入れ、「宇宙創成」とした。
つまり、この本はビッグバンについてだけ論じた本ではなく、理論も観測用の道具も揃わない古代から、現代の最有力理論であるビッグ・バン理論に至るまでの、宇宙の「発見」にまつわる科学的手法とその科学者たちについて延べられた本であると、訳者は考え直した。

数式は極力排除され、その時代時代で宇宙論の振り返りを行い、宇宙論を俯瞰する。
天文学者など科学者も所詮人間くさく、嫉妬や名誉欲がつきまとい、理論の良し悪しとはかけ離れたところで論争を行い、従来の理論が新しい理論に置き換わるまでには一世代を経る場合が多いことも赤裸々に描く。
サイモン・シンは人間臭いのである。

古代は星を肉眼で観察することにより宇宙に関する理論が発展した。
その肉眼を強化する形で望遠鏡が生まれ、より星空を高解像度で観察することにより、新しい理論が生まれた。
さらに、肉眼で見える光の領域だけでなく、電波全体に観察対象を拡大することで、理論が置き換えられていった。
そのさらに、壮大な宇宙のことを知るために、今、周りを取り囲む物質の元である微細な原子のことや量子論を導入することで、現在のビッグ・バン理論に続いているのである。
宇宙に水素とヘリウムという元素が格段に多いのはなぜ?
重い元素ほど量が少ないのはなぜ?
そもそも複数の元素があるのはなぜ?
全ては宇宙には始まりがあり、しかも、すべての原子が1箇所に凝縮された特殊な環境から解き放たれた、そう考えるとつじつまが合う、らしい。

星について言えば、何度も星空観察に参加しているにもかかわらず、星座は北斗七星とその先にある北極星、あとはオリオン座くらいしか知らない私である。
その私がこの本から分かったことは次の通り。
Q. ビッグバン以前はどうなっていたか?
A. わかない

Q. 宇宙の果てはどうなっているのか?
A. わからない
現在、最有力な理論であるビッグ・バン理論も、まだ、未完成なのである。
未完成ではあるが、あとは肉付けをしていくだけだと多くの天文学者から楽観視されている。

人類がいなければ宇宙という概念は存在しなかった。
そもそも古代の人類でさえ、宇宙に関する知識は乏しかった。
人類以外の動物がこの概念を持っているとは思えない。
人類の想像力と知恵が宇宙を宇宙たらしめているし、逆に人間たらしめているとも言える。
星を知れば宇宙が分かる。
「星は何でも知っている」ことを知っている人類は相当すごいのかも知れない。

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