2009/12/21

(早すぎる|遅すぎる)最適化

姪っ子の進路方針を聞いたのをきっかけに下のようなことを考えた。
  • 早すぎる最適化はその後の環境の変化についていけない (それしかできないのにそういう仕事が無くなって、かといって後戻りもできない)
  • 遅すぎる最適化はそもそも自然淘汰で生き残れない (競争に勝てるだけの業を持ってない)
古代から現代まで綿々と続く商売というのはないもので(いや、あるにはあるが)、環境の変化についていけるような土台作りが必要かなと思う。
姪っ子には自分で決めた進路なのだからやれるだけやってみろぐらいしか言えないような気がするが。

ほぼ5年前の川合史郎さんが訳したポール・グラハムの高校生に向けた(キャンセルされた)講演原稿を思い出した。
知っておきたかったこと--- What You'll Wish You'd Known
それでも毎年5月になると、全国津々浦々の卒業式で決まりきった演説が聞かれることになる。テーマはこうだ。「夢をあきらめるな。」ぼくはその真意を知っているけれど、この表現は良いものじゃない。だって、早いうちに計画を立ててそれに縛られることを暗示しているからね。コンピュータの世界では、これに名前までついている。「早すぎる最適化」というんだ。別の言葉で言い替えると「大失敗」ということだ。演説ではもっと単純にこう言うべきだろうね。「あきらめるな。」
もうひとつ引用する。「泥庭が井戸に」
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。 多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、 好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

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