2009/12/31

Nautilus、ご訪問

もう10日前ほどになってしまって亀の歩みのごとしなんだが、オーディオの先輩方々に誘ってもらって、私の素敵な奥様に快く送り出されて、右の写真のスピーカをメインにしている方の家を訪問した。B&Wの”Nautilus"(ノーチラス、オウム貝)というそのまんまの名前の超弩級スピーカである。
20畳以上はあると思われるマンションのリビングルームにセットされたNautilusは自然に収まっていたが、壁には各種音響ボードが張り巡らせられており、実はスピーカとの格闘の後を思わせ、結構手強いスピーカなのかも知れない。
訪問初心者という立場にかまかけて厚かましくも特等席を占めていろいろお聞かせいただいたのだが、スピーカからの音離れがよく、スピーカを意識させず、スムーズ感満載でとても良いスピーカであることがよくわかった。持参したCDは家で良く鳴っているものだったが、録音レベルが低いせいなのか何故かこのCDだけ密度感が感じられなかった。逆にうちのシステムの音にはそういう密度感を出すクセというか「熱」があるのかな。駄耳ではこれ以上はわからない。
大阪からはるばるやってきた先輩の手ほどきでPCオーディオの実力も、ソフトによる差(iTunesはイマイチとか)もはっきりわかったのは収穫であった。

これは他の先輩方へも会うたびに同じように強く感じるのが、自分のよいと思われるもの、好きなもの、信じるものに突き進んでいく姿勢に感銘を受ける。

2009/12/21

(早すぎる|遅すぎる)最適化

姪っ子の進路方針を聞いたのをきっかけに下のようなことを考えた。
  • 早すぎる最適化はその後の環境の変化についていけない (それしかできないのにそういう仕事が無くなって、かといって後戻りもできない)
  • 遅すぎる最適化はそもそも自然淘汰で生き残れない (競争に勝てるだけの業を持ってない)
古代から現代まで綿々と続く商売というのはないもので(いや、あるにはあるが)、環境の変化についていけるような土台作りが必要かなと思う。
姪っ子には自分で決めた進路なのだからやれるだけやってみろぐらいしか言えないような気がするが。

ほぼ5年前の川合史郎さんが訳したポール・グラハムの高校生に向けた(キャンセルされた)講演原稿を思い出した。
知っておきたかったこと--- What You'll Wish You'd Known
それでも毎年5月になると、全国津々浦々の卒業式で決まりきった演説が聞かれることになる。テーマはこうだ。「夢をあきらめるな。」ぼくはその真意を知っているけれど、この表現は良いものじゃない。だって、早いうちに計画を立ててそれに縛られることを暗示しているからね。コンピュータの世界では、これに名前までついている。「早すぎる最適化」というんだ。別の言葉で言い替えると「大失敗」ということだ。演説ではもっと単純にこう言うべきだろうね。「あきらめるな。」
もうひとつ引用する。「泥庭が井戸に」
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。 多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、 好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

2009/12/19

「スーパーエンジニアへの道」G. M. ワインバーグ著

モノレールでの通勤時は読書タイムである。手持ちの本が尽きたので棚の奥から久しぶりに取り出して読んでみた。今の仕事と重なる部分がある事に気づいて3回も読み返してしまった。技術者でなくても職業としての仕事に限らず家庭でも友人でも隣近所でもサークルでも何でも他人と協力して何かをやる事がある人は読んで損はない、というか読むべきである。

買ったのはいつだったのだろう?
1990年頃に買った「ライト、ついてますか?」は軽い本だが、読み通した後はボディブローのように効いていて、紛れもなく私の考え方に影響を与えた本である。その結果、著者の本を見つけては1冊づつ買い求めていくようになった。
手元にある本書は、1992年3月1日初版15刷発行とあるから、「ライト、ついてますか?」から2年後、就職した前後に手に入れたらしい。その頃の読んだ印象は特に残っていなかった。「ライト、ついてますか?」は今でも覚えていることが多いというのにだ。だからといって本書が凡庸な本かというとそうではない。著者が本書でデイル・カーネギー の「人を動かす」の価値に気付くのに40年もかかったと明かしたように、「私の中で何かが変わ」ってようやく読むのに適した時期を迎えたのかもしれない。

原題は"Becoming a Technical Leader ---An Organic Problem Solving Approach"である。邦題は意訳であることが「訳者まえがき」に書かれてある。技術リーダになること---有機的問題解決アプローチ、が原題の直訳で、本書のテーマでもあるが、テクニカルな話題はあることはあるが思いのほか少ない。リーダー(他人をリードするのではなく、プロセスをリードする人)としての考え方、ものの見方、捉え方、感じ方、をスケッチし、読者に提示する。そのリーダーのリーダーシップとは以下の文章に集約されている。
「アメとムチ」モデルでは、リーダーシップとは他人をリードすることである。一方有機的リーダーシップは、プロセスをリードする。他人をリードできるためには、その他人が自分自身の生き方を支配するのを、あきらめてくれなければならない。一方プロセスをリードするとは、人に反応して行動し、彼らに選択をゆだね、彼らに自分自身を支配させることである。人々はちょうど庭師がタネに力を与えるのと同じやり方で力を与えられる。すなわち、成長せよと強制する代わりに、彼らのうちに眠っている力を汲み出すのである。
(p.12 第一章 リーダシップとは、結局のところ何なのか)
気になるフレーズを抜き出しておく。
リーダーシップとは、人々が力を付与されるような環境を作り出すプロセスである。
(略)
だがアーニーやフィリスやウェーバーも、驚くべき形式でリーダーシップを発揮していたのだった。彼らはマーサが、彼女にとって強力であるようなスタイルで働くのを放っておいたのである。(略) しゃべることはマーサのスタイルではなかった。そして他の連中はそのことを知っていた。だから彼らは彼女を放っておいた。これもリーダーシップなのだ。
(p.12 第一章 リーダシップとは、結局のところ何なのか)
様式はいろいろであるものの、問題解決型のリーダーに共通に備わっているものが一つある。それは、もっとよいやり方は必ずある、という信仰である。
(p.22 第二章 リーダーシップ様式に関するモデル)
そういうわけだから、バージニア・サティアがすべてのコミュニケーションの九〇パーセントは不整合である(つまりわれわれが本当に伝えたいこととと合っていない)と見積もっているのは驚くべき事ではない。
(p.117 第一〇章 人に動機づけを与えることについての、第一の大障害)
複雑な環境では、もっとも強く仕事優先を信じているリーダーすら、人を優先せざるを得ない。そうしなければ、仕事が終わらないからだ。
(p.127 第一一章 人に動機づけを与えることについての、第二の大障害)
私はいつも、みんなを助けなければならない
(略)
私はいつでも、(その気になれば)みんなを助けることができる
(略)
私はときには、(その気になれば)みんなを助けることができる
(略)
私はときには、(その気になれば)ほかの人を助けられることもある
(略)
私はほかの人を、
彼らが明確に助力を求めた場合や、
私が彼らを助けるために技能を持っている場合や、
私が彼らを助けるための資源を持っている場合や、
私が彼らを助けるという任務に適している場合や、
私が彼らを助けようと思う場合や、
私が助けそこなったときにその失敗を許容できる場合には
助けることができる
(p.149 第一三章 動機づけのできる人になるには)
「あなたがお腹の中ではにこにこしているのに、しかめっ面をするのが自然だと考えるのは何のせいなんでしょうね。」
「私は自然でなければならないからですよ」と私は答えた。「私は自発的にそうするんです。」
「あなたは英語を自発的に話すけれど、でもそれは習ったことなんでしょう?
私、あなたは顔をしかめることも習ったんだと思うわ。あなたは『習った』ことと『人生の早い時期に、それと気づかずに習った』ことを、ごっちゃにしているのよ。じつはあなたが習ったことは不自然だったの。だって自然なのは、お腹の中で本当に起こっていることをそとに示すことによって整合性を持つことですものね。」
(p.169 第一五章 力、不完全性、整合性)
組織作りとは命令することでも命令を受けることでもない。仕事を片付けることである。
(p.202 第一八章 有効な組織作りへの障害は?)
ほかにもいろいろあり、それぞれに言及していくとそれだけで本ができてしまう。

この記事を書いた後、ワインバーグで検索していたら、こんなページを見つけた。
Gerald Weinberg(ワインバーグ)氏との思い出:An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ
進行性の癌であるとのこと。
以前書いた 「ワインバーグの文章読本」G. M. ワインバーグ著という記事に「G.M.ワインバーグ先生自身の不幸に感じていた幼年時代の今までにない記述あり。自身の歴史を振り返っているのか。老年期?」と書いたのだが、あながち間違いでもなかったが、ちょっと複雑な気分である。
私の生き方指南の師匠の一人(と勝手にこっちで思ってる)といっても過言ではないのでどうか元気でいて欲しい。

2009/12/10

エアー, V-3

オーディオシステムご紹介でご紹介したAyre Acoustics社のパワーアンプである。Ayre社のデビュー作であり出世作でもある。

2000年、まだ東京在住中のある日、秋葉原の中古オーディオショップを覗くと、目の高さの陳列棚に他の中古機器に混ざってV-3が鎮座していた。いいアンプだと噂は聞いていたが見たことはなかった。もしかしたら格安で手に入るチャンスかも知れない、しかし、聴いてみないことにはなぁ、中古販売の店で貸し出しは聞いたことがないけどなぁ、と3秒ほど逡巡した。で、中堅どころの店員に思い切って聞いてみた。「これ自宅で聴いてみたいんですけど、借りられますかね?」
その時はすでにPASSのAleph 3をP MK IIとコンビで導入済みだったので、慌てる必要はなかったが、ウニのようなAleph 3と違って清々しいデザインでもあるし、傾向が異なるパワーアンプというのも聴いてみたかった。駄目なら返せばいいし。
店員はちょっとびっくりしたような表情を見せたが、たぶん、1,2秒くらいだと思うが、私を値踏みし答えた。「いいですよ。」 聴けばこのお客はきっと買うと踏んだのかな。
その後は、借用期間はこちらの希望で2週間、送料はあちらの希望でこちら持ちとし、送付先を伝え発送をお願いした。

2000年といえば1号(♂9才)が生まれた年で、秋葉原に一人で行ったりする暇は無かったはずなのにどうしたことか、と思い出してみると、私の素敵な奥様が育児の勉強と自動車免許の取得を兼ねて1号と帰省していた頃だったんだなと合点した。束の間の独身時代復活みたいな。

しばらくすると、V-3が届いた。早速Aleph 3と交換して聴いてみる。うーん、あまり差はないなぁ、定価ベースだとV-3が2倍ほど高いし、これは買うまでもないかなというのが最初の3日間の感想。これで評判がいいというのはおかしいのではないか、とも思った。 ふと、V-3はバランス接続がいいというのをどこかで読んだのを思い出した。Aleph 3はアンバランス接続で、我が家にバランスケーブルの類はない。借用しているのをそのまま返すのももったいないし、勉強代だと思い、仕事帰りに新宿のヨドバシで、ベルデンのバランスケーブルを注文した。ベルデンは可もなく不可もなくという印象があってその代わり個性も控えめという観点で適任だと思った。で受注生産で1週間待ち。なんとか借用期間の最後の3日に間に合った。仕事帰りに受け取り早速Aleph P MK IIとV-3間をバランス接続してみる。するとどうだ。一聴してわかる躍動感と音場の広さ。これだ、これこれ、Aleph 3とは全然違う。これはもう返せない。3日間楽しく音楽を聴いて、店員に電話する「買うことにしました」。貸し出すことを決断した店員のリスクを考えると感謝の気持ちも湧いてくる。双方ハッピーである。Aleph 3はそのまま下取りとしてもらった。

V-3は故障しやすいとの噂もあったが、我が家の個体は故障知らず。電源のアースを取っているのがいいのではないかと思っているのだが、これは実験するわけにもいかないので推測の範囲である。ただ、今の家に越してきてからスイッチを入れるとハム音がブーンと小さく唸っているのが気になる。設置環境か電源系の接続の問題と思うが未だ解決に至らない。(2011/11/27追記:解決しました)
躍動感と音場がキモのアンプだと思うが、最低帯域(超低音)は制御しきれていないような印象もちょっとある。といっても大音量時の話である。今のスピーカでは全然わからないが、前のスピーカは密閉型で下までのびていたのでそう感じた。でも印象の問題かも。

少し熱いのが難点だし(寒くなった最近は猫が天板に乗って寝る)、そろそろ点検してもらわないといけないような気もする。スイッチを入れても何かが光るわけでもなく、稼働する部分もない。そうは言ってもV-3の出す音が実は我が家の軸でありシステムの中心的存在かも知れない。まさに縁の下の力持ちである。

2009/11/30

3号の進化(2)

3号(♀1.7才)は既に
  • ペン類で紙に殴り書きする
  • はさみを使う
  • 椅子によじ登るための足踏み台を持ってくる
  • 椅子(WilkhahnのStitz)によじ登る
  • 音楽に合わせて鼻歌を歌う
  • そのリズムと音程が合っている
  • 靴を履くときは右足からと決まっている
  • 靴を履く
  • その左右が合っている
  • 玄関ドアを開けるための台を持ってくる
  • 玄関ドアを開ける
  • 綿棒で耳掃除をする
  • 爪切りで爪を切ろうとする
  • 体に石けんをつける
  • 風呂上がりにタオルで自分の体を拭く
  • 歯磨きをする
  • 箸を使う
  • ごっこ遊びをする(木の皿に積み木などを入れて「はいどうぞー」みたいな)
というのを試みている。
1号(♂9才)と2号(♀5才)というお手本がいるにしても1才にしては早いと思う(当社比)。
確かに1才前に歩行器を使っていた頃はスピード狂かつ進路を自在に操る敏腕ドライバーと化していたが、現在への伏線だったようだ。
他にも
  • スカートを着ると女装していると言われる
というのがあるが、親の独り言か聞き違いかもしれない。
とにかく末恐ろしい将来が楽しみ。

2009/11/27

ベンチマーク, DAC1

オーディオシステムご紹介でご紹介したBenchmark社のDACである。2004年末の購入でこれでも我が家の最新鋭機器である。

実は不見転(みずてん)で購入している。つまり音も聴かずにである。えっ、とさる方にも驚かれたのだが、その年はCDプレーヤのクロックアップも行っており、CDプレーヤ周りはまだまだ改善の余地があるぞ、と踏んでいたので、そのまま踏んでみた。駄目でもともと、DAC導入の経験もないし、結果がNGで売り払うことになろうとも、ある程度高くは売れる目算もあったし、試聴にかける交通費や時間を考えると、悪くてもトントンであると考えたのである。ともかく自分のシステムで経験してみたかったし、うまくいくだろうと(今思うと根拠も無しに)思っていた。。
で、サウンドハウス(オーディオの店ではなく、楽器&プロ音響機器販売の方)の通信販売で購入。

試聴一発目から、全域に渡るスピード感、それも全域揃ったスピード感で、低域の押し出しも良好、プロ機らしく解像度は高いが艶やかな色彩感は感じない。くっきり音像を描ききる、といった感じ。うちのシステムではきつい音は微塵もない。S/Nもいい。音場は広いようには思えないがもう外せない。今の私が好きな音の方向性を示してくれたように思う。
図に乗って、アメリカ製なのでいくら電源部がグローバル対応でも音決めは向こうの電圧でやっているだろうと思い、電圧を100Vから117Vに昇圧するトランスをノグチトランス販売から購入、確かに良くなった気がした。実は今は使っていない。新居に越して音もままならない中、もう少し安定してから117Vに再挑戦しようと考えていたからだ。という割にはもう5年目なんだが…そろそろいいかもしれない。
その家を新築中に、しばらくの間オーディオの先輩に無理を言って預かってもらい、引き取り時に先輩のシステムのDACと入れ換えて無理矢理組み込んでもらって聴いてみた。しかし、DAC1に期待していた音は聴けず、その時は先輩のDACを組み込んだ先輩オリジナルの音を凌ぐことも、いや、並ぶこともできなかった。よく鍛えられたシステムは元の機器より数段レベルが高い機種への交換でないとそう簡単には音質アップは望めません、ということですね(何故かここでですます調)。

いま、足にはBDRのコーンを両面テープで貼り付けている。DACなので振動を受ける方であるからコーンは逆向き、つまり、円錐の先がDAC1に来るようにする方が良さそうな気もするが、電源ケーブルにシナジスティックリサーチを使っていて、単芯で固いケーブルに引っ張られてひっくり返りそうになるんで今は円錐の先を下側にしている。
もっとも設置環境に簡単に影響されることも別のオーディオの先輩に実演してもらった。この場合置く場所の変更だけだったがそれだけでも変化した。ありがたいことです(何故かここもですます調)。

欲を言えば外部クロックの入力があればいいのだが、これは無理かも知れない。

CDプレーヤが壊れない限りまだまだ使い続けることになるだろうと思う。

2009/11/26

タイトルの画像を変更(3)

タイトルの画像を変更(2)で変更したタイトル画像は元に戻した(訂正(2009/11/26):違う画像に変えた)。ピンぼけなのがどうも落ち着かず、書くことはあるのに投稿意欲も減退したようなので。

2009/11/17

3号の進化

うちの3号(♀1才)は、最近四つんばいになってわんわんと言う。
試しにお手と手を出したら、ちゃんと前足(!)を置いた。

犬くらいまでには進化しているらしい(当社比で最速)。

2009/11/15

タイトルの画像を変更(2)

タイトルの画像を変更した。
昨年に引き続き家族旅行で訪れた今帰仁村今泊(なきじん・そん・いまどまり)の海岸で捕獲したヤドカリの顔面アップ。

過去のタイトル画像はこちら。
タイトルに画像を追加(2008/09/30)
タイトルの画像を変更(2009/05/18)

2009/11/14

「悲しみ」は教え

感情を大きく分けると
喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖
または
喜、怒、哀、楽、愛 (いとしみ)、憎 (にくしみ)
になるという。例によってWikipediaから(Wikipediaを批判する人もいるが、では代替は?)。

人類が、いや、生物が生きていくために、生存競争で生き残るために、安全・危険を察知するために、肉体的な(あるいは精神的な)テリトリーを守るために感情が必要とされていると考えると理解しやすい。
「喜び」「楽しみ」「愛しみ」は生きるモチベーション、「嫌悪」「恐怖」「怒り」「憎しみ」はテリトリーから敵を排除するため、「諦め」は一事に執着することなく次へステップを進めるためと解釈してみた。
では、「悲しみ」「哀」は? 生きるためにはどちらかというと不要であり、敵も排除できない。
しばらく考えて、はたと気づいた。
これは「教え」である。「警告」かもしれない
人はいつかは死ぬ。だから、自分の命を長らえるよう深く心に刻んでおく必要がある。
(もっとも、乳幼児は悲しいかどうかは分からないが、泣くことで注目を集めることが生きる手段かもしれないが)

先日、オバーの教訓で書いたオバーのお通夜の帰りにそんなことを考えていた。

享年101。オバーは明治の人だ。母親によると出生時に1年遅れたので実際はもう1才上だろうとのことだった。老人ホームで過ごしていたが、職員の夜中の巡回時には既に息が無かったという。本人には睡眠と死は区別できないはずだから、本当に安らかに逝ったのだろう。
「四十九日も年内に終えられるよ、オバーはそこまで考えていたのかねー」「寂しいけど仕方ないさー」ともう老人の域に入っているオバーの子どもたちが語っていた。
6年前に家で転んで足を悪くしてしまい、それからしばらくして老人ホームへ行き、寝たきりであった。豚が飼えないのが寂しいと言っていたのは老人ホームに入る前のことだ。
告別式で幼い頃オバーの家でよく遊んだいとこ連中に20年ぶりに会えたのもオバーのおかげである。

老人ホームに入った後は自分の娘も認識できないくらいで、既に昔のオバーではなかった。
「教え」を発して、オバーはあのときのままこれから記憶の中に生き続けるのである。

画像はWikipedia Commonsから、オオゴマダラ。英語では"Paper Kite"、"Rice Paper Kite"と呼ぶらしい。優雅な飛び方が美しい。幼虫時代に毒性のある植物を主食とし毒を貯め込んでいるせいで外敵に襲われにくい。バラには刺、蝶には毒。

2009/11/09

ThinkPad X31 Fan Error → ファンやっぱり交換

以前のポスト
ThinkPad X31 Fan Error → ファン取り寄せ中
ThinkPad X31 Fan Error → ファン到着
で交換もせずにいったん復旧していたX31だが、起動時に"Fan Error"が出て落ちるようになったので、お取り寄せファンと交換した。手順は一度開腹手術したおかげでスムーズ。正味20分であった。起動時にはこんなにファンって回っていたものなのね、と思えるくらい今は絶好調。
ついでにトラックポイントも赤いゴムキャップを抜いて周辺を掃除した。結構埃がたまっているものである。

2003年購入で法定耐用年数の4年はとっくに過ぎたがもう少し現役で行けそうである。

2009/11/06

省エネナビ ボタン故障→復旧

省エネナビ ボタン故障→修理依頼で修理依頼した省エネナビが修理の上返却された。到着は2009/11/4である。
裏面パネル基盤故障で交換して復旧とのこと。10/16(金)に受付、10/19(金)~10/26(月)で基盤交換、その後エージングを実施し、11/2に修理完了で、総計2週間+。
これまでに保存されていたはずのデータは飛んだので(とのことだったが確認すると残っていた)、事前に取得していたデータが紙に印刷されてきていた。ちょっとした心配りがうれしい。
返却前に連絡があったそうで、対応した私の素敵な奥様曰く丁寧で好印象だったと。

同封された不具合調査報告書を見て気づいたのだが、シリアルナンバーが2008年No.001xxxを素直に解釈すると2008年製造分の1xxx番目である。2009年の購入なのであまり出荷されていないのか。
家のエネルギー消費を監視できる省エネナビのようなツールは今後必須だと思うのだがなぁ。

本日取り付け、測定再開。

2009/11/02

アバロン, Symbol

オーディオシステムご紹介で少々書いているように、我が家のスピーカはAvalon Acoustics社のSymbolである。このスピーカに変えてからもう6年半が過ぎた。音を追い込んだか、と言われると、いえいえ、まだまだ、と言うしかないが、反省の意味も込めてご紹介したい。

その前に以前のスピーカはMartinLogan製のAerius i(エリアス ・アイ)である。写真は8年前のものである。1号(♂9才)もまだ1才だった。この子は色々難しいところがあり今も試行錯誤。これだ!と分かったときには大人になっているだろう。そう言えば、山下洋輔のエッセイにこういうのがあった。ロンドンのタクシー運転手にこの目的地まで行けるか、と尋ねると「ベチャワンナ」と返され、ともかく乗っていろいろ考えたが訳が分からず1時間後に到着したときに初めて「アバウト・ワン・アワー」であると気づいたという。同じことになりそうだ。
閑話休題、Aerius iの音に不満があったのではなく、メンテに嫌気がさしたのだった。正確にはメンテにかかるコストに見切りをつけたのである。メンテというのはコンデンサー型スピーカの宿命で数年間使っていると静電パネルに埃が堆積して、音圧レベルが下がってくるのである。高域のレベルが劇落ち。自分でメンテしようにもちょっと分解方法がわからなかったので、輸入代理店にパネル交換の見積もりをとるとかなり高価。しかも本体ごと送付しなければならない。こういう大物は輸送料も馬鹿にならない。沖縄に戻って2年くらいで、給料も激減し家計も緊縮財政だったのもあって…、あきらめた(スピーカを交換する金はあったのね?)。こちら(マーチンローガン静電パネルの洗浄)のサイトでは静電パネルの洗浄方法をご紹介いただいているが、ベルクロで簡単に取り外せたのか、手放す前に知っていればなぁと、せめてパネルの取り寄せができればなぁと今も溜息…。完璧なスピーカではなかったが、軽やかにストレスなく音が出てくることが特に気に入っていた。スピーカの後ろに仮置きしていたスピーカケーブルのとぐろをほどいたところ、スピーカの後ろにいるというのに、ほぐす加減で音がどんどん変わっていくのに気づいた時はびっくりした。さすが後面解放!

ということで2003年にSymbolの格安提供を見つけたので購入した次第。細身の場所を取らないスタイルが気に入った。
高域はAerius i程ではないが細かい。許容範囲である。低音は伸び、量感がなくてどうしようかと思った。音楽にならない(ちょっと言い過ぎ)。低音の伸びはバスレフ型なので、かなり上の方でスパッと切れている。密閉型でだら下がりで延びているAerius iとの比較なので聴感上ではっきり分かった。
伸びはもう期待できないが、量感は何とかなるだろうと、セッティングをいろいろ試してみてもどうしようもない。ラインケーブルをカルダス製に変えスピード感を犠牲にしてバランス重視、これは当たりだった。その後、スパイクをBDRのコーンに変えたり(インチねじ!)、新築した家に引っ越ししたり、乗せる板を10cm厚の石灰岩にしたり、細々でもいろいろ試してみた。その頃のスピーカケーブルはシナジスティックリサーチ。電源ケーブル(ACマスターカプラー)で結果が良かったので、スピーカーケーブルもシナジにしてみたが、これは結果的には余り良くなかったようだ。単線系のスピード感が裏目に出てうるさい音になっていた。ツイータのサランネットを外せない。その頃はオーディオに興味を失なわないまでも、モチベーションの維持ができない悪循環に落ち込み、セッティングもかなり適当でコントロールできていなかったのも大きな要因ではあったのは確か。

しかしついに転機が訪れた。しかも立て続けに。
まず、シナジのスピーカケーブルがコネクタ部分で折れた、断線したのだ。金属疲労である。固いものはポキッと折れる。
では原点に返ってそこから再スタートだ、ということでアバロンの評価用デフォルトであるというMITに変えてみた。ヤフオクで見つけたAVT 3Sに交換。これがドンピシャ。バランスがいい。音楽が鳴り出した。今まで何をやっていたのかと。このスピーカはより線系のバランス重視が好ましいかもしれない。というよりもむしろシナジのケーブルは相性が悪かった。
でもまだ何か足りない。
続いて2回目の転機は「レイアウト変更は一石二鳥、棚からぼた餅」をご参照。スピーカ周りの環境は大事であると再発見(←何度やればいいのか)。
今のところ、低域の量感は不満がない。スピード感で補っている。何故か伸びも不満がない。音場は広大とは言えないが、それなり。ただツイータのサランネットを外すと細かい粒子となっていくのがよく分かる。これなら外してもいい。

突き板の剥がれと、左スピーカの1個のウーファのボトミング(接着剤の剥がれ?)が問題であること以外は今は安定期(それって結構な問題では?>自分)。

以下の記事もご参考。
アバロン Symbolのツィータ断線-1(イントロ)
アバロン Symbolのツィータ断線-2(断線確定)
アバロン Symbolのツィータ断線-3(修理完了)

随時他の機器もご紹介できればと思う。

2009/10/28

ドラム式洗濯乾燥機(東芝製TW-741EX)の分解清掃(2) - 大掃除編

(1)-内部のぞき見編の続きである。

話が前後する。TW-741EXは東芝製であるが最近の製品は対応策は考えられているようである。
例えばTW-180VEなどは東芝のHPに掲載されている取扱説明書を見ると、糸くずフィルタと排気フィルタが設置されている。
TW-180VE 取扱説明書 p.50 糸くずフィルター
「フィルターお掃除」表示が点滅したら必ず糸くずフィルターを掃除してください。洗濯乾燥機はたたき洗いのため布が傷みにくく、糸くずの発生が少ないのですが、乾燥を行った場合や、タオルなどの糸くずが出やすい衣類を洗濯乾燥した場合そのつど掃除してください。
TW-741EXにはそのようなフィルタは一切無い。設計段階ではまだ勉強不足だったと言うことか。ドラム式の洗濯時の糸くずの少なさは理解していたが乾燥時の糸くずは考慮漏れだったような。

追記(2009/10/30)
現行機種であるTW-180VE/TW-200VFには乾燥時のフィルターはついていない。その上位機種群である4桁系のTW-2000VC以降になって初めてついたようである(現行はTW-4000VFL/TW-5000VFL)。3桁系での乾燥はほどほどにしろと言うことか。わかってやっているのか。なんだか…。

作業を続ける。

[ファンカバー開口]
ファンカバーには2種類のネジが使われている。1種類は+ネジ穴付きの6角ボルト。プラスドライバで外れる。
電源系の配線がつながっているが、それはそのままとする。ファンのカバーを慎重に開いてみると、じゃーん! そこには埃にまみれたファンが見えてきた。ファン下部には空気が流入する吸気口があり、そこが通気トンネル(?)を介してドラムとつながっているらしい。埃で吸気口が半分以上塞がれている状態。これでは風量も確保できないのではないか。とにかく目につくところから掃除を行う。掃除機と使わなくなった歯ブラシでこそぎ落とす。プラスチック製の吸気口は取り外せたので水洗いもする。カバーはベルトドライブ部分があり、配線もあるので右手に持った歯ブラシだけでガンガン落としながら、左手の掃除機のホースの口で吸い込んでいく。

[通気トンネル(?)開口]
ファンの吸気口の先に通気トンネル(?)があり、そこにも埃が付着している状態。中に手を突っ込むと埃は湿っている。また、石灰分も付着しているようであり、ここまで水分が来ているか、常に湿った状態のようだ。埃を水で流す設計かもしれない。
それにしても前回の洗濯から12時間以上も経っているはずなので、悪臭の元はここかもしれない。
ともかく、ドライバを持って、ネジを外す。
後方上部のサブパネルのネジも一部外す必要がある。
通気トンネル内部にもネジが一箇所だけあり、そこは、通気トンネルのパネルを外さないとアクセスできない。このネジはさびにさびていた。これは良くない。
手で湿った埃をどんどん除去していく。ある程度除去したら、細かいところを歯ブラシでこすりながら、掃除機で吸い込む。

[ヒータ部カバー開口]
ファンカバーの先にはテカリのある金属カバーがついている。ヒータのようだ。
そのカバーの上には10円玉大の黒い色の温度センサーと思われるものが取り付けられている。
温度センサーは左右にコネクタがあるので外す。方向性があるかもしれないので、上下右左を間違えて取り付けないよう印を付けるなり、デジカメで現状を撮るなりで対処する。
ヒータ部の分解は大まかに3つの部分に分かれる。ファンカバーとの接合部分、温度センサー、ヒータ部カバーである。
開けてびっくり。ヒータ部カバーの裏の埃が熱で焦げている。うーん。
こちらは、歯ブラシと綿棒と爪楊枝に掃除機を動員した。

[きれいになった]
きれいになったとこ見ていって。
(拡大すると分かるが、完璧ではない。2号(♀5才)と3号(♀1才)の面倒を見ながらなので8割方で切り上げた)

[元に戻す]
開けていった順番と逆に元に戻す。つまり、ヒータ部カバー(ファン接合部、温度センサー)、通気トンネル(?)、ファンカバーの順だ。
とりあえず、ここは落ち着いて、落ち着いて。
そして、裏板、天板も元に戻して、我らがTW-741EX君を1人前に戻す。
設置箇所の都合上、給水ホース、排水ホースも移動の前に戻す。電源コードは移動後だ。

[ドラム式と洗濯パンの危険な関係]
前回も書いたがドラム式は重い(67kg)。一方当家の洗濯パンは640x640mmサイズの4隅が盛り上がっているタイプ。しかも設置環境は上下左右に余裕がないと来ている。つまり、洗濯パンの4隅に洗濯機の足を乗せるのに一苦労するのである。結局は台風の真っ最中にお出かけしていた私の素敵な奥様が帰宅後に協力してもらって、洗濯機の下部を木材でギリギリ浮かして、押し込んだ。
1時間くらい試行錯誤したような気がした。

[試運転]
とりあえず、空の状態で洗濯を行う。
次に洗濯→乾燥にトライ、奥様の検収を受ける。
予想時間内に乾燥終了(第1関門クリア)、ちゃんと乾燥している(第2関門クリア)、異臭も無し(第3関門クリア)、ゴムパッキンに埃の堆積も無し(第4関門クリア)。
よって検収は合格。めでたしめでたし。

[メンテをどうするか]
これでしばらく寿命が延びた。
今後は今回のような洗濯機自体のメンテに加え、洗濯パンの排水口も掃除をする必要がある。どちらも洗濯機を移動させないと何もできない。
つまり、洗濯パン周りは改良の余地がある。4隅が盛り上がってないタイプに交換するか、4隅の前後方向を同じ高さに揃えて移動しやすくする工夫が必要と感じている。
まぁ、要はドラム式洗濯機は重い。重いということを翌日の筋肉痛が思い出させてくれた。

2009/10/27

ドラム式洗濯乾燥機(東芝製TW-741EX)の分解清掃(1) - 内部のぞき見編

台風20号(Lupit)が迫り来る中、ドラム式洗濯乾燥機(東芝製TW-741EX)を分解清掃をしたのでメモする。2009/10/25(日)のことである。
また、TW-741EXは2001年に購入したものである。
なお、Wikipediaで調べると、洗濯機の法定耐用年数は6年、家庭での平均使用年数は8.4年とのことであり、すでに資産価値はなく、平均使用年数に近い。

[注意] (こういうことを書いといた方がいいというのは嘆かわしいですが)
このポスト(記事)は自己責任の元で行った事柄を記事にしています。
酔狂にもこの記事の真似をしてメーカのサポートを受けられなくなったり、怪我をしたりしても当方は関知できません。
[現象]
ここ数週間ほど以下のような症状が現れた。
  • 乾燥すると衣類に異臭がつく(濡らしたままほっといたような)
  • 乾燥に時間がかかる。しかも、乾いていない
  • 乾燥するたびに本体開口部の回り縁のゴムパッキンに糸くず・埃が堆積する
つまり、乾燥するのに支障が出ている。
晴れた日は外干しできるからいいが、雨が降ると乾燥機能を使いたい。
何よりもまず私の素敵な奥様の負荷を減らすべきである。

[推論]
原因を次のように考えてみた。
  • 洗濯機内部に埃が堆積して、乾燥の邪魔をしている。カビが生えているかもしれない。
自分で内部を分解清掃すると少なくとも半日仕事になりそうな気がしたし、メーカや電気店に頼んでも1万~2万円かかりそうな気がしたしで、逡巡していたが、台風接近でしばらく乾燥機を使わざるを得ない、ついでに今日は日曜日だ、ということでまずは外部パネルだけ外して中を確認してみることにした。

[ドラム式の重さ]
ドラム式は重い。TW-741EXはカタログ上の仕様で
  • 67kg
もある。箸より重いものを持ったことのない方には移動は困難かも。
ともかく洗濯機を洗濯パン(←後で大変な思いをする)から取り出さないといけないが、洗濯機の上下左右とも隙間があまりないので取り出しにちょっとだけ苦労をする。

[分解時の3つの線]
さて、分解するに当たって次の三つの線を外す必要がある。元に戻すときも忘れずに。
  • 電源コード (電源プラグを抜く)
  • 給水ホース (元栓を閉めてから洗濯機から外す)
  • 排水ホース (洗濯機から外す。洗濯機内に若干の残水があるのでお漏らしを拭く用意も)
[ネジ保管の準備]
外す部品毎にネジの種類と数が異なる。混同しないようにネジを外すときに仕分けして保管したほうが便利だ。
外した部品は結果的に
  • 天板
  • 裏板
  • ファンカバー
  • 通気トンネル(?)
  • ヒータ部カバー
となった。それぞれに小皿を用意するか、置く場所を混在しないように離しておく。
ちなみにすべて+ドライバーでOKであった。ただし、一つだけ腐食しているネジがあったのでそこはペンチで回した。

[天板を外す]
天板の4隅にネジがキャップで隠されている。キャップを外してネジも外す。
ネジを外したら、天板を後にスライドしながら上に持ち上げると外れる。
予想と異なり、案外きれいだ。天板側から掃除機を突っ込んで埃を吸い込めば最短で復旧できるはず!の目論見が外れる。
さて?と下部は見えないので、裏板を外して下部も確認する。

[裏板を外す]
裏板は上下左右に複数のネジで止められている。
案外ペラペラだが、まぁとにかく外す。
うーん、きれいだ。ドラムを支えるダンパー下部左右中央にあるがきれいで頼もしい。側板には遮音対策としてフェルトが貼られている。
これは当てが外れたようだ。
ふと見ると、上部にはターボのような鉄製(?)のカバーがあり、ここに熱風を送り出すファンが隠されていると推測。
思い切って空けてみる。

じゃーん、驚きの結果が!
(次回へ続く)

2009/10/25

ThinkPad X31 Fan Error → ファン到着

前のポストThinkPad X31 Fan Error → ファン取り寄せ中で発注したファンが到着した。2009/10/20(火)に発注、10/21(水)に振り込み、10/24(土)に到着なので、振り込み確認から最大で4日。「1ヵ月待ち」は担当者の勘違いか、担当者が努力してくれた結果が短納期か。

で、その後X31は異音もしなくなったので、お取り寄せFANは保守部品として保管することにしよう。

(追記2009/11/9)
交換となりました。

2009/10/21

ThinkPad X31 Fan Error → ファン取り寄せ中

我が家はMacBookとThinkPad X31の2台体制であるが、私の素敵な奥様がキッチン近くで常用しているX31から異音が発生して、「いよいよお陀仏」とメールが飛んできた。2009/10/8のことである。2FのMacBookを1Fのキッチンに降ろして、キッチン近くのネット環境の代替機とした。壁や天井、キッチンの造作が白系なので、MacBookの方がインテリアとしては馴染んでいる。
時間が無かったので2日ほどほっといたが、ほっといても直らないので、現象確認のため試しに立ち上げると確かに「Fan Error」。もう一度シャットダウンして、筐体を揺すって起動すると今度は立ち上がる。異音もしない。埃かな。
Lenovoの以下のサイトを参考にして一旦分解する。
筐体裏のネジを外して、キーボードを取り外し、ファンのネジを外して、ファンを取り出す。、中の埃をピンセットとノンフロン、エコタイプの人力エアブロアー(強く"ふー")で除去する。元に戻して立ち上げる。通常の使用状態では異音はない。それでも奥様が使用中にCPU負荷が高い状態が続くと異音がすると申告があったので、念のため交換部品を取り寄せることにする。
ネットで調べるとファンアッセンブリをIBMから(Lenovoではなく)自分で取り寄せると、格安で済むことがわかった。消費税、送料込みで3,475円。修理をすると思えば安い。キーボードと保守のし易さ、ThinkPadを選択した甲斐があったというものである。もっともキーボードは以前ほどでは無くなっているような気がする。
日本IBMの部品センター一般部品販売担当へ電話すると、部品(部品番号:67P1443)の在庫がないため1ヵ月待ちと言うことであった。いずれ壊れると踏んでいるので、注文することにする。
購入申込書をFAXしてもらい、住所氏名連絡先を記入し、振り込み控え(ネットで振り込んだので振り込み履歴を印刷した)と併せてFAXで送付した。

申込書が送付されるのに併せて「部品販売窓口移転のご案内」も届いた。以下備忘録。
平成21年11月以降のご注文(購入依頼書ご返送)
  • FAXでのご注文:043-297-4960
  • 郵便でのご注文:新住所(省略)
  • 11月以降の問い合わせ先:043-350-8304(代)
このあたりを参考にした。感謝。
Knecht.jp :: blog: ThinkPad X31の部品交換を自分でする
nDiki: 冷却ファン交換ThinkPad X31 好調 (2007-01-15)
ThinkPad X31 Fan Error 発生 - 清洲日和.blog
believe me, i'm not a fj man.: ThinkPad X31 CPU ファン交換

省エネナビ ボタン故障→修理依頼

しばらく前から省エネナビの画面が触ってもいないのに勝手に切り替える現象が発生し、2ヶ月ほどで収まったが、操作ボタンのうち二つが機能していないことに気づいた。一連の現象はボタンを構成する部品の異常と推測し、修理してもらうことにした。
中国計器工業のWEBサイトから問い合わせフォームを利用し、現象の説明と修理を依頼したところ、着払いで送付、2~3週間時間をくださいということであった。先週水曜日(2009/10/14)に発送、金曜には到着したはずである。
保証期間内である。

省エネナビに関する過去のポストの一覧はこちら

(追記2009/11/6)
復旧しました → 省エネナビ ボタン故障→復旧

2009/10/18

旗頭と動作の表現

今週は遅い夏休みを取って県内1泊家族旅行に行ったり、1号(♂9才)の子ども旗頭(はたがしら)の練習に付き合ったりで、それでもなんとか仕事に復帰すると遅れ気味身のプロジェクトの進行に活を入れつつ、かと言って、半分の工期、半分の人員でまともにやると計4倍の負担は、24時間働いても8時間労働のせいぜい3倍止まりであるので、何かと忙しく、心を亡くしている。工夫のし甲斐、知恵の出し甲斐があると思うことにしている。

ところで、旗頭とは、那覇や首里の地域のシンボルのようなもので、お祭りの時に練り歩いたりする。それを子どもにもやらせようということで、練習の時は子供用とは言えある程度の重量があり危険もつきもののため、保護者のサポートを要請されたりしている。エイサー地域で育った者としては勝手がわからず要領を得ずで困ったものだが、いないよりはマシ、まぁ何とかなるだろうと思うことにしている。

その旗頭を持つ子どもへの指示として以下の言葉が保護者達から投げられるが、
  • 胸を反る(胸を張る)
  • 腰を落とす
子ども達はよく理解できないようだ。そこで言葉ではなく、手取り足取り教えることになる。
これらは他人側から見た「動作の結果」を表していると思う。「では一体どうすればそうなるの?」がわからない感じ。
私の経験では上記の言葉で理解できたことがなかった。例えばこんな感じ。
猫背だね。胸を張って歩きなさい
(胸を張ると疲れるなぁ)
数年前おへそを前に出すように歩けば自然と胸が張ることに気付いた。この歩き方は疲れにくい。胸を張れと言われると胸ばかりに意識が行って腕を後ろにそらしただけになってしっていたのだが、おへそを前に出すと体全体がおへそに追いつこうとし、自然と胸を張った姿勢になる。動作が異なっていたようだ。
また、エイサーや踊りの練習で腰を落とすようによく言われたが、膝の裏を伸ばさないようにすれば「腰が落ちる」と皆が言う状態になることにも気付いた。
自分なりに言葉を換えると結果として求められている動作になったという訳である。
  • 胸を反る(胸を張る) → お腹を前に出す(おへそを出す)
  • 腰を落とす → 膝の裏側を伸ばさずに軽く曲げる
私としては動作が分かり易いと思うが、どうでしょう?

画像は3年前(2006年)の首里文化祭の時のもの。首里城近くの龍潭(りゅうたん)通りで。毎年文化の日に行われるので首里文化祭と言われていたが、今では琉球王朝祭り首里と言う。名前変更は資金調達の関係らしい。地元では不評である。

本番時は旗頭を電線に引っかけて断線させないかと仕事柄スリル満点である(うれしくも残念ながら数年内に電線地中化の予定)。

2009/10/05

ライフハック - 自分の時間の王様は自分であることを意識しよう

ライフハックシリーズ第11弾。
自分の時間の王様は自分であることを意識しよう。
自分の時間の支配者は自分である。囚人や奴隷的立場に無い限り、何がどう忙しくても自分の時間をどう使うかを最終的に決めるのは自分である。時間に追われている気がしたら、自分が時間の囚人か奴隷になっていると考えてみよう。

ウチナータイムという言葉がある。沖縄地域における約束の時間に決まったように遅れる様を言うのだが、待っている人も慣れたもので待つことにイライラしない。いつかは来ると思っている。連絡もせずに来なかったりすると、それはさすがに不義理であったり、心配をかけたりする。時間に遅れることとは別の次元である。来ることは約束したがその時間に来ることは約束していないと考えるのである。
ウチナータイムと言っても、遅れるのはたいていプライベートな時で、さすがに就職の面接に遅れて来ることはない。仕事でウチナータイムは評判が悪いが、これは即仕事の結果に跳ね返ってくる。優先順位はあるのである。問題はプライベートの線をどこに引くかということになるのだが、人それぞれであり、時に溝が生じるときもある。溝が生じても他人の時間を支配することはできない。個人を尊重することは個人の時間を尊重することに等しいと考えるのである。
(追記)そこで、待つ人と待たせる人のどちらの時間を尊重すべきか?というところまで来ると、それは双方であると考えるのである。その先の行動は各人の個性、事情による。

画像はWikimedia CommonsからAI-139a 機械式時計の内部機構。AI-139aというのが何の型番かは分からなかった。

2009/10/02

適当、適切、いい加減、良い加減、不適当、不適切

「適当」は「適切で妥当」の省略表現と言える。
「適当」はこのように「適切」の意もあるが「いい加減」の意もある。その場合は「テキトー」と書くと分かりやすい。
その「いい加減」は「良い加減」でもある。バランスである。バランスを知るには極端を知らないといけない。

「適当」と「適切」が若干意味合いが異なる受け止められ方をするのに対し、「不適当」と「不適切」は現代でも同義であるは不思議。「フテキトー」は「テキトー」の反意語ではないようだ。

もう十年以上前の前職の入社前、入社試験の一環として精神科医のインタビューというのがあり、その医者から「あなたは自分自身をどのような人だと思いますか?」と問われ
いい加減であると思います。
と答えたことがある。その医者は若干の驚きと更なる興味を持ってくれたので、してやったりと思ったのだが、続けて「どのようなところが『いい加減』だと思いますか?」の問いに対し、しどろもどろになったのはいい思い出である。昔も今も相も変わらず適当^H^Hテキトーである。


画像はWikimedia CommonsからJupiter Family。木星とその衛星の合成写真。1号(♂9才)のキャンプで行われた星空観察会で木星を天体望遠鏡で覗いてみた。衛星のイオ、エウロパ、ガニメデ、カリストが白い点ではあったが確認できた。

2009/09/24

ライフハック - 「ユーモアは悲惨な状況を優しくオブラートに包み込む」

ライフハックシリーズ第10弾。

林望先生のエッセイだったと思うが、イギリスのユーモア感覚の紹介で
不治の病で伏せている彼を見舞いに屋根裏部屋を訪れた友人が帰り際、屋根裏部屋から下へ続くはしごを見て、「ねぇ、一体全体どうやってここから棺桶を降ろせばいいんだい?」床の彼は笑いを抑えきれなかった
というのがあったと思う。いくらブラックユーモアのイギリスでも気心の知れた悪態のつける親友ならばこそのユーモアなんだろうけど、私も時々似たようなことを言ってしまいそうになるので軽く共感と自戒。
親しき仲にも礼儀ありの文化には相容れないユーモアかもしれないが、「棺桶も降ろせないような所にいるということは死ぬなんて嘘だろ、騙すなよ、俺は信じないからな」というメッセージがこめられているかもしれず、言葉の伝えたかった本質が分かるのはこの二人だけである。
  • ユーモアは悲惨な状況を優しくオブラートに包み込む
生きてゆくのにユーモアは必要だよね。
希望が大事。

ライフハック - 「人の善し悪しは後に知る」

ライフハックシリーズ第9弾。
  • 人を見かけで判断しない、中身で判断すること。しかし、あなたは見かけで判断される。
  • 人を言っていることで判断しない、やっていることで判断すること。しかし、あなたは言っていることで判断される。
何を今更ではあるが。
本質は何か?を押さえないとうわべだけに惑わされて大切なものが逃げてしまう。しかし他人は自分のうわべだけで本質の一部を見抜いてしまう。難しい。

2009/09/23

学生時代に教わった一字一句間違えずに覚えている言葉

「2の10乗は1024。これは覚えておきなさい」
もっと複雑であるとか深いとか含蓄があるとか研究室の恩師が言ったとかそういうのは一切覚えていないに等しくて、林先生が「関数論」の講義の合間に口にされた実務的な内容のこの言葉だけを覚えている。
抽象的な学問より手応えのある実務的な役立つ何かを当時の私は欲していたのだ、ということがここまで書いて今やっとわかった。この講義から20年近い歳月が流れている。気付くのが遅すぎ。
今にして思えば「2の10乗...」は講義の内容とは直接関係なかったはずなので、林先生には講義の工夫に苦労をかけたんだなと感慨耽り。林先生の名前「一道」がありそうでなかなかないことや、月の大きさが地面の近くで大きく見えるのは目の錯覚で…などの挿話もあった。当時の私には講義の内容はからっきしであった。たぶん3年生の頃か?
講義以外に個人的なおつきあいはなかったが、1991年頃かに引退なさるので最終講義に対する好奇心もあって受講したことも覚えている。

そういえば、銭湯の広い湯船で何となく両手両足を左右にゆっくりと伸ばした時、ああ、こうやって無防備に自分を解放するのはいったいどの位ぶりなんだろう、と心の中からの開放感にびっくりしたことも思い出した。上京4年目、4年生の頃、一人暮らし。その瞬間から何かが変わり始めたのだが、その時は何かわからなかった。なぜ開放感を感じるのかもわからなかった。わかるようになったのはずっと後になってからである。気付くのが遅すぎ。蛹(さなぎ)の時代である。

今自分の置かれている状況はその学生時代には思いもつかないし、そもそも思いが及びもしていなかった。いや夢にくらいは思っていたかも知れないかな、でも少なくとも夢物語であるし現実は違うものだと思っていたし時代もそうだった。そのために格別の努力をしたわけでもない。毎日毎日の選択を行ってきただけである。でも「2の10乗は1024(=1K)」は仕事で頻出するし、その間に「自分の」家族もできた。幸い皆健康である。
今という時は過去の毎日の数え切れないほどの選択肢の中から選んできた先にある、あえて言えばひとつの奇跡である。「生きているだけで儲けもの」の世界だ。しかし、常にオン・ザ・エッジ、立ち止まってはいけない。バランスを取るために前へ前へ進む。かと言って易きに突き進むとバランスを失って底に転落し続くはずの奇跡が崩壊する危険性を常に孕んでいる。間違えたかなと思えば少しだけ戻ればいいのだし、戻って慎重に選んでまた間違えたと感じたら更に戻ってみるだけである。そしてまた前に進む。実のところ間違っていたかどうかは落ちてみて初めてわかる。わかった頃にはもう遅い。だから外側をよく観察し外側の声に耳を澄ませ、そして一番大事なのは自分の心に感じる微妙な何かを感じ取り自分が正しい思うところへ進んでいくしかない。選択肢の選び方には癖や偏った見方や自己主張が必ずあるから外側からその選択肢を変えるのは不可能ではないが容易ではない。選択肢を変えるのは、言い換えれば、自分を変えるのは常に自分自身の自覚にある。このことをもう一度自分に言い聞かせておこう。



# こういうよくわからんもったいぶった書き方の時はきっと何かあったと…。

2009/09/17

「PCオーディオfan」(AUDIO BASIC 特別編集 MOOK21・共同通信社)

7/21にamazonに注文したところ、在庫切れで(そんなに人気!?)、9/3に届いた。相変わらず周回遅れである。
通勤時に読むわけにも行かないので、寝る前に子どもを寝かしつけつつ(否、どやしつけつつ)、つい自分も寝てしまうので、なかなかまともに読んだりできなかったりするのだが、無理矢理時間を作って目を通した。

これからのオーディオの選択肢のひとつが提示されている、とでも言えばいいのか。この雑誌にないとすれば、ホームシアターなどのビジュアル系くらいで、スタンスはオーディオ系からアプローチしたPCオーディオ。一応iPodへの気配りも忘れてはいない。
付録のCDは96kHz/24bitのいわゆる「ハイレゾリューション」(高解像度)サウンド。CDよりはるかに高次のフォーマットである。CDプレーヤでの再生できないとの注意書きがある。目の前のMacBook/QuickTime 7.6.4で再生すると、回転ノイズが大きくて音楽の少し邪魔をする。その点だけでも専用ドライブを用意する必要性を感じる。肝心の音はMacBook内蔵のスピーカでも空気感が感じられるのでこれはいい録音かも知れない(まだ断言できない)。

CDに対するPCオーディオの優位性は
  • フォーマットの変化に対応しやすいこと (CDだとほぼ固定だし限界も見える)
  • 再生リストにに柔軟性があること (CDはいちいち人がCDを変えないと)
  • CDなどの媒体に室内を占有されるおそれが少ないこと (言わずもがな)
かなと思う。

そういう優位性がPCオーディオにはあるが、かといって、決してCDを駆逐したり置き換わったりするものではなく、ユーザの選択肢が増えるということであり、これはとてもいいことだと思う。確かにそう思うのだが、逆に雑誌などはターゲットが絞りにくくなり、その結果雑誌は大量に捌けず、大きな売り上げが期待できない。「オーディオが絶える」というのはどうがんばってもいい音しかでない、という逆説的な理想郷の話で、当分夢物語だからターゲットは確実に存在する、しかし、パイは小さい。相変わらず媒体商売には受難の時代が続きそうである。
それと、携帯音楽の普及やよくマーケティングされたり粗製濫造されたりで肝心の音楽を面白く感じなくなり、その先にある音の善し悪しに興味を持たない人が増えているのはないか、と身勝手な心配をしたりする(市場が小さいと機器が高くなるので。カートリッジがいい例)。

我が家でのPCオーディオの導入はその優劣、是非とは関係なく当面様子見である。時は金なりではあるが、今は両方とも無いのが悲しい(笑うところです)。

ちなみにこの雑誌では私のオーディオの先輩の一人がが大活躍している。突き詰めればかなり広くて深い分野だと言うことがよーくわかりました(なぜかここだけ「ですます調」)。そうそう、先輩方にはPCオーディオでも高精度のクロックを注入すると音がよくなる(空気感方面)ことも経験させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます(やっぱり、ですます調)。

2009/09/14

「うりずん戦記」上江洲安克著

第32回山之口貘賞を受賞した詩集である。

詩の心得のない私がこの詩集を手に入れたのには訳がある。
作者のお住まいが近所なのである。たしかに近所ではあるが、この地に越して4年半になるがお目にかかったことは一度もない。そうは言っても実は弟さんやお母さんとは面識もあり、お二人とも月に一度はご近所模合で顔を合わせる間柄である。その模合仲間のご近所の大先輩から、作者が賞を受賞したよと教えてもらったので手に入れた次第。
ちなみに「うりずん」とは梅雨期に入る前の初夏、過ごしやすい季節のことである。沖縄戦はうりずんの頃〜梅雨〜夏までであった。
ご紹介してみる。


悲しき背中のPW
勝者の令に起こされて
勝者の令に働きて
掘る藷(いも)すべて肥え太り
満々まんと地を充(み)たす
収穫すくなき痩(や)せた地の
めずらしき一時の大盤振る舞い

白骨の うえに肥えたり 太き藷
PWとは"Prisoner of War"で捕虜のこと。もう一編。
一人身の翁

偏屈頑固一人身の翁(おきな)
慰霊の日の近づけば
気の昂(たかぶ)りてか臭言(くさごと)を言う

曳光弾の美(うつく)しきこと
艦砲弾の美(うつく)しきこと
夜の中(うち)のその炸裂のいと美しきこと
えも言えずこの世のものとも思えずと
口角(くちかど)に泡を飛ばせてのたまわく

ただ慰霊の日より三日ほど
戸を閉じ窓を閉め切り
翁一人こもりて外に出ず
隣家の人の言うに
食せず仏壇に向かいて啜(すす)り泣くと

戸をとじて こもりし心 蝉の声
2編とも戦争で生き残った者たちを描き、そこから戦争のもたらした悲劇を見据える。
特に「藷」は教科書に載せて欲しいくらいである。敗者の悲哀と生きるための糧である藷、このやせた地での藷の珍しい豊作は生き残った者たちに恵みをもたらすが、そこには多くの屍が眠っていることを最後の一句で劇的に読む者の思考を転換してみせる。読みやすく記憶に残りやすく、劇的。もうびっくり。この一句だけでこの詩集を手に入れた価値があったというもの。

ちなみに別の詩の中にも出てくる「弟」さんから伺ったところによると、詩集の表紙裏に描かれている絵もお兄さんの作とのこと。その絵とは、「亀甲墓の入口に体を乗り入れている兵隊の足が見える、蹴散らされた線香立てと左足の靴の底、ゲートルが印象的」な絵だ。弟さんがお兄さんに描いた情景がわかるか?と問われ、よくわからないと答えたところ、お兄さん曰く、外地の戦地から戻った兵隊がようやく故郷沖縄に帰って来たが、家族一族が見あたらず、生き残りを探して一族の亀甲墓の中を慌て潜っていった瞬間を描いた、とのことである。

最後に「あとがき」から。この詩集に込められた作者の強い思いを感じる。
 ユダヤ教の大切な宗教行事に、「過越(すぎこし)の祭り」というものがあります。モーゼの出エジプトの切っ掛けになった話で、三千年ほど前の出来事ですが、ユダヤ教徒は今でも艱難辛苦を乗り越えた、民族の大切な祭りとして語り継いでいます。
 私は戦前の沖縄を知りませんが、戦前の沖縄人(ウチナーンチュ)と戦後の沖縄人には、明らかに違いがあると思います。その違いの原点が沖縄戦であり、沢山の人たちが、艦砲射撃にに食われて虚しく死んでゆき、その艦砲射撃の食い残された者たちが、今の私たち戦後沖縄人だと思います。ですから沖縄人のアイデンティティーが続く限り、何百年でも何千年でも、ユダヤ教徒の「過越の祭り」のように、大切に生々しく、沖縄戦を語り継いでほしいと思います。これを語り継ぐことが、艦砲の食べ残しの子孫として重大な責任だと確信します。
昨日(2009/09/13)、モノレールが不発弾処理の影響を受けて午前中を運休した。まだ沖縄では戦後処理が日常である。

2009/09/07

レイアウト変更は一石二鳥、棚からぼた餅

新築当初の4年間は、ピアノをスピーカの間に置き、アンプ類はラックに収めていた(1番目の画像)。
ちょっと大きい音を出すとすぐ飽和するし、音場もピアノの反射のせいか感じられない。なんか聞いていて楽しくないのである。
しかし、この配置以外の選択肢はないものだと考えていた。

2年程前から居着いた猫が隠れ隠れ爪研ぎしたおかげでJ. L. MOLLERのダイニングチェアの座面が剥げ剥げになっているところに加え、KVISTのテーブル(日本向けのためか一回り小さい)の集成材が剥がれてきた(!)ので、これらを修理に出すことにした。
これらの家具と修理の顛末は別のポストに記そうと思う。
(2011/2/14追記:こちらに少し書いた)

家具を修理のために搬出すると、部屋のレイアウト変更の可能性追求への闘志に俄然火がついた。私の素敵な奥様ともどもである。奥様は元々レイアウト変更は好きな質である。見逃すわけがない。小さな家なのでレイアウトの可能性は片手で数えられる程の有限であり、かけられる予算もない。
二人で思案するうちに閃いた。発想を転換。通常のレイアウトではタブーとされている掃き出し窓に家具を置いてみることにした。そうなると玉突きのように次々と家具類がその位置を変えることになる。ソファーを掃き出し窓際へ移動(2番目の画像)し、ダイニングテーブルを90°に振り、ピアノはソファがあった階段下へ移動、オーディオ機器はターゲットオーディオのラックから出して、床置きに近い形で2x4材で作った簡易TVボードの下へ押し込む(3番目の画像:移動直後の仮置き状態)。ラックは戦力外通知でキッチンへ引き取られていった。
どう変わったか?
  • ソファがコミュニケーションし易い位置に移動し、昼間しか使わないピアノがその空いた階段下へ移動した
  • スピーカ間にものがほぼない状態となった。
  • おかげで音がよくなった(音場拡大、付帯音軽減)
3段論法である。
このスピーカ(アバロン, Symbol)、ピアノに毛布をかけて影響を確認しようとしたり(あまり変わらない)、中に毛布を詰め込んでサイレント化を目論んだり(検討のみ)、前のレイアウトでいろいろやってみたのだが、周りにある程度の空間を必要とすること、ピアノはかなり影響力が大きいことが頭ではなく実体験と再確認できた。今は伸び伸びと歌うのがうれしい。購入6年目にしてやっと本領発揮である。
例えば、ちょっと古いがGRPレーベルのアコースティック・アルケミー「アーケイナム」(Arcanum, Acoustic Alchemy, GRP)が実にギターのニュアンスもリズムもそろっていい感じで音楽を奏でている。
音楽をより楽しくより深くさせる音。待ってましたこういう音。
家具の修理代金は痛かったが、この音で元はとった。

# 実は3〜4月の話を今頃書いている

2009/09/04

オバーの教訓

昨日、9/3(木)は旧盆の最終日ウークイ(お送り)であった。私の仕事も休みで、1号(♂9才)の小学校も那覇市内の小中学校は休みということもあって休み、2号(♀4才)のカトリック系の幼稚園も何故か休みである(カトリックなのに祖先崇拝とは何事、などと素朴な疑問を持ってはいけない。そこはそれ、大人の対応だ)。

そのウークイ日、うちの両親と私の素敵な奥様、子ども達総出でオジーの仏壇に手を合わせてきた。と、その前に老人ホームにいるオバーに会いにみんなで寄ってきた。オバーの娘である母親によると戸籍上はオジーと同じ明治44年生まれなのだが、戦争直後の混乱期、戸籍の再登録時(?)に明治44年生まれと登録されたようで、実際は明治42年(1909年)生まれのなんと御年100才だそうだ。
いつも面会に行くと眠っているのが常なのだが。今回はたまたま起きている姿に会えた。こちらの声が小さいのか、目が見えないのか(少し濁っている)、ゆっくりした問いかけにも反応があったりなかったりで、きっと妖精の世界を生きているに違いないと思った。しかし、その声は自分が物心ついた頃から確かに聞き覚えのあるオバーの声であった。
同じ入居者の中でも表情がしっかりしている方がいて(足が悪そうであった)、その方がオバーの反応が悪いのを見かねたのか、オバーは唄をよく歌うよ、このホームに名人がいてその人が三線を弾くといつも歌っているよ、と教えてくれた。母親も、昔から唄が好きだったんですよ、と返す。

そういえば、思い出した。私が東京で学生卒業後も居残って就職し、独り身の暇つぶしに三線を始めて数ヶ月、数曲歌えるようになった頃、帰省の折にまだ元気だったオバーに三線持参で聞かせたことがある。1曲終わった後、
声はいいからもっと練習したら上手になるよ
というニュアンスの言葉を頂いた。
自分の三線の才能を客観的に評価してもらった初めての言葉である(ちょっと歌えるようになったので鼻高々であったのは確か。周囲のみんなは誰も言ってくれなかったが、要するに…下手ということなのね)。
  • どんな人にでも褒めるところはある(はずだ)
  • でも真実は伝えなければならない(遠回しにでも)
オバーの教訓として理解している。

ホームを辞去し、オジーの家に向かう。オジーの仏壇に向かって手を合わせる。
オジー! オバーは元気にしているからまだまだ独身貴族を満喫できるよ、と報告しとけばよかったと今思った。

2009/08/31

刈草はオジーの牛小屋のにおい

3号(♀1才)を連れて、近所に散歩に出かけるとお隣さんが敷地の草を刈っていた。積み上げられた刈草のにおいは、そうだ、オジーの牛小屋のにおいと同じだ、牛小屋のにおいは刈草のにおいだったのか、と分かった。

オジーは15年ほど前に亡くなったのだが、元気な頃の親戚関係の中心にはオジーがいた。
孫達が小学生以下だったこともあってかオジーの子どもたち、つまり、親同士も仲が良く、父親達も海で潜るのが面白いのか、夏になると毎週のように父親達は海へ魚を捕りに潜り、子どもたちは岩場で魚を追いかけ、母親達は父親達が採ってくる魚の処理に少々うんざりしながらも貝を採ったりおしゃべりに興じたり、それなりに楽しんでいた。その親戚同士で「模合」(もあい)をやっていて、毎月一度はオジーの家に集まっていた。オジーが何かを命令するとかそういうのはなく、なんとなく親たちの心の拠り所だったような気がする。
  • いつも仏壇のある二番座の仏壇に向かって右側一番座を背にして座っていた
  • 孫を叱ったことはない(オバーもそうだった)。いつも叱るのは親たちだった(オジーに促された?)
  • 地域の民謡大会で賞がもらえなかったことに憤慨して、親たちにおもしろおかしく慰められていた
  • 初めて見た女子プロレスはかなり面白かったらしく、熱心に面白さを説明し、親たちはこんな喜んでいるオジーを見るのは珍しいのか、笑ってばかりだった
  • 登川誠仁という今では民謡界の名手がいるのだが、その誠仁がまだ弾き始めてまもなく、「ナークニー」をオジーに教えを請いに来たが教えて上げなかったことを、親たちは「教えていれば、誠仁に「ナークニー」を教えたのはオレだと言えたのに…」と嘆息していた
  • 自戒を込めた「学がないとダメだ」が口癖
  • 「男は、唄でも空手でも何でもいいから人前でできるものが無いといけない」と言っていた
  • 「革は柔らかくないといけない、これは上等である」(私が買った財布が高かったので母親達が文句を言った所オジーが財布を手に取り諭してくれた)
  • 馬を飼っていたこともあって、戦後(もしくは戦争中捕虜後)すぐに市長の移動用馬車として徴用された
オジーは闘牛用の牛を飼っていた。闘牛大会へ出して勝ちたいのである。娯楽用である。毎日大量の草を刈って牛のエサにしていた。牛の運動のために近所の道を散歩させていた。
オバーは豚を飼っていた。子豚を育てて売るのである。生活の糧である。豚たちにはいいからと毎日シンメーナービ(大きな鍋)煮込んだエサを豚に与えていた。散歩はないが1回だけ大人の豚が逃げ出して大騒ぎしたことがあった。
オバーの偉さに引け目も感じずオジーはたいてい2頭の牛を飼っていた。孫達は怖くて小屋の中までは怖くて入れないのだが、小屋の入り口から牛を見ると、入り口左手に牛の口の高さまでかさ上げしたエサ置き場、エサ置き場と牛との間には2本の柱が立っていてるは外からでも分かる。角がなければエサ置き場の柱の間から牛の頭は入るが、角があるとまっすぐには入らず頭をひねって角度をつけないと入らない。
奥で休んでいる時はよく見えず大きな体の輪郭と眼だけが光っているようで子供心に怖いと思った。エサ置き場に頭をひねりひねり入れてエサを食べている牛を見ると、鼻の両方の穴から通された鼻輪に痛くはないのかと思い、闘牛の時には激しく戦うとは思えない優しい眼をしていることに気づく。怖い怖いと思いつつ牛は人間が裏切らなければ信頼できると思った。
記憶と結びついた「におい」というのは不思議なもので、躊躇無くすーっと過去に遡り、牛小屋の前に立つ自分がいる。
ずっと牛小屋のにおいだと覚えていたのはオジーの刈った草のにおいだった。

オバーも数年前から老人ホームへ行き、仲の良かった親戚は子供の成長と共に疎遠となり、そのうちことごとく離婚でばらばらとなり、いとこ同士で会うこともなく、地域で一番最初にコンクリート造にしたというオジーの家は今は人気も無く寂れている。オジーが亡くなった後には山羊小屋にされ今は何もいない元の牛小屋や、それでも変わらない仏壇を中心とした家の間取りを見ると一族や家族といったものの栄華盛衰を思わざるを得ない。

もうすぐ旧盆(9/1~9/3)である。最終日「ウークイ」(お送り)にはオジーの家に出かけ、一番座の欄間に飾られたオジーとオジーの牛の写真を見つつ、仏壇に手を合わせよう。

2009/08/26

1号(♂9才)の1学期後半開始、でもマスク着用

1号(♂9才)の1学期後半が始まった。2学期制なので夏休み明けでもまだ1学期である。1号は登校準備を昨晩「終わった」と宣言したのに私の素敵な奥様の軽いチェックで不備満載で、怒られながらの登校となった。

1号のこの夏のラジオ体操の出席率は、夏休み後半に惰眠をむさぼり50%程度、おりこうの2号(♀4才)は2度だけ欠席で準皆出席。
3号(♀1才)は1度だけの参加であったが、この夏、才気爆発。1号と2号を足して2で割らないほどの大物ぶりを発揮。模倣が早い。
2号がかゆみ止めを塗ると「あ、あ(オレもオレも…女の子なんだが)」とかゆくもないはずの足を指して「あー(ここに塗れ)」と指示したりり、目に見えない空想食べ物で「あーん」したり、やぬいぐるみにタオルを掛けてねんねの真似をさせたり、YES/NOも首の縦振り/横振りではっきり示す。ちょっと早すぎないかね、3号君。

さて、新型インフルエンザ流行最先端のここ沖縄だが、周囲にもその影が忍び寄っている。
昨晩1号の担任の先生から、登校時には新型インフルエンザ対策のため、マスク着用、用意できなかった場合はハンカチで、とのお達し。
仕事先では、同僚の子供が感染確定、本人も微熱があったので出社自粛(その後の検査では陰性)、アルコール消毒液は職場随所に配備。それ以外は普通に仕事しているが。

沖縄県の情報によれば、2009/8/25現在で、集団発生箇所は累計で356に上る。

国立感染症研究所 感染症情報センターによると現在の状況は次の通り。

新型インフルエンザA(H1N1)の流行状況-更新12 2009年8月20日
第32週1週間におけるインフルエンザの報告数は、4,630例で、これは統計学的な推計によると、この1週間に全国で約60,000例(95%信頼区間 40,000-80,000)の患者が発生していると推定される。また、定点あたり報告数(1週間の1医療機関当たりへの受診患者数)に直すと、0.99 であり、通常の冬季の季節性インフルエンザの全国的な流行の指標とされている1.0に近くなっている。ただ、まだまだ地域的には流行状況に大きな差異があり、都道府県別の定点あたり報告数では沖縄県(20.36)、奈良県(1.85)、大阪府(1.80)、東京都(1.68)、長崎県(1.50)、長野県(1.44)、三重県(0.99)、茨城県(0.91)、兵庫県(0.91)の順となっている。報告されている流行ウイルスは、ほとんどが新型インフルエンザウイルスAH1pdmである。
沖縄ではこの1週間で1000人前後の報告があるとみてよく、しかも報告数の10倍は患者がいるとみて間違いなさそうだ。となるとこの1週間で1万人、沖縄の人口は140万人弱だから、結構な割合かもしれない。

画像上は国立感染症研究所感染症情報センターのちょっと古い2009年7月28日 15時30分現在の日本の流行地図。

画像下は買い捲りンく研究所経由で知ったFluTrackerの世界地図。ズームしていけば沖縄までたどり着ける。データの更新がやや古いかも(少なくとも日本に限って言えば)。

お隣の台湾も感染者が多いが、沖縄では中部地域の感染者が多いので、米軍基地経由での感染かも案外多いかもしれない。

2009/08/24

電波時計@沖縄 (謎混迷編)

前回と今回のポストの間に「失敗百選」を入れたのは訳がある。
前回確かこう書いた(といってもコピペ)。
その時計を分解して、銅箔などのシールドがあれば、推測は間違っている可能性が高く、なければ、銅箔ないしはアルミホイルでシールドを作ってやって、電波の受信状況を観察、結果を考察する。
対象はGENTOSブランドのMODEL: ET-7301。
バーアンテナが、背面の支えになる一石二鳥の設計。
この時計にシールドはなかった。が、バーアンテナは基盤から距離を取っている。

そこで、ものは試しにとアルミホイルをビニールテープが在庫を切らしていたので導通しないことをテスタで確認した上でセロハンテープでくるんでシールドもどきを作ってみた。
結果、 惨敗、ざ・ん・ぱ・い。
うまくいかなかった。
へなへなへな…。
受信回路の差かも知れないが、電波受信回路の型番らしき"705Z2"を検索しても引っかからない。
今のところもう私にはお手上げ。

昨日寄った、DIYセンターに並んでいる目覚まし電波時計の強制受信ボタンを押しては待つを繰り返してみたが、すべて受信できなかった。
一芸エリート電波時計"SQ666S"が動作不能になった暁にはどうすればいいのだろう。

# 少々の時間のずれなんか気にするな、というのは確かにそうなのだが。

2009/08/21

「失敗百選 41の原因から未来の失敗を予測する」中尾政之著

2009/8/19(水)に那覇市のガーブ川で橋を調査中の作業員5人が流され、1人が救助、4人が遺体で発見された。悲しい事故だ。ガーブ川の行き着く先の川の下流に職場があり、当時、ここにも警察と消防が捜索をしていたのをちらっと眺めていた。
2度とこのよう不幸な事故を起こさないような対策を講じることがせめてもの弔いである。
素人が考えただけでも以下の対策を列挙できる。
  • 鉄砲水の発生履歴の確認 (危険性の把握)
  • 気象の予測と作業中止の判断の明確化 (迷ったら安全サイドへ)
  • ゴム胴衣(胴付長靴)の着用の禁止 (危険性の排除)
  • 雨水の大地への浸透推進  (危険性の排除)
  • 川に頼る雨水処理の改善  (危険性の排除)
  • 川水のコンクリート護岸への浸透改善  (危険性の排除)
  • 河川内作業における1名1安全ロープの接続義務 (受動的安全の確保)
  • 暗渠上流側入口の人間吸い込み防止柵 (受動的安全の確保)

さて、「失敗学」のリーダの一人、機械工学の中尾政之の失敗学の本。
機械工学の失敗例を集めてみると、約200の事例から41個に分類できることがわかったという。
機械工学の人だけあってその方面の事例が多く、専門用語も頻出する。

もともと、国が構築した失敗事例ライブラリである「JST失敗知識データベース」失敗百選という「国内外で発生した典型的な失敗事例を100例程度取り上げ、読みやすく記述」されたものがあり、個々の事例を詳細に眺めて行くにはそちらのほうが文字数の制約もなく、例えば航空機事故などは事故調査報告書なども掲載されており、本書よりも有効だ。本書はその点は物足りない。
ちなみにJSTは科学技術振興機構の略称。

しかし、この本は「まえがき」「第1部「失敗百選」とは何か」での指摘が重要だ。
日本で分析すべき失敗は、企画・開発の失敗である。(p.xiv)

使命感が醸成されないと、失敗を防ぐ気にもなれない。(p.xv)

「自分で失敗を経験したり、他人の失敗を伝聞したりして得た知識を、まず、収集してそこから共通点を抽出する。次にそれを現在の自分の状況に当てはめて、将来の失敗を予測し、致命的な損失を回避する」ことである。つまり「失敗を集めて選んで使う」(p.3)

失敗は技術的と組織的の原因を併有する(p.28)

重大事故は主要機能以外の些細な要因から発生する(p.29)

失敗は思考水平面の周辺部から発生する(p.47)

管理強化してもおっちょこちょいの人間の性格は変えられない(p.50)
仕事で、失敗データベースに刺激を受けて、類似した障害事例のデータベースを構築、啓蒙を行っているが、運営してみてよくわかったのが、障害事例を選定、詳細を記述、分析していくうちに障害の全体像と原因がだんだんはっきりと見えてくることである。「終わりよければすべてよし」ではいけない。
読むよりも作る方がはるかに経験値を上げるのは、どの世界でも同じであり、事例構築活動はメンバーが一人一人やるべきだと思った次第。

以下は手元にある関連する本の紹介。

「決定版 失敗学の法則」畑村洋太郎著

ビジネスマン向けの失敗学の啓蒙書。
「摩擦、軋轢があるのが健全な組織」という一文に唸る。
ひとつの組織の寿命曲線のなかで萌芽期、発展期の途上にある組織は、各人にやる気と夢があって組織全体に活気があります。各人が情熱に燃えていて「おれが、おれが」といろいろなことをやりたがるので当然、衝突が起こります。だからこそ、新たな創造が生まれるのです。(p.164)
しかし、成熟した組織では役割分担がはっきりしており、それが、組織間に「隙間」を作ることになる。そこに失敗が起こる。
失敗の温床ともいえる隙間を作らないようにするには、軋轢や摩擦が起こるような状態が健全なのだと認識して、組織運営することです。(p.165)


「NHK知るを楽しむ この人この世界 2006年8・9月 だから失敗は起こる」語り手:畑村洋太郎

ふとTVを見ると失敗学をやっているではないか。さっそく次の日に書店へ出かけて最後の1冊を手にした次第。
責任追求でなく原因究明を
六本木ヒルズ回転ドア死亡事故が、当事者のみならず業界を超え、法律家、医師、建築家など第三者的な視点からも原因の究明、回転ドアのみならず、ドア全般に対する「本質安全」「制御安全」への取り組みに当たったことが「失敗学」の集大成とも言えるものとしている。
ドアは軽くてゆっくり動かなければ危ない
のである。
ベビーカーの車輪が電車のドアに挟まれないように大きくなっているのをご存じか?


「パイロットが空から学んだ危機管理術」坂井優基著

失敗学ではないが、パイロットから見たリスク管理の要点を読みやすくまとめた本。
標語として並べて張り出しておくと何かの時のヒントにはなりそうだ。
  • 判断に感情を持ち込んではいけない
  • 2つ以上いいことは同居しない
  • 都合のよい解釈をしてはいけない
など。


ガーブ川の事故は確かに急激な気象の変化とそれに伴う河川の増水が主要因かもしれない。
しかし、決して、一つの要因から起こった事故でないことは明らかだ、と上記の本を読んだ今はそう考えることができる。
責任追及ではなく原因究明を。

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