2009/12/19

「スーパーエンジニアへの道」G. M. ワインバーグ著

モノレールでの通勤時は読書タイムである。手持ちの本が尽きたので棚の奥から久しぶりに取り出して読んでみた。今の仕事と重なる部分がある事に気づいて3回も読み返してしまった。技術者でなくても職業としての仕事に限らず家庭でも友人でも隣近所でもサークルでも何でも他人と協力して何かをやる事がある人は読んで損はない、というか読むべきである。

買ったのはいつだったのだろう?
1990年頃に買った「ライト、ついてますか?」は軽い本だが、読み通した後はボディブローのように効いていて、紛れもなく私の考え方に影響を与えた本である。その結果、著者の本を見つけては1冊づつ買い求めていくようになった。
手元にある本書は、1992年3月1日初版15刷発行とあるから、「ライト、ついてますか?」から2年後、就職した前後に手に入れたらしい。その頃の読んだ印象は特に残っていなかった。「ライト、ついてますか?」は今でも覚えていることが多いというのにだ。だからといって本書が凡庸な本かというとそうではない。著者が本書でデイル・カーネギー の「人を動かす」の価値に気付くのに40年もかかったと明かしたように、「私の中で何かが変わ」ってようやく読むのに適した時期を迎えたのかもしれない。

原題は"Becoming a Technical Leader ---An Organic Problem Solving Approach"である。邦題は意訳であることが「訳者まえがき」に書かれてある。技術リーダになること---有機的問題解決アプローチ、が原題の直訳で、本書のテーマでもあるが、テクニカルな話題はあることはあるが思いのほか少ない。リーダー(他人をリードするのではなく、プロセスをリードする人)としての考え方、ものの見方、捉え方、感じ方、をスケッチし、読者に提示する。そのリーダーのリーダーシップとは以下の文章に集約されている。
「アメとムチ」モデルでは、リーダーシップとは他人をリードすることである。一方有機的リーダーシップは、プロセスをリードする。他人をリードできるためには、その他人が自分自身の生き方を支配するのを、あきらめてくれなければならない。一方プロセスをリードするとは、人に反応して行動し、彼らに選択をゆだね、彼らに自分自身を支配させることである。人々はちょうど庭師がタネに力を与えるのと同じやり方で力を与えられる。すなわち、成長せよと強制する代わりに、彼らのうちに眠っている力を汲み出すのである。
(p.12 第一章 リーダシップとは、結局のところ何なのか)
気になるフレーズを抜き出しておく。
リーダーシップとは、人々が力を付与されるような環境を作り出すプロセスである。
(略)
だがアーニーやフィリスやウェーバーも、驚くべき形式でリーダーシップを発揮していたのだった。彼らはマーサが、彼女にとって強力であるようなスタイルで働くのを放っておいたのである。(略) しゃべることはマーサのスタイルではなかった。そして他の連中はそのことを知っていた。だから彼らは彼女を放っておいた。これもリーダーシップなのだ。
(p.12 第一章 リーダシップとは、結局のところ何なのか)
様式はいろいろであるものの、問題解決型のリーダーに共通に備わっているものが一つある。それは、もっとよいやり方は必ずある、という信仰である。
(p.22 第二章 リーダーシップ様式に関するモデル)
そういうわけだから、バージニア・サティアがすべてのコミュニケーションの九〇パーセントは不整合である(つまりわれわれが本当に伝えたいこととと合っていない)と見積もっているのは驚くべき事ではない。
(p.117 第一〇章 人に動機づけを与えることについての、第一の大障害)
複雑な環境では、もっとも強く仕事優先を信じているリーダーすら、人を優先せざるを得ない。そうしなければ、仕事が終わらないからだ。
(p.127 第一一章 人に動機づけを与えることについての、第二の大障害)
私はいつも、みんなを助けなければならない
(略)
私はいつでも、(その気になれば)みんなを助けることができる
(略)
私はときには、(その気になれば)みんなを助けることができる
(略)
私はときには、(その気になれば)ほかの人を助けられることもある
(略)
私はほかの人を、
彼らが明確に助力を求めた場合や、
私が彼らを助けるために技能を持っている場合や、
私が彼らを助けるための資源を持っている場合や、
私が彼らを助けるという任務に適している場合や、
私が彼らを助けようと思う場合や、
私が助けそこなったときにその失敗を許容できる場合には
助けることができる
(p.149 第一三章 動機づけのできる人になるには)
「あなたがお腹の中ではにこにこしているのに、しかめっ面をするのが自然だと考えるのは何のせいなんでしょうね。」
「私は自然でなければならないからですよ」と私は答えた。「私は自発的にそうするんです。」
「あなたは英語を自発的に話すけれど、でもそれは習ったことなんでしょう?
私、あなたは顔をしかめることも習ったんだと思うわ。あなたは『習った』ことと『人生の早い時期に、それと気づかずに習った』ことを、ごっちゃにしているのよ。じつはあなたが習ったことは不自然だったの。だって自然なのは、お腹の中で本当に起こっていることをそとに示すことによって整合性を持つことですものね。」
(p.169 第一五章 力、不完全性、整合性)
組織作りとは命令することでも命令を受けることでもない。仕事を片付けることである。
(p.202 第一八章 有効な組織作りへの障害は?)
ほかにもいろいろあり、それぞれに言及していくとそれだけで本ができてしまう。

この記事を書いた後、ワインバーグで検索していたら、こんなページを見つけた。
Gerald Weinberg(ワインバーグ)氏との思い出:An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ
進行性の癌であるとのこと。
以前書いた 「ワインバーグの文章読本」G. M. ワインバーグ著という記事に「G.M.ワインバーグ先生自身の不幸に感じていた幼年時代の今までにない記述あり。自身の歴史を振り返っているのか。老年期?」と書いたのだが、あながち間違いでもなかったが、ちょっと複雑な気分である。
私の生き方指南の師匠の一人(と勝手にこっちで思ってる)といっても過言ではないのでどうか元気でいて欲しい。

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