「日本はなぜ負けるのか―敗因21カ条」山本七平著
「総員玉砕せよ!」水木しげる作
著者の死後、私家版を読んだ山本七平氏によって評価され、出版に至った。
詳細は「日本はなぜ負けるのか…」に譲って、全く違う視点から著者が太平洋戦争時に赴任先のフィリピンでいかに九死に一生を得たか、を引用してみる。
まずは当初の赴任地台湾から内地へ帰還するとき。
内地帰還 〜 海難船を変えたおかげと魚雷不発で2回。
当時、富士丸は最優秀船で速力があるので一番安全な船とされ、この船の切符には「プレミアム」がつく位だったので、、欧緑丸に席を持っていた陸軍将校の人に交渉して交換してもらい、家族一同どうやら同じ船で内地へ行くことになった。… 夜明け、船が止まったので甲板に出てみれば前方に鴎丸が沈没しかかっていた。遭難者が、ボート、筏で流れてくるのを、富士丸と共に救助した。(p.12)
…
突然、 すぐ目の前にいた富士丸の胴体から水煙があがった。やられたと船室に飛び込み子供等に用意をさせる。窓から見れば富士丸はもう四十五度に傾き、次いで棒立となって沈んでしまった。雷撃後三分三十秒であっけなく姿を消した。(p.13)
…
富士丸の遭難者の大半を救助した頃、我々の船めがけて三本の雷跡。あわてて船室に帰る。船は急旋回。そのとき、ドスンと大きな音がした。もうだめだ。が、幸い魚雷は不発で助かった。(p.13)
レイテ島少尉殿のおかげで1回。
生意気な奴と一緒の船の中にいるのは一日でも少ない方が良いので、オルモックで下船してしまった。… この日の夕方、我々の乗ってきた船団はタクロバンに向け出航したが、タクロバン入港直前グラマンの第一回空襲に会い、全員行方不明となった。生意気な少尉殿のおかげで我々は命が助かった。「冥せよ少尉殿」(P.42)
大編隊比人の服装と態度で1回。
十三日、自分の誕生日なので尾頭付きで一人祝ってやれと,イピイル工場の桟橋で比人の服装をして魚釣をしていた。すると海上すれすれに二機の戦闘機が飛んでくる。友軍機と思い手を振れば自分の五十米程前で急旋回した胴体と翼に明らかに星がついている。これはいけないと思ったが逃げればやられると思ったのでそのままじっとしていた。(p.45)
セブ島に帰る・第二回セブ空襲下船のタイミング、機銃掃射が1回づつと空襲。
グラマンが立ち去ったので穴から出てみると今下船した日吉丸は一撃で沈んでいる。上陸が三十分遅れていたら死んでしまうところだった。(p.47)
…
空襲の間隙を縫って山手の兵站事務所に行く。ここの連中はもう逃げて誰もいない。係員を探しているうちにまたグラマンの機銃掃射を受けた。危うくやられるところだった。(p.47)
太田旅館に泊まる。毎日空襲される。疲れて昼寝をしていると、銀座通りでグラマンにバリバリやられている夢をみた。ふと気づくと本当に身近でバリバリやられている。ほうほうの体で壕へもぐり込んだ事もあった(p.47)
ロペス酒精工場、コンソリの爆撃に大破機銃掃射を察知で1回。
上空にはグラマン六機が獲物をあさっている。まだ突っ込んでくるにまでには一,二分ほどあると思ったので、自分等三人は溝から上がり、近くの防空壕に飛び込む。それと同時にいままでの自分たちのいた溝めがけてグラマンが急降下しながら機銃掃射を浴びせた。壕の窓から硝煙が流れこんでくるくらい間近な弾だった。(p.68)
タリサイ酒精工場大爆撃壕を出て1回。あとは空襲。
土民の壕から出て橋のところまで行くと、第三編隊が襲いかかってきた。橋のたもとの坪井大尉専用の壕に入る。今度はタリサイの町の中に投弾された。今出てきた土民の壕は直撃を受けて皆死んでしまった。(p.72)
…
六回,七回と波状攻撃は工場を中に続けられた。もう消火どころではない。壕にうずくまっているだけでやっとだ。十二時二十分、第一回の爆撃から二時四十分までの二時間二十分の間に十四回のB24の爆撃を受けた。一編隊の機数は六機〜二十四機だ。よくも助かったものだ(p.72)
コンソリの盲爆空襲。
自分の家の周囲にも六,七発落ちた。自室の窓、天井、戸等に大穴をあけられた。近くの比人の家は吹き飛ばされ、比人が十人ほどと水牛、犬、鶏が死んだ。(p.77)
タリサイ街道比人ゲリラで1回。
その日の夕方、神谷氏に出会うと、「今日小松さんたちと別れて五分ほど歩いた頃(我々が土人に椰子を取らせて水を飲んだところ)、自分たちの五米前を歩いていた海軍の軍属の前にゲリラがいきなり現れ自動小銃で彼を射殺したので、慌てて溝へ逃げ込んだところ、警備隊の兵隊が五人程、銃声に驚いて駆けつけてくれたので助かりました。もうタリサイ街道も危ないですよ」と言われた。我々が椰子の水を飲んでいたとき近くにいた比人達も危ないものだった。(p.81)
台湾〜内地〜フィリピンへと移動し、米軍が上陸する前までに以上のようにことごとく助かっている。九死どころではない。もうほとんど運。死んでもおかしくないし、実際、ほか多数は死んでいる。
米軍上陸前は「運」で助かったが、上陸後のジャングル彷徨では、著者の知識と実践力がいかん無く発揮され、また、いよいよ苦しくなったときに見つけた場所がよく、最終的に生き延びた。。
本の後半は、ストッケード(ストックヤード?)と呼ばれる収容所での生活が記述される。
著者が感情に溺れること無く冷静に観察、記録したからこそ、組織としての日本軍、日本人の性質への言及がより鋭く威光を放つ。
輸送船は簡単に沈められ、物資の補給は無し、植民地での傍若無人ぶり、現地で文化を残せない、豪語と不実、リーダの資質不足、友軍の人肉食(著者ではない)、暴力での組織化などなど目を覆うばかり。
この本の価値は結果的にお互い補完関係となる「日本はなぜ負けるのか…」で山本七平氏が自身の経験を交えながら論理的に明らかにされる。
ところで、沖縄戦に関する又聞きの情報が二度現れるが、いずれも、住民のスパイが多かった、という。これが真実なら史実ものだし、そうでなければ、当時の在沖日本軍の地元住民に対する偏見がいかににひどいものだったかを図らずも表していて、興味深い。
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