2009/09/24

ライフハック - 「ユーモアは悲惨な状況を優しくオブラートに包み込む」

ライフハックシリーズ第10弾。

林望先生のエッセイだったと思うが、イギリスのユーモア感覚の紹介で
不治の病で伏せている彼を見舞いに屋根裏部屋を訪れた友人が帰り際、屋根裏部屋から下へ続くはしごを見て、「ねぇ、一体全体どうやってここから棺桶を降ろせばいいんだい?」床の彼は笑いを抑えきれなかった
というのがあったと思う。いくらブラックユーモアのイギリスでも気心の知れた悪態のつける親友ならばこそのユーモアなんだろうけど、私も時々似たようなことを言ってしまいそうになるので軽く共感と自戒。
親しき仲にも礼儀ありの文化には相容れないユーモアかもしれないが、「棺桶も降ろせないような所にいるということは死ぬなんて嘘だろ、騙すなよ、俺は信じないからな」というメッセージがこめられているかもしれず、言葉の伝えたかった本質が分かるのはこの二人だけである。
  • ユーモアは悲惨な状況を優しくオブラートに包み込む
生きてゆくのにユーモアは必要だよね。
希望が大事。

ライフハック - 「人の善し悪しは後に知る」

ライフハックシリーズ第9弾。
  • 人を見かけで判断しない、中身で判断すること。しかし、あなたは見かけで判断される。
  • 人を言っていることで判断しない、やっていることで判断すること。しかし、あなたは言っていることで判断される。
何を今更ではあるが。
本質は何か?を押さえないとうわべだけに惑わされて大切なものが逃げてしまう。しかし他人は自分のうわべだけで本質の一部を見抜いてしまう。難しい。

2009/09/23

学生時代に教わった一字一句間違えずに覚えている言葉

「2の10乗は1024。これは覚えておきなさい」
もっと複雑であるとか深いとか含蓄があるとか研究室の恩師が言ったとかそういうのは一切覚えていないに等しくて、林先生が「関数論」の講義の合間に口にされた実務的な内容のこの言葉だけを覚えている。
抽象的な学問より手応えのある実務的な役立つ何かを当時の私は欲していたのだ、ということがここまで書いて今やっとわかった。この講義から20年近い歳月が流れている。気付くのが遅すぎ。
今にして思えば「2の10乗...」は講義の内容とは直接関係なかったはずなので、林先生には講義の工夫に苦労をかけたんだなと感慨耽り。林先生の名前「一道」がありそうでなかなかないことや、月の大きさが地面の近くで大きく見えるのは目の錯覚で…などの挿話もあった。当時の私には講義の内容はからっきしであった。たぶん3年生の頃か?
講義以外に個人的なおつきあいはなかったが、1991年頃かに引退なさるので最終講義に対する好奇心もあって受講したことも覚えている。

そういえば、銭湯の広い湯船で何となく両手両足を左右にゆっくりと伸ばした時、ああ、こうやって無防備に自分を解放するのはいったいどの位ぶりなんだろう、と心の中からの開放感にびっくりしたことも思い出した。上京4年目、4年生の頃、一人暮らし。その瞬間から何かが変わり始めたのだが、その時は何かわからなかった。なぜ開放感を感じるのかもわからなかった。わかるようになったのはずっと後になってからである。気付くのが遅すぎ。蛹(さなぎ)の時代である。

今自分の置かれている状況はその学生時代には思いもつかないし、そもそも思いが及びもしていなかった。いや夢にくらいは思っていたかも知れないかな、でも少なくとも夢物語であるし現実は違うものだと思っていたし時代もそうだった。そのために格別の努力をしたわけでもない。毎日毎日の選択を行ってきただけである。でも「2の10乗は1024(=1K)」は仕事で頻出するし、その間に「自分の」家族もできた。幸い皆健康である。
今という時は過去の毎日の数え切れないほどの選択肢の中から選んできた先にある、あえて言えばひとつの奇跡である。「生きているだけで儲けもの」の世界だ。しかし、常にオン・ザ・エッジ、立ち止まってはいけない。バランスを取るために前へ前へ進む。かと言って易きに突き進むとバランスを失って底に転落し続くはずの奇跡が崩壊する危険性を常に孕んでいる。間違えたかなと思えば少しだけ戻ればいいのだし、戻って慎重に選んでまた間違えたと感じたら更に戻ってみるだけである。そしてまた前に進む。実のところ間違っていたかどうかは落ちてみて初めてわかる。わかった頃にはもう遅い。だから外側をよく観察し外側の声に耳を澄ませ、そして一番大事なのは自分の心に感じる微妙な何かを感じ取り自分が正しい思うところへ進んでいくしかない。選択肢の選び方には癖や偏った見方や自己主張が必ずあるから外側からその選択肢を変えるのは不可能ではないが容易ではない。選択肢を変えるのは、言い換えれば、自分を変えるのは常に自分自身の自覚にある。このことをもう一度自分に言い聞かせておこう。



# こういうよくわからんもったいぶった書き方の時はきっと何かあったと…。

2009/09/17

「PCオーディオfan」(AUDIO BASIC 特別編集 MOOK21・共同通信社)

7/21にamazonに注文したところ、在庫切れで(そんなに人気!?)、9/3に届いた。相変わらず周回遅れである。
通勤時に読むわけにも行かないので、寝る前に子どもを寝かしつけつつ(否、どやしつけつつ)、つい自分も寝てしまうので、なかなかまともに読んだりできなかったりするのだが、無理矢理時間を作って目を通した。

これからのオーディオの選択肢のひとつが提示されている、とでも言えばいいのか。この雑誌にないとすれば、ホームシアターなどのビジュアル系くらいで、スタンスはオーディオ系からアプローチしたPCオーディオ。一応iPodへの気配りも忘れてはいない。
付録のCDは96kHz/24bitのいわゆる「ハイレゾリューション」(高解像度)サウンド。CDよりはるかに高次のフォーマットである。CDプレーヤでの再生できないとの注意書きがある。目の前のMacBook/QuickTime 7.6.4で再生すると、回転ノイズが大きくて音楽の少し邪魔をする。その点だけでも専用ドライブを用意する必要性を感じる。肝心の音はMacBook内蔵のスピーカでも空気感が感じられるのでこれはいい録音かも知れない(まだ断言できない)。

CDに対するPCオーディオの優位性は
  • フォーマットの変化に対応しやすいこと (CDだとほぼ固定だし限界も見える)
  • 再生リストにに柔軟性があること (CDはいちいち人がCDを変えないと)
  • CDなどの媒体に室内を占有されるおそれが少ないこと (言わずもがな)
かなと思う。

そういう優位性がPCオーディオにはあるが、かといって、決してCDを駆逐したり置き換わったりするものではなく、ユーザの選択肢が増えるということであり、これはとてもいいことだと思う。確かにそう思うのだが、逆に雑誌などはターゲットが絞りにくくなり、その結果雑誌は大量に捌けず、大きな売り上げが期待できない。「オーディオが絶える」というのはどうがんばってもいい音しかでない、という逆説的な理想郷の話で、当分夢物語だからターゲットは確実に存在する、しかし、パイは小さい。相変わらず媒体商売には受難の時代が続きそうである。
それと、携帯音楽の普及やよくマーケティングされたり粗製濫造されたりで肝心の音楽を面白く感じなくなり、その先にある音の善し悪しに興味を持たない人が増えているのはないか、と身勝手な心配をしたりする(市場が小さいと機器が高くなるので。カートリッジがいい例)。

我が家でのPCオーディオの導入はその優劣、是非とは関係なく当面様子見である。時は金なりではあるが、今は両方とも無いのが悲しい(笑うところです)。

ちなみにこの雑誌では私のオーディオの先輩の一人がが大活躍している。突き詰めればかなり広くて深い分野だと言うことがよーくわかりました(なぜかここだけ「ですます調」)。そうそう、先輩方にはPCオーディオでも高精度のクロックを注入すると音がよくなる(空気感方面)ことも経験させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます(やっぱり、ですます調)。

2009/09/14

「うりずん戦記」上江洲安克著

第32回山之口貘賞を受賞した詩集である。

詩の心得のない私がこの詩集を手に入れたのには訳がある。
作者のお住まいが近所なのである。たしかに近所ではあるが、この地に越して4年半になるがお目にかかったことは一度もない。そうは言っても実は弟さんやお母さんとは面識もあり、お二人とも月に一度はご近所模合で顔を合わせる間柄である。その模合仲間のご近所の大先輩から、作者が賞を受賞したよと教えてもらったので手に入れた次第。
ちなみに「うりずん」とは梅雨期に入る前の初夏、過ごしやすい季節のことである。沖縄戦はうりずんの頃〜梅雨〜夏までであった。
ご紹介してみる。


悲しき背中のPW
勝者の令に起こされて
勝者の令に働きて
掘る藷(いも)すべて肥え太り
満々まんと地を充(み)たす
収穫すくなき痩(や)せた地の
めずらしき一時の大盤振る舞い

白骨の うえに肥えたり 太き藷
PWとは"Prisoner of War"で捕虜のこと。もう一編。
一人身の翁

偏屈頑固一人身の翁(おきな)
慰霊の日の近づけば
気の昂(たかぶ)りてか臭言(くさごと)を言う

曳光弾の美(うつく)しきこと
艦砲弾の美(うつく)しきこと
夜の中(うち)のその炸裂のいと美しきこと
えも言えずこの世のものとも思えずと
口角(くちかど)に泡を飛ばせてのたまわく

ただ慰霊の日より三日ほど
戸を閉じ窓を閉め切り
翁一人こもりて外に出ず
隣家の人の言うに
食せず仏壇に向かいて啜(すす)り泣くと

戸をとじて こもりし心 蝉の声
2編とも戦争で生き残った者たちを描き、そこから戦争のもたらした悲劇を見据える。
特に「藷」は教科書に載せて欲しいくらいである。敗者の悲哀と生きるための糧である藷、このやせた地での藷の珍しい豊作は生き残った者たちに恵みをもたらすが、そこには多くの屍が眠っていることを最後の一句で劇的に読む者の思考を転換してみせる。読みやすく記憶に残りやすく、劇的。もうびっくり。この一句だけでこの詩集を手に入れた価値があったというもの。

ちなみに別の詩の中にも出てくる「弟」さんから伺ったところによると、詩集の表紙裏に描かれている絵もお兄さんの作とのこと。その絵とは、「亀甲墓の入口に体を乗り入れている兵隊の足が見える、蹴散らされた線香立てと左足の靴の底、ゲートルが印象的」な絵だ。弟さんがお兄さんに描いた情景がわかるか?と問われ、よくわからないと答えたところ、お兄さん曰く、外地の戦地から戻った兵隊がようやく故郷沖縄に帰って来たが、家族一族が見あたらず、生き残りを探して一族の亀甲墓の中を慌て潜っていった瞬間を描いた、とのことである。

最後に「あとがき」から。この詩集に込められた作者の強い思いを感じる。
 ユダヤ教の大切な宗教行事に、「過越(すぎこし)の祭り」というものがあります。モーゼの出エジプトの切っ掛けになった話で、三千年ほど前の出来事ですが、ユダヤ教徒は今でも艱難辛苦を乗り越えた、民族の大切な祭りとして語り継いでいます。
 私は戦前の沖縄を知りませんが、戦前の沖縄人(ウチナーンチュ)と戦後の沖縄人には、明らかに違いがあると思います。その違いの原点が沖縄戦であり、沢山の人たちが、艦砲射撃にに食われて虚しく死んでゆき、その艦砲射撃の食い残された者たちが、今の私たち戦後沖縄人だと思います。ですから沖縄人のアイデンティティーが続く限り、何百年でも何千年でも、ユダヤ教徒の「過越の祭り」のように、大切に生々しく、沖縄戦を語り継いでほしいと思います。これを語り継ぐことが、艦砲の食べ残しの子孫として重大な責任だと確信します。
昨日(2009/09/13)、モノレールが不発弾処理の影響を受けて午前中を運休した。まだ沖縄では戦後処理が日常である。

2009/09/07

レイアウト変更は一石二鳥、棚からぼた餅

新築当初の4年間は、ピアノをスピーカの間に置き、アンプ類はラックに収めていた(1番目の画像)。
ちょっと大きい音を出すとすぐ飽和するし、音場もピアノの反射のせいか感じられない。なんか聞いていて楽しくないのである。
しかし、この配置以外の選択肢はないものだと考えていた。

2年程前から居着いた猫が隠れ隠れ爪研ぎしたおかげでJ. L. MOLLERのダイニングチェアの座面が剥げ剥げになっているところに加え、KVISTのテーブル(日本向けのためか一回り小さい)の集成材が剥がれてきた(!)ので、これらを修理に出すことにした。
これらの家具と修理の顛末は別のポストに記そうと思う。
(2011/2/14追記:こちらに少し書いた)

家具を修理のために搬出すると、部屋のレイアウト変更の可能性追求への闘志に俄然火がついた。私の素敵な奥様ともどもである。奥様は元々レイアウト変更は好きな質である。見逃すわけがない。小さな家なのでレイアウトの可能性は片手で数えられる程の有限であり、かけられる予算もない。
二人で思案するうちに閃いた。発想を転換。通常のレイアウトではタブーとされている掃き出し窓に家具を置いてみることにした。そうなると玉突きのように次々と家具類がその位置を変えることになる。ソファーを掃き出し窓際へ移動(2番目の画像)し、ダイニングテーブルを90°に振り、ピアノはソファがあった階段下へ移動、オーディオ機器はターゲットオーディオのラックから出して、床置きに近い形で2x4材で作った簡易TVボードの下へ押し込む(3番目の画像:移動直後の仮置き状態)。ラックは戦力外通知でキッチンへ引き取られていった。
どう変わったか?
  • ソファがコミュニケーションし易い位置に移動し、昼間しか使わないピアノがその空いた階段下へ移動した
  • スピーカ間にものがほぼない状態となった。
  • おかげで音がよくなった(音場拡大、付帯音軽減)
3段論法である。
このスピーカ(アバロン, Symbol)、ピアノに毛布をかけて影響を確認しようとしたり(あまり変わらない)、中に毛布を詰め込んでサイレント化を目論んだり(検討のみ)、前のレイアウトでいろいろやってみたのだが、周りにある程度の空間を必要とすること、ピアノはかなり影響力が大きいことが頭ではなく実体験と再確認できた。今は伸び伸びと歌うのがうれしい。購入6年目にしてやっと本領発揮である。
例えば、ちょっと古いがGRPレーベルのアコースティック・アルケミー「アーケイナム」(Arcanum, Acoustic Alchemy, GRP)が実にギターのニュアンスもリズムもそろっていい感じで音楽を奏でている。
音楽をより楽しくより深くさせる音。待ってましたこういう音。
家具の修理代金は痛かったが、この音で元はとった。

# 実は3〜4月の話を今頃書いている

2009/09/04

オバーの教訓

昨日、9/3(木)は旧盆の最終日ウークイ(お送り)であった。私の仕事も休みで、1号(♂9才)の小学校も那覇市内の小中学校は休みということもあって休み、2号(♀4才)のカトリック系の幼稚園も何故か休みである(カトリックなのに祖先崇拝とは何事、などと素朴な疑問を持ってはいけない。そこはそれ、大人の対応だ)。

そのウークイ日、うちの両親と私の素敵な奥様、子ども達総出でオジーの仏壇に手を合わせてきた。と、その前に老人ホームにいるオバーに会いにみんなで寄ってきた。オバーの娘である母親によると戸籍上はオジーと同じ明治44年生まれなのだが、戦争直後の混乱期、戸籍の再登録時(?)に明治44年生まれと登録されたようで、実際は明治42年(1909年)生まれのなんと御年100才だそうだ。
いつも面会に行くと眠っているのが常なのだが。今回はたまたま起きている姿に会えた。こちらの声が小さいのか、目が見えないのか(少し濁っている)、ゆっくりした問いかけにも反応があったりなかったりで、きっと妖精の世界を生きているに違いないと思った。しかし、その声は自分が物心ついた頃から確かに聞き覚えのあるオバーの声であった。
同じ入居者の中でも表情がしっかりしている方がいて(足が悪そうであった)、その方がオバーの反応が悪いのを見かねたのか、オバーは唄をよく歌うよ、このホームに名人がいてその人が三線を弾くといつも歌っているよ、と教えてくれた。母親も、昔から唄が好きだったんですよ、と返す。

そういえば、思い出した。私が東京で学生卒業後も居残って就職し、独り身の暇つぶしに三線を始めて数ヶ月、数曲歌えるようになった頃、帰省の折にまだ元気だったオバーに三線持参で聞かせたことがある。1曲終わった後、
声はいいからもっと練習したら上手になるよ
というニュアンスの言葉を頂いた。
自分の三線の才能を客観的に評価してもらった初めての言葉である(ちょっと歌えるようになったので鼻高々であったのは確か。周囲のみんなは誰も言ってくれなかったが、要するに…下手ということなのね)。
  • どんな人にでも褒めるところはある(はずだ)
  • でも真実は伝えなければならない(遠回しにでも)
オバーの教訓として理解している。

ホームを辞去し、オジーの家に向かう。オジーの仏壇に向かって手を合わせる。
オジー! オバーは元気にしているからまだまだ独身貴族を満喫できるよ、と報告しとけばよかったと今思った。

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