2009/06/21

AVALON似の自作スピーカ@ベルギー

2chのアバロンスレに海外のMarc Heijligersという方が、エンクロージャの形はアバロンの"Opus Ceramique" と ティール&パートナーのスピーカユニットを使った自作スピーカを制作したURLの記述があった。
左が、Milestonesで右がOpus Ceramique、いずれも同氏のサイトから。
(Marcさんは最初アメリカ人だと思ったがベルギーの方のようだ)

HifiVoice Sharing experiences...

Milestonesと名付けられたこの自作スピーカは「アバロンOpus Ceramiqueに形は似ているけど音は違いますよ。それこそがいい目的なんです!」であると。
(To conclude, don't expect a replica or clone of the Avalon Opus Ceramique with the Milestones! The Milestones are not an Avalon clone. They may look similar, but they sound different, and they do so with a very good purpose!!!)

制作過程の写真(construction photo tour)と最終結果(final results)は一見の価値あり。
案外、雑なところもあるかなと思ったが、結果はごらんの通り、すばらしい。

ついでに、コストはOpusのペア21,000ユーロに対し、Milestonesはペア3,000ユーロで、1/7!!!

Avalonのあの形を自作できるとはすごいもんだ。Symbol修復の励みにしようっと。

このサイトを紹介してくれた2chスレの見ず知らずの方に感謝。

2009/06/16

MESHサポート(沖縄北部地域のドクターヘリ)

先日、といっても2ヶ月程前にMESHサポートへ少額ながら寄付をした。

MESHサポートはその名の通り、沖縄本島の北部地域を主にカバーするドクターヘリMESHをサポートするNPO法人だ。
Wikipediaのドクターヘリ(ヘリコプター救急)を参照する。沖縄のヘリ事情とした独立した項目もある。ちょっと引用する。

2007年6月からは、名護市に ある北部地区医師会が北部地区医師会病院を基地病院として、ヘリコプターによる救急医療サービスを開始した。これは、病院隣接地に臨時ヘリポートを設置し てチャーターしたヘリコプターを常置し、通報を受けて救急医療に精通した医師、看護師を派遣するもので、ドクターヘリに準じた2年間の研究事業である。こ れは、道路整備の遅れから、名護市までの搬送に90分以上かかることもある沖縄本島北部(国頭郡)の救急事情の改善を図るものであり、国頭消防本部管内で行われている。一方で国頭郡では、郡内にある診療所を閉鎖し、名護市内の病院に医師を集約することで、十分な医師数の確保及び医師の過重労働の軽減を図り、病院の医療体制を強化する方向であるとされ、その功罪が議論されている。[1]

なお、浦添総合病院が行っている事業はU-PITS(Urasoe Patient Immediate Transport System)、 北部医師会が行っている事業はMESH[2](Medical Evacuation Service with Helicopter)と呼ばれている。

現在、北部地区医師会のMESHが資金難により運航休止に追い込まれている。これは先に成立したいわゆるドクターヘリ整備法においてもヘリの常駐先 は原則救急救命センターであることから、その以外の病院では助成が受けられないためである(救急救命センターの多くは大都市近辺に配置されており、必然的 にヘリ配備は離島・山間地等搬送に時間を要す地域よりも大都市周辺が優先されている)。

MESH再開には、病院救急部医師がNPO団体(NPO法人MESHサポート)[3]を立ち上げ、奮闘し続けている。

そのMESHが6ヶ月間の限定ながら6/15から運用を再開した。
MESHは沖縄本島の約半分の面積を占める北部地区をカバーする。しかし、北部地域の人口は10万人を超えるくらいで沖縄県全体の人口から見ると10%以下だ。ここに経済合理性が働くなら、お金をつぎ込む必要はない。国からの補助を受けたドクターヘリ1機を中部地区に保有し、財政難を理由に2機目の保有を拒む沖縄県の態度はそういう風に見える。無い袖は振れぬだが、袖はある、配分が小さいだけ。

話は飛躍する。
ことドクターヘリに関しては県立病院の独立法人化問題と併せて考えるべき事柄のように思える。

県立病院の独法化問題が燻っている原因の一つには、公的機関としての県立病院が、極端な経営主義に走ってしまった場合、僻地医療など不採算部門への投資縮小・実質的撤退といった事態に陥る不安感が払拭されないことがあげられる。これは現場の医師達の賢明な努力や崇高な目的とは違う次元の話である。
島嶼県である沖縄の場合、病院からの距離によって格差がどうしても生じる。つまり、救急医療機関から遠いところに住めば住む程、助かる命も助からない確率が増えてくる。本島内においてでさえも公的交通機関はバス・タクシーなどの自動車に頼らざるを得ない。道路が混みやすい環境において、救急車での搬送に時間がかかるのは自然の成り行きである。ところが、上記Wikipediaには「道路整備の遅れから」とある。本当かなと思う。ヤンバル路は本当の山奥でもない限り悪路は少なく、道も空いているので、単に距離が遠いだけではないかと印象がある。
僻地医療は今まで地域に診療所を設置することで距離による格差を凌いで来たが、医師不足の問題だけを見ても、もう二進も三進も行かないところまで来ているのではないか。

ここに北部地域をカバーするMESHの存在意義の一つがある。上記Wikipediaの「功罪」の指摘には功が大きいと思う。

ただ、沖縄県には独法化問題とドクターヘリを結びつける戦略、言ってしまえば「独法化を進めるためにドクターヘリを充実させて僻地医療を担保する」という考えは無いようである。

実は、MESH再開には名護市からの助成金が大きい(再編交付金から2千万円の拠出)。
名護市は今まで辺野古の基地問題絡みの補助金を使ったハコモノ行政とその建設による経済効果を得るべく行動してきた。
もうほとんど遅きに失す感ありあり。今後も名護市の行動には要注目である。

ちなみに、日本および世界のドクターヘリ事情に関しては西川渉さんのAviation Now/航空の現代が詳しい。

2009/06/07

生存数 - 厚生労働省の統計から

先のポストで書いた彼の死がどれだけ特異なのか、その年代で生き残れなかった人々はどの位いるのか、気になったので調べてみた。

厚生労働省で統計調査結果が公表されている。

厚生労働省のホームページから
統計調査結果 -> 分野別一覧 -> 厚生労働統計一覧 -> 1.人口・世帯 -> 生命表 -> 簡易生命表 -> 平成19年簡易生命表(男)
を見る。
彼が30代後半であったことは確かだと思うが、今日時点では確証がないので40才と仮定する。

40才の死亡率と生存数(10万人あたり)はここで、
年齢死亡率生存数
400.0014097 844
とある。
死亡率は40才の人が41才になれない確率、生存数は40年前に生まれた人が今生き残っているの数(10万人あたり)。
今40才の人のうち1000人に1〜2名が41才を迎えられず、40年前に生まれた人が生き残っているのは10万人あたり97,844人、つまり97.844%、100人に2〜3人が亡くなっている勘定だ。見回した実感としてもそんな感じだ。彼の出来事はやはりあまりないことだったと言って差し支えないだろう。
確かに差し支えないかもしれないが、あることはあるのだ。他人事ではない。
ちなみに同年代の半数が生き残っていると期待される寿命中位数は82才頃だ。

ところで、同じ生命表でも、生命表(都道府県別生命表)-> 結果の概要 -> 2.都道府県別にみた平均余命 -> (1)平均寿命を見ると面白い。
沖縄は長寿の県として知られていると思うが、男性は全国平均並みである。6年程前に「長寿県沖縄に暗雲、男性平均寿命26位に急落 - 琉球新報」と報道されたが、「3.都道府県別にみた平均寿命の推移」を見ると沖縄男性の平均寿命は増加しているにもかかわらず、他府県がその先を行っていることが分かる。

また、「2 都道府県別にみた平均余命」の図を見ると、画像の
  • 上(左)「図3 0歳余命と75歳余命の比較(男)」
  • 下(右)「図5 0歳余命と75歳余命の比較(女)」
にあるように、沖縄男性の寿命は、75才余命が全国平均を上回るが0才余命は全国平均より下にある。この先年代が進むと左下から右上に続く雲の中に埋もれてしまいそうである。
ところが。沖縄女性は0才、75才それぞれ2位以下を大きく突き放してダントツのトップだ。この分だと今後も他府県の追従を許すことはなさそうだ。

沖縄女性には一体どんな秘密が隠されているのだろうか。

2009/06/02

早過ぎる

朝の出社前、親友から、東京時代に知り合った友人・後輩とも言える人が亡くなったと電話があった。四十九日を過ぎるまでは口外しないようにとの伝えがあり今日知らせることになったようだ。
即座には何を言っているか理解できず、信じられなかったが、話しているうちにやっぱり彼なのかと軽い喪失感に襲われる。奥様も共通の友人である。

直接には二人とも何年も会っていなかったものの、風の便りに彼らも沖縄に帰り、子供が生まれて今はどこどこのなにがし住んでいるなどと聞いていた。モノレール通勤の際、混雑していると運転士が彼の名前が入った文言をアナウンスをする場合があり、脳内ギャグ変換(ダジャレの類)しては脳内苦笑していたので個人的には今でも身近な存在だった。

ナイスガイという言葉がぴったりの大きくて明るくて前向きな青年だった(もう30代後半のはずだが記憶の中ではまだ青年だ)。
出社に向かうため特に混雑のアナウンスもなかったモノレールを降りて駅の改札を通り過ぎる直前、妻子を残して逝った彼の無念さに思いが巡り来て、いたたまれない気持ちになった。
せめてその気持ちには向かい合おうと思う。

2009/06/01

アイロンの修理

DBKのアイロンを家では愛用しているのだが、朝起きると、アイロンがけ途中の状態。次いで起き出した私の素敵な奥様より、アイロンがけの途中から熱くならなくなった、断線ではないか、との申告。
表から見えるねじ穴は尻尾(電源コード)の付け根の部分にあるトルクスだけ。
HPプリンタの解体で購入したトルクスT-10がぴったりだったので、いそいそとトルクスネジを外すと、接続端子が見えた。テスタを使ってその端子板で導通を確認すると、片方の線の断が確定。
アイロン本体は丸形端子のネジ止めであったので、電源コードの断線部分でいったん切り取り手持ちの丸形端子をつなげれば復旧可能ということで文字通り朝飯前に確認作業は終了。後は教育的効果を狙って帰宅後にわざわざ子供たちの前で修理することとする。

修理は端子板のプラスネジが案外固くて外れにくかったとか、丸形端子と銅のより線の径が合わなくて圧着に苦労したとか、端子板に付け替えた丸形端子を止めようとプラスネジを内部に落としてなかなか出てこなくてチョー焦った、ことなどを除けば(え、そんなにたくさん)、まぁ、なんとか終了。テスタでの導通確認後、実際の電源を入れてみて熱くなるのを念押し確認して、奥様に復旧宣言。
断線はというと、確かに電源コードの片方が被覆部分に小さな穴があいているところでニッパーを使って切断してみると、銅線はその部分で既に断線、酸化し黒くなっていた。収納時に電源コードを折り曲げるストレスに耐えられなかったようだ。
ところで、当の子供たちはすぐ飽きたのか興味を示さなかった、というか、丸形端子とか圧着工具とか周辺の道具に興味は持ったものの、修理作業自体はどうでもよかったようだ。当の本人はそう思ってしまうが、物は壊れるものだし、自分で修理できる物でもあることを見せないよりはマシか。
落ち着いて写真を撮るどころではなかったのは残念。

ところで、このDBKのアイロンは、電源コードの付け根の折り曲げの耐性はさほどでもないところと、底面のテフロン加工の剥げが気になるくらいで、重さでしわを伸ばしてくれるので重宝しているが、奥様的にはもう少し軽い方がいいようだ。
また、アイロンという単純な構造の機械にも関わらず、ネジはトルクスT-10と、端子板のプラスネジ、本体と取っ手部分をつなぐ六角ボルト(中央のパネルを外せば現れる)の3種を使っているので、トルクスT-10を多用するHPプリンタのような経済合理性はない。適材適所。

そういえば、このポストの時点では自分のものは自分でアイロンがけしていたのだが、最近は奥様が深夜にやってくださる。ありがたいことである。

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