お仕事の日の朝、自分のシャツのアイロンがけは私の役目である(ついでにハンカチと息子の給食用エプロンも)。
独身時代はクリーニング屋さんに依頼、結婚してからは私のすてきな奥様に依頼していたが、2年ほど前、第1子がただでさえ手がかかるのに加え(「ああ息子」で救われました)、第2子も当時1歳であり普通に手がかかるため、忙しい奥様の負担を減らすのと、義父が現役の頃そうしていたという話を聞いたのと、直接的には林望先生の「くりやのくりごと―リンボウ先生家事を論ず (集英社文庫)」に自分でアイロンがけをしている様(超高速アイロンがけの手順も披露)に触発されたことと、何より、自分のシャツの選択権と制御権を取り戻すことが渾然一体となって昇華し、アイロンがけの役目(ただし自分のだけ)を率先して(今頃になって)引き受けたたのである。
ここで制御権とは、シャツをいつアイロンがけをするか決定できる権利のことで、アイロンがけを依頼することにより発生し、副次的ににもやもやとした主従関係ができてしまい、たとえば、急な用事で出かけるときに依頼先の都合に合わせないとシャツが着られないことなどがあり、自ら進んでアイロンがけ作業を行うことにより、結果的に時間的肉体的束縛を受ける代わりに作業依頼による心理的負担を減らすことができる(なんともったいぶった書き方であることよ)。
おかげで毎朝早起きは三文の得状態である。
ところで、アイロンがけは生地が湿った状態でないとうまくいかない。
湿った状態から乾いた状態へ遷移するときに生地が型として定着するので、もともと乾いているとしわが伸びないのである。
そのため霧吹きなどいうものが存在するので、林望先生は先の書で洗濯した後の乾ききる前のやや湿ったシャツにアイロンをかけることで時間の短縮を図ったというし、クリーニング屋さんではアイロン台の下から強制的に蒸気を吸い込む装置を使うことで高効率な作業と安定した仕上がりを確保しているようだ。
乾くと型になる似たようなものとして、陶器磁器などの焼き物、セメント類(コンクリート、モルタル)、パン・クッキーなどの焼き菓子類、などがあり、似ているが全く違うものとしてご婦人方のスキンローションがある(もしかしてそれら商品は、皺を取るには潤いが必要、と日々アイロンがけにいそしむ多くのご婦人方の深層心理に訴えているのかもしれない)。
よく、知識を吸収する、と言うが、その知識は実践として使ってみないと身につかない、いわばスポンジの水状態でだだ漏れである。身につくとそれは型であり、水がスポンジの中に凝固され閉じこめられるようなイメージ。
湿った生地は柔らかく、ぞうきんなどを除いて実用に適さず、プレスした生地は堅く一度ついた型は次に湿るまでなかなか取れない。
時代の趨勢により時代遅れとなった知識やもともと誤った知識に基づいた型を正すためには、もう一度湿らす必要がある。
自分で自分に霧吹きをかけなければいけない。
さて、アイロンがけをするようになると雨の日にズボンのプレスが崩れてくるのが気になるのである。
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