車が1秒間にどれだけ進むかを運転手が想定できれば、路地で減速する方向に意識付けできるのではないかと思う。
家の前の道路幅は5mなので、車がすれ違うにはお互い最徐行するか、電柱があれば電柱側の車が一旦停止をする。大通りから入って時々分岐の直進だけ、 300mほどの生活道路である。その先には団地があるが、人と自転車、二輪車のみが団地からの往来が可能で自動車の行き来はできないない。この道を使うのはその道路周辺住人と住人に用がある関係者ばかりと考えてよく、団地と小学校を結ぶスクールゾーンでもある。狭い道路幅で抜け道でも何でないにもかかわらず、目測30km/h後半から40km/hは出していそうな車と遭遇する。単なる一歩行者としても十分脅威だし、同じ住民かその関係者かと思うと情けなくなる。
しかし、私も家の前ではないが狭い道を調子に乗って何度も速度を出していた経験があるのである。いつの日だったか総運転時間1000時間にもならない若かりし頃、たまたま乗り合わせた同乗者から「スピード出してるなぁ」と言われるまで、そんなに速度を出しているつもりはなく運転していた。自分はいつでも止まれるつもりでいたのである。同乗者か見れば止まれるようには見えなかったのだろう。運転経験を積むようになるにつれ自分の想像力の欠如をだんだんと感じるようになった。他人の指摘は天の声、以後、狭い路地はかなり減速するようにした。
路地で速度を出すのは、横から何かが飛び出したりすることや、歩行者の恐怖感に対して想像力が働かないからではないか。
時速表示は、移動可能な距離が推測し易いため便利な長さである。距離はkm単位での表示の方が数字が小さくなり扱いやすい。そのときの時間の単位は秒 (sec)や分(min)ではkmに届かず、時間(hour)となり、併せて時速表示となったのだろう。時速40(km/h)は、分速666.7 (m/min)、秒速11.1(m/sec)である。
一方、車を走る凶器、危険物として見ると、
- 1t以上の鉄の塊が1時間に40km進む速度(時速40(km/h))で走る
というより、
- 1t以上の鉄の塊が1秒間に11.1m進む速度(秒速11.1(m/sec))で走る
の方が人間の距離スケール時間スケールに合致していると思えるし、よりリアルで身近に感じるのではないか。
11.1(m/sec)では車約2台分の長さとも換算できる。
秒速10(m/s)を時速に換算すると36(km/h)となる。半分の5(m/sec)は18(km/h)、倍の20(m/sec)は72(km/h)。
- 1(m/sec) - 3.6(km/h)
- 5(m/sec) - 18(km/h)
- 10(m/sec) - 36(km/h)
- 20(m/sec) - 72(km/h)
- 30(m/sec) - 108(km/h)
これに止まるまでに要する時間を常に意識付けするようにしたらさらに効果があると思うがどうか。実際に何かが飛び出したものに知覚するまでの時間、ブレーキを踏むまでにかかる動作に要する時間、実際に車が止まるまでの時間が必要になる。
こんなことごちゃごちゃ言うよりも「時速20(km/h)以下で通行しなさい」と頭ごなしに命令した方が効果があるのかな。
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