2016/08/12

「ラッキー」

沖縄に戻った2001年、私の素敵な奥様の実家の隣の2Fが借家で、そこをとりあえず私達の住処とした。
就いたばかりの職場に奥様から犬を子犬を助けたいので家に連れて帰ってもいいか、というようなメッセージをメールか何かでもらった。
借家だけどなぁ、と思ったが、どうも真剣そうなのでいいよと返した。

拾われてきたのは白いメスの子犬。
私の実家のある市役所に用のあった奥様が市のトラックの荷台に載せられていたこの子犬を見かけた。子犬が保健所に連れられていくところだと知り、数日後に訪れるであろう彼女の運命にまで思いを馳せた奥様は持ち前の義勇心を発揮したのだった。
そんな理由により、名前は総数2名の満場一致で「ラッキー」と名付けられた。
1枚目の画像は我が家にやってきて1年目ぐらい。
笑っているように見える。
性格は穏やかで、犬らしく鼻筋の通った美人さんでしたよ。

今の家を建てる前から、ラッキーの扱いをどうするか奥様とともに考えていたのだけれど、2号(♀11才)も生まれたばかりで犬にまで手はかけらると思えず、またその家は狭く犬を飼うにはかなりの工夫が必要だったことから、奥様が義父母に話をつけた。
2005年、彼女は奥様の実家の番犬という住み込みの職業に就くことになる。

実家から逃げ出してのはいいものの、すぐに車に撥ねられ後ろ足の大腿骨を骨折する大怪我をしたり、ダニに血を吸われまくってまるまる太ったダニを観察させてくれたり、東京の友人が訪ねてきた際には散歩がてら駅まで一緒にお迎えに行くと、友人の前でウンチを始めて友人に強烈な印象を与えたり、犬のしつけ学校に入れてみると、この種の犬は期待できないようなことを言われたり、ラッキーに関するエピソードは事欠かない。
2枚目は1号(♂16才当時1才)とラッキー。この時はまだ拾われて半年くらいか。

しつけ学校では見放された彼女だが、奥様の実家では見知らぬ人が来たときだけ吠えるという番犬としての役割を期待以上に果たしたようで、義母からよく褒められていた。
今年に入って、白内障で目が見えなくなり、後ろ足の筋力も落ちて自力で起き上がれなくなったりで、もう長くはないなと覚悟していたが、2016年7月2日、とうとう旅立ってしまった。15才だった。長生きした方でしょう。
彼女の生前の貢献に敬意を表して義母が祭壇をこしらえてくれた(3枚目)。
最近はペットの葬儀屋さんもあって、人間同様に火葬し、お骨にしたうえできれいな覆袋に包まれた骨壷を渡すまでを葬儀屋さんで行ってくれる。

70代も中盤に入った義父母はラッキーを褒めつつも、もう犬は飼わないと言った。
お骨化したラッキーは今我が家の飾り棚の骨壷の中にいる。

0 件のコメント:

コメントを投稿

zenback