2016/02/29

「目の前で演奏している」は2種類ある:"They-are-here" と "I-am-there"(オ ーディオのアプローチの違い)

先日、職場の同僚と飲んでオーディオ談義に花を咲かせていたら(と言っても5分程度ね)、彼が
「ある達人に家に来てもらって聴いてもらってんだけど」
「自分ではいいと思っているのだけど反応がイマイチだった」
「僕としては楽器を演奏していたこともあってその音を基準としていて」
「ずいぶん良くなってると思っていたのだが」
「SPケーブルにカナレとか使ってみると良かったんですよね」
と続けるので
「音には演奏している楽器の音を忠実に鳴るように仕向けるアプローチと、音が部屋いっぱいに広がって囲まれている感じを求めるアプローチがあるから、その違いかもね」
「カナレがいいと感じるのだとすると、余分な音はそぎ落として楽器の音を生々しい方向に向かわせたいのだから君は前者かもね」
「家に来たその人は、達人なので前者はもちろん後者も重視しているのだろうね」
彼が少考しているうちに他の人からチャチャが入って話はここで終わったのだが、帰る道すがら、以前にこういう表現を書いたことを思い出した(富士通テン ECLIPSE TD510ZMK2 デビュー (I-am-there))。
さて、音、というか スピーカの音を表す言葉で、
  • They-are-here (彼らがここにいる)
  • I-am-there (私がそこにいる)
という分類ができるらしい。前者は「演奏家が部屋にいる」という、まるで目の前に現れた感じを表しているが、このスピーカは紛れも無く後者で、スタジオかライブ会場に「私がいる」感じがするのである。
ところで、このアプローチ、または、いい音に対するスタンスの違いは、オーディオの会話の時に結構誤解の元になっているのではないかと思った。
「They-are-here」は、音色を重視する。楽器の音が生々しくあってほしい。余分な音は余分な音だ。上手く再現できると「演奏者が目の前で演奏している」という。
一方、「I-am-there」は、音場を重視する。録音されたスタジオやホールなどの空間が再現されることに喜びを見出す。上手く再現できると「演奏者が目の前で演奏している」という。
どちらも「目の前で演奏している」と言うことができるが、出てくる音はまるで違うし、「いい音」の基準も違う。
もっとも、両立している音もあるので、そこは一つの頂点かもしれない。

"They-are-here" と "I-am-there" は従来の音像型や音場型という言葉よりしっくり来る。
今聴き入っている音が奏でているそこは奴らのスタジオなのか? 俺の部屋なのか?

ちなみに、もう一方の極としてヘッドフォンの音があるが、ここでは触れなかった。

(参考)
Stereophile - Fujitsu Ten Eclipse TD712z loudspeaker
Pararell Audio - Omnidirectional Speakers : Soundstage, Imaging & Placement

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