本部(もとぶ)町の高台から東シナ海を望む。
水平線と一体化したような水納島。
雲の合間から降り注ぐ太陽の光。
その光と雲の影が織りなすコントラストを受け止める海はまるでスポットライトが当たる舞台のようだ。
学生時代の友人が沖縄へ来たおり、「ピザ喫茶 花人逢(かじんほう)」での昼食の際に撮影。
1号(♂当時4才)も同行、その後はお約束の美ら海水族館へ。
薄曇り。
2004年12月末のこと。
uyabinの作業台。思いつきとやっつけ。
万が一役に立ちそうだと思えた時は…、疲れていませんか?
旧題は "uyabin's workbench: 思いつきとやっつけ"
2008/09/30
2008/09/29
地球温暖化への心構えに対する矛盾
ラベル:
呟き
出張先の会議室に張ってあったポスターの標語:
クールに行きましょうよ。
みんなで止めよう地球温暖化何か矛盾を感じたのは私だけ?
地球を守る あなたの暖かい思いやり
クールに行きましょうよ。
2008/09/22
機械への命令とエレベータの意志
ラベル:
雑感/雑思考
画像はWikimedia Commonsからスタンフォード大学にあるOTIS製エレベータの奇妙なボタン。
通常、人間が命令したコマンド通りに機械は動く。
現代のようにソフトウェアの進歩とその搭載が進む中においては、条件によって異なる処理を行うのは当たり前であるが、まだまだ一コマンドは一動作にのみ対応している場合も多い。
たとえば、車を人間の意志に沿って前へ進めようとすると、次のステップを踏むことになる。
(エンジンはすでにかかり、サイドブレーキもリリースされているものとする)
1.を省略していきなり2.のギアを入れると下手すると車が壊れるか事故を起こしてしまう。
車が人間の意志を読み取って、勝手にブレーキを踏んで、ギアをバックに入れたりはしないのである。
一つのコマンドは一つの動作にしか対応していないから人間が機械に合わせてやる必要がある。
そこで、エレベータについて考えてみる。
エレベータに乗る前に上向きのボタン(▲)か下向きのボタン(▼)を押す。これは、エレベータに
とたとえば上に行きたい場合は、上のボタンを押すことで次の命令を出すことになる。
人間はエレベータがどこにどんな状態であるのかを把握する必要はない。
複数のエレベータがあるところでは、エレベータ間で具合のいいように調整しながら運行管理する。これをエレベータの群管理と言う。
ところが、エレベータを待っている人間の「早く来い」などの要求や「こんなにエレベータがあるのに何で1台だけしか動かないの?」などの疑問にははあまり応えきれていないように感じる。
設置するビルによって状況(設置台数、階数、頻度、使用者数、時間、速度、運行コストなどなど)が変わるので最適解はケースバイケース、学習機能が搭載されたエレベータもあるようだが究極の解は出ていないようだ。
立場をエレベータの身に置き換えてみる。
すると、これまで自分に属するボタンが押されない限りは動く必要がなかった。自分の受け持ちボタンを見ていれば良かった。単純労働だが人間の直接の意志を理解できれば良かった。エレベータはローカルの世界で生きていた。
しかし今は違う。
群管理されたエレベータは、人間からの直接の命令(コマンド)だけでなく、他のエレベータに属するボタンが自分の動作に影響する。
自分と違う世界の出来事により上がったり下がったりさせられている、と感じているのではないか。
エレベータのグローバル化。
エレベータに意志があれば、自分の運命は何か見えざるものに勝手気ままに操られていると感じるのではないだろうか。
通常、人間が命令したコマンド通りに機械は動く。
現代のようにソフトウェアの進歩とその搭載が進む中においては、条件によって異なる処理を行うのは当たり前であるが、まだまだ一コマンドは一動作にのみ対応している場合も多い。
たとえば、車を人間の意志に沿って前へ進めようとすると、次のステップを踏むことになる。
(エンジンはすでにかかり、サイドブレーキもリリースされているものとする)
- ギアをドライブにする (前に進める状態にする)
- ブレーキを離す (強制停止を解除する)
- アクセルを踏む (前に進む)
- ブレーキを踏む (強制停止する)
- ギアをバックにする (後に進める状態にする)
- アクセルを踏む (後に進む)
1.を省略していきなり2.のギアを入れると下手すると車が壊れるか事故を起こしてしまう。
車が人間の意志を読み取って、勝手にブレーキを踏んで、ギアをバックに入れたりはしないのである。
一つのコマンドは一つの動作にしか対応していないから人間が機械に合わせてやる必要がある。
そこで、エレベータについて考えてみる。
エレベータに乗る前に上向きのボタン(▲)か下向きのボタン(▼)を押す。これは、エレベータに
- 上に行きたい。
- 下に行きたい
とたとえば上に行きたい場合は、上のボタンを押すことで次の命令を出すことになる。
- 私は上に行きたい。 (細かい命令はしない。どうしたらいいかは自分で考えること。)
- その階にいるならば、扉を開けなさい
- もし、下にいるなら上に来なさい。そして扉を開けなさい
- そうではなく、もし、上にいるなら下に来なさい。そして扉を開けなさい
人間はエレベータがどこにどんな状態であるのかを把握する必要はない。
複数のエレベータがあるところでは、エレベータ間で具合のいいように調整しながら運行管理する。これをエレベータの群管理と言う。
ところが、エレベータを待っている人間の「早く来い」などの要求や「こんなにエレベータがあるのに何で1台だけしか動かないの?」などの疑問にははあまり応えきれていないように感じる。
設置するビルによって状況(設置台数、階数、頻度、使用者数、時間、速度、運行コストなどなど)が変わるので最適解はケースバイケース、学習機能が搭載されたエレベータもあるようだが究極の解は出ていないようだ。
立場をエレベータの身に置き換えてみる。
すると、これまで自分に属するボタンが押されない限りは動く必要がなかった。自分の受け持ちボタンを見ていれば良かった。単純労働だが人間の直接の意志を理解できれば良かった。エレベータはローカルの世界で生きていた。
しかし今は違う。
群管理されたエレベータは、人間からの直接の命令(コマンド)だけでなく、他のエレベータに属するボタンが自分の動作に影響する。
自分と違う世界の出来事により上がったり下がったりさせられている、と感じているのではないか。
エレベータのグローバル化。
エレベータに意志があれば、自分の運命は何か見えざるものに勝手気ままに操られていると感じるのではないだろうか。
2008/09/20
English version by Google Translate を追加
Bloggerは日本語以外の他言語ユーザからのアクセスも上の「次のブログ」経由でそれなりにあったり、なかったりする。
たまたま2chの【Google】Blogger.com part3を見つけて、その中でGoogle翻訳で英語、仏語に翻訳したリンク先を載せている人の投稿があった。ものは試しにと、Google翻訳で当blogを翻訳してみると、結構面白い訳にしてくれる。100点ではないが、75点はあげられるし、自分が訳するよりはよっぽどそれらしくて大変よろしい。
よって、真似してみる。
具体的には、
Google翻訳の翻訳レベルの高さに感心する一方で、2chはマイナーな題材についての意見交換には結構適している、と思った次第。
# 残り25点の意味は「実用にはまだほど遠い」であるが。
たまたま2chの【Google】Blogger.com part3を見つけて、その中でGoogle翻訳で英語、仏語に翻訳したリンク先を載せている人の投稿があった。ものは試しにと、Google翻訳で当blogを翻訳してみると、結構面白い訳にしてくれる。100点ではないが、75点はあげられるし、自分が訳するよりはよっぽどそれらしくて大変よろしい。
よって、真似してみる。
具体的には、
- Google翻訳サイトの「ウェブページを翻訳」欄で当blogを指定
- 日本語から英語への翻訳とする
- 翻訳ボタン押下すると遷移する画面のURLを確認
- そのURLをコピーする
- Bloggerでは「カスタマイズ」~「レイアウト」~「ページ要素」~「ガジェットを追加」~「リンクリスト」にコピーしたURLをペースト
- 晴れてサイドバーに掲載!
Google翻訳の翻訳レベルの高さに感心する一方で、2chはマイナーな題材についての意見交換には結構適している、と思った次第。
# 残り25点の意味は「実用にはまだほど遠い」であるが。
2008/09/16
9/11と台風
台風13号(200813号:SINLAKU)が当初の予想では沖縄本島に直撃コースと見せかけて、遠くに行ったかと思えば、近くに寄ったり沖縄本島在住の人々を翻弄しているので、唐突に2001年9月11日を思い出してみる。すでに周回遅れ。
画像はデジタル台風より、2001年9月11日、その日、沖縄を襲った台風16号(200116号:NARI)。上に九州、下に台湾が見えるが沖縄本島がすっぽり雲の中に入ってしまって確認できないのがわかるだろうか。
沖縄に15年ぶりに帰って初めての直撃した台風だった。
台風で何もできず、家人が寝静まった後、テレビをつけるとNHKでは緊急ニュースといった感じで世界貿易センタービルから煙が出ている画像を流していた。アナウンサーは何かしら衝突したようだとの文言を繰り返し、そのうちにアナウンサーの背景で中継していた画像に、もう一機の飛行機が衝突するのが確認できた。素人目にも飛行機だとはっきりわかったが、アナウンサーは正式な確認が取れないためか断言を避けていた。
ものすごいことが起こっていることはわかったが、隣人が襲われたわけではなく、所詮は遠くの出来事、しかし、続報を遅くまで追いかけていた。
アパートにしては広大なベランダに自作した日よけが台風の来襲で破壊されたのはほぼ1年後、またもや16号、2002年9月4日の台風16号(200216:SINLAKU)であった。農作物用ビニールハウスの鉄パイプを骨格として利用し、直射日光を低減するテントを張り巡らせた日よけであったが、この台風は、またしても家人が寝静まった後に徐々に勢いを増していき、テントは吹き荒れた暴風を受け、まるで巨人が大きく呼吸を繰り返すのに連動するかのように上下に激しくはらみ、その勢いは、他人の不幸には鈍感な私でさえ、このままでは手すりに強固に固定したつもりの鉄パイプごと飛ばされ近所の窓を割ってしまうのではないかという危惧を抱かせるのに十分なほどであった。
意を決して、カッターナイフを片手に持ち、大粒の雨と横殴りの風の中へ気持ちだけは飛び込み、実際は風に煽られないようしっかり歩いて、巨人の呼吸の影響を弱めんがために必死の思いでテントを切り裂きながらも、カッターナイフの刃はいつでも切れるようにしておかなきゃ、苦労して張ったテントが水の泡、風の藻くずだ、などと一方では考えていた。
デジタル台風によると、そのときの台風は今回の台風と同じ名前。 SINLAKU(シンラコウ)とはミクロネシアの言葉で伝説上の神らしい。アジア各国が14カ国で10個ずつの名前を順繰りに名付けるため、140個で一巡するという。200813号のSINLAKUは日よけを破壊した台風から140個目の台風である。
画像はデジタル台風より、2001年9月11日、その日、沖縄を襲った台風16号(200116号:NARI)。上に九州、下に台湾が見えるが沖縄本島がすっぽり雲の中に入ってしまって確認できないのがわかるだろうか。
沖縄に15年ぶりに帰って初めての直撃した台風だった。
台風で何もできず、家人が寝静まった後、テレビをつけるとNHKでは緊急ニュースといった感じで世界貿易センタービルから煙が出ている画像を流していた。アナウンサーは何かしら衝突したようだとの文言を繰り返し、そのうちにアナウンサーの背景で中継していた画像に、もう一機の飛行機が衝突するのが確認できた。素人目にも飛行機だとはっきりわかったが、アナウンサーは正式な確認が取れないためか断言を避けていた。
ものすごいことが起こっていることはわかったが、隣人が襲われたわけではなく、所詮は遠くの出来事、しかし、続報を遅くまで追いかけていた。
アパートにしては広大なベランダに自作した日よけが台風の来襲で破壊されたのはほぼ1年後、またもや16号、2002年9月4日の台風16号(200216:SINLAKU)であった。農作物用ビニールハウスの鉄パイプを骨格として利用し、直射日光を低減するテントを張り巡らせた日よけであったが、この台風は、またしても家人が寝静まった後に徐々に勢いを増していき、テントは吹き荒れた暴風を受け、まるで巨人が大きく呼吸を繰り返すのに連動するかのように上下に激しくはらみ、その勢いは、他人の不幸には鈍感な私でさえ、このままでは手すりに強固に固定したつもりの鉄パイプごと飛ばされ近所の窓を割ってしまうのではないかという危惧を抱かせるのに十分なほどであった。
意を決して、カッターナイフを片手に持ち、大粒の雨と横殴りの風の中へ気持ちだけは飛び込み、実際は風に煽られないようしっかり歩いて、巨人の呼吸の影響を弱めんがために必死の思いでテントを切り裂きながらも、カッターナイフの刃はいつでも切れるようにしておかなきゃ、苦労して張ったテントが水の泡、風の藻くずだ、などと一方では考えていた。
デジタル台風によると、そのときの台風は今回の台風と同じ名前。 SINLAKU(シンラコウ)とはミクロネシアの言葉で伝説上の神らしい。アジア各国が14カ国で10個ずつの名前を順繰りに名付けるため、140個で一巡するという。200813号のSINLAKUは日よけを破壊した台風から140個目の台風である。
2008/09/12
サイドバーに「最近の記事」を追加
画像はWikimedia Commonsから、香港のポスト(まだエリザベス二世の紋章がある)。
サイドバーに「最近の記事」を追加した。その備忘録。
過去記事xx件という一覧表示がなぜか欲しい。
というので、Bloggerのアーカイブは週や月単位だったりして、一覧表示が標準では用意されていないことが分かった。
いろいろ調べたあげく、各自工夫されているなか、まず、自分自身のRSSフィードを引っ張ってくる方法を試してみた。
そのときの設定方法は次の通り:
具体的には次の通り:
(追記)
と思ったら、上のファイルへのアクセスすると、以下のメッセージが出て、つまり、アクセスが過多で表示されなくなる場合があるようだ。
解決策として表示タイトルを
最近の記事 (表示されたりされなかったり)
に変更した。
サイドバーに「最近の記事」を追加した。その備忘録。
過去記事xx件という一覧表示がなぜか欲しい。
というので、Bloggerのアーカイブは週や月単位だったりして、一覧表示が標準では用意されていないことが分かった。
いろいろ調べたあげく、各自工夫されているなか、まず、自分自身のRSSフィードを引っ張ってくる方法を試してみた。
そのときの設定方法は次の通り:
- bloggerの上のメニューから
- カスタマイズをクリック
- レイアウトをクリック
- ページ要素をクリック
- (適当なセクションで)「ガジェットを追加」をクリック
- 基本~「フィード」ガジェットを追加
- フィードURLに"http://uyabin.blogspot.com/feeds/posts/default?orderby=published"を追加
- 次画面に移るので適当に設定
具体的には次の通り:
- bloggerの上のメニューから
- カスタマイズをクリック
- レイアウトをクリック
- ページ要素をクリック
- (適当なセクションで)「ガジェットを追加」をクリック
- 基本~「HTML/JavaScript」ガジェットを追加
- 「コンテンツ」欄に以下のJavaScriptを追加
<script src="http://files.lifewg.googlepages.com/blogger-widget.js"></script>中身はと言うと:
<script>
var numposts = 15;
var showpostdate = false;
var showpostsummary = false;
var numchars = 100;
</script>
<h2>最近の記事</h2>
<script src="http://uyabin.blogspot.com/feeds/posts/default?orderby=published&alt=json-in-script&callback=rp"></script>
- var numposts = 15; 記事数を指定する。今回は15件にしてみた
- var showpostdate = false; 投稿日の表示 (する:true / しない:false)
- var showpostsummary = false; 記事の要約 (する:true / しない:false)
- var numchars = 100; 記事要約の文字数
- <h2>最近の記事</h2> 表示タイトル
- <script src="http://uyabin.blogspot.com/feeds/posts/default?orderby=published&alt=json-in-script&callback=rp"></script> 表示させたいblogのフィードURL
(追記)
と思ったら、上のファイルへのアクセスすると、以下のメッセージが出て、つまり、アクセスが過多で表示されなくなる場合があるようだ。
The bandwidth or page view limit for this site has been exceeded and the page cannot be viewed at this time. Once the site is below the limit, it will once again begin serving as normal.がーん。
解決策として表示タイトルを
最近の記事 (表示されたりされなかったり)
に変更した。
2008/09/11
車をぶつけないで運転するコツ
耳がよく聞こえているならば、ぶつかった時は、バン、って音が聞こえるはずだから、つまり、車をぶつけないで運転するコツは
まずは、アクティブ・セイフティです。
ふざけているんですか、まじめなんですか、って? 両方!
バン、って音がする前に止まるか曲がろうでも運動神経に頼って直前に判断するよりも、予測と推測で事前に対応できるほうがいい。
まずは、アクティブ・セイフティです。
ふざけているんですか、まじめなんですか、って? 両方!
2008/09/09
OKINAPA wine festival on Fri, Sep. 5, 2008
OKINAWAではなくOKINAPAである。カリフォルニアのワインの産地Napa valleyに対し駄洒落で対抗したようだ、と上司に教えてもらった。
OKINAPAはアメリカ海兵隊コミュニティ・サービス(MCCS)の提供するワインパーティ。
チケットには
と書いてある。。
翌日の土曜は昼の開催で、年2回やっているらしい。
正直、ワインのことはよく知らないが、つてがあって参加してみた(いけなくなった人の代理)。これも冒険の一種というのかな。
正規にチケットを買うとUS$25。普通に沖縄で生活していれば手に入る、というものではないし、というか、今回初めて存在を知ったくらいだ。
ご招待してくれた(あくまでこちらは代理ですが)ちょっと知り合いの社長のご友人達と待ち合わせて、会社の上司と同僚も含め計6名でジャンボタクシーに乗り合い、キャンプフォスターに向かう。
タクシーの運転手に基地内では交通ルールがうるさい(徹底している)ので全員のシートベルト着用を促される。キャンプフォスターのゲートでは、全員チケット持参していることを警備の方(日本人)に確認されて、基地内を数分走り、目的の会場へ到着。
入り口で毎回ロゴの色が変わるというテイスティング用のワイングラスを確保し、ゴルフのスコア記入用の鉛筆が添えられたアンケート用紙のような出品銘柄一覧表を持って、いざ会場へ入場。
ここで他のみんなとは時間になったら携帯で連絡を取り合うことにし、一体全体どんな仕組みなのかを観察後、一旦離散する。
会場は大部屋に2百〜3百名(もっとかも?)のアメリカ人と思わしき外国人たち(白人が大多数、その他人種はワインに対する文化が違うと思われた)、日本人もちらほら。
服装は、一応パーティなので、女性は膝丈くらいの肩を出したワンピースがトレンドっぽく7割くらいがそういう服装(数値はあくまで印象で冷静に考えると3割くらいかもしれない)で、男性陣はとりあえず襟付きのシャツ。当方はかりゆしウェアで米人も何人かいた。年代は30-40代と思わしき人々が多く。若造はあまりいない(ケッ、とか思ってんだろうか)。
とりあえず、食事はビュッフェ形式(アメリカ英語だとバッフェか)で取り放題であることを確認。それぞれの皿にシェフもついていて、パスタ類や寿司、牡蠣、ペーストタイプのなにがしか、ちょっとしたスナック等、飲むのに忙しくて味見はできなかったが肉料理は屋外でちゃんと火を使って調理していた。味は案外良好。
各人が皿を乗せるトレイは角にワイングラスの足が入るくらいの穴が開いていて持ちやすいように工夫されている。
見よう見まねで空いていそうなワインコーナへ行き、お手すきの係の方へボトルを指差し、グラスについでもらうようお願いする。一応"Can I have..."とか言ってみるのだが、雑踏の雑音のせいでどうせ聞こえないはずだと思い、恥ずかしさなどは横に置くことにして、味見をする。何かしらの味があるのは分かるが(他と区別はつく)、英語でなんと言っていいか分からない。
よく見ると、ワインをテイスティングした後、ワイングラスを濯ぐ水と水受けも用意されているので適当に濯ぎつつ会場をうろちょろする。
ここで、ちょっと考えて、まずは食事を先に済ませて、トレイを置いて身軽になってから飲むべし、と食事を適当にすませたところで、高校の同級生Yに出会う。もう何年も前からリゾートホテルのレストランの支配人だ。
どうもワインに詳しいらしい。俺についてこいといった感じで、金魚の糞のごとくついて行く。途中で、これまた同級生の女子Kさんも一緒になる。Yのところでワインの勉強をしているらしい。Yは英語が弱いので英語の勉強、Kさんは基地内のレストランで働いているらしく、ワインの知識が必要なのでgive-and-takeの関係で、招待したらしい。Yは以前から参加しているとのことで、ロゴの色違いのワイングラスを10脚くらい持っているらしい。
このパーティのチケットはなかなか取れないらしく、二人からどうやってチケットを入手したのか聞かれた。そんなに難しいのか。
用意されたワインは144種(さっき数えてみた)。大まかにワインの取扱業者毎に5つのセクションに分かれていて、大部屋の各コーナーに陣取っていた。テーブルの中にはワインをついでくる人たちが3−5名いて、ワインに関するうんちくを教えながら、お勧めのワインを注いでくれたりしているのだな、と想像しながらやりとりを見ていた。しゃべっている英語がよく分からなかったので。
テーブルは業者毎に、
ボトルの値段は$4.15から$64.55の間で、$10~$20位が中心価格帯。
単独でティスティングに挑んだ4種類とYのご推薦を含め、結果的に全部で16銘柄をテイストした。
テーブル毎に美味しかったワインを記録してみる。
My recommendation:
1.
まったく、Yのうんちくが無ければ何が何だか分からなかったかもしれない。
あてずっぽうでチャレンジしてもいい印象は残らなかったかもしれない。
Yには、アロマとブーケの違い(アロマは果実のそのものが発生する香りで、ブーケは樽等に貯蔵している間についたり生まれたりする香り)とか、まずはシャブリ(1.の2番目)を味わって基準にしろ、とかいろいろ語ってもらった。
同行した同僚が、あそこに皆さんいますからね、と何度か声をかけてくれたのだが、Yの話とテイストする味の違いがおもしろくて、構わずYについて行く。
屋外では日本人のピアノトリオがJAZZを演奏中、いや、これがうまくてこれだけでもOKな感じ。肉も多種多様に調理されている(結局食せなかった)。
そうこうしているうちに同僚が、楽しんでますね?でも皆さん帰りますよ、と声をかけてきたので、YとKさんにお礼を言って別れる。
ジャンボタクシーに乗りながら、ワインというのはバリエーションの豊富さと味、色、香りなどの複雑性がうんちくを語るに持ってこいだな、とするとある程度の知識があれば会話のネタしてはおもしろいな、泡盛で香りを楽しませるのは古酒でないとな、とか、でもビールと泡盛が今のところ自分にはマッチしているな、とかなどを考える。
ワインに関する英語はtottocobkhinata(日向清人さん)のサイトが参考になると思う。行く前に単語だけでも知っとくと、もっと有意義な時間が過ごせたのではないかと思ったり思わなかったり。役に立ちそうな単語を書き写してみる。
OKINAPAはアメリカ海兵隊コミュニティ・サービス(MCCS)の提供するワインパーティ。
チケットには
MCCS PRESENTS
OKINAPAWine Festival
OKINAWA'S ORIGINAL SINCE 1997Friday, September 5, 5-11P.M.
Butler Officers' Club, Cp. Foster
翌日の土曜は昼の開催で、年2回やっているらしい。
正直、ワインのことはよく知らないが、つてがあって参加してみた(いけなくなった人の代理)。これも冒険の一種というのかな。
正規にチケットを買うとUS$25。普通に沖縄で生活していれば手に入る、というものではないし、というか、今回初めて存在を知ったくらいだ。
ご招待してくれた(あくまでこちらは代理ですが)ちょっと知り合いの社長のご友人達と待ち合わせて、会社の上司と同僚も含め計6名でジャンボタクシーに乗り合い、キャンプフォスターに向かう。
タクシーの運転手に基地内では交通ルールがうるさい(徹底している)ので全員のシートベルト着用を促される。キャンプフォスターのゲートでは、全員チケット持参していることを警備の方(日本人)に確認されて、基地内を数分走り、目的の会場へ到着。
入り口で毎回ロゴの色が変わるというテイスティング用のワイングラスを確保し、ゴルフのスコア記入用の鉛筆が添えられたアンケート用紙のような出品銘柄一覧表を持って、いざ会場へ入場。
ここで他のみんなとは時間になったら携帯で連絡を取り合うことにし、一体全体どんな仕組みなのかを観察後、一旦離散する。
会場は大部屋に2百〜3百名(もっとかも?)のアメリカ人と思わしき外国人たち(白人が大多数、その他人種はワインに対する文化が違うと思われた)、日本人もちらほら。
服装は、一応パーティなので、女性は膝丈くらいの肩を出したワンピースがトレンドっぽく7割くらいがそういう服装(数値はあくまで印象で冷静に考えると3割くらいかもしれない)で、男性陣はとりあえず襟付きのシャツ。当方はかりゆしウェアで米人も何人かいた。年代は30-40代と思わしき人々が多く。若造はあまりいない(ケッ、とか思ってんだろうか)。
とりあえず、食事はビュッフェ形式(アメリカ英語だとバッフェか)で取り放題であることを確認。それぞれの皿にシェフもついていて、パスタ類や寿司、牡蠣、ペーストタイプのなにがしか、ちょっとしたスナック等、飲むのに忙しくて味見はできなかったが肉料理は屋外でちゃんと火を使って調理していた。味は案外良好。
各人が皿を乗せるトレイは角にワイングラスの足が入るくらいの穴が開いていて持ちやすいように工夫されている。
見よう見まねで空いていそうなワインコーナへ行き、お手すきの係の方へボトルを指差し、グラスについでもらうようお願いする。一応"Can I have..."とか言ってみるのだが、雑踏の雑音のせいでどうせ聞こえないはずだと思い、恥ずかしさなどは横に置くことにして、味見をする。何かしらの味があるのは分かるが(他と区別はつく)、英語でなんと言っていいか分からない。
よく見ると、ワインをテイスティングした後、ワイングラスを濯ぐ水と水受けも用意されているので適当に濯ぎつつ会場をうろちょろする。
ここで、ちょっと考えて、まずは食事を先に済ませて、トレイを置いて身軽になってから飲むべし、と食事を適当にすませたところで、高校の同級生Yに出会う。もう何年も前からリゾートホテルのレストランの支配人だ。
どうもワインに詳しいらしい。俺についてこいといった感じで、金魚の糞のごとくついて行く。途中で、これまた同級生の女子Kさんも一緒になる。Yのところでワインの勉強をしているらしい。Yは英語が弱いので英語の勉強、Kさんは基地内のレストランで働いているらしく、ワインの知識が必要なのでgive-and-takeの関係で、招待したらしい。Yは以前から参加しているとのことで、ロゴの色違いのワイングラスを10脚くらい持っているらしい。
このパーティのチケットはなかなか取れないらしく、二人からどうやってチケットを入手したのか聞かれた。そんなに難しいのか。
用意されたワインは144種(さっき数えてみた)。大まかにワインの取扱業者毎に5つのセクションに分かれていて、大部屋の各コーナーに陣取っていた。テーブルの中にはワインをついでくる人たちが3−5名いて、ワインに関するうんちくを教えながら、お勧めのワインを注いでくれたりしているのだな、と想像しながらやりとりを見ていた。しゃべっている英語がよく分からなかったので。
テーブルは業者毎に、
- MF International - ドイツとフランスのワイン チリとポルトガルもちょこっと。
- E&J Gallo Wines - カリフォルニアがメイン。イタリアとスペインもちょこっと。
- Constellation Wines - カリフォルニアがメイン。ニュージーランドにカナダ、ワシントンも。
- P&A Worldwide - ドイツがメイン。南アフリカ、アルゼンチンも。
- Vinottimo LLC - イタリアがメイン。カリフォルニア、ドイツ、オーストラリアも。
ボトルの値段は$4.15から$64.55の間で、$10~$20位が中心価格帯。
単独でティスティングに挑んだ4種類とYのご推薦を含め、結果的に全部で16銘柄をテイストした。
テーブル毎に美味しかったワインを記録してみる。
My recommendation:
1.
- ORENTS - Gewurztraminer D’Alsace Reserve (France-Alsace), white, $13.25
- PIRRE ANDRE - Chablis Legrandpre (France), white, $18.75
- PIRRE ANDRE - Chateauneuf Du Pape (France), white, $23.50
- B & G - Thomas Barton Margaux (France), red, $25.45
- HENKELL - Trocken Sekt Magnum (Germany), sparkling, $11.65
- BATASIOLO - Barolo DOCG (Italy), red, $25.25
まったく、Yのうんちくが無ければ何が何だか分からなかったかもしれない。
あてずっぽうでチャレンジしてもいい印象は残らなかったかもしれない。
Yには、アロマとブーケの違い(アロマは果実のそのものが発生する香りで、ブーケは樽等に貯蔵している間についたり生まれたりする香り)とか、まずはシャブリ(1.の2番目)を味わって基準にしろ、とかいろいろ語ってもらった。
同行した同僚が、あそこに皆さんいますからね、と何度か声をかけてくれたのだが、Yの話とテイストする味の違いがおもしろくて、構わずYについて行く。
屋外では日本人のピアノトリオがJAZZを演奏中、いや、これがうまくてこれだけでもOKな感じ。肉も多種多様に調理されている(結局食せなかった)。
そうこうしているうちに同僚が、楽しんでますね?でも皆さん帰りますよ、と声をかけてきたので、YとKさんにお礼を言って別れる。
ジャンボタクシーに乗りながら、ワインというのはバリエーションの豊富さと味、色、香りなどの複雑性がうんちくを語るに持ってこいだな、とするとある程度の知識があれば会話のネタしてはおもしろいな、泡盛で香りを楽しませるのは古酒でないとな、とか、でもビールと泡盛が今のところ自分にはマッチしているな、とかなどを考える。
ワインに関する英語はtottocobkhinata(日向清人さん)のサイトが参考になると思う。行く前に単語だけでも知っとくと、もっと有意義な時間が過ごせたのではないかと思ったり思わなかったり。役に立ちそうな単語を書き写してみる。
- 辛い dry
- 甘い sweet
- 濃厚 full-body
- 軽い light (light-body)
- 喉越しがよい smooth
- 舌にピリピリこない穏やか opend up
- まだ時期に達していない closed up
- 酸味 acidity
- 渋い tannic
2008/09/08
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない
画像はWikimedia Commonsからユリウス・カエサルの横顔をかたどった紀元前44年頃、ローマ時代の銀貨。
先日読んだ、塩野七生の「ルネッサンスとは何であったのか」にあるマキアベッリが紹介したというユリウス・カエサルの言葉:
塩野七生はその著書で二つの解釈を与えていて、大まかに述べると、一つは(p.76)、
見えるようになるために「見たいと欲する」ことができるか。
先日読んだ、塩野七生の「ルネッサンスとは何であったのか」にあるマキアベッリが紹介したというユリウス・カエサルの言葉:
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。そうなんだろうな、と思うことしばしば。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない
塩野七生はその著書で二つの解釈を与えていて、大まかに述べると、一つは(p.76)、
- 多くの人は見たいと思うものだけしか見えていない
- 多くの人は見たいと欲すれば見えるようになる
見えるようになるために「見たいと欲する」ことができるか。
2008/09/03
2008/09/02
北海道の家には庇(ひさし)がなかった (そして本題)
画像はWikimedeia Commonsから新千歳空港に着陸直前の絵。
無難な1日目に。
行きの快速エアポートで、新千歳空港駅で昼食用にと買い込んだカツサンドを我慢しつつ外を眺めていると北海道らしいと勝手に感じている広がる畑と植林されていない森林が交互に繰り返す。畑の中にに取り残されたような木々は列車の進行方向になびいているので南風が強いのだろうか。その畑と森林の混じって新興住宅地が時々広がり、その家々がなぜだかすっきりしている。
すっきりしてるなぁ、何が違うんだっけ、などと思いつつ、いい加減お腹もすいたので意を決して一人カツサンドを食し、再び車窓から外を眺めていると、新興住宅地の家々がやはり、こじんまりとまとまり、すっきりとかわいらしい。
何でかな?とよーく見て考えてみると、ほとんどの家にの窓には庇(ひさし)が無いことに気づいた。また、窓自体も小さく、大開口となる掃き出し窓が確認できなかった(ほんとに? ちょっと自信ない)。時々ストーブ用なのか屋根から突き出た煙突も見える。アパートのような集合住宅には1階を車庫、2階3階を住宅としているのも散見される。家々の形状は四角四面のキューブ体の組み合わせか、勾配のきつい三角屋根。ベランダもごく僅かしか見受けられない。
庇は高温多湿の気候のもとでは、突然の雨の侵入を防ぎ、雨が入りにくいことを利用して雨の場合でも窓を開けることで風通しをよくし、夏は直射日光を遮る役目を果たすので必須なのだが、北海道は亜寒帯湿潤気候に属するようなのでそれらに対する配慮は不要ということのようであり、逆に積雪や断熱、冬期における日光の取り込みを考えてのことなのかと考えた。
住宅は地域気候などのマクロ環境な視点と建設される土地の特性といったミクロ環境な視点と並行して考慮しないとイケナイノデアルことを再確認する、などいうことを綱渡りの2日目で考えた、とは書いたものの、実は少し思った程度。
北海道と庇に関する記述はググってもあまり無いのだが、ariariさんのサイトを見るとイメージできるかも。
ここまで来てやっとタイトルの「北海道の家には庇(ひさし)がなかった」の話になった。
書いている自分でもよくわからないまま、ここまで書き続けてきたが、一体全体この本題より前回前々回の出張日記の方が長いのはどうしたことか。何か個人的な理由やトラウマ、隠された意図、伏線があるのか。
答えは次の一文にある。
なにせ北海道は 久し ぶりだったから。
…お後がよろしいようで(立つ鳥跡を濁しまくり、飛ぶ鳥から落とされる勢い)。
無難な1日目に。
行きの快速エアポートで、新千歳空港駅で昼食用にと買い込んだカツサンドを我慢しつつ外を眺めていると北海道らしいと勝手に感じている広がる畑と植林されていない森林が交互に繰り返す。畑の中にに取り残されたような木々は列車の進行方向になびいているので南風が強いのだろうか。その畑と森林の混じって新興住宅地が時々広がり、その家々がなぜだかすっきりしている。
すっきりしてるなぁ、何が違うんだっけ、などと思いつつ、いい加減お腹もすいたので意を決して一人カツサンドを食し、再び車窓から外を眺めていると、新興住宅地の家々がやはり、こじんまりとまとまり、すっきりとかわいらしい。
何でかな?とよーく見て考えてみると、ほとんどの家にの窓には庇(ひさし)が無いことに気づいた。また、窓自体も小さく、大開口となる掃き出し窓が確認できなかった(ほんとに? ちょっと自信ない)。時々ストーブ用なのか屋根から突き出た煙突も見える。アパートのような集合住宅には1階を車庫、2階3階を住宅としているのも散見される。家々の形状は四角四面のキューブ体の組み合わせか、勾配のきつい三角屋根。ベランダもごく僅かしか見受けられない。
庇は高温多湿の気候のもとでは、突然の雨の侵入を防ぎ、雨が入りにくいことを利用して雨の場合でも窓を開けることで風通しをよくし、夏は直射日光を遮る役目を果たすので必須なのだが、北海道は亜寒帯湿潤気候に属するようなのでそれらに対する配慮は不要ということのようであり、逆に積雪や断熱、冬期における日光の取り込みを考えてのことなのかと考えた。
住宅は地域気候などのマクロ環境な視点と建設される土地の特性といったミクロ環境な視点と並行して考慮しないとイケナイノデアルことを再確認する、などいうことを綱渡りの2日目で考えた、とは書いたものの、実は少し思った程度。
北海道と庇に関する記述はググってもあまり無いのだが、ariariさんのサイトを見るとイメージできるかも。
ここまで来てやっとタイトルの「北海道の家には庇(ひさし)がなかった」の話になった。
書いている自分でもよくわからないまま、ここまで書き続けてきたが、一体全体この本題より前回前々回の出張日記の方が長いのはどうしたことか。何か個人的な理由やトラウマ、隠された意図、伏線があるのか。
答えは次の一文にある。
なにせ北海道は 久し ぶりだったから。
…お後がよろしいようで(立つ鳥跡を濁しまくり、飛ぶ鳥から落とされる勢い)。
北海道の家には庇(ひさし)がなかった (綱渡りの2日目)
画像はWikimedia Commonsから。空は飛べないと思う。
1日目からの続き。
2日目(8/29金)。
仕事はゆっくりと10時集合なのだが、7時過ぎには目が覚める。8時に無料の朝食(おにぎり)を食す。無料といっても宿泊代金に含まれているものだものな、とか、ホテルの客を観察しつつ夏の札幌も結構東方系アジア人観光客が多いなとか、冷たいおにぎりなんて食べるんだろうかとか思いながら、冷たいおにぎりをほおばる。
仕事では用意した資料の日付が8/29(木)-8/30(金)と本来とは1日遅れた日付て印刷しており、自分でもどうやって昨日ちゃんと札幌に着いたかわからないなどと言い訳しながら説明などをする。
あらかじめ断っておいた15:45に出張先を辞退する。
17:30の飛行機に乗るためにはぎりぎりの目算。17:50の飛行機に乗る九州からの方も同行する。
二人で焦って歩いて16時頃に札幌駅に到着。「快速エアポート」のUシートは購入できず、自由席となる(ちょっと混んでいそうなイヤな予感)。
16:10の快速エアポートを5番ホームで同行者と待つも、到着が遅れている。その間にもホームは結構な待ち行列ができはじめる。こちらは列の中間やや後方。
結局快速エアポートは3分遅れで到着。自由席車両に乗り込むもシートはすでに占有され、立つことを同行者とともに余儀なくされる。立ったまま待っていると7番ホームの室蘭行きの車両の後に出発とのアナウンス。結局さらに7分遅れて、計10分遅れの16:21発で札幌駅を出発する。このため、新千歳空港に予定の16:56着が17:06着となる。
睡眠不足のせいか、吊革につかまりながらうとうとする。途中、新千歳空港の3駅手前の恵庭駅で目の前の1名座席に座っていたご婦人が降りたので、同行者と譲り合いの結果席に座らせてもらう。それから2駅過ぎたところで、同行者に交代を申し出るが遠慮されてしまう。九州男児の意地か。ありがとうございますと言いつつも居心地の悪さも感じる。どこかで挽回しなければ?
さて、webチェックインでは出発時刻17:30の20分前つまり17:10にはセキュリティを通過することが求められている(15分前の間違いだった)。17:06着だと、空港内の移動も含めてぎりぎりだ(よって、実は余裕が少しあった)。同行の九州男児とはチェックインカウンターの前で挽回するまもなく礼を言ってあっという間に別れ、セキュリティを17:10に通過する。
職場と家族へのおみやげは仕方なくセキュリティ内の販売店で購入。ついでに、羽田に着く頃にはお腹もすくだろうけど、せっかくなので50分も間がある羽田での乗り換えの時間を楽しいものにすべく、販売店お勧めの(2箇所で聞いた)新千歳の空弁「かにめし弁当」(1,020円)を購入。機内に持ち込み羽田まで我慢することとした。
待合室のシートに空きもないので同じ立つならと思い、アナウンスに促される前に搭乗カウンター前に10分前に並びゲートオープンを待つ。
この時点でやや汗だく、疲労困憊気味。
「2歳児以下の小さいなお子様をお連れのお客様やお手伝いを必要とされるお客様を優先的に搭乗…」とのアナウンスを聞くたびに、かつての先輩かつ上司であったYさんを思い出す。「Yさん、お手伝いが必要ですよね、行きましょう!」「そうか、そうするか…」
機種はボーイング777-200。ファーストクラス付き。席はクラスJの通路側。行きと違いクラスJのシートは今までのものと一緒だ。
隣席は中高年のおじさま。再び「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。メディチ家がルネッサンスに及ぼした影響が大きなものであることを初めて知る。いい本だ。
飛行機のドアが閉まると、17:30発のはずが、大雨の影響で東京上空が混雑し、そのせいで出発が30分遅れて18:00発になるとのアナウンス。機内で30分待機。18:05頃出発し、無事、飛び立つと、今度は仙台上空で15分の待機を指示されたとの機長アナウンス。結局仙台上空では20分待機となり計55分の遅れ。
到着の体制に入りシートベルト着用のサインも点灯してしばらく過ぎた頃、頭上の荷物入れ(オーバー・ヘッド・コンパートメント)が突然ガバッと空き、さて、シートベルトを外して直そうかとすると、「大変申し訳ございません」と言いつつアテンダントが閉めに来た。映画ならそれが何かの前兆だが現実は何も起こらない(それとも鈍感なだけ?)。
19:00着予定が19:55着となり、到着後のゲート間の移動も考えると明らかに乗り継ぎの出発時刻19:55に間に合わない。
19:55に羽田に到着する。
到着の際のアテンダントのアナウンスが飛行機を降りたら地上係員に声をかけてくださいというので、最初に見かけた係員に声をかけたら、この人は香港行き乗り 継ぎの方を担当で、あちらでお願いします、と言うので、もう少し先に行くと6,7人があわただしく連絡をとったり資料をチェックしたり忙しそうだ。ホワイトボードを見ると10カ所くらいの乗り継ぎがありそうだ。という ので行き先は分かっているし空港内も把握しているので昨日の誤った経験則を生かし一人で行くことにした。
今度は12番ゲート着の乗り継ぎ先が8番ゲートで、またしても遠い遠い。
途中、必死な形相の地上係員とすれ違うが、先方も「なんかこの人かも」とか思っているような気がしつつそのまますれ違う。
8番ゲートに近づくと4名ほどの地上係員があわただしく連絡を取り合っており、こちらに気づいた一人が「お客様、沖縄行きですか?」「はい、すいません」「こちらこそすいません」とお互い謝りながら搭乗口を通過すると一人の係員(女性)が猛ダッシュで飛行機へ駆けていく。つられてこちらもやや早歩き。またも「すいません」と言いつつ飛行機に乗り込むも、先ほどの係員は飛行機のドア付近でこちらに一瞥もせずにアテンダントと整備関係の人と何やら調整中。
ちょっと落ち着いて考えてみると、地上係員は乗り継ぎ客が本当に存在して乗り継ぎ先のゲートへ本当に向かったかどうかを確認する必要があり、分秒単位の差し迫ったスケジュールを到着ゲートと出発ゲートのそれぞれでお互い連絡を取り合いながら調整しないといけないはずで、知っているからと言って単独行動せずに乗り継ぎの際は地上係員に申請しましょう、いやそれは先刻ご承知、知っているのだが、疲れているからといって無視してはいけない、というのが、私の教訓となる(覚えている間限定)。
飛行機に乗り込むと私が最後の搭乗客だったようで、すでに着席済みとおぼしき低いところからの目線がいくつか合うが、まず着席してシートベルトを締めないとイケナイノダと考えることにして気にしないことにする。
機種はボーイング747-400D。
結局19:55発のこの最終便は20:05発と遅れ、滑走路でも5機待ちとのアナウンス。
旅程最後のクラスJの隣席は快速エアポートの同じく20代太めの女性、すでにサンダルを脱ぎ、ブランケットも確保していていかにも旅慣れている様子。
オーバー・ヘッド・コンパートメントに押し込んだ「かにめし」を出すのも億劫なので「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。ルネッサンスが「なぜ」の問いかけとそれに対する回答の表現であることを初めて知る。いい本だ。
途中でサーブされるアップルジュースと茶菓子で空腹を紛らわす。
そうこうしているうちに隣の女性が空弁(と思われる)と缶ビール(!)を取り出し食事にいそしんでいる姿を横目の端っこで感じながら、ひたすら継読。
2日目の帰りの旅程は快速エアポートの遅れに始まり新千歳空港と仙台上空での待機に乗り継ぎの勝手な行動で綱渡りだったなぁ、と疲労感に包まれつつ感慨にふけりながら、本当に綱渡りだったらほとんどの人が落ちているはずから不適切な用例だよなぁ、でも言いたいことはよく分かるなぁ、と安心しているとまだ何かあるかもなぁ、とか考えているうちに22:30頃に那覇空港に到着。
仕事終了後そのまま沖縄に向かったと思われる手をつないだ男女二組をそれぞれ追い越しつつ手荷物なしで到着口を通過。よいバカンスを。
那覇空港発22:36のゆいレールに乗車。「ルネッサンスとは何だったのか」を継読しようと思ったがすでに機内で読了していた。カバー裏を見て7月7日生まれだから七生であることを知る。とにかくいい本だ。どうも疲れている。
首里駅に23:03に到着、歩いてやっと23:15分頃自宅に到着。
出迎えた猫に挨拶をしつつ、家族が寝静まっているのを察知しつつ、窓を開けて風を通しつつ、荷物の片付けを適当に行い、一区切りつける。
沖縄~東京間は日帰りも珍しくない昨今、沖縄~札幌間も仕事の時間さえ合えば日帰りも可能(いやだよな)と報告しようと考えながら(ポイントはそこ?)、ゆっくり「かにめし」を広げ、冷蔵庫に取っておいた缶ビールをお茶代わりにする。
綱渡りは無事に綱を渡り終えたようだ。
庇(ひさし)の話はまた次回(えっ?)。
1日目からの続き。
2日目(8/29金)。
仕事はゆっくりと10時集合なのだが、7時過ぎには目が覚める。8時に無料の朝食(おにぎり)を食す。無料といっても宿泊代金に含まれているものだものな、とか、ホテルの客を観察しつつ夏の札幌も結構東方系アジア人観光客が多いなとか、冷たいおにぎりなんて食べるんだろうかとか思いながら、冷たいおにぎりをほおばる。
仕事では用意した資料の日付が8/29(木)-8/30(金)と本来とは1日遅れた日付て印刷しており、自分でもどうやって昨日ちゃんと札幌に着いたかわからないなどと言い訳しながら説明などをする。
あらかじめ断っておいた15:45に出張先を辞退する。
17:30の飛行機に乗るためにはぎりぎりの目算。17:50の飛行機に乗る九州からの方も同行する。
二人で焦って歩いて16時頃に札幌駅に到着。「快速エアポート」のUシートは購入できず、自由席となる(ちょっと混んでいそうなイヤな予感)。
16:10の快速エアポートを5番ホームで同行者と待つも、到着が遅れている。その間にもホームは結構な待ち行列ができはじめる。こちらは列の中間やや後方。
結局快速エアポートは3分遅れで到着。自由席車両に乗り込むもシートはすでに占有され、立つことを同行者とともに余儀なくされる。立ったまま待っていると7番ホームの室蘭行きの車両の後に出発とのアナウンス。結局さらに7分遅れて、計10分遅れの16:21発で札幌駅を出発する。このため、新千歳空港に予定の16:56着が17:06着となる。
睡眠不足のせいか、吊革につかまりながらうとうとする。途中、新千歳空港の3駅手前の恵庭駅で目の前の1名座席に座っていたご婦人が降りたので、同行者と譲り合いの結果席に座らせてもらう。それから2駅過ぎたところで、同行者に交代を申し出るが遠慮されてしまう。九州男児の意地か。ありがとうございますと言いつつも居心地の悪さも感じる。どこかで挽回しなければ?
さて、webチェックインでは出発時刻17:30の20分前つまり17:10にはセキュリティを通過することが求められている(15分前の間違いだった)。17:06着だと、空港内の移動も含めてぎりぎりだ(よって、実は余裕が少しあった)。同行の九州男児とはチェックインカウンターの前で挽回するまもなく礼を言ってあっという間に別れ、セキュリティを17:10に通過する。
職場と家族へのおみやげは仕方なくセキュリティ内の販売店で購入。ついでに、羽田に着く頃にはお腹もすくだろうけど、せっかくなので50分も間がある羽田での乗り換えの時間を楽しいものにすべく、販売店お勧めの(2箇所で聞いた)新千歳の空弁「かにめし弁当」(1,020円)を購入。機内に持ち込み羽田まで我慢することとした。
待合室のシートに空きもないので同じ立つならと思い、アナウンスに促される前に搭乗カウンター前に10分前に並びゲートオープンを待つ。
この時点でやや汗だく、疲労困憊気味。
「2歳児以下の小さいなお子様をお連れのお客様やお手伝いを必要とされるお客様を優先的に搭乗…」とのアナウンスを聞くたびに、かつての先輩かつ上司であったYさんを思い出す。「Yさん、お手伝いが必要ですよね、行きましょう!」「そうか、そうするか…」
機種はボーイング777-200。ファーストクラス付き。席はクラスJの通路側。行きと違いクラスJのシートは今までのものと一緒だ。
隣席は中高年のおじさま。再び「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。メディチ家がルネッサンスに及ぼした影響が大きなものであることを初めて知る。いい本だ。
飛行機のドアが閉まると、17:30発のはずが、大雨の影響で東京上空が混雑し、そのせいで出発が30分遅れて18:00発になるとのアナウンス。機内で30分待機。18:05頃出発し、無事、飛び立つと、今度は仙台上空で15分の待機を指示されたとの機長アナウンス。結局仙台上空では20分待機となり計55分の遅れ。
到着の体制に入りシートベルト着用のサインも点灯してしばらく過ぎた頃、頭上の荷物入れ(オーバー・ヘッド・コンパートメント)が突然ガバッと空き、さて、シートベルトを外して直そうかとすると、「大変申し訳ございません」と言いつつアテンダントが閉めに来た。映画ならそれが何かの前兆だが現実は何も起こらない(それとも鈍感なだけ?)。
19:00着予定が19:55着となり、到着後のゲート間の移動も考えると明らかに乗り継ぎの出発時刻19:55に間に合わない。
19:55に羽田に到着する。
到着の際のアテンダントのアナウンスが飛行機を降りたら地上係員に声をかけてくださいというので、最初に見かけた係員に声をかけたら、この人は香港行き乗り 継ぎの方を担当で、あちらでお願いします、と言うので、もう少し先に行くと6,7人があわただしく連絡をとったり資料をチェックしたり忙しそうだ。ホワイトボードを見ると10カ所くらいの乗り継ぎがありそうだ。という ので行き先は分かっているし空港内も把握しているので昨日の誤った経験則を生かし一人で行くことにした。
今度は12番ゲート着の乗り継ぎ先が8番ゲートで、またしても遠い遠い。
途中、必死な形相の地上係員とすれ違うが、先方も「なんかこの人かも」とか思っているような気がしつつそのまますれ違う。
8番ゲートに近づくと4名ほどの地上係員があわただしく連絡を取り合っており、こちらに気づいた一人が「お客様、沖縄行きですか?」「はい、すいません」「こちらこそすいません」とお互い謝りながら搭乗口を通過すると一人の係員(女性)が猛ダッシュで飛行機へ駆けていく。つられてこちらもやや早歩き。またも「すいません」と言いつつ飛行機に乗り込むも、先ほどの係員は飛行機のドア付近でこちらに一瞥もせずにアテンダントと整備関係の人と何やら調整中。
ちょっと落ち着いて考えてみると、地上係員は乗り継ぎ客が本当に存在して乗り継ぎ先のゲートへ本当に向かったかどうかを確認する必要があり、分秒単位の差し迫ったスケジュールを到着ゲートと出発ゲートのそれぞれでお互い連絡を取り合いながら調整しないといけないはずで、知っているからと言って単独行動せずに乗り継ぎの際は地上係員に申請しましょう、いやそれは先刻ご承知、知っているのだが、疲れているからといって無視してはいけない、というのが、私の教訓となる(覚えている間限定)。
飛行機に乗り込むと私が最後の搭乗客だったようで、すでに着席済みとおぼしき低いところからの目線がいくつか合うが、まず着席してシートベルトを締めないとイケナイノダと考えることにして気にしないことにする。
機種はボーイング747-400D。
結局19:55発のこの最終便は20:05発と遅れ、滑走路でも5機待ちとのアナウンス。
旅程最後のクラスJの隣席は快速エアポートの同じく20代太めの女性、すでにサンダルを脱ぎ、ブランケットも確保していていかにも旅慣れている様子。
オーバー・ヘッド・コンパートメントに押し込んだ「かにめし」を出すのも億劫なので「ルネッサンスとは何だったのか」を継読。ルネッサンスが「なぜ」の問いかけとそれに対する回答の表現であることを初めて知る。いい本だ。
途中でサーブされるアップルジュースと茶菓子で空腹を紛らわす。
そうこうしているうちに隣の女性が空弁(と思われる)と缶ビール(!)を取り出し食事にいそしんでいる姿を横目の端っこで感じながら、ひたすら継読。
2日目の帰りの旅程は快速エアポートの遅れに始まり新千歳空港と仙台上空での待機に乗り継ぎの勝手な行動で綱渡りだったなぁ、と疲労感に包まれつつ感慨にふけりながら、本当に綱渡りだったらほとんどの人が落ちているはずから不適切な用例だよなぁ、でも言いたいことはよく分かるなぁ、と安心しているとまだ何かあるかもなぁ、とか考えているうちに22:30頃に那覇空港に到着。
仕事終了後そのまま沖縄に向かったと思われる手をつないだ男女二組をそれぞれ追い越しつつ手荷物なしで到着口を通過。よいバカンスを。
那覇空港発22:36のゆいレールに乗車。「ルネッサンスとは何だったのか」を継読しようと思ったがすでに機内で読了していた。カバー裏を見て7月7日生まれだから七生であることを知る。とにかくいい本だ。どうも疲れている。
首里駅に23:03に到着、歩いてやっと23:15分頃自宅に到着。
出迎えた猫に挨拶をしつつ、家族が寝静まっているのを察知しつつ、窓を開けて風を通しつつ、荷物の片付けを適当に行い、一区切りつける。
沖縄~東京間は日帰りも珍しくない昨今、沖縄~札幌間も仕事の時間さえ合えば日帰りも可能(いやだよな)と報告しようと考えながら(ポイントはそこ?)、ゆっくり「かにめし」を広げ、冷蔵庫に取っておいた缶ビールをお茶代わりにする。
綱渡りは無事に綱を渡り終えたようだ。
庇(ひさし)の話はまた次回(えっ?)。
北海道の家には庇(ひさし)がなかった (無難な1日目)
画像はWikimedia Commonsから札幌の気温と雨量。
出張で8月も後半に1泊2日の北海道は札幌へ出張に行ってきた。
1泊2日で日本縦断したことになるし、せっかくなので下手な行動記録型日記風に綴ってみることにする。
1日目(8/28木)。
朝6時半頃に家を出発、首里駅6:43発のモノレールに乗る。7:10には那覇空港駅に到着。始発の出発までにはまだ時間がある。飛行機の旅はいつ何時何があるかわからないので早めの行動を心がけている。今回はwebチェックインなので20分前にICカードをかざしてセキュリティを通過すればよいとのこと(あとで調べたら15分前でよかったようだ)。空港内の本屋でいろいろ物色したあげく塩野七生の「ルネッサンスとは何であったのか」を購入。セキュリティを無事通過。朝ご飯のおにぎりをほおばる。
地上係員のアナウンスに促されて那覇発東京羽田行きJALの8:00の便に乗り込む。機種はボーイング747-400D(744)。機種はこのポストのために初めて調べた。
今回は予約時点からクラスJだ。
隣席はかりゆしウェア姿の東京出張者の風体。こちらは札幌が暑いとも思えずスーツにネクタイ姿、ジャケットは手持ち。
クールビズが認知されたおかげで東京出張でかりゆしウェアは珍しいものでもなくなった。逆に東京からの出張者はノーネクタイに白系のボタンダウンのシャツにジャケットが多いというかそのワンパターン。沖縄出張の経験がある人はかりゆしウェアを出張元から着てくることもある。そういう人から話を聞くと沖縄出張当日の空港に向かう途中、会社によると遊びに行くのかと思われて顰蹙を買うようだ。週末に出張をスケジュールする人も多いのであながち間違ってもいない。
10:20頃には羽田8番ゲートに到着。時間に余裕もあり、地上係員ものんびりとは行かなくても鬼気迫るほどでもないので、係員には声をかけることもなく乗り継ぎの15番ゲートへ移動。これは後で誤った経験則となり2日目に後悔する。しかし、8番から15番は端から端へと遠い。
食事は新千歳に着いてから弁当でも買って電車の中で食べると決意(…決意ですか)。10年以上前に友人とスキーと雪祭りのために初めて札幌を訪れたとき、快速エアポートの中で食べたイクラ丼の一口含んで二人で顔を見合わせたほどのおいしさが忘れられず(それまではしょっぱいイクラしか知らなかった)、追体験を画策。
11:00発の札幌行きへ乗り込む。
新千歳行きのこの便もクラスJ。といっても廉価版ぽく一般席の肘掛けが両側についた程度。席のフォーメーションは沖縄-東京間747-400Dの2:2:2(窓:中:窓)と違い2:4:2。明らかにデグレード。機種はボーイング777-200(777)。
席を1列間違えて若干恥ずかしい思いをする(85D->84D)。男の人が先に座ったこちらと搭乗券を交互に見てアテンダントに声をかける。一旦席に着くと列番号がわからないし、なぜか間違っている予感がしたので、そそくさと私が間違っているようですと申請する。すいませんとアテンダントとお客にそれぞれ謝るが、お客の方はこちらの顔も見ない。ただ、このお客、降りる際には別席の他人の荷物を自ら進んで取って上げていたので親切な人であった。
隣席は中高年サラリーマン2名の挟撃体制。「ルネッサンスとは何であったのか」を読んで過ごす。ルネッサンスが中世キリスト教世界からの脱却を意図したものであることを初めて知る。いい本だ。
12:40には新千歳空港に到着ゲートを通過。
12:49発の快速エアポートのUシートという指定席チケットを買い、改札のキオスクで弁当を物色するも人の多さからのんびり食べる余裕はないと判断、イクラ丼をあきらめ結局カツサンドと北海道の水を使ったというお茶にする(茶葉は静岡産)。
改札を抜け、ホームに向かう頃には乗降客でごった返し、出発1分前に席に到着。
指定席に向かうと、隣席は20代のラフな感じの太めの女性。チケットを席前のチケット入れのようなものに入れているので軽く周囲を見回し真似をする。検札のときに便利なようにしているらしい。実際車掌も確認しに来ていた。
3駅ほど過ぎたところで我慢していたカツサンドを食す。車両内で食事は私だけだった。
13:25には札幌駅に到着。
仕事は14時集合、駅から歩いて10分のところなので、途中のLoftで時間をつぶす。
14時5分前に出張先に到着。全国から集まっている中、私が最後であった。
仕事は17時過ぎに無事終了。ホテルへ向かいチェックインした後、18時からの懇親会、そのあと2次会3次会へ流れて2時半解散、3時前就寝。
そして綱渡りの2日目に続く。
出張で8月も後半に1泊2日の北海道は札幌へ出張に行ってきた。
1泊2日で日本縦断したことになるし、せっかくなので下手な行動記録型日記風に綴ってみることにする。
1日目(8/28木)。
朝6時半頃に家を出発、首里駅6:43発のモノレールに乗る。7:10には那覇空港駅に到着。始発の出発までにはまだ時間がある。飛行機の旅はいつ何時何があるかわからないので早めの行動を心がけている。今回はwebチェックインなので20分前にICカードをかざしてセキュリティを通過すればよいとのこと(あとで調べたら15分前でよかったようだ)。空港内の本屋でいろいろ物色したあげく塩野七生の「ルネッサンスとは何であったのか」を購入。セキュリティを無事通過。朝ご飯のおにぎりをほおばる。
地上係員のアナウンスに促されて那覇発東京羽田行きJALの8:00の便に乗り込む。機種はボーイング747-400D(744)。機種はこのポストのために初めて調べた。
今回は予約時点からクラスJだ。
隣席はかりゆしウェア姿の東京出張者の風体。こちらは札幌が暑いとも思えずスーツにネクタイ姿、ジャケットは手持ち。
クールビズが認知されたおかげで東京出張でかりゆしウェアは珍しいものでもなくなった。逆に東京からの出張者はノーネクタイに白系のボタンダウンのシャツにジャケットが多いというかそのワンパターン。沖縄出張の経験がある人はかりゆしウェアを出張元から着てくることもある。そういう人から話を聞くと沖縄出張当日の空港に向かう途中、会社によると遊びに行くのかと思われて顰蹙を買うようだ。週末に出張をスケジュールする人も多いのであながち間違ってもいない。
10:20頃には羽田8番ゲートに到着。時間に余裕もあり、地上係員ものんびりとは行かなくても鬼気迫るほどでもないので、係員には声をかけることもなく乗り継ぎの15番ゲートへ移動。これは後で誤った経験則となり2日目に後悔する。しかし、8番から15番は端から端へと遠い。
食事は新千歳に着いてから弁当でも買って電車の中で食べると決意(…決意ですか)。10年以上前に友人とスキーと雪祭りのために初めて札幌を訪れたとき、快速エアポートの中で食べたイクラ丼の一口含んで二人で顔を見合わせたほどのおいしさが忘れられず(それまではしょっぱいイクラしか知らなかった)、追体験を画策。
11:00発の札幌行きへ乗り込む。
新千歳行きのこの便もクラスJ。といっても廉価版ぽく一般席の肘掛けが両側についた程度。席のフォーメーションは沖縄-東京間747-400Dの2:2:2(窓:中:窓)と違い2:4:2。明らかにデグレード。機種はボーイング777-200(777)。
席を1列間違えて若干恥ずかしい思いをする(85D->84D)。男の人が先に座ったこちらと搭乗券を交互に見てアテンダントに声をかける。一旦席に着くと列番号がわからないし、なぜか間違っている予感がしたので、そそくさと私が間違っているようですと申請する。すいませんとアテンダントとお客にそれぞれ謝るが、お客の方はこちらの顔も見ない。ただ、このお客、降りる際には別席の他人の荷物を自ら進んで取って上げていたので親切な人であった。
隣席は中高年サラリーマン2名の挟撃体制。「ルネッサンスとは何であったのか」を読んで過ごす。ルネッサンスが中世キリスト教世界からの脱却を意図したものであることを初めて知る。いい本だ。
12:40には新千歳空港に到着ゲートを通過。
12:49発の快速エアポートのUシートという指定席チケットを買い、改札のキオスクで弁当を物色するも人の多さからのんびり食べる余裕はないと判断、イクラ丼をあきらめ結局カツサンドと北海道の水を使ったというお茶にする(茶葉は静岡産)。
改札を抜け、ホームに向かう頃には乗降客でごった返し、出発1分前に席に到着。
指定席に向かうと、隣席は20代のラフな感じの太めの女性。チケットを席前のチケット入れのようなものに入れているので軽く周囲を見回し真似をする。検札のときに便利なようにしているらしい。実際車掌も確認しに来ていた。
3駅ほど過ぎたところで我慢していたカツサンドを食す。車両内で食事は私だけだった。
13:25には札幌駅に到着。
仕事は14時集合、駅から歩いて10分のところなので、途中のLoftで時間をつぶす。
14時5分前に出張先に到着。全国から集まっている中、私が最後であった。
仕事は17時過ぎに無事終了。ホテルへ向かいチェックインした後、18時からの懇親会、そのあと2次会3次会へ流れて2時半解散、3時前就寝。
そして綱渡りの2日目に続く。
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