2015/10/20

「妻を帽子とまちがえた男」 オリヴァー サックス (著), 高見 幸郎 (翻訳), 金沢 泰子 (翻訳)

他人と自分が同じものを見ているようで、実はそれぞれが脳内で合成された虚像を見ているに過ぎない。何を見ているかは脳のみぞ知る。
一体何がおこっていたのだろう? 失語症病棟からどっと笑い声がした。ちょうど、患者たちがとても聞きたがっていた大統領の演説が行なわれているところだった。(p.158、9 大統領の演説)
言葉の意味を理解できないが、表情や身振りから意味を汲み取ろうとする失語症の患者と、声の抑揚、調子、音色、性質などを把握できないが、言葉の厳密な意味のみを受け入れる音感失認症の患者が、テレビで大統領の演説を見て、これは嘘だと笑っている。
その一方、いわゆる健常者は大統領の見事な演説とパフォーマンスに酔いしれている。
果たして真実を見抜いているのはどっちだ?


犬や猫がよく臭いを嗅ぐのはどうしてだろう?
ある日、薬のせいで異常に嗅覚が鋭くなった医者の卵は、臭いの世界の芳醇さを懐かしがり、臭いこそが、そこにそのものがあったという実態のある世界だという。
しかし、臭いは、彼にとって単なる快不快の問題ではなく、美意識や判断に影響を与える重要なものでもあった。 「きわめて具体的な世界でした。個が重要だったのです。ひとつひとつがおそろしく直接的で、すべてを生で感じるんです」と彼は語った。以前はどちらかといえば知的で、あれこれ考え、抽象化したりするほうだったのに、いまや、個々の経験が持つ直接性にくらべたら、考えたり抽象化したり分類したりすることは、なんとなく難しく、真実味がないように思われた。(p.286、18 皮を被った犬)
嗅覚は視覚より直接的なのだ。

マジョリティである健常者が見抜けない大統領の嘘をマイノリティである患者たちが見抜いている。 ところで民主主義は議論を重ねてより良い選択を行うものだと信じたいが、現実は相容れない主張に決着を着けるべく多数決を採用している。多数決の欠陥を補うために「マイノリティの意見には傾聴すべき」だと言われるが、「大統領の演説」は、必ずしもマジョリティが正しいことを意味せず、マイノリティの意見が時には真実そのものであることを示唆しているのだと思う。

解像度の高い視覚を手に入れ、抽象化された世界を手に入れる代わりに、嗅覚がもたらす直接的な経験を失ったのが現在の人類なのではないか。犬や猫や他の嗅覚を大事にする動物の気持ち(本能)が少しは理解できた気がする。

この本を読んでそんなことを思ったのでした。


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