2014/06/25

沖縄戦F0世代の記録

最近、沖縄戦F0世代の義父の長兄の最期の様子が判明した。
実家の両親の心身の健康状態もそろそろ怪しくなってきた。
沖縄戦F1世代の私にできることといえば、彼らの記憶を記録に残して、子のF2世代や孫のF3世代へと語り継いで行くことくらいなので、F0世代の両親、義父母の記憶を記録してみる。
「記憶を記録」とは言っても、両親義父母がそれぞれ、あるときにふと話してくれたくれたことを、私の記憶を呼び起こしながら書いているので、間違っている部分があるかもしれない。正しい情報を聞きつけ次第訂正が入る場合がある。
戦後、それぞれがたどった経過も簡単に添える。

 ちなみにF0、F1というのは遺伝子世界の累代表記の初代、交配第1世代から取ってきた。
つまり、F0世代は戦争体験者、F1世代はその子どもたちということになる。
間違った使い方かもしれない、ということは承知で書いているが、0はゼロスタート、戦争で多くのものを失い無から始まった、などを意識している。


母親の場合
当時12才。
太平洋戦争時は美里村美原(現うるま市石川東恩納)に家があり、戦争が始まると、金武村(現金武町)へ避難した。
金武の壕の中では、幼い弟が泣くので、一緒に逃げた近所のおばさんに静かにさせろと言われ、手でグーを作って弟の口に突っ込んで声が出ないようにした。
日本兵の死体が膨れ上がっているのを見たことがある。
戦争の酷い記憶はこの程度で、話に聞く南部の激戦のようなものはなかった。
戦争前の日本兵は威張っており、すぐ殴るのを見ていたので、好きにはなれなかった。
幸い、家族で犠牲になったものはいなかった。
戦後、父親が馬を持っていたので石川市長のお供をしていたことを覚えている。
(捕虜になった時期や過程は聞けていないが、住んでいた地域や被害の状況から、時期は米軍上陸直後の1945年4月上旬だと思う)

父親の場合
当時11才。
出身が奄美大島である。
戦争の直接の被害は少ない地域であり、もともと寡黙な人なので、戦時のこれといった話は聞いたことがない。
戦後は、沖縄へ行き来する船の乗組員として乗船し、その後沖縄へ軍雇用員として沖縄に移住した。
(戦後米軍下にあった沖縄へ来るために所持していたパスポートを見たことがある。)

義母の場合
当時3才。
糸満市摩文仁で終戦を迎えた。
母親と幼い弟を糸満市摩文仁で亡くした。
その時のはっきりした記憶はない。
糸満市米須の魂魄の塔に近いので遺骨はきっとその塔に収められていると思っている。
戦後、継母からはあまりよい待遇を受けなかった。
(魂魄の塔には3万5千の遺骨が葬られている)
(義母の父親の戦時の話は聞けていない)

義父の場合
当時3才。
宮崎県に母親らと疎開していた。
長兄が県立第一中学校(現在の首里高校の前身)に通っており、鉄血勤皇隊として徴用され、戦死した。
最近、生き残った長兄の同僚の手記が見つかり、長らく不明だった長兄の最期の様子が分かった。
手記によると、長兄は、糸満市摩文仁で通信隊員として壕に潜んでいるところを、 艦砲射撃の爆弾の破片がお腹に当たり、内蔵が飛び出る状態になった。これは長くないということで、自決しようと手榴弾のピンを抜くが不発で、死ぬまでの長時間苦しんでいた、という。
これを知った義父母は、祖母が最期の様子を知らずにいたのは、不幸中の幸いであると思った。
戦後ハワイの篤志家が建てた慰霊のための塔の近くの壕だというので、その塔に遺骨があるのかもしれないと考えている。
戦後、長兄を亡くした義父の父親が徐々に精神を病み、最期は自死したので、次兄である義父が弟妹たちの学費を世話するなどの苦労をした。
(義父の父親の戦時の話は聞けていない)


F2世代である私達の子どもたちは、まだ、F0世代と直接話を聞くことが出来る。これから生まれてくるF3世代にどう伝えるか、どう伝わるかに興味がある。

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画像は昨年(2013)6月23日慰霊の日に行われた、白梅の塔での慰霊祭、テントに映る樹の影。
この記事で使った画像の再掲。
iPhone5で撮影。

2014/06/16

PH 5 Plus

我が家の食卓のランプはルイスポールセンの「PH 5 Plus」。

毎日の朝食や休日のランチでも、食事時の儀式のようなものであるが、点いていないと料理がパッとしないので、点け忘れることもない。
消した時の姿も悪くないし、壁と天井が白い我が家では視覚的に邪魔にもならない。
狭い我が家の程よいアクセントになっている。
# 念のために書き添えるが、いくら狭い我が家とは言っても、この照明ひとつだけでは照らしきれないほどの広さはある(自慢)。

この灯りは電球が直接見えなくて眩しくないし、何より姿が美しいし、何かの折で、今は無き秋葉原のヤマギワで購入直前まで行って明るさに不安を抱いて断念した経緯があって、「新居にどうしてもこれだけは!」と高価だが無理して手に入たものである。
しかし、今しがた調べてみると当時より更に更に高額になっているようで、最近は支出における教育費の割合が優勢なので、今なら心理的ブレーキがABSも総動員して働いてしまい、躊躇して買えないかもしれない(実際そういうように保留にしている買い物はいくつかある)。
# 好機をモノにしたのかも知れない。

設計の意図から、光を上下横全方位に拡散するので、白熱球で高出力の「150W」が標準だが、ウチのは購入後1年ほどで切れたので、それ以降は、電球色蛍光灯の100W級に入れ替えている。
100W級なので、明るいわけではないが、そんなに暗すぎるというわけでもない。
消費電力を考えればLED電球でいいのがあればいいが、高輝度のもは高価すぎて、交換には食指が伸びない。
# 専用LED電球であったとしても1万円はどうかと思う。でも性能は良さそう。

一番大きな反射板の位置の高さを150cm位にしているので、私がテーブルを移動するときに頭にぶつけることがある。
うわっ! 曲げたか? とヒヤヒヤするが、今のところ大丈夫なようだ。
もっとも、ランプの位置が今より高くすると料理が暗くなるし、それに食卓だけを照らすという目的にそぐわなくなる。かと言って、低すぎるとテーブルの場所によっては灯りが届かなくなるし、家族がぶつかる場合もありそう。
# いずれにせよ、今のところ頭をぶつける度に照明に謝っているのは我が家では私一人であろう。

惚れ惚れするのは、掃出窓のガラスに反射して余分な光が削ぎ落とされた様子を目にした時。
2枚目の画像が、そのガラスに反射された PH 5 と PH 5 に照らされたテーブル、椅子、天井の光が、夜の外の景色と混ざり合っている場面。
# 自分でもガラスを眺めながら何だか変だなと思いつつ、5秒ほど悦に浸っている。いや、逆だ。悦に浸っていると何だか変だな、と思うのが5秒後。

ちなみに「5」は、5枚の反射板、または、直径50cmの意味らしい。
ついでに "Plus" がついているのは、照明効率を上げるために電球直下の反射板をガラスに変更したものらしい。
# 出典先や根拠を省く「らしい」連発が自分らしい。

すでに購入から9年を迎えるが、このままあと何十年も不具合無く灯り続けてほしいと思う。
# (本音)もう高すぎて買えない(魂の叫び)


2014/06/10

TD510ZMK2のその後

導入からそろそろ半年も過ぎて落ち着いてきたので、何か書こうかと思う。

スピーカの存在感は、音を出していると、おお、と思うことしばしばで、聴く度に惚れ直している。
音が出ていない時は、主張せずで、1枚目の画像には、奇しくも右上に照明が写っていて、形も似ているし、少なくとも壁と同じ白色なので、溶け込んでいるように見える、かな。

以前にも書いたが、食事をしている時でも音楽を鳴らせるのはありがたい。箱鳴りやレスポンス遅れなどの余分な響きが非常に少ないおかげだと思う。
導入してしばらくした後に、「このスピーカ、音が音とが分かれて聞こえるよね」(大意)と2号(♀9才)が言った。
解像度がいいと解釈していいだろうか。

適する音楽は、ロックもジャズもクラッシクのオケも問題なくいけるように思うが、音圧が圧縮されたような、一つ一つの楽器の音が粒が立っていないような、ミクシングで楽器たちをぐしゃっとひとまとめにしたような音楽は(ヘビメタの悪い録音のような)、向こう側でひとりよがりが騒いでいるように鳴っていてグルーブ感も無いしイマイチ。
もっともそういう音源はあまりないので我が家では致命的ではない。
音量を上げると実体感が増すし、下げてもスケールダウンするがS/Nがいいので高低のバランスがとれた聞かせてくれる良い音を出す。
簡単だけど難しいのはセッティング。

簡単というのは、特にボーカルものだと顕著だが、三角形の頂点のリスニングポイントで出てくる音を聞けば、ピントがずれていれば、左右の角度か距離があっていないということなので、これがよく分かる。
ピントが合うと、前後に空間ができ、ボーカルも浮かぶような感じで、不思議なことに、リスニングポイントでなくても、音が良く聞こえる。シングルコーンのなせる技ですね。
難しいというのは、この特徴的なエッグシェイプは、どこをとっても丸いし、スタンドの台座も丸いので、壁からの距離とリスナーに相対する振り角を左右とも同じように合わせるのが、今までように簡単にはいかない。
見た目は左右で距離も角度も大体合ってそうなのに音が変だなー、と思ってメジャーで背後の壁からの距離を測ってみると数cm違っていたなんて経験がある。家族が動かしたらしい。
これまで使ってきた四角いスピーカの場合は、背板と天板が接する角の2点をそれぞれ背後の壁からの距離をメジャーを使って測り、左右が同じになるように合わせていた(壁基準なんです)。
しかし、このスピーカには角というものがないので、一番上ににあるネジ穴を基準にして(天板も丸いので正確には測れない)、背後の壁からの距離を測り、角度は、リスニングポイントで片目をつぶり、スタンドから出ている4本のピンの配置を左右比較して決めている。
そうそう、このピンは上下の振り角を決めるためでのものであって、セッティングの難易度が更に増す。
このように基本のセッティングが大方、目分量なので大変心もとない。
ちょっとした道具が必要なようである。
(基本のセッティングを詰めて、最終的には音を聞いて微調整という事にはなるのだけど)
(それとも、今思いついたけど、ピンを基準にメジャーを当てればいいのかな)

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画像はiPhone5で撮影。
梅雨の晴れ間の湿度の低い涼しい風が心地よく通るある日、猫にならって床に寝っ転がっていたら下からのアングルに誘われて、撮って、この記事を書いた。


(2014/6/17追記)
画像を追加した。

2014/06/05

NA-VX3101のメンテ(綿埃対策)

1年前に購入した我が家では2台目となるドラム式洗濯乾燥機パナソニック製NA-VX3101であるが、綿埃関係でのメンテが必要なことがわかった。

天板のフィルタ
1枚目の画像は、取り外しができる天板にあるフィルタ部分。
画像左側の前面部分から奥に向かって空気が流れる構造で、画像右側内部の奥にあるヒートポンプを綿埃から守っている。
乾燥機能を使って、綿埃が溜まるとセンサーが働いて、ほぼ毎度フィルタチェックの警報が出るので、こちらの清掃は乾燥とセットのルーチンワークとなる。
ちなみに、本体正面向かって左下には排水フィルタがあって、こちらもセンサーで監視されている。

ヒートポンプ手前のフィルタ
2枚目の画像は、ヒートポンプ手前の固定されているフィルタは上の2本のネジを外せば取り出すことが出来る。
1年目で初めて洗っているところ。

ヒートポンプのフィン
3枚目は、ヒートポンプのフィン。
1年間でどのくらい綿埃がたまっているかと思いきや、案外少なかった。
ここは外せないので、掃除機で吸い込みつつ、歯ブラシで綿埃をこそぎ落としていく。
ドアパッキン裏
4枚目は、本体のドアパッキン(灰色のゴムの輪っか)。
実は、このパッキンの裏側にも綿埃が溜まることを発見した。
ティッシュ一枚でも小削ぎとっていく(よく乾燥しているので取りやすい)。
画像は後日の撮影。
フィルタ手前のトンネル部
さらに、5枚目は、こちらが大事なのだが、天板のフィルタ前のトンネル部分にも綿埃が溜まる。
これは私の素敵な奥様の大発見。
綿埃を歯ブラシを使って掻き出すしか無いような気がするが、過って歯ブラシをトンネルに落としてしまうと本体を分解するハメになるので、できれば、画像上にあるような、末端に留穴がるような歯ブラシで、留穴と手とを輪ゴムか何かで結び付けられるような落下防止策を講じられたい。


ドラム式洗濯乾燥機の宿命?
しかし、綿埃関係のトラブルは前のTW-741EXもそうだったが、水をドラムの中に呼び込んで排水する機能と、暖かい空気を巡回させる機能とでは、少なくとも綿埃の処理に関しては相容れないのではないか。
以前、実家で乾燥専用機を使っていた経験からそういう風に考えてしまう(フィルタはドラム中央の1ヶ所ですんでいた)。
綿埃問題はドラム式洗濯乾燥機の致命的な弱点ではないかなと疑っている。

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