そうは言っても、大人の事情で、どうしても嘘をつかなければいけないときは、お世辞を言うことにする。
お世辞は、小さな真実の強引な拡大解釈であって嘘ではないし、言われた方は案外受け入れてくれる、と理解している。
ホントはお世辞なんか言わずに済むものなら、そうしたい。
しかし、どうしても大人の事情でお世辞を言わなければいけないときは、良心の呵責を感じないよう、本心を悟られないよう、目を見ないで言うことにする。
目を見ないでお世辞を言うと、なんとなく、どこ見てるんだこの嘘つきめ、と冷たい視線を感じるような気がする。
冷たい視線に萎縮して声もだんだん小さくなって、聞こえなくなって、そうすると、何言ってるんだ、聞こえないぞ、と怒られてしまうので、意を決して大きな声で言うだろう。
例えばこうだ。
白髪の白い鼻毛は目立たなくていいですね!何か大事なものを失う代わりに、嘘をつかないことと真実を伝えることはまるで違うことを学ぶ気がする。
何、落胆することはない。
人生、死ぬまで勉強だ。
学ぶことに終わりはない。
終わるときは死ぬ時だ。
「何か大事なもの」が命でありませんように。
そんな1日になりそう。
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