2011/05/09

ロボカップジュニア2011大阪大会

ロボカップジュニアの大阪大会に1号(♂11才)が出場するため、ゴールデンウィークの真っ只中、5/2(月)〜5/5(木)の間、大阪まで二人で出かけた。我が家の女子チームは猫も含めてお留守番である。
正式にはロボカップジャパンオープン2011大阪のロボカップジュニア サッカーチャレンジの部、ライトウェイト部門(プライマリー)になるのかな。

ここにいたるまでの経緯も迂余曲折。3/20(日)に行われた那覇ノード予選で初心者チームに負けて5位、4位のチームのメンバー1人が辞退したため、首の皮一枚つながって4位繰り上げで沖縄ブロック大会出場。辞退したチームの残った1名を加えて3名体制で浦添ノードも出場する沖縄ブロック予選(3/27)に出場。トーナメントを2勝して決勝進出、決勝では負けたが2位となり、大阪大会へ出場の権利を獲得となった。
決勝に残ったのは経験がある2チームだったので順当ではあるが、オウンゴール対策もできていない偶然が支配する冷や汗モノの試合内容だった。途中合流の1名は3位のチームへスピンアウトしたので大阪大会は元のメンバーで挑むこととなった。

大会では原則、関係者は周りで見てるだけで準備、スケジュール管理、トラブル対処など全てにおいて競技者(子どもたち)自身が何とかしないといけない。

沖縄代表は、出場前は1勝なんておこがましい1点取れれば儲けモノと内輪で自虐的に言ったり言われたりしたのだが、5/4(水)の予選本番では、チームメイトのマシンの進化もあり(それでもまだ水準には達していない)、結局予選敗退ながら、望外の1勝2敗1分のリーグ3位の好成績でなんとか結果は残した(「決勝行けないのー?」(おこがましい!))。
リーグ戦の組み合わせに恵まれたこともあり、沖縄から参加した他2チームより好成績であった。
5/5(木)の交流戦では、より高度なマシンを創り上げたチームに果敢に質問するなど、遅まきながら積極性も出てきていい経験になったのではないかな。

沖縄ブロック予選から大阪大会までの間に1号のプログラムはほとんど進化せず、親としてはあれこれ言いたいのを我慢して、大阪に望んだが、現地での調整もまったく不十分、水準に満たない出来のマシンで、満足いく動作、今付けているセンサーの全てを活用する、は結局出来ていなかった。

1号の場合、「観察 → 仮説 → 検証 (→ 観察に戻る)」のサイクルが出来ていない、少なくとも1度やっただけでわかった気になるか、あるいは、お手上げ状態となり何度も繰り返さないところに問題がある気がする。原因がこれだと推測したあと、試してみて改善が見られない場合、別の要因を探さないといけないところであきらめる傾向にある。
親としては、目標の与え方、つまり、1号がコントロールできる課題として具体的な目標へブレークダウンすべきだったかなと後で思う。

沖縄からは3チーム6名の子供たちが参加したが、話す内容や行動を見てると子供たちなりに感じるものはあったように思う。 参加させてよかった収穫は大きい、とは同行した保護者みんなの弁。
ちなみにそのうち1名は大阪で、1号ともう1名は帰沖直後にインフルエンザが発症した。
沖縄は梅雨入り湿度90%以上なので感染拡大はそうはない(エアコンがんがんの場合は別)。

追記(2011/5/10)
その後インフルエンザ(B型)は5名(子供x4、保護者x1)まで拡大した。他ブロックの方は大丈夫だったんだろうか。

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