
デザインの現場から徒然日記。
bloggerの仕様変更っぽい。なんだかなぁ。
uyabinの作業台。思いつきとやっつけ。 万が一役に立ちそうだと思えた時は…、疲れていませんか? 旧題は "uyabin's workbench: 思いつきとやっつけ"
怒る前にちょっと待とう怒りたくなったら、10数えるとか、それでもだめな場合は100数えるとか。100数えるのを通り越して例えば1万まで数えようとすると、その間に苛ついてまた怒りたくなるので注意、注意。
怒ったら何がどうなるか考えよう。
何かをぶちまけた後片付けをするのは自分だ。物理的にも精神的にも。
怒るな叱ろう言うのは簡単なんだが…
その叱責が自分の感情の爆発ではないか自問しよう。
感情の爆発は自己中心的であり、対話の道を閉ざしてしまう。
教育のためにであるなら目的は、怒る、ではなく、叱る、であることをわすれないように。
作業にかかる時間もないのか自問しようきっと、その程度の時間ならなんとかなる。
清掃や整理整頓にどのくらいの時間が必要か見当をつけよう。
目の前に清掃、整理整頓すべきものを発見したとき、0分~15分程度の時間もないほど忙しいのか、私は?と問いかけてみよう。
この唄の初出時(昭和8年吹込)の経緯について、上原直彦さんの文章を転載させていただきます。ここでは二つの曲を合わせて「入営出船の港」となっている。
「「軍人節」を創作した普久原氏が検閲を受けたとき、担当係官は「琉球の民謡フゼイに大日本帝国軍人の尊称を節名とするとは何ごとか!」と、内容を知ろうともせず一蹴してしまった。つまり、日本国民でありながら、「ニッポン人の資格」を得られなかった沖縄人には、表現の自由、いや、歌うことの自由さえなかったのである。
しかし、普久原氏は歌うことをやめなかった。
「軍人」という言葉がタイトルとして認められないのなら、どうせ中身は、相手には判らない。日本帝国軍人係官が好みそうな節名をつけてやろうと考え、問題の「軍人節」を「出征兵士を送る歌」と改題、連作の「熊本節」を合せて「入営出船の港」として申請したところ、「よしよし、オキナワもんもようやくニッポ ン人になったか、御国のために尽力するように」と激励さえ受けて許可されたのである。」[「島うたの周辺 ふるさとばんざい」P85]
蛇足ですが、沖縄から出征した人たちは3年間、熊本の第六師団に配属されたそうです。それで熊本節。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
ぼくのわすれられないおくりものは、二つあります。一つは先生です。なぜならいつもいろんなことをおしえてくれるからです。原文まま、「亡」が「死」と書いていたのは訂正した。
二つめは、たわだのおじさんです。
きょ年、亡くなってしまったけど亡くなる前は、はたけにつれてくれてヤゴとかオタマジャクシをとらせてもらいました。だから、今でも心にのこっています。