父方の祖母を見舞い、焼け落ちた首里城の姿を目に焼き付け、父方母方のそれぞれの親戚と集い、新しいショッピングモールを探索し、映画を観る。
彼の年末年始はこうして過ぎていった。
彼は相変わらずマイペースだったが、人あたりが穏やかになり、おとなになったなぁと感じた次第。
薄給なのに貯金も想像以上に貯めているようなので、頼もしい限り。
(1年前も似たようなことを書いている:1号、久々の帰還)
新年早々夢うつつで考えていた。夢うつつなので考え自体は論理一貫性はなかったと思うが、無理やり言葉にしてみる。
多くの子は、人類に与えられたすべての可能性に包まれながら生まれてくる。
あるいは、たとえ、生まれてくるときに障害を伴い可能性を減じられたとしても、周りの大人は残された可能性を信じて、育てていく。
子は育ち、経験を積むに連れ、できること、できないことを体感し、可能性の一つ一つを自分の中に残し、あるいは、諦めて捨てていく。
経験できなかったことは、まだ見ぬ可能性かもしれないし、そもそも吟味する余地もなく捨てざるを得なかった可能性かもしれない。
そして、自分に残された可能性を信じて大人になっていく。
1号の帰省がきっかけになった夢には違いない。
彼の可能性はまだまだ多く残されているはずだし、その可能性を開花させてくれると願っている。
彼の可能性はまだまだ多く残されているはずだし、その可能性を開花させてくれると願っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿