2016/01/30

1号に

先日、仕事を休んでまだ残っていた父親に関する諸々の作業を片付けてきた。
今でも時々死の間際で意識が朦朧としている中、突然弟と私の名前を呼んだという、今となっては決して分かることの出来ない父親の気持ちを考えることがある。

その日の夕方に1号(♂16才)の部活動の父母会があった。
普段なら母親である私の素敵な奥様に任せきりのところを、これ幸いにと参加するために彼の通う高校に行ってみた。

そして、その日は1号の誕生日でもあった。
第1子なので、親も初心者のところに3人の子どもの中で一番手のかかる難しい子だと気ついたのは2号(♀11才)と3号(♀7才)という比較対象ができたからで、ともかく彼の子育てに関しては悩むことが多かった。彼の生活に密着していた奥様はとても苦労している。

全国大会に出場するという部の資金造成方法の決定がテーマであった父母会が終わり、部活動を少々拝見させてもらうと、彼が楽しそうにやっているのを見かけて、なんだろう、この気持は。
ともかくよかったよ。
振り返ってみると、中学時代に比べ高校生になって明らかに通学が楽しそうだし、 部活動で仲間もできている。
どんなに親が口酸っぱく言っても頑としてやらなかった片付けができるようになったし、朝も自分で起きてくるようになった。
片道歩いて40分の通学も、雨の日も風の日も当然のごとくこなしている。
誕生日プレゼントに悩むこともなくなり(今回はシャツ一枚だ)、もう手をつないで歩くこともないし、 朝起こした彼をおんぶで階下まで連れていくこともない(2号にもやっている時期があって今3号にやっている)。
もう親が彼にできることは、アドバイスや命令ではなく意見交換だし、生活を一緒に営んで親の生き方を教師ないしは反面教師として見てもらうくらいしか思いつかない(進学するなら資金援助はする)。

彼が部活の終わりに片付けを自ら率先して行い、笑顔で仲間と話し合っているのを見ると、もう一人で自分の道を切り開いていけるのだなと確信のようなものが湧いてきて、ともかく嬉しい。

亡くなった父親に関する事務作業の後片付けで始まったその日は、1号の父母会までいろいろ行動した割には物思いにも耽る一日であった。

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画像は部活の終わりを待つ彼の仲間たち。

2016/01/22

葬儀の違い (奄美と沖縄)

先月倒れて入院していた父方の祖母の様態が急変して亡くなってしまった。
状態も安定してきており、転院する前日だったそうなので周囲のみんなはただ驚くばかり。
弟と急遽駆けつけることにした。
1日1往復の飛行機では時間の融通が効かないので通夜と告別式には間に合わなかったけれど火葬には間に合った。
せっかくなので(?)、奄美と沖縄の葬儀の違いについてメモしてみる。
キーワードは「家族葬」「火葬と告別式の順序」「新聞告知」「お坊さん」「法要の前倒し」など。

「家族葬」
祖母の葬儀は家族葬で行うとの事だった。奄美では最近主流だそうだ。
本当に近親者だけで、近所の人も一連の葬儀が終わった後に知らせるとのこと。
もっとも、現役バリバリの人がなくなった時は社会的影響も大きいので、「新聞告知」の上、告別式を行うらしい。

「火葬と告別式の順序」
奄美と沖縄では火葬と告別式の順序が入れ替わっている。というか、まだ生きていた時と同じ姿の遺体に向かって最後のお別れを告げたいだろうから、火葬された後にお骨と遺影にお別れをする沖縄が特殊じゃなかろうか。
  沖縄(父親の葬儀) : 通夜 → 火葬 → 告別式 → 納骨
  奄美(祖母の葬儀) : 通夜 → 告別式 → 火葬 → 納骨
沖縄の告別式には大勢の人が来る場合が多いのでやむを得ず、告別式での焼香も2列3列は当然で効率を図っているのではないかと思うが、仏教式は火葬が先だという意見もあり、真相はいかに。

「新聞告知」
新聞告知はどちらも行うが、 奄美では家族葬で済ませました、という事後連絡、沖縄では告別式を行うのでという事前告知。実際現地の新聞でもお年寄りはほぼ家族葬であった。ただ、上述のように奄美でも事前告知のケースもあるとのこと。

「お坊さん」
奄美の祖母の場合は一切関わりがなかった。 実際お寺もあるのかどうかわからない。沖縄の父親の場合は、告別式、初七日など要所要所で呼んでいる。沖縄県の統計(宗教法人の数)を見ると沖縄ではお寺の数も増えているようだ。かといって葬儀以外での関わりはないので、いわゆる葬式仏教か。

「法要の前倒し」
奄美では「引き寄せ」と言っていた。沖縄では「繰り上げ」だ。 
沖縄では初七日に四十九日までの法要をまとめて行うことが多くなってきているが、奄美では初七日なども行なわないとのことで、納骨が終われば全て終わりである。


葬儀というのは、火葬という実質的な作業を除けば、残された人たちのためのものだから、その地域の特色が出ると思う。
総じて奄美はコスト的にも時間的にも合理的で、沖縄は人間関係を重視しているためかその逆だと思った。

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祖母と直接会ったのは片手で数えきれるほどであったが、毎年タンカン(オレンジとミカンをミックスすたような柑橘類)を送ってくれて、お礼に電話すると独特の奄美の訛りで元気をくれた。
まだ、頭のなかで声が生きている。

2016/01/18

奄美空港でのDHC8-Q400の離陸風景 (タイムラプス)

祖母の葬儀が終わり、沖縄に帰る飛行機を待つ間に奄美空港のレストランの窓際に弟と2人並んで昼食をオーダーする。
二人の間は会話よりそれぞれ物思いに耽る沈黙の時間が長いのはいつものとおり。
待っている間に日本エアコミューターのDHC8に乗客が歩いて向かい始めたので、iPhoneのタイムラプス動画で撮影してみた。
27秒の動画、離陸は最後の1秒であっという間。
この空港は地上を歩いて飛行機にアプローチするのが楽しい。雨の日は傘が用意されている。

飛行機が滑走路へと移動しようとプロペラの回転数を上げると、カメラのフレームレートと同期してプロペラが止まって見えるのが面白い。



この後、動画の乗客と同じように滑走路を歩いて琉球エアーコミューターのDHC8に乗って沖縄に戻った。
少し揺れた。

2016/01/01

Happy New Year 2016

あけましておめでとうございます。

昨年1年はいろいろあったので、振り返ってみようと思う。

1月
  • 父親が自損事故を起こした。これで免許返納確定。
  • 今の職場で異動があった。激務への序章。
2月
3月
  • 母親の成年後見人の申し立てを行う。
  • 父親のホーム入居先を探し始める。
  • 1号(♂15才)が中学校を卒業する。
4月
  • 前任者が出向元へ帰り、いよいよ忙しくなる。
  • 1号が高校へ入学する。第1希望には行けなかったけれど、それでも今の高校はかなり性に合っているようで親としてはホッとする。
5月
  • 父親の透析が限界とのことで在宅緩和ケア(看取り)とし、その後死去。死の間際に私と弟の名前を叫んだらしいのだが、どちらかと言うと独りを好む父親の子どもへの思いが現れた一面だったのかなと思う。
  • 前年の9月から続けていたingressも更新しないこととした。
6月
7月
  • 実家の片付けで出ててきたiMacを猫ハウス化する。彼女には自身の部屋がなかったことに気づく。
8月
  • 1号がボーイスカウトの日本ジャンボリーに参加して2週間ほど家を空ける。楽しかったようだ。英語の必要性を痛感したらしいがその後の行動に反映されているかは不明。
9月
  • 2号、3号と私の素敵な奥様と共に国頭村は与那川にキャンプに行く。アウトドアもいいねと思う。
10月
  • 家族全員で恩納村のロッジへ2泊3日する。
  • ハンモックを買ってみる。なんだろう、揺られている時間は至福の時(揺られている時間を確保出来たことがね)。
  • blogには書いていないが、ウェーバーのBBQグリルも同時に購入して、家でのBBQにハマる。家族がグリルを囲むのが面白い。
11月と12月は特になし。

実家関係と仕事の忙しさ以外は上々であった。

皆さんにとって良い年でありますように。

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画像は近所のトタン屋根の家、いや、倉庫かな。
トタンのサビ具合がいい。道路拡張でそのうち撤去される。

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