父が亡くなった直後に、こめかみに浮き出ている血管を触ってみると硬くて硬くて、もうボロボロだったのだな、と納得した。
透析をすると血圧が危険なまでに下がるのでこれ以上の透析はできない、と言われたのが5/13(水)。透析の中止は腎不全につながり、すなわち死に至る。
その後は、家に帰りたいという本人の希望と病院の勧めもあり、先に書いたが、在宅で看取ることとなった。看護スタッフや在宅緩和ケアの主治医の訪問などで、十日は家にいることが出来た。この期間に髪の毛が黒くなっている不思議に私の素敵な奥様が気づく。
もっとも最期は苦しくなったらしくて、病院に連れて行けというので弟が連れて行き、その二日後に亡くなった。
亡くなる前日に私と弟を呼んでいるとの知らせがあり、仕事を抜けて病院に駆けつけたが、既に痛みを紛れさせる麻酔で意識朦朧としており、声をかけるといきなり「ぱっ」と起きだしてびっくりさせたが、何も言葉を発することはなく、そのまま眠りについたので、結局自分の子どもに何を伝えたかったのはわからずじまい。後にお坊さんが言うには、ただそばに居てほしかっただけなのでは、ということなので、そういうものかも知れないと思うことにした。
当日の早朝、病院から遺体を葬儀社の車へ移動する裏廊下の途中で当直だったっぽい主治医が待っていてくれたのはありがたかった。ただ病院との関わりはこれが最後で、死んでしまうとスッパリと縁が切れるのだな、と当たり前のことを実感した。
父の死に際し、執着も未練もなし、が浮かんだ言葉で、なぜそうなのかは説明しかねる。6年前に敗血症でICUに入った時が最初の覚悟で動揺もあったが心の準備はできていたかもしれない。
画像は、4/18(土)に撮影。この時は、心不全と肺炎で入院中で、そのまま透析中止まで入院していた。
仲間内でワイワイやっていたのですね。
右下のテレビに「天と地」とあるので、調べてみたら、NHKで1969年に放送されていた大河ドラマに「天と地と」がある。ビデオもない時代なので、その年に書かれたと推測する。
左上の人だけが客観的なのでこの方が作者なのでしょう。
告別式にはその仲間のうちの何人かが来ていたことを香典で知る。
右下のテレビに「天と地」とあるので、調べてみたら、NHKで1969年に放送されていた大河ドラマに「天と地と」がある。ビデオもない時代なので、その年に書かれたと推測する。
左上の人だけが客観的なのでこの方が作者なのでしょう。
告別式にはその仲間のうちの何人かが来ていたことを香典で知る。
義理ではなしに父のために来てくださり感謝です、という言葉しか湧いてこない。
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