2015/04/02

「データの見えざる手」矢野和夫著

きっとタイトルが英訳されたら "An invisible hand of data" になるのだろう。
副題は「ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」である。

2つのウェアラブルセンサ - 腕の動き検知するウェアラブルセンサとネームカード型で対面者と面会した事実を検知するウェアラブルセンサ - のデータを長時間のログ(記録)を取ることによって見えてきたものがある、それは…、というのが著者の主張。
長時間ログはすなわち大量のデータの発生、ビッグデータとなり、その中から意味のある仮定と検証結果を出してきたのが功績。
腕の活動の状態がU分布と呼ばれる指数分布の一種に則っているというのは面白い。
集中して作業して一段落ついたら、ふー、と溜息をつきながらぼーっとすることはよくあるし、長時間同じように集中するのが難しいのも実感としてある。
この本を読んでから、そういう実感を意識するようになった。1日に出来る仕事の量には限界がある。

著者のここ数年の研究活動、社会的活動を要約した本という趣で、1章ごとにそれぞれ独立した本が書けそうだと思った。

総じて面白かったのだが、あえて、「?」と思ったところを備忘録的に書いてみる。
  • 「腕の動き」がイメージしにくかった。
  • 「運」の定義に違いがあった。
・「腕の動き」がイメージしにくかった。
リストバンド型のウェアラブルセンサと書いてあるので、手首にセンサを取り付けるのだと考えたが、このセンサで「腕の動き」を計測するという。
私の「腕」のイメージは、肩から肘までの部分であり、これが手首につけたセンサで検知した動きと等価と考えていいのかな、と思ったところ。
この疑問は解消できなかったが、1次情報に当たれば分かるでしょう。

・「運」の定義に違いがあった。
縦30x横30の900個のマス目に72,000個の玉をランダムに置き、ある玉をある玉のところへランダムに移動させることを繰り返していくと、実はU分布になると書いている(p.33)。
このU分布が偏りを表しているという画像を見た時、 イメージしたのは、ビッグバン初期の物質の密度のわずかな「ゆらぎ」によって、物質が固まり合い、やがて星になってゆく様子に見えて、これはまさしく「運」だな、人生と同じじゃないかと思った。「運」は自分の力ではどうしようもない偶然という定義である。
しかし、本書では、「運」は「人生や社会で確率的に起こる好ましい出来事」と定義しているので(p.135)、必然的に人間ネットワークの広がりの大きさと距離の短さが影響してくる。
人間ネットワークは、性格、努力、行動の結果によるところがあるので、私の定義と相容れない。
で、まぁ、「運」をWikipediaで見てみると、人によって定義が違うのが分かり、これはこれで収穫であった。

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