2013/09/24

「本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」」前泊博盛(編著)

仕事柄、米軍関連のお客様とも付き合いがあるので、過去に
という記事を書いた。
米軍基地内の法律の適用は、デフォルトでは日本の領土内であるので日本の法律が適用されるが、日米地位協定によって適用除外になる場合が結構あって、ほとんど法律的には国外扱いと考えるのがよい、というのがそれまでの私のもやもやとした結論であった。

そんなある日、時間つぶしに本屋によると、まさに日米地位協定の入門書があった。これで「もやもや」が解消されるのではないかと思い、手に入れてみた。

著者の一人である前泊博盛氏は元琉球新報の記者であり、執筆者は他に末浪靖司氏、新原昭治氏、石山永一郎氏などがいる。
高校生でも読めるように、というシリーズの意図があるので、そこそこ読みやすいが、やや扇動的なところもあってそこは注意が必要である。

本書の言いたいところは、実は本書のタイトルの主語が隠されているところにあって、主語をXXで補ってみると以下のようになる(ついでに「入門」も省いた)。
XXにとって、本当は憲法より大切な「日米地位協定」
となる。
このXXに「誰」「どこ」が当てはまるか考えるといろいろ見えてくるものがあると思う。
この本を読んで考え付くのは、外務省、政府、米国政府、米軍などなどである。
おお、国民不在ではないか。

以下、本書を読み終えての感想。
まず、日米地位協定はありていに言えば、不平等条約である。
沖縄は米軍基地が密集しているため、米軍基地や米軍人に物理的に近く、事件や事故等が頻発してきたので、人権に関わる不平等、たとえば、自動車事故を起こしても基地に逃げ込めば知らん顔、復帰前はあきらかな殺人でも逮捕できないなどがあり、命や生活に深くかかわるので、日米地位協定についてシツコク追求しているが、沖縄だけでなく、日本全体にこの協定がかかっていることを理解している人は少ないのではないか。
また、憲法というのは、改憲の是非はともかく、国の根底をなす法律なのに、最高裁判所が日米地位協定に関わるものについては是非の判断を放棄するというのは、司法として、また、国として終わっているのではないかとの印象を抱かせる(砂山事件での統治行為論)。
横道にそれると、環境基本法の第十三条では放射性物質が適用除外になっていたことを本書で初めて知った(Wikipediaの同項目は未だ修正されていない)。つまり、原子力関連は逃げ道を用意していたのですね。
もっとも、本書の発刊直前に改正(平成二三年一二月一四日法律第一二二号)になっている。

本を読み終わって、上手く扇動に乗せられた気がしたので、バランスを取るために、アマゾン(画像をクリックでも遷移)のレビューで厳しい意見にはどういうものがあるのかと思って星1つ星2つのレビューを読んでみると、「地位協定が沖縄のものとして語っている」(本書での指摘は、沖縄以外にも適用されているのだよ、としか読めなかったのだが)とか「中国脅威論」とか「3人の名前が出ていなくで視野が狭い」とかで、日本が法治国家であることを理解していない方のレビューのように思えてしまい、ちょっと拍子抜けであったことを告白する。
日米地位協定擁護論というものがどこかにあるのかしら?

国の統治は法律が基本なんですよね。
法律があって初めて機能する。
外国との付き合いが重要という政策ならば、それで全然かまわない。
その憲法に代表される法律より、外国との協定を優先するというのは理解ができない。

日米地位協定に関しては、国民が知らなさすぎるのか、うまく隠ぺいされているのか、両方だと考えるのが妥当なのか。
あの「もやもや」は解消されたが、別の「もやもや」と入れ替わった。
そんなことを考えさせられた1冊。

2013/09/09

夜更かしするのは音楽成分が不足しているから、という理屈は成り立つか?

最近、たま~に週末に夜更かしをする。
3時とか4時ごろまで起きているのですね。
もっとも、いつ夜更かししてもいいわけではなく、翌日に大した予定がないことを確認したあとである。
今この瞬間この時ばかりでなく、明日のことをも考えているとは、類人猿らしいし、さすが大人である、という風にほめられてもいいものだが、こんなことでほめられるのもどうかとは思う自分がいる一方、誰もほめるが人いないなら、いっそのこと自分で自分自身をほめてあげればいいではないか、というのが私の座右の銘の候補にノミネートされている。
世間の誰一人として認めてくれなくても誰もほめてくれなくても、自分で自分を認めてほめてあげれば、世知辛い世の中でも何とかやっていけるのではないか、という気がする。

で、夜更かし中に何をやっているかというと、TV(無い)やゲーム(学生時代に卒業)などではなく、YouTubeで初めて聞くバンドや、懐かしのロックなどを漁っている。Jazzやクラシックは大きなスピーカで聞きたいし、スマホで聞いてもどうにもつまらないので、夜更かしはロック専門である(人と違うかな)。
つまりは、YouTubeから流れる音楽に没頭しているのである。

YouTubeでは、音を聴くだけでなく映像も同時に見られるので、たとえば、元曲に合わせてドラムのパートだけ演奏してくれている映像などがあったりする。手足4本をバラバラに動かせて一体全体この人たちは私と同じ地球の人?などとため息をつき、私が時々外れるリズム感もばっちりで羨ましいと天を仰ぎ、同じ曲同じリズムでも叩く人によってはキレが全然違うわー上手下手はやっぱりあるのね、などと改めて思ったりするのである。
とにかく、この場を借りて、映像をアップしてくれた見ず知らずの他人の皆様とYouTubeに感謝申し上げたい。

音楽に没頭すると先に書いたが、没頭感のいいところは、そこにあるのは「自分だけ」であって、しがらみ、関係性、義務、責任、強迫観念などから自由に、あるいは、逃げられる、というところかなと思う。
同じスマホでも、ネットサーフィン(←死語の世界からの甦り)は、いい時間つぶしで、たとえば、いくつかのニュースサイトやTwitterなどから、知識を得ては賢くなった気になり、考えるべきことは増して思考力が上がった気になり、新しい見方を得ることで世界観を拡大した気になっても、なぜか、そこには夜更かしするほどまでの没頭感はない。

YouTubeを見て夜更かしまでするような没頭感が、私の現実世界には、直接的にいい影響を与えているとは思えず、翌日はやや寝不足で頭脳パフォーマンスの低下という悪影響を与えているのは事実で、それでも「ついつい見て聴いてしまう」のは、私に「音楽成分」が不足しているため体が無意識に欲しているからだと思われる。

しかし、音楽は時間芸術なので、それを鑑賞するには時間を消費する。音楽は演奏している時間と同じ時間の分を聴かねばならず、その時間の分だけ確実に消費していく。時間はすべての人に等しく同じ長さを与えられていて、与えられた時間をやりくりするのは、人それぞれの工夫次第である。

こうして、働き盛り、子育て真っ盛りのある年代は、葛藤に葛藤を重ね、なんとかやりくりした結果、再び自分の時間を取り戻すまでは、音楽やオーディオから離れていくのだと思う。

足りないミネラル成分を補給してくれるお手軽サプリメントが巷にはあるが、時間を消費しないような音楽成分を補給してくれるサプリメントがあればいいのに、と思うお年頃に自分もとうとうなってしまったのか、と思う今日この頃。

2013/09/02

草刈機(正しくは刈払機)と本部町具志堅のフプガー(大川)

縁あってガールスカウトキャンプ場の雑草刈りのお手伝いに本部町具志堅まで、私の素敵な奥様と行ってきた。
少ない男性陣ということで、草刈機(正しくは刈払機:かりはらいき)を割り当てられたが、使ってみるのは今回が生まれて初めてである。

草木をあっという間に切断していくのは、ものすごく効率が良く作業も捗るのだけど(1台の能力が大人5~10人分くらいの労力に相当と推測)、 草木の立場に立つと、ものすごい暴力でもって切り倒されていくので、たまったもんではないだろうなとも思う。
刈る方向は右から左、顔を覆う防護カバー必須、周囲5m以内に人がいないことを確認、刈るとき以外はエンジン停止、などに注意して作業した。
刈払機を仕事として使用するには刈払機取扱作業者の資格取得が必須で、個人用途でも取得が望ましいとのこと。

1枚目の画像は、Wikimediaから刈払機。
エンジン、エンジンスターター(ひも付きのリコイルスターター)、回転スピード調整用レバー、エンジン停止ボタンの位置を見ると、まさにこのタイプを使用したことが分かった。
エンジンは小さくても元気がありパワーもある。
燃料を燃やして力を得るその作戦は時代遅れになりつつあり、そのうちパワーや持続時間の面でまだ見劣りするが伸長著しいモーターにとってかわられる日が来るかもしれないと思う。

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2枚目の画像(iPhone5で撮影)は、草刈り場近くにあるフプガー(大川)
2時間の草刈作業の終了後、家路につくドライブの前に休憩を兼ねて訪れてみた。

沖縄の湧泉(カー)は各地にいろいろあれど、山が無くなったり、アスファルトが敷かれたり、今となっては枯れたもしくは水の循環が遅くなったカーも多い。しかし、ここフプガーは、湧水が1m以上の深さでプールしていて、右の木の下あたり数か所から今でもぷくぷくと水が湧き出している(実際、ぷくぷくは水ではなく気泡だけど)。

左上の男性が見えるあたりは囲いの隙間になっていて、プールから溢れた水が勢いよく流れ出ている。囲いにはその他に水抜き穴がいくつかあり、そこから放物線を描いて落ちてくる水を目の前にするとその水量にも驚かされるが、さらに両手を突っ込んでみると、夏だというのにとても冷たい。
冷たいので長くも手を突っ込んでいられず、水から手を抜いてみる。ふと見上げると、カーには山が迫っている。

今年は、梅雨時期にたくさんの雨が降ったが7月8月はほとんど降っていない。
頼みの台風も2個も来たがどれも風が強いばかりで期待外れの雨量であった。
何か月も前にこの地に降った雨を山がスポンジとなって蓄え、元は雨だった水が徐々に滲みでているところがフプガーだ。
この水は山の恵みだと思った。

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