2008/12/31

年賀状とLife Report

今年も年賀状を書いた。
この1年に撮った写真の中から主に子供の成長ぶりと宛先には県外の方も多いので沖縄を感じさせる写真をピックアップしてレイアウトしている。
もらう方は親バカぶりが目について迷惑だろうが、その迷惑顧みずこの1年を振り返り、記録として残すいいきっかけとして年賀状を利用している。いわばLife Reportだ。

画像は、小さな庭に勝手に生えてきたパパイヤの木。今回の年賀状のメインである。
生えてきた当初は引き抜こうと考えていたのだが、なすがままにしていると大豊作。親戚、近所へお裾分けしてもまだ実を処理できずにいるほどだ。
パパイヤは栽培方法が確立していないらしく、実がつかないものもあるとのこと。このパパイヤは大量に実をつけたので近所の方から感心された。いえいえ、私たちは何もしていないのですが。
パパイヤのせいか知らないが、同じ庭のゴーヤーは大不作だった。犬猿の仲かも知れない。

"Life Report"と言う言葉は安藤昌教さんのサイトから借用した。安藤さんはディリーポータルZ執筆者の一人だ。奇抜なアイディアを無理矢理実践して、体験レポートとして記事にしている。以前沖縄に住んでいたことがあって、カフェを宜野湾に構えていたこともある。店の横を車で通りすぎるたびに、ガンバッテルナー、と思ったものだ。

2008/12/25

クリスマスと子供達

1号(♂8才)は小三ではあるがまだサンタクロースを信じている。2号(♀4才)は言わずもがな、3号(♀0才)はまだ訳わかんない。
1号なんて寝る間際になってサンタへのお礼のお菓子を置くのを忘れたと言って、私の素敵な奥様(つまり母親)に玄関先にキャンディーを置くようにお願いをしていた。

小一の頃にすでに両親の魂胆を見破った私としては1号の素直さが信じられないが、子供達全員がサンタの存在を疑っていないなんて今年が最後かも知れないと思うと感慨深い。

私の小一時代に話を脱線すると、少し冷えたクリスマスの朝、家の玄関に兄弟それぞれへのプレゼント(お菓子が入ったブーツ)が置かれていたので、(この家は寝る前にはちゃんと施錠するのが慣わしだったので)煙突の無い家にサンタが入れるはずがない、とすると両親の作戦だな、とうっすらと感づいたのでした。もちろん大変うれしいプレゼントだったし、感づいていたにもかかわらずサンタがいたらいいなとは思っていた。
ただ、翌年以降おもちゃ屋さんへ一緒にプレゼントを買いに行くことになったのは、両親の慧眼かもしれない。

しかし、今日(あ、もう昨日だ)の夜も仕事だった。
イブの夜は夕食時に帰ってきて、2号(♀4才)と私の素敵な奥様が一緒に作ったケーキを一緒に食べ、子供達を寝かしつけた後、ケーキの半分を持って再度出社。反省会を開きつつそのケーキを同僚達と分け合って解散。3時帰り。明日(あ、もう今日だ)は午後出社なので、まぁいいけど。
先ほど帰ってきて、煙突のない我が家なのでサンタからのプレゼントをベランダにこっそり置いて、サンタの役目を果たす。
イブの夜に家を出て、クリスマスの朝に帰ってくるなんて、父親がサンタクロースだと本気で信じてしまうかも知れない。悪くない気がする。

そういえば、夕食前に家に帰って来たとき、遅い昼寝から目覚めた2号が寝ぼけ眼で「…パパ、待ってたよ…」と言ってくれたのは、もう涙が出そう。嘘の含まれる余地のないシンプルなそして不意打ちのような言葉は胸を突いて、うれしくて困る。
私にとっての一番のプレゼントだ。

画像はWikimedia Commonsから、The Gift table

2008/12/22

怒濤の1週間

怒濤の1週間だった。
12/19(金)までに結果を出さないと行けないタスクが発生して、12/15(月)から晩御飯抜きで仕事終了は午前2時~3時。それから同僚達と食事をして、帰って、寝て、起きたらまた出社。という日々が4日間。結局12/19(金)は社の忘年会に出られずじまい。
さすがに疲れたが、仕事中は時間の過ぎるのが早く感じるもので、なんとか切り抜けた。振り返ってみると同僚と共同でプレッシャーを克服するのは楽しかったが、毎週はやってられませんね。

こうも忙しかったりするとと家族や知人友人のありがたさが身に滲みる(2週間前から口内炎で滲みていたのは痛みを伴っていたのだがこれは別)。
忙しいという字は心を亡くすとよくいうが、何度も復活できるのでゲームよりは耐性が強い。簡単にはゲームオーバーにならない。
とはいえ、元に戻らない人は鬱になるんだろうか。
鬱は心の風邪、というほど簡単には直らないようなので例えは不適。では、と心の結核と言う人もいて、誰でもかかる可能性があり、長期間の治療が必要とは言い得て妙。でもストレプトマイシンなどのような有効な抗生物質が無いのが難。
誤解を与えない例えは難しい。

画像はWikimedia Commonsからアリ星雲(The Ant planetary nebula)

2008/12/14

ライフハック - 遠くを見よう

最近仕事が立て込んでいる。昨日も土曜だというのにトラブル勃発で16時から緊急出社、帰宅27時。
こんな時こそのライフハック第5弾。
遠くを見よう
過去のことも未来のことも。
今やっていることは遠い未来きっと役に立つことを過去が教えてくれる。
下を向いていたら小銭は拾えるかもしれないが、木にぶつかるし崖から落ちるし分かれ道に気がつかない。
卑近な事例を紹介すると、小学生の頃、本を読みながら家路を辿っていたら、薬屋の看板に頭をぶつけた。ぶつけたときにとっさに誰かにみられていないか周りを確認するのはどういうことだ。

それに遠くを見るのは目にもいい(意味が違うが、遠くを見るのは心にいい、でどうか)。

画像はWikimedia Commonsから、世界遺産、今帰仁城趾

2008/12/08

頭を使いなさい

1号(♂8才)が1才の頃、ブロック遊びか何かで苦戦しているときに、親から
頭を使いなさい
と言われて、アドバイス通りに、ゴン!と頭をぶつけた。

その言った「親」が自分だったのか私の素敵な奥様だったのか、判然としない。当時の場面も思い出せない。
脳内のどこかにその記憶は格納されているはずだが、ニューロンが錆びついているらしい。
記憶力が低下する一方、言い続けることで、エッセンスだけはこうして残る。
今でも笑いのネタにされているので、元は取った(何のだ)。

そういえば、米軍関係の仕事をしていた母親に、
Use your head!
って言われていたことを思い出した。”See.”を最初につけられることもあったな(ほらね、って感じか)。
こちらは配線がつながったみたいだ。
Wikimedia Commonsから、画像はニューロンのダイアグラム

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