私が運転免許を取ったのは、まだ高校を卒業して間もない沖縄の初夏を迎える頃だった。
現役での大学の受験に失敗していて一浪するのが確定していたのだけれど、「運転免許なんてここで取らないでいつ取るの?」という勢いで卒業直後の肉体労働のアルバイトに加えて若干の親からの援助も得て、ゴールデンウィークまでには普通運転免許をなんとか取得できた。
免許を得てからすぐに母親の車だった中古のホンダ・シビックを借りて、近所をぐるぐる回った。
ある日、何かの用事でシビックに父母を乗せて祖父母の家に行くことになり、 私が練習も兼ねてドライバーとなった。
父母による実地試験も兼ねていたのかもしれない。
祖父母の家に着き、もう私の用事はなかったので、母親にシビックを借りる断りを入れ、帰る時間を伝えて、まだ用事の残っている父母を置いて一人でドライブに出かけた。
祖父母の家を更に離れて、これまでに行ったことのない知らない道を帰りのルートを確認しつつ、帰る時間を計算しながら一人で走ってみる。
これが、初めての場所を一人で運転する初めてのドライブだった。
家の近所をぐるぐる回るのは、歩いているものの延長でしか無かったけれど、この時
「これでどこにでも行ける!」と思ったのを今でもよく覚えている。
「他人やバスに頼らなくていい!」
「自由だ!」
しかし、振り返ってみると、私にはそれまで「自由」がなかったのだろうか、とも思う。
父の自損事故
今年の仕事始めの前日に実家の父が自損事故を起こした。
自分の車を運転していて他人の家の擁壁と隣接する花壇に車を突っ込んだらしい。
救急に運ばれて1日だけICUに入ったけれど幸い命に別状はなかった。
医者の診断では、心不全の徴候が見られるし、本人も当時は意識がなかったと言っているので、失神状態で事故を起こしたのでしょう、とのことだった。
病院で横になっている父の代わりに弟と一緒に仕事始めの半日を休んで事故の後処理を行った。
具体的には関わりのあった2軒ほどに謝罪をし、擁壁と花壇の修理と清掃だ。
自走もできなくなったほどに潰れた車は弟と協議の上父には事後承諾として、レッカー移動された先の解体屋さんでそのまま廃車にしてもらった。
戒めのために外れていたホイールキャップを1個だけ実家に持って帰った。
父はすでに高齢だし、いくつか体に障害も抱えている中、今後他人の生命と財産を危険にさらす可能性は以前に増して高い。
今回の自損事故で他人の財産に傷をつけた事実があり、運転中に失神することで責任を果たせなくなった父には免許の返納を迫るつもりだ。
彼の「自由に移動する権利」を奪うことになるけれど、彼がもう「責任」を果たせないのなら、そうしてもらうしかないと考えている。
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