2015/01/30

左肩が痛い: 可能性と不可能性

私は右利きなので、ジャケットを着るにはまず右腕から先に袖を通す。
その次に左の袖を通すために左腕を上げるのだが、その時に左肩に結構な痛みが走る。
この肩の痛みは次の3要件を満たしているので五十肩(Wikipedia)になったようだ。
  • 肩に疼痛(痛み)と運動障害がある
  • 患者の年齢が40歳以降である
  • 明らかな原因がない
まだ、50代ではないので心理的に受け入れがたいが、9進法だと50代になる計算なので無理矢理自分を納得させている(そうじゃなくて、運動不足だよね)。

左から先に袖を通せなくなった、というのは私の持つ数ある可能性の中から一つが潰えただけであって、樋口師匠の次の言葉を噛みしめるには格好の材料だ。
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
(「四畳半神話大系」文庫版 p.150)
私にとって不可能なことががたったひとつ増えたに過ぎない。

年をとるということは、昨日まで可能だったことが今朝起きてみると不可能になってしまっている、そんなことが毎日一つ一つ積み重なるように増えていくようなもの。
これは寂しいものがある。
最近実家の80を超えた両親を見るにつけ、昔は出来たはずなのに今は出来ないことに気づく。それが増えている。
これも寂しいものがある。

ジャケットの袖を通す順番を右→左から左→右に変えると左肩の負担が軽くなるのをこの間発見したので、今はなんとか凌いでいる。
左肩がダメなら右肩を使えばよいのだ。
まだまだ可能性は無限にある、と思いたい。

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画像はiPhone6で撮影。
この猫、このあと爆睡してあられもない姿をご披露してくれた。

2015/01/20

エディックス 走行距離 777*7km

我が家のエディックスの走行距離が 77797kmを迎えた。
気温の17℃も含めて、なんか惜しい気がする。

去年の夏頃までは 1万km/年 ペースでトリップメーターを刻んでいたのだけれど、親の介護が始まって、私の素敵な奥様が私の実家に車を走らせる機会が増えたので、倍のペースで進んでいる。

それに伴って、1年前に交換したエアコンフィルターを先日交換(1年又は1万5千kmで交換推奨)した。
交換方法はこちら
タイヤも前のタイヤは 4万km で交換したのでそろそろ検討を開始するかな。

父の自損事故

運転免許と自由
私が運転免許を取ったのは、まだ高校を卒業して間もない沖縄の初夏を迎える頃だった。
現役での大学の受験に失敗していて一浪するのが確定していたのだけれど、「運転免許なんてここで取らないでいつ取るの?」という勢いで卒業直後の肉体労働のアルバイトに加えて若干の親からの援助も得て、ゴールデンウィークまでには普通運転免許をなんとか取得できた。
免許を得てからすぐに母親の車だった中古のホンダ・シビックを借りて、近所をぐるぐる回った。
ある日、何かの用事でシビックに父母を乗せて祖父母の家に行くことになり、 私が練習も兼ねてドライバーとなった。
父母による実地試験も兼ねていたのかもしれない。
祖父母の家に着き、もう私の用事はなかったので、母親にシビックを借りる断りを入れ、帰る時間を伝えて、まだ用事の残っている父母を置いて一人でドライブに出かけた。
祖父母の家を更に離れて、これまでに行ったことのない知らない道を帰りのルートを確認しつつ、帰る時間を計算しながら一人で走ってみる。
これが、初めての場所を一人で運転する初めてのドライブだった。
家の近所をぐるぐる回るのは、歩いているものの延長でしか無かったけれど、この時
「これでどこにでも行ける!」
「他人やバスに頼らなくていい!」
「自由だ!」
と思ったのを今でもよく覚えている。
しかし、振り返ってみると、私にはそれまで「自由」がなかったのだろうか、とも思う。

父の自損事故
今年の仕事始めの前日に実家の父が自損事故を起こした。
自分の車を運転していて他人の家の擁壁と隣接する花壇に車を突っ込んだらしい。
救急に運ばれて1日だけICUに入ったけれど幸い命に別状はなかった。
医者の診断では、心不全の徴候が見られるし、本人も当時は意識がなかったと言っているので、失神状態で事故を起こしたのでしょう、とのことだった。
病院で横になっている父の代わりに弟と一緒に仕事始めの半日を休んで事故の後処理を行った。
具体的には関わりのあった2軒ほどに謝罪をし、擁壁と花壇の修理と清掃だ。
自走もできなくなったほどに潰れた車は弟と協議の上父には事後承諾として、レッカー移動された先の解体屋さんでそのまま廃車にしてもらった。
戒めのために外れていたホイールキャップを1個だけ実家に持って帰った。

父はすでに高齢だし、いくつか体に障害も抱えている中、今後他人の生命と財産を危険にさらす可能性は以前に増して高い。
今回の自損事故で他人の財産に傷をつけた事実があり、運転中に失神することで責任を果たせなくなった父には免許の返納を迫るつもりだ。
彼の「自由に移動する権利」を奪うことになるけれど、彼がもう「責任」を果たせないのなら、そうしてもらうしかないと考えている。

2015/01/02

Happy New Year 2015

毎年毎年一年と
同じような年は無いけれど、
今年はなんとかなったのさ。
次がどうなるかは知らないよ。
去年と、今年と、それから来年。
みんなちがって、みんないい。
(inspired by 金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」)

恭喜發財!

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画像は2014/10/21早朝iPhone6で撮影したもの。
寝ぼけ眼で空の色に惹かれて慌てて撮影したが、月が浮かんでいることには気づかなかった。
画像を見返してビックリ。
そういうこともある例として。

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