自分の物事を理解するパターンを把握しよう。「体で理解する」というのは体罰とかアレとかではなく、全身を動かすことによって、というもの。体罰で理解するのは恐怖だけ。
- 読んで理解する (目で理解する)
- 聞いて理解する (耳で理解する)
- 言って理解する (口で理解する)
- 書いて理解する (手で理解する)
- 体で理解する (その他身体で理解する)
自分は主に読んで&書いて理解するパターンのようだ。
話しているうちに混乱してくるし、聞いたら前後関係が疎かになって忘れる(最近激しい←ただの老化)。
しかし、読むと全体の構造がわかるし(後戻りもできる)、書くと論理の整合性をとろうとし理解が深まる。
とは言え、元々そうだったのかと言うとそうでもない。それが証拠に小学生の頃に日記にチャレンジしたことが2回ほどあったが、三日も続かなかった。当時は書く内容がないんだもの、と感じていた。書くことについての固定観念があったのだろうな、と思う。出来事を書くのは苦手であった。考えていること感じていることを書けばいいのだが、当時は分からない。30年近くかかった。日記を書こうと思っただけすごいとさえ言える。
それにストーリーを話すのは今でも苦手である。というかできない。とうとうと語る人を見ると羨ましいとさえ思う。
頭の中で渦巻く思索のあれこれを整理するには私にとって書くことが一番である。効果としては今流行りのGTDのようなもんだ。頭の中のものを書き出してすっきりさせる。このblogもその一環だ。
# 渦巻く思索って?いろいろあるのよ。
画像はWikimedia Commonsから、リエージュ水族館(ベルギー)のツマグロ(メジロザメ科)。
彼らは食べて理解するタイプのような気がする。
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