2008/05/24

よい職業と平均への回帰

画像はwikimedia commonsから。

身長の高い親から生まれた子はほどほどに高いけど、同年代で見ると平均へ近づく傾向があるそうで、これを「平均への回帰」(regression toward the mean)というらしい。人間だけに当てはまるものではないけど、知能とかもそうらしい。
こちらはWikipediaの説明。

かつて長岡鉄男氏は自身のオーディオ評論家という職業が必ずしもよい職業ではないと感じていると書き、よい職業とはそれを生業とする人がその子に継がせたい職業なのではないか、例えば、政治家、歌舞伎役者など、と論じていた。

政治家はひとまず置いて、歌舞伎役者が代々続く場合を想定して、そこに平均への回帰を粗く当てはめてみる。
なお、歌舞伎についてはWikipediaにあるもの以上のものを知らないことをお断りする。
  • 当初は、多数の人間が歌舞伎(またはそれに類するもの)を演じていた。ここでは市場原理が働く(売れる人/売れない人の選別)。
  • 突出した才能溢れる人は成功し、子に伝える
  • 2代目は先代と同等までは行かないまでもそこそこの才能で演じる
  • 3代目は2代目と同等までは行かないまでもそこそこの才能で演じる
  • 代を重ねる毎にだんだん「平均への回帰」が行われる
であるならば、才能だけでは歌舞伎役者を演じる技量を持ち合わせることが出来なくなる=歌舞伎が衰退する。
ところが、
  • 代を重ねているとは言うものの、それなりに歌舞伎役者は演じているようだ(初代との演技レベルの差はわからない)
  • しかも400年もの時代を生き抜いてきた
という事実は、「平均への回帰」を信ずるならば、役者の才能に重きがあるのではなく、実は歌舞伎役者を育てる仕組み、環境作りに秘密があるのではないか。
「幼少の頃からの英才教育」「秘伝門外不出の掟」「門外漢/他者の排除」(そういうのがあるかどうかはわからない)による囲い込みではないだろうか。

ではこれをひとまず置いていた政治家に当てはめてみたらどうか。
初代政治家が魅力的かどうかは別として、2代目政治家達が賢いように見えないし魅力も感じられないことを前提にしてしまうが、後援会などに乗せられて立候補する人が多いように見える(思いこみ?)。
少なくとも立候補当初の2代目政治家の実力は未知数だ。
2代目政治家が幅をきかせると、政治は人間的魅力を失い、「まつりごと」としての政治は低レベルとなる。
政治と政治家に魅力がないと、政治家になりたい思う人は減り(一緒にされたくないよね)、2代目はライバルが減って選挙で有利になり、めでたく当選の暁となる。

え、もしかしてそういう「他者の排除」が意図的に行われているのか(それはいくらなんでもないでしょう)。


と思ったら、面白い記事が(歌舞伎役者やその周辺についても突っ込んでいる)。
世襲議員の温床


「よい職業」が子に継がせたい職業であるとしても、子やその子など代を重ねるにつれ、「平均への回帰」が働くとその職業に向いていない方向へ進むことになる。
とすれば、「幼少の頃からの英才教育」「秘伝門外不出の掟」を直系の子ではなく、広く遍く門戸を開いて血を混ぜた方がその職業に対する進化、発展につながることにならないか。
継がせること、つまり世襲は、子を生かすための一手段ではあるが、「よい職業」を将来だめにするかもしれない。


# 現在は14世を名乗るダライ・ラマは世襲ではない。観音菩薩の化身、転生。いいかどうかは別として古の知恵か。

# Wikipediaの競走馬の血統によれば、遺伝の影響は33%、その他66%は妊娠中の母体内での影響や生後の育成環境によるらしい。

# 家畜の品種改良への投影や優生学なども議論の余地はたくさんあるが、どうかなぁ。優生学は社会的にパレートの法則(80:20の法則)で棄却されないかな(現在と比して100%優秀な人で構成された社会でも20%はどうしよもないような人になるとか)。

# もう一つ組み合わせて書きたかったのは「才能は遍在する」であるが、これはまだまとまらないので、後日。

2008/05/16

イーサネットの教科書5種(ちと古い)

仕事柄イーサネットについて熟知している必要があり、教科書を揃えていたので復習ついでにメモ。
詳細までは書かない。
いずれの本もPoE(IEEE802.3af)や認証(IEEE802.1X)等はまだ無い時代のものなのでその辺は割り引く必要がある。
発行年月日順。

*はお勧めマーク(*** > ** > * > (null))。

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「ギガビットイーサネット徹底解説」 
(Data Communications Gigabit Ethernet Handbook)
Stephen Saunders編
井早優子訳 / 林田朋之、米沢寿員監訳
日経BP社
1999年10月25日 1版1刷 (原本は1998年発行)
4200円

[メモ]
章ごとに執筆者が異なるという構成。イーサネットも細かく見れば分野は広いのでその道の専門家に書かせる趣向。27章を27人と編集スタッフで分担している。複数の章を担当している人もいれば、一つの章を複数で担当している場合もあり、執筆者が競合メーカ同士だったりすので、中立性を保つために編集スタッフが記述しているところもある。職場でも同僚達と分担すればそれなりの本を作れそうだ。編者はおいしいというか(バランス取りに苦労したであろうか、章毎の違和感はあまり感じない)。
内容に目を移すと、タイトル通りギガビットイーサネットにフォーカスした本。
どちらかというと、ファーストイーサネット中心のネットワークを管理している人に対してギガビットイーサネットへの移行にあたって注意配慮すべき点が書かれており、また、ATMやCSMA/CD(半二重通信)に気を遣っているように、まさにギガイーサネット登場の過渡期に出版された本。
また、"10BaseT"とか正規でない書き方で統一されている(正式には"10BASE-T")
というところも含め、現在では購入する理由はあまりない。

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「詳説 イーサネット」 *
(Ethernet - The Definitive Guide -)
Charles E. Spurgeon著
柏木由美子訳/櫻井豊監訳
オライリージャパン
2000年12月20日 初版第1刷 (原本は2000年発行)
4200円

[メモ]
挿入されている図が適切で理解を助けるのに役立つ。
「5章自動ネゴシエーション」は詳しい。
「15章ツイストペアケーブルとコネクタ」は電話からの関連性の記述がいくつかあり、また、感電の危険性があることに対する注意喚起が行われているのはこの本だけ。
全体的にいわゆる教科書的でさらっと流れてしまうのはいわゆるオライリー本っぽい。
講義を聴いているようだ。

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「高速Ethernetの理論と実装」 **
(Switched, Fast, and Gigabit Ethernet, Third Edition)
Robert Breyer/Sean Riley著
イデア コラボレーションズ訳
アスキー
2001年4月1日 初版 (原本は1998年12月21日発行)
4200円

[メモ]
「第6章ケーブル配線と物理層の詳細」「第8章構成部品」が他にはないトピックがあるように物理層の説明が細かい。
「第1章Ethernetの歴史」も「1.1 Ethernetの起源:ALOHA無線システム(1968~1972」から始まり「1.2 Xerox PARCでの最初のEthernetの構築(1972~1977)」「1.3 DEC, Intel, およびXeroxによるEthernetの標準化(1979~1983)」「1.4 3ComによるEthernetの製品化(1980~1982)」と続き、「1.5 StarLAN:低速、しかし偉大なアイディア(1984~1987)」などもあって「1.11 Gigabit Ethernet(1995~1998)」まで締めるまで同様におもしろい。
この本にも「LANスイッチング徹底解説」同様、命名規則が載っている。
ただ、オートネゴシエーションについて、片端がオートネゴシエーションでもう片端が固定の場合、速度については優先順位に則って自動で調整されるが、通信モードが半二重となることはこの本からでは読み取れない(p.116/3.6 IEEEの自動ネゴシエーション標準規格)。(これで痛い目に遭ったことがある)
「第1章Ethernetの歴史」「第6章ケーブル配線と物理層の詳細」「第8章構成部品」に他の本にはない価値を認める人向け。

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「LANスイッチング徹底解説」 **
(The Switch Book - The Complete Guide to LAN Switching Technolgy -)
Rich Seifert著
間宮あきら訳
日経BP社
2001年8月6日 1版1刷 (原本は2000年発行)
4800円

[メモ]
全体にユーモアとエスプリが効いていて、内容も細かく、個人的には一番好き。イーサネットを理解した気になる(スイッチにフォーカスしたタイトルになっていますが)。
商売のツールとしてイーサネットを捉える人(私のような)には後述する「10ギガビットEthernet教科書」が実践的ではある。
「リンクの不変性」(フレームの重複の禁止/配送順序の維持)といった基本中の基本について明記(p.70/p.222)しているのはこの本だけ。
実装方法の命名法もちゃんと記述している(p.28/例:10BASE-Tは正解、10BaseTは間違い→BASEは大文字、読みにくい場合は"-"でつなぐ)。
想定されている前提条件に言及しているのも特記できる。例えば、STPは新しいトポロジーに収束するより早くネットワークが変更されないことを前提としている(p.200)。
ユーモアというのは「5.1.2 ループの回避」では、ループを解決するにはそもそもループとならないような構成にすべきということを暗喩した本文外のショートコメントで(p.190)
患者:「先生、こうすると痛いんですが」 先生:「じゃ、そうしないでください」
と出した後、ループ問題を解決する方法(STP)と詳細について述べた後「5.3.3 独自のループ解決アルゴリズム」で再度(p.217)
(省略)……いまでも通用する金言
と提示してたりする。これ、家でも子どもたちに使っている。
同様に
「全二重型イーサネット」
CSがなく、MAもなく、CDも行わないCSMA/CD
とか(p.289)。イーサネットを定義するIEEE802.3はCSMA/CDを使った通信方式のLANにおけるMACと物理層に関する標準を指すので全二重型通信は自己矛盾であることを面白く皮肉っている。制定当時は半二重しかなかったので互換性維持のためCSMA/CDは1ギガビットイーサネットまで生き続けている。でもその矛盾を取り込みつつ増殖しているのがイーサネットの強みでもあるが、とうとう10ギガビットイーサネットではCSMA/CDは非対応になった。
こういうメタが随所にちりばめられているので凡庸な教科書だとさらっと流してしまうところを記憶にとどめさせてくれる。
守備範囲はIEEE標準、IEEE802.3、IEEE802.3ad(リンクアグリゲーション)、IEEE802.1D(STP)、IEEE802.1Q(VLAN)、ループの解決、スイッチの動作、全二重型通信、CoSとQoSなど。

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「10ギガビットEthernet教科書」 ***
石田修、瀬戸康一郎監修
IDGジャパン
2002年4月20日 初版
4000円 (某社より仕事先へ献本)

[メモ]
「ギガビットイーサネット徹底解説」と同様に各章を複数の執筆者が担当する構成。異なるのは、監修者も多くの章を執筆していること。
とりあえずここに書いていることを把握していれば仕事は出来る。
「第10章MAN/WAN/SANへと拡大する最新ethernetの応用例」のWAN/MANの接続構成などが実践的。
広域EthernetサービスやFTTHに関する記述も見られるのも国産本かつ(この中では)最新本であるが故か。
冗長化技術も詳しい。
付録ではあるが各種符号化に関する説明も種類も多く一番詳しい。
特に10Gに特化しているわけではなく、Ethernet全般と周辺技術にまで手を広めている。
とりあえず1冊だけ選べと言われたらこの1冊になる。

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通信を生業としている人にとって仕事上で使えるとりあえずの知識としてのイーサネットを吸収したいなら「10ギガビットEthernet教科書」、イーサネットについてもっと知識を深めたいなら「LANスイッチング徹底解説」がお勧め。

こう復習してみると同じイーサネットを題材にしても扱う分野の広さ、専門的深さ、伝える工夫が教科書によって大分違う。

イーサネットの基本を勉強、習得するにはこういった「教科書による学習」の他に「IEEE標準の確認」「実機を用いた実習」「測定器による検証」などがあると思う。

私のPCの裏にささっているUTPケーブルは簡単に接続できてリンクアップを示すLEDが点灯するのを確認する程度でイーサネットに関しては意識もしないし、ほとんど何のノウハウもいらない。最近ではオートMDI/MDI-X機能によりクロスケーブルと知らずに接続してつながらないなどのトラブルを起こすこともなくなった。UTPケーブルも材料と工具があれば簡単に自作できる。
イーサネットは枯れた技術であると見ることも出来る。当面の間、OSI階層モデルでいうレイヤー2(データリンク層)における通信方式はイーサネットの独壇場であるに違いない。

ただ、仕事で用いるイーサネットは大量に/安全に/堅牢にする必要があり、その展開には基本を押さえた上で別の技術が必要であるのだけれど、今はまだ書けないなぁ。

2008/05/08

第32回「沖展」うるま市選抜展

画像はwikimedia commonsから。

こどもの日に第32回「沖展」うるま市選抜展@うるま市具志川総合体育館を見に行ってきた。
美術の粋212点/うるま市で沖展選抜展

沖展自体は60回を迎えたらしい。
これだけ長いと、もしかすると沖展自体はマンネリ化と閉鎖的状況に陥っているもかも知れないが、内情は知らないので知らないまま通すことにする。

音楽とパフォーマンス以外は何でもありという感じがして静かなお祭りにも思える。
選抜展は、無料だし(沖展は1000円)、
普段土足禁止の体育館にシートをそこら中に引きまくって靴のまま上がり込めるので近所の散歩がてらのように気軽に鑑賞できるし、作品も入賞作品が中心なので量で押しつぶされることが無く、また人も多くないので作品一つ一つに時間をかけて見ることが出来るので面白い。
沖展本展より選抜展がリラックスできてお勧めだと思う。

11ジャンルと多分野にまたがるが特に大作の絵画と書が普段目にしないので面白かった。
作品の善し悪しはわからないが、好き嫌いはいえるので自分の家の吹き抜けの壁に飾られている景色を想像して見て回った。
気に入った作品は賞をいただいていなかったが、それもまたよしとする。

沖縄で芸術に心を奪われ、また志している人がこれだけいるのか思うと、そしてその作品を生み出している課程では全身全霊を(言い過ぎ?)打ち込んでいるのかと思うと、なぜか勇気づけられる。
私の普段の生活にはとんと縁がない世界だけに、知らない作者の制作する様を夢想するだけで楽しい(ホントに想像できるのか?>自分)。
無論、自身のポリシーから沖展に出品しない人々もいるだろうから、作品を応募した以外の人がまだいるかと思うとさらに刺激になる。

選抜展は以前、会場を具志川(現うるま市)の復帰記念会館として開催していたと思う。
中学生の時、そこで開かれた選抜展に授業の一環で見学に行ったことがある。
中学の美術の先生が実は絵画の部で応募していて(自分でそう言っていたので注意して見ていた)、見事入賞した作品を見て、あの先生はこういう一面もあるのだなぁと思ったことを覚えている。
この美術の先生の授業ではやること=テーマは決まっていたのだが出来なかったからと言って怒られることもないし、聞けば答えてくれるが聞かなければそのまま放っておかれるような自由があって面白かった。この授業で彫刻(というか立体の把握)の才能が人並み以下であることを発見するが、イヤな思いはしなかった。
沖展の作品からすると絵画の人だったはずだが、覚えているのはその彫刻と立体凧の制作である。立体凧は実際に運動場でみんなでそれぞれ創意工夫を凝らした(今思うとそうでもないが)凧を揚げたのである。授業中にこんなことが出来るなんて思わなかった。
その選抜展見学の帰り道、一緒に行ったクラスの女の子のうちの一人が何かがおかしかったのか、笑いが止まらなくなった。お箸が転んでも笑うお年頃ではあるは仕方ないにしても、周りの同級生も笑いが収まりそうになる度にツボを刺激したのだろう、学校に戻るまで彼女は笑い通しであった。
きっと彼女の選抜展の思い出はあの豪快な笑いと腹筋の痛さと共にあるに違いない。

発表する側も鑑賞する側も有意義な展覧会だと思う。少なくとも無いよりはマシ。
うるま市には
選抜展を意地でも続けてほしい。


こちらのポストでもそうなのだが、沖縄に関しては「コップ半分の水」を見て「半分もある」と思う質のようである。「半分しかない」とは思えない。


ちなみに沖展は空港の「沖合展開事業」の略でもあるらしいので、空港関係者と話をする時は混同しないようにしないといけない(そんな人はいない)。

2008/05/01

「一日一日は長い、でも年月は短い」

画像はwikimedia commonsから。

オリジナルは "The days are long, but the years are short."

Lifehacking.jpこちらの記事で紹介された1分間のショートムービー:The Years Are Shortより。
ググるとblog記事いくつか出てくる(やっぱり英語ですが)。

まったく同感というか、ここ数年無意識に実践していることを言葉で表現してくれたと思う。
子供が生まれ(私のすてきな奥様との衝突を経て)、自分のパーソナルな事項(オーディオのような趣味とかね)は現状に満足いかなくても、今は我慢、できるだけ後回し、子供達が独立してから、と考えるようになっている。
しかし一方で、(その趣味で家族を置いてけぼりにして)それでも貴重な経験になるであろう機会は逃したくないという思いもあり、このblogで言えば森博嗣氏の本を紹介したりするのはその現れではないかと(小さく激しく自己矛盾追求)。氏の場合は趣味で遊ぶためにお金を稼ぐ方法として別の仕事を始めたという生き方が参考になるというか。

どんな普通の人でもある日ある時間を境に、殺人者になったり、人生台無しとなる事件を起こしたり、事故にあったり、病気になったり、裏切られたり、捨てられたり、がらがらと何かが崩れていくような、ヒューッと何かを抜かれて空っぽになるような時が来るかも知れない。

日々感情を表に出して生きていられるのがものすごく幸運なことだったりする。
朝の空気を吸えるのは(生きている人は皆吸ってますがそれを意識できることは)幸運なことだったりする。
動物、植物に関心を払えるのは幸運なことだったりする。
一日に何度も食事できるのは幸運なことだったりする。
今日一日を終えて眠りにつけることは幸運なことだったりする。
普通の日々は幸運な日々であると言い換えることが出来るかも知れない。
(そんな歌もあった)
(ただし「普通」とか「常識」とかいう言葉には気をつけよう。人によって違うから)

今が普通であるならば、それはものすごい幸運なことなのに些細なことで他人と競争したり張り合ったりするのは極力やめようと思う。
代わりに自分の能力を生かそうと思う(見た目は変わらないかも知れない)。
幸運を感じているならばそれを他人に分けてあげようと思う。

そして、しばらくは休日や空いている時間をまだ小さい子供達のために空けておこうと思う。
(子供達のためと言いつつ結局は自分のためである)

このblogも日々の幸せの気づきを思い出すために記録をつけたのがきっかけだった(まだ記事はあまりない)。
最初の記事がそれ(おちゃらけ入ってますが)。

すてきなムービーを紹介してくれたLifehacking.jpには感謝。
(訳の最後に
「バスに乗って学校に行っていた頃を覚えている?」
私は時折聞いてみる。

"Do you remember when we used to ride the bus to school?" I asked her the other day.
とあるので
「よくバスに乗って学校に行っていたのを覚えている?」
と先日聞いてみた。
が適当かと思う、と恐れ多くも呟いてみる)

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